「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県行橋市 ・ 村上仏山が開いた私塾 「 水哉園 」

2014-01-28 05:06:41 | 文学・文化・映画作品



村上仏山の私塾 「 水哉園 」









































初代川と鋤迫川が合流して長峡川となる行橋市上稗田。
そこに、かつて儒学者・村上仏山が開いた私塾 「 水哉園 」 があった。

水哉園は、天保6(1835)年に、儒学者・村上仏山(むらかみぶつざん)が開いた私塾である。
村上仏山 ( 諱は剛 ) は、文化7年 ( 1810 ) 年、上稗田に生まれた。
仏山は号で、近くのホトギ山に由来する。
9歳の時、津積村大島八幡神社の神官・定村直栄 ( さだむらなおしげ ) に漢学を学び、
12歳のころには 「 唐詩選 」 を暗記し、漢詩への強い憧れをもつようになった。
15歳で故郷を離れ、筑前秋月にある原古処の 「 古処山堂 」 に入門する。
古処が急逝したため、生涯第一の師と慕った白圭のもとで学ぶ。
その後、京都の貫名海屋や博多の亀井昭陽などを訪ね、諸国を歴訪する。

天保6年 ( 1835年 ) 、26歳の時にこの塾を開いた。
塾名は、孟子の仲尼亟しばしば水を称して曰く、水なる哉かな水なる哉かなと。
何をか水に取れる。孟子曰く、原泉は混混として昼夜を舎おかず。
科あなを盈みたして後に進み、四海に放いたる。
本もと有る者は是かくの如ごとし。是これ之を取るのみ)」。
孟子の説明によれば、 「 水哉 」 とは、たゆみのない持続的な学問研究の姿勢を、
常に流れて止まない水に喩えたものと言える 「 水哉水哉 」 から採ったもので、
塾には、厳しい塾則があり、全寮制で試験による進級制度も取り入れられ
文学や詩文中心の人間づくりの倫理教育が行われた。

明治12年(1879)年、仏山が70歳で没した後も、養嗣子の静窓(せいそう)に受け継がれ、
明治17(1884)年まで、50年間続いた。
その間には、関西以西から3000人もの入門者があり、
なかでも末松謙澄 ( すえまつけんちょう ) 、吉田学軒 ( よしだがっけん ) 、
安弘伴一郎 ( やすひろばんいちろう ) など中央で活躍した人をはじめ、
狭間畏三 ( はざまいぞう ) 、守田精一 ( もりたせいいち ) 、杉山貞といった
この地方の先達者など、優れた政治家、学者、名僧、医師を多く輩出した。

仏山は、日本の漢詩壇をかざる大詩人でもあり、
1860年 ( 万延元年 ) 3月3日、井伊直弼大老が水戸藩士に暗殺された
桜田門外の変を詠んだ、 「 落下粉々、雪粉々・・・ 」 の漢詩を納めた
『仏山堂詩鈔(ぶつざんどうししょう)』(全三編九冊)は、日本中の私塾の教科書として用いられた。

塾舎跡の一隅には、仏山ゆかりの資料 ( 県指定文化財 ) を収める仏山堂文庫が建てられている。


村上仏山の詩集や著作を納めた 「 蔵詩厳 」

2014-01-28 05:05:41 | 文学・文化・映画作品



村上仏山の詩集や著作を納めた 「 蔵詩厳 」













村上仏山の私塾 「 水哉園 」 から南西に3キロばかり入った御所ヶ谷に神籠石がある。
それを見下ろすようにそびえるホトギ山。
そのホトギ山 ( ほとけ山 ) を号とした村上仏山 ( むらかみぶつざん ) 。

御所ヶ谷を神籠石の手前の急こう配を左に15分ばかり登って行くと、ホトギ山の東側にあたる。
その中腹にある巨石に 「 蔵詩厳 」 と刻まれている。
「 何でこんな場所に? 」 って、思うような場所である。
「 蔵詩厳 」 に行くまで息が切れるほどの勾配のケモノ道を滑り々登って行かなければならない。
それは、途中で道を間違えたのかと思うほどのケモノ道である。

そのケモノ道の上にある 「 蔵詩厳 」 の下に仏山の詩集や著作が埋められているという。
仏山がじきじきにこの場所まで来て埋めたのであるとするならば、
これだけ困難な山道を辿っても、仏山はこの場所を愛していたのだろう。

そういえば、能書家・下枝董村の鏡岩も墓も山の中だった・・・



鹿児島県徳之島 「 亀徳港南防波堤灯台 」

2014-01-28 05:04:41 | 奄美群島の灯台















































































灯台表番号 / 6958
ふりがな / かめとくこうみなみぼうはていとうだい
標識名称 / 亀徳港南防波堤灯台
所在地 / 鹿児島県大島郡徳之島町 ( 亀徳港南防波堤外端 )
北緯 / 27-44-20
東経 / 129-01-40
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 190カンデラ
光達距離 / 6.0海里
地上~頂部の高さ / 13.44m
平均水面上~灯火の高さ / 17.67m 
地上~灯火の高さ / 13.1m
業務開始年月日 / 昭和56年2月23日
現用灯器 / LD管制器Ⅰ型



亀徳港南防波堤灯台は、徳之島の東の玄関口にあたる徳之島町亀徳港沖の防波堤に立つ灯台である。
灯台の初点は昭和56年となっており、以前は旧・亀徳港を利用していたが、
現在は亀徳新港を利用している。
ただ風の向きや強さによっては旧港を使用することもある。
また、台風や強風で亀徳港に入港できない場合は平土野港へ変更することもあるという。


亀徳港南防波堤灯台へのアクセス
亀徳港南防波堤灯台へは、船で徳之島へ渡れば平土野港以外は必ずこの港に入港するので、
船上から見ることが出来る。飛行機の場合は空港のある天城町から徳之島町の亀徳まで出て
亀徳新港に行けば見ることが出来る。
駐車は、港の駐車場が利用できる。