フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

幕末蛍狩り

2010-05-21 22:13:27 | Weblog
朝ラジオで九州、高知で蛍が見られたとの連絡がありました。と聞いたので平尾加尾と収二郎の実家があった付近の川へ蛍狩りに行ってきました。


考えてみれば、自分ちが龍馬の生家と近いからこの辺りまでは子供の頃の龍馬たちの遊び場だったかもしれない。近所のモーター屋と美容院の辺りには昔龍馬が通った塾があったと聞いているから。うちの近くを通って竜馬たちが加尾の家に遊びに行きよったかもと思うと幕末がぐんと近くに感じられて「攘夷じゃき」と志士の気分で闊歩する。蛍といえば昔は家の庭で見えてたんだよね。蚊帳に入ってきたりして飽かずに眺めていた記憶があります。この狭い川は今日の夕刊に取り上げられていたこともあって人が多かった。でもこの当たりは蛙も鳴いているやっぱり日本人に生まれてよかったなぁ。このムード、たまりません。日本人の遊びの感覚ってなんとすばらしいんだろう。
 
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バリウム

2010-05-20 19:47:44 | Weblog
バリウムを軽く考えてたら大変なことになった。昨日の雨の日のことだ。ちょうど健康診断の日だった。検便から検尿に始まって視力、身体検査レントゲン心電図腹部エコー胃の検査歯科検診血液採取とあって最後に腹囲計測というコースだった。最後のところで「何センチ?去年と一緒ね」なんて軽口叩いていると背中に「1センチ増えていますよ」だって。胃の検査が終わって問診のときに「今日はバリウムを飲んでいますから水分を良く取ってください」といわれてたのに外が雨だから水もあんまり飲まず、忙しさにかまけて昼食もとらず腹の中にはバリウムだけの状態だった。夕方家に帰ったとき便意をモヨオシタんだが犬の散歩が先かと散歩に出かけ戻っても猫の餌犬の餌と作ってやれやれとトイレに行ったら出口までは出るけどここから出ない。「えっうそーっ!」とあせって気張っても出ない。バリウムしか食べてないからその純粋バリウムが胃液と腸液で練られて水分が少なかった分セメント状になってしまったんだ。明日とか明後日なら分かるけど体質さがあるのかな今日だよ。
呼吸を整えて脳溢血になるのか肛門も裂けよとばかりいきんで子供生むってこんな感じかなとボンヤリ思っていると「出たーッ」織田祐二じゃないぞそういえばこのモノマネしてた人どうしたんでしょうね。最近見かけませんが。-閑話休題ー
出ましたコンクリートのような真っ白いものが。ホントお疲れさんへとへとになって流そうとしたら白濁色に水は濁るのに流れない。「ゲーッ」人を呼ぶわけには行かないしおケツの穴は痛いしモウ泣きそうだった。「これは、溶けたら流れる」と冷静に考える自分がいて
幸い一人だし置いとこうとバリウムだし臭くないしと思ってほんのちょっと放っていたら水の力は偉大なのか思ったとおり溶け出して2回くらい流したら無事流れた。自分の体調が元に戻ったのは今日の夕方だ。そしたらマルディがちょっと下痢でウンチを長い毛につけてきたから洗ってお尻拭いてやり「なんて、ウンがつく日だ」と愚痴った。「雲古」ってこんな漢字だったよね。バリウムのにピッタリだね。健康診断も命がけなんだということが分かった日でした。バリウム飲んだ人水たくさん飲んでね。苦しまなくて済むから。お粗末。
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Tomorrow Never Comes

2010-05-19 19:18:17 | Weblog
I hope we never will forget
Tomorrow is not promised to anyone,young or old alike
この句だけがやけに目に付いてこのノーママレックの詩全体の意味とはちょっと違うんだけど不思議とこの言葉で勇気を得ている。司馬遼太郎が「個人参加の志士という立場で路傍に斃れたものは土佐人が最も多く・・・・」と書いてるそうな。ここは、思いっきりフリーじゃきにの県だから昔も今も変わらない。親分なしの子分なしというのがここのスタイルだからね。スポーツでも芸能でも同じだけどほんの一握りの頂点の人を見ているだけだから。多くのアマチュアに支えられてプロがいる。幕末の志士も然りだと思う。たった5年位の間で多くの若者がこころざし半ばで非業の死を迎えたんだ。土佐はこんだけ裾野が広かったらその第一線にでた龍馬や半平太なんか超一流だったんだろうね。大事なのはアマチュアをどんだけ連れられるかで自分達のポジションも決まるんじゃないかな。おぼろげながら分かるような気がする
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井口城跡

2010-05-18 19:39:24 | Weblog
土佐勤王党の痕跡を求めて野山を駆け巡っているうちに戦国時代の井口古城跡に出くわした。城の謂れは知らないけどその山の畑で耕している老婆に尋ねたら教えてくれた。「この上に昔お城があったと聞いちょります。」「そう、ありがとう」「けんど、道がないで。昔はあったけんど誰も行かんきもう道がのうなったがやき」「モウ行けれんが?」「その崖を登って行ったら行けると思うけんど行ったことがないき」「ありがとう、そしたら行ってみるき」と老婆に礼を言って崖を登った。確かに道はない。崖の上にかすかに道だったものが見えた。畑を横切り柵を超えいざ登り始めて驚いた。その崖の下に生えている竹がスパッと斜めに切られていた。竹槍が天に向かって突き刺さっている。こりゃぁ落ちたら竹が刺さるなぁ。と思うと緊張した。里山と思ってるから足はクロッグ、半パン、Tシャツこんな格好で崖を登るなんて思いもしなかった。それでも距離が短かったから何とか落ちずに行けたけどどっと疲れた。頂上の城跡に行けば当然のことだけど単なる藪だった。



おらが、おらがと自己主張の激しい土佐にはこんなお山の大将のような城がたくさんあったのだ。これらがすべて龍馬を育てたものへと続いているんだと思えば土佐の自然や史跡はもっと保護されなくてはいけない。頂上から降りてきて「龍馬伝でいまやりゆろう。その人らぁの墓を探してめぐりゆうがよ」とあの老婆に言うと「龍馬伝かねいまやりよらぁね」といって俄然目を輝かせてそれからしばらく一緒についてきた。これも土佐流か。「おばぁさん、ありがとう、お疲れでした」
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マニアック土佐勤王党

2010-05-17 19:03:22 | Weblog
幕末の史跡巡りもついにマニアック。全国区ではなく郷土史家しか知らないような勤王の志士の墓を探しに出かけるようになった。高知は史跡の宝庫だけど行政と教育委員会がそんなものに興味ないって態度だったから山を切り崩したり開発という名の下に大変な数の史跡を跡形もなく葬り去ってしまった。ある郷土史家の努力によって何とか保存記録されてきつつある時に突然市民に向かって「私達がこの史跡を守りました」と教育委員会が宣言したのに驚いたのは郷土史家だけではなかっただろうが、上士下士の歴史がある県だからそれもそれかとあきれはてて郷土史家が何にも言わなかったことをいいことに今では、そういうことのなっている。そして、今ある史跡もいつ忽然と消えるかもしれないので今のうちに自分達の目に焼き付けておこうと里山を這い回り志士たちの痕跡をたどる。今日行ったのは「小畑孫三郎」武市半平太の投獄に対し救出運動に奔走しついには自分も捕まってひどい拷問に耐え釈放後死んだ人だけど土佐勤王党は誰も口を割らなかったらしい。以蔵だけが口を割ったからみんなから恨まれたのかな。以蔵には以蔵の言い分があったのだろうがそんなこと聞いてくれる時代じゃなかったからね。頑張った人もつらいし口を割った人もつらい時代だったんだ。この野山を少年の頃の龍馬とその仲間達が走り回ったかと思うと志士たちの息遣いが聞こえてきそうだ。本当は、近くまで行っているのに発見できず誰も入らないものだから道は消失し道なき道を行き崖を駆け上り汗だくだくになって見つけられないまま帰ってきたんだ。「おまんらぁの後を追いかけるがも結構つらいぜよ」なんて思いながら「カレルチャッペック」のオレンジスィートを飲んでやっと落ち着いている。小さな里山といってもあなどれないな。
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海舟が書いた

2010-05-16 01:23:35 | Weblog
廣井磐之助の墓を探してきたとこのところ俄か郷土史家として燃えているバジルが朝早くからやってきて案内するというので自転車で行ってきた。


竜馬伝探検隊というかバジルは、「龍馬伝が行く」と言ってる。廣井磐之助は日本で最後の仇討ちをした人で確か竜馬と海舟が手助けし海軍操連所の一員にしてもらい苦労の末やっと親の仇を和歌山で見つけ仇を打った人で龍馬も海舟も喜んで「おまんはまっこと孝行息子じゃき」とうげまわったと。だけど敵討ちでよっぽど疲れたのか翌年死んでしまったんだ。それで有志が集まって墓を建てることになって、多分発起人は龍馬だろうね。みんなで力をよせあってこの自然石の墓を建立したのだと。


墓の表の字は海舟によるもの。裏には、坂本龍馬の名前もあり。墓は、開発をのがれたのか鬱蒼とした昔ながらの森の中にあって魂が眠るにはいいとこだ。



ここに龍馬も海舟も来なかったかもしれないけど多くの人が訪れたに違いないと思いながらまた、この墓の話を江戸で聞いている竜馬や海舟を想像した。
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収二郎の第一墓

2010-05-15 01:36:11 | Weblog
この間、近くまで行っておきながら見つけられなかった収二郎の第一墓のありかがわかった。加尾が使った井戸を前にしておきながらそうとは知らずただの井戸と思ってた。もう一度行かなくては。収二郎は、なぜそんなに上士の怒りをかったのだろう。切腹させられて加尾が墓を建て側面に収二郎の辞世の句を彫ったという。そしたら、上士のよって削り取られた。その上、墓は盗まれて山際に捨てられたという。それにまけじとまた加尾が新しい墓を建ててその横に収二郎の辞世の句を書いたらまた削られたという。なんだか家を守るとか名を守るとかの凄まじい力を感じる。昔の人の生き様ってプライドが高かったんだと思う。昨日は、平尾加尾のゆかりの庭園で幕末談義があったそうな。収二郎の名誉が回復したのはめいじになってから。そしてこんなにポピュラーになったのは龍馬伝のおかげか。みんな甦れいいじゃないか。史跡探検は面白い。
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寒いから

2010-05-14 01:33:42 | Weblog
5月でこの寒さ。まるでいま晩秋のオーストラリアみたいだ。昼間はシャツ1枚でいいんだけど夜は上着がいるね。いつもブリークスの僕も夜は、冬用のレッグウォーマーをつけている。「ひとりぼっちではあるけれど孤独ではない」と青豆がいった言葉を考えていた。一言で言えば「同行二人」と四国ではおなじみの言葉なんだけど。これの口語訳なのかな。ある意味では、宗教組織のなんたるかを取り上げている本だからそうなんだろう。。「ひとりぼっちではあるけれど孤独ではない」は、幸せの言葉だと思う。口にするだけで勇気が湧いてくるから。「天吾くんと青豆は囁く、あなたはいまどこにいるの。」そう思える人がいるだけで幸せじゃないか。孤独でないって素敵なことなんだ。とあらためて思った。この歳になると実際の関係より思うだけのことのほうがうれしい場合が多いのです。ドンキホーテの思い姫のように。何故なら、健さん育ちの自分達は誰かの為に生きるという価値観というか使命感というかどこかで滅私奉公型の遺伝子を持っているからだろうか。逆に考えると信頼のおけない人とは同じテーブルにつかないくらいの潔癖感があるんだ。だから、なかなかやっかいなんだよおじさんたちは。でも心は、寒くない。
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以蔵の命日祭

2010-05-13 02:28:15 | Weblog
5月11日に墓前で岡田以蔵の命日祭が行われた。146年目にして初めてのことである。半平太の命日祭もこの日だ。こちらは、例年執り行われている。二人ともこの日に殺されたんだよ。以蔵は、本当にこうありたかった人生が146年たって巡り合って来たかのようだ。「良かったな」と思う。龍馬もこれで安心だろう。半平太も「悪かったな」と言ってくれるだろう。やっといま「土佐勤皇党」が一つにまとまったと言えるんじゃないかな。子孫の人が言ってた「罪人ということで肩身の狭い思いもしてきたけど今日は大勢の人が来てくれて胸がすっとした」そうだろうな。こんなことをきっかけに多くの人が歴史や文化に興味を持ち始め文化財を守ろうとまでなったら又違った意味で高知起こしになるね、
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万延元年のパレード

2010-05-12 01:26:19 | Weblog
1860年万延元年ニューヨークで日本の遣米使節が大パレードを行ったこと知ってた?ところは、ブロードウエイを日本のサムライが練り歩いたんだって。颯爽たるものだね。勝海舟も福沢諭吉も歩いたんだろうかと思っていた咸臨丸は、随行船だったからサンフランシスコ止まりだったんだって。今では。正規の遣米使節より随行の勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎の方が有名だけど当時、サムライは凄い人気だったと当時の新聞に書かれているとのこと。
そして、今年その150年を記念してセントラルパークでサムライパレードを再現するらしい。楽しみだね。以上はラジオで聞いた話だけどね。このサムライ達が現代に甦ったとしたら普天間の問題をどう片付けるんだろう?興味があるね。東京、名古屋、大阪にもってこい
と言いそうな気がするな。なんとなく。彼らの発想がわかるような・・・。
コメント (4)
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