山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

往生とは往って生きることだ

2017-02-02 00:12:35 | 読書
 テレビにラジオに各地でマルチな才能を馥郁と発散させた永六輔は昨年の7月に亡くなった。
 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」という井上ひさしの言葉を実践してきた生き様だった。
 そのベストセラーが『大往生』(岩波書店、1994.3)、『二度目の大往生』(岩波書店、1995.10)だ。

 「老い」「病い」「死」「仲間「父」をテーマにして集めた言葉に生の尊さの本質を観る。
 ♯「人間、今が一番若いんだよ。明日より今日のほうが若いんだから。」

                                         
 父の言葉を詩にした六輔のメッセージ。
 「生きているということは 誰かに借りをつくること
  生きてゆくということは その借りを返してゆくこと」

       
 ♯「がんばってくたびれちゃいけません。 くたびれないようにがんばらなきゃ」
 ♯「老人になったときにー 見せるべきものをもっているか。 語るべきものをもっているか。
  伝えるべきものをもっているか。このうち、ひとつでももっていればいいのです。」

                                      
 家の光協会発刊の『永六輔 畑のラジオ』(2004.4)はまさに「おいしいおしゃべりが止まらない」。
 「農の周辺にある工芸が面白い」と、刺し子・野良着や農機具の手仕事を称賛し、「農業には哲学が必要だ」と指摘する。
 「おいしいご飯を作って家族を喜ばせる、それがわたしの平和運動だ」という投書を結びにしている。
 いろいろ脱線しながらも蘊蓄も披露しながらも、庶民の目線から暮らしや文化を見つめる永さんのぶれない確かさが伝わってくる。
ちなみに、永さんは反戦の闘士であることがあまり知られていない。 
コメント
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