ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

いい天気

2007-04-30 13:51:55 | 田舎
GWが始まり、28日の土曜からこちら古座に来ています。夕方から雨が降ったり止んだりの妙な天気だったのですが、昨日からはいい天気です。

てな訳で、前回霞んであまりよく見えなかった重畳山から見る大島の景色を見に行ってみることに。

          

前回同様、神野川(このがわ)から登ることに・・・あまり天気がいいので九龍島も鯛島も人間の眼には近くに見えますが、デジカメという機械ではどうでしょう?

     

こちらは反対側の動鳴気漁港を眺めた絵です。

     




42号線沿いの神野川の入り口にある案内板ですが、道と川の様子がどうもおかしい・・・川は古座川を描いていると思うのですが、それなら重畳山の西側を流れているのはおかしいのです。
我がふるさとの案内板ですから、なんでもええんじゃなくて、正しいことを案内してほしいものです。



国道から古座大橋を眺めた絵です。
橋の手前側の袂に第5福竜丸建造の碑があります。

駐車場から歩いて登るのは邪魔くさいので、頂上付近に通ずる道があったことを思い出し、ズルを決め込んで行ったら道は封鎖されていました。

なので中途半端な所で撮ってみました。

     

前回と比べてどうでしょう?撮っている場所が違うのですが、やはり前回よりはハッキリ写っているでしょう。

     

動鳴気漁港の方角も・・・天気がいいので海の色も濃いですね。

この大島の写真を撮った処には、藤の花が咲いていました。

     
 

須佐男神社

2007-04-27 05:20:00 | 大阪にて
廣済寺西側に隣接して久々知須佐男神社があります。

     

妙見さんと同じに祀られていたとあります。
多田神社所縁の源満仲と関係があるらしい。いや、少し記述が違う・・・源氏の棟梁多田満仲とある・・・違う人物なのか、ややこしい。

     

須佐男とは何じゃろ?スサノオノミコトと関係あるのか?
スサノオノミコトは漢字で素盞鳴尊と書くねんけど・・・

     

木の魂の慰霊碑・・・これは解りやすい。
奥にトタン張りの祠があるけど、大震災で倒れて仮の祠のままかな?

     


木の魂を慰霊するにふさわしい老木ですね。

     

神社の東側奥には近松公園へ抜ける道もありました。

廣済寺

2007-04-26 05:20:01 | 大阪にて
近松公園の西に隣接する廣済寺です。
右の碑が兵庫県、左の碑が文部省のものです。

       

日蓮宗のお寺だそうです。
日蓮さんは非常に気性の激しいお坊さんだったようで、現代でも私にはそのように見て取れるのですが、近松さんもそうだったのでしょうか?

       

近松の松が、木の下に公になっています。
昔の人の方が、こだわりを持っていなかったのかも知れません。
いやいや、案外権力には弱い人で、木下に公を置いたのかも知れません。そうであれば反民主主義と言わねばなりません。

     

命日11月22日といえば、昨年私が骨折で入院した日です。
その頃は全然近松祭があるなど知る由もないのですが、知っていたらさぞかし残念だったでしょうね。

     

真言宗の寺を曹洞宗の寺に建て直したり、禅宗の寺を日蓮宗の寺に建て替えたり、お寺と言うのはそういう無節操なものなのか?同じ仏教なのだから、宗派替えとは別段裏切りでも何でもないものなのか?

いずれにしても日蓮宗に纏わる現代でも紛々糾々の争いは、見ていておぞましい気がします。

       

このお寺の少し西にお地蔵さんがあり、道標が立っています。
右に服部・中山寺、左に尼崎西とあります。

私は西向きに立っていますから、なんか逆のような気がするんですけど・・・

追悼 4・25

2007-04-25 05:30:02 | 大阪にて
一昨年の4月25日に起こったJR福知山線の脱線事故現場です。

写真は3月中旬、担当地域の尾浜町からJR尼崎駅へ歩いて帰ると、中央卸売市場の南側を通るのですが、道が狭く工事もあり車がひっきりなしに通るので、北側を大きく迂回していたらこの踏切に出会いました。

     

当時私は神戸で働いていて、このニュースをJR神戸駅前の食堂で昼食を摂りながら見ていました。
尼崎からいつも神戸線だったので、福知山線の事故現場がどんな所か知りませんでした。

       

こうして見るとそんなに急なカーブには見えません。

       

反対方向はこんな具合ですから確かにかなり減速が必要なようです。
線路の上を白く横断しているのは名神高速道路です。

その下まで行かないうちに衝突したマンションは見えなくなります。

     

踏切内から事故現場を見たら・・・ものすごく曲がっています。
この事故で第2・第3の加重事故にならなかったのは、事故後すぐにこの踏切から緊急通報された主婦がおられたからだそうです。

こんなことを思うのも変かも知れませんが、仮にここを曲がりきれたとしても、そのスピードで走れば、この先500m位で約90度以上鋭角に曲がり東海道線に合流する地点がすぐそこにあるのです。

     

この坂を登りきった所から大きな円を描いて90度以上左に曲がっていきます。
そこに突っ込んでいたら・・・列車の乗員・乗客も福知山線も東海道線も無茶苦茶になってたんだろうと想像してしまいます。

この事故の原因はJRのダイヤにあると指摘しているNHK教育TVの番組がありましたが、そのダイヤは全く反省された様子はありません。

       

東海道線と福知山線と東西線の上り・下りが相互に待ち時間無しで乗り換えられるようになっているので、予定通りに発着しないと乗客に迷惑がかかる・・・朝などは走る人もいてとても危ないのです。

なんでもかんでも“早く”“強く”“負けるな”と言う社会がもっともの原因なのかも知れません。

       

お花をお供えに行くことも必要かと・・・偶然にも尼崎に働きに来てるのだから・・・思います。

バッテリーⅥ

2007-04-24 05:20:01 | 読書
『風が緩やかに吹いた。まだ硬いつぼみを無数につけたまま、桜の枝は、僅かに揺れる。・・・昨日の日曜日は、花曇りの肌寒さだったのに、今日は掛け値なしに寒い。あと数週間で、このつぼみが競うように次々と開き、満開の桜木になるなどと、到底信じられないような寒さだった。』

ようやくバッテリーの最終章です。

          

この本の発売日4月5日の少し前は、この書き出しで始まっているような気候でした。まさにこの時期を狙ってたかのような発売です。

とうとう映画は観に行かなかったけど、どんな映画だったのかは少々気になります。

卒業した前キャプテンの海音寺君、なぜか私はこのところずっと海音寺潮五郎の『悪人列伝』を読んでいるのです。『天保悪党伝』からの影響なのか・・・結局のところ勝てば官軍で悪人と呼ばれる人たちも勝っていれば権力者であり、負けたほうは悪人と呼ばれていたはず。この解釈とは少し違いますが、中世の楠正成や赤松円心といった悪党と呼ばれた人たちにも興味を覚えるのです。

          
                     こんな本も見つけました。

話はそれてしまいましたが、私のBlogを見ていただいたのか、Ⅴの続編は案外早く出版されましたね。

横手二中の瑞垣や門脇に対する、新田東中の巧に豪に吉貞や海音寺・・・試合がどうなったのかまでは描かれてないのですが、門脇君に対する巧の最後の1球まで読んでみたかったなぁ。

青波の飼った仔犬の話もドキリとさせられました。

近松公園Ⅱ

2007-04-23 05:36:35 | 大阪にて
近松公園の東側の入口です。
ここは普段沢山の人たちが座っていて、無人の状態を撮るのはなかなか難しい。

     

近松線の真ん中・右側に伊居太神社があり、その地点に先日の道に描かれた案内図があるのです。

近松門左衛門の墓は近松公園の左下えぐれたところにありますから、伊居太神社の前から墓までが200mで、公園までが500mもあるというのはおかしいのです。

       

これは近松公園の南側の入口です。
この左側に門左衛門の墓のある広済寺があります。

近松門左衛門と皆さん一口に言いますが、私は名前に門が二つもあるのが不思議でならないのです。何か裏と表がありそうで・・・

        

この辺りは“ちかまつ”と名の付くものが多く、尼崎の人たちが近松門左衛門を誇りに思ってるのがよく理解できます。
“ちかまつばし”字が小さすぎて読めませんよね。

        

おっと、橋の下に鷺が水面を睨んでいました。
それにしてもこの川も汚いなぁ・・・近松公園の池のように総ざらいしてきれいに出来へんもんやろか?

        

こちらは“ちかまつロード”。
後、ちかまつオートとかもありましたが、会社なので撮らずにおきました。


近松公園

2007-04-20 05:30:01 | 大阪にて
昨日の伊居太神社の近くに近松公園があります。
もちろん近松門左衛門に因んだ公園です。

     

案内板の字の黒い部分が剥げていて、少し読みづらくなっています。
頻繁に修復してほしいものです。

       

中ほどには池もありますが、撮影した時はゴミが浮いており管理が行き届いてないなと思いましたが、翌日にはご覧の通り・・・

       

水を抜いてしまって、大掃除を敢行したようです。
どれくらいの周期でこうやって掃除をされてるんでしょう?

先週の撮影だったので桜も満開です。

       

近所の方なのですかね、桜の下で昼ご飯としゃれこんでいるのでしょう。

     

枝垂桜もあります。

       

なかなか人気を避けて撮れるスペースがありません。

       

まだ開いてないのは八重桜なのでしょう。

     

伊居太神社の前のバス停の道に書いてある案内図です。私は北の方を向いて撮っています。
近松門左衛門の墓がある広済寺が200m左、近松公園が500m左になっています。

おかしいな・・・近松公園の方が近くにあるねんけど。

伊居太神社

2007-04-19 05:30:01 | 大阪にて
現在、西長洲にある職場からJR尼崎駅を経て、久々地・下坂部・上坂部・若王子から食満という町まで歩いて行っています。往復で10Km以上はあると思われます。

食満は『けま』と読み、大阪の放出を『はなてん』と読むが如く、何故そう読むのか不可解なままです。若王子も『なこうじ』と読むのですが、こちらは若を『にゃく』と読むことがあるので、『にゃくおうじ』から『なこうじ』に変わっていったのだろうと想像することが出来ます。

下坂部2丁目の辺りで遠くに神社の屋根らしきものが見えるので、横道を入って行きました。

途中柵で囲まれた広場があり、そこで馬が草を食んでいました。

        

こんな街の中に馬を飼ってる人がおられるんですね。

        

空海の弟子真雅がこの村の人の力を借りて、常願寺を建てたとあります。
そういえば空海は若い頃は真魚と名乗っていましたね。

戦国時代に消失して再建されていますが、おそらく真言宗だったお寺が何故曹洞宗として再建されたのか?禅が盛んになった頃の再建だったのでしょうか。

       

1枚目の画像にある小さな祠とこの粗末なプレハブの宝物殿があるだけの寺社跡です。宝物殿には何が入っているのでしょう。普通の寺より気になるものがあります。
ここにあった厳島神社を伊居太神社に移転したとあります。

       

こちらが伊居太神社、近松公園の近く若王子にあります。
阪神大震災で倒壊したと書いてありましたから、この神社は新築されたものでしょうか?

     

神社の前の案内板ですが、神社というより古墳の案内になっており、その古墳も今は無いのですから、あまり意味が無いように思うのですがどうでしょう。

   
     
     

伊居太神社の狛犬ですが、こちらは震災で再建されたものではないようです。
     

イチョウ並木

2007-04-18 05:20:43 | 大阪にて
尼崎の記念運動公園からJR尼崎駅に向かってイチョウ並木があります。
御堂筋のようにまだ大きな樹には育っていませんが、秋には銀杏も生っています。

そのイチョウにもそろそろ若葉が着き始めました。

       

まだまだ全く芽が出てない木もあって、同じ場所・同じ気候で育っているのに、成長度合いが違います。
木にもそれぞれ個性があるのですね。

       

夏には木陰を作って、多少なりとも涼しい思いを提供してくれるのです。

そして秋には黄色の絨毯、これも季節の風物詩です。


尼崎市記念公園

2007-04-17 05:30:01 | 大阪にて
職場を出て、北へ歩いていくと尼崎市記念公園があります。
何の記念か知りません。

        

この地図は右が北になっています。
陸上競技場と野球場と体育館とテニス場があります。
私がまだ若い頃、ここにサッカーの試合をしに来たことがありましたが、昔と随分様子が変わっています。

        

体育館、前面も広いスペースがあります。

       

職場からまっすぐ北へ来た道です。
向いてる方角は南(会社側)です。

     

こちらは北向き(JR側)。
この道は上の地図では、一番下に当たります。

       

表玄関(入口広場)の方・・・去年の“のじぎく国体”の時は、もっと花が多かったかな。

       

野球場の前のフェンス。甲子園球場のように蔦がと思いきや・・・ツキヌキニンドウですって。

       

花か葉っぱか判りませんが、なかなか迫力ある黄色です。
我が社がプレートを付けたんですな、でも、もうNTT尼崎支店なんかありませんよ。