ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

土用の丑の日

2014-07-31 05:00:00 | 大阪にて

一昨日は土用の丑の日、日本では何故か夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣が有ったようですが、そのような習慣に惑わされることなく生きてきた私は、鰻が食べたくなったら食べ、土用の丑だからと言って鰻を食べていたような記憶はありません。食べたくなったら食べていたと言っても、鰻を頻繁に食べていた訳でもないのですが、去年からはウナギの漁獲量が極端に減り、鰻自体が高騰したので鰻を食べた覚えはありません。ニホンウナギは絶滅危惧種に指定され、じゃ今皆さんが食べているウナギはニホンウナギではないのかと思ってしまうのですが、一昨日は三男が黒門市場の鰻屋で蒲焼を2枚貰って来たのでした。

             

丑の日というのは旧暦で数えるところの十二支のうちの丑の日であるという意味は解るのですが、土用とはいったい何なのか、土曜日が丑の日にあたるのではないことは明らかですが、12進法と7進法が一致するのは84日に一度のこと、そんなことになれば約三ヶ月に1回ということになってしまいます。土用と言うのは四立(立春・立夏・立秋・立冬)の直前約18日間のことを指すそうです。約18日と書いたのは、地球が楕円軌道を描いて太陽の周りを回っているので、四季によって若干期間が異なるのです。春夏秋冬の順に期間を書けば18、49・18、82・18、02・17、71となり、実際の生活では17~19日間になるようです。当然夏に19日間ある年が多く、17日間しかないのは冬だけです。

       

土用の丑の日に何故鰻を食べるようになったのか、諸説あるようですが、商売が上手くいかない鰻屋が、夏に売れない鰻をどうしたら良いものかと平賀源内に相談に行ったら「本日丑の日」と書いて貼っておくよう勧められ、その鰻屋は繁昌したそうで、他の店もそれを真似し始めたというのが私にしては面白い。でもウナギの旬は夏ではないんですよね、冬眠に備えて養分を蓄える晩秋から初冬にかけてが一番、久し振りに食べた今年の鰻ですが、泥臭さを感じました。日本産でなく、お隣の大国のものなら、少し身震いがします。まぁ戴き物ですから、文句は言えませんがね。

             

三男は最初から鰻丼で食べていて、泥臭さは「こんなもんやろ」と言っていました。私は最初蒲焼だけで頂きましたが、最後チョットだけ鰻丼にしてみました。

旧道を歩く

2014-07-30 05:00:00 | 田舎

神水瀑を後にして一枚岩方面へ向かったのでしたが、昼食には少しだけ早く、かと言って薬師堂まで行くと昼食をとるのがかなり遅くなると思ったら、さっさと一枚岩の鹿鳴館で昼食をとりに行けば良いのに、立合トンネルの手前で左に折れて、立合集落の方へ細い道を辿って行ったのでした。行き交う車も無いけど、かなり細い道が続くので、峯口橋の袂で車を降り、橋から歩き出したのですが、橋を渡ると左は古座川町役場、右は一枚岩と書かれた標識があったので、役場はこっちかなぁ?おかしいなぁと思いながらも反対の一枚岩方面に向かって歩き出したのでした。

             

何故一枚岩方面に歩き出したのか、昼食目的なら車に戻って引き返せば良かったのに、きっと古座川町役場方面に行っても仕方ないと思ったに違いありません。橋を渡っていると軽トラが1台追い越して行きました。

             

峯口橋から北方向に見えるのは国道371号線、立合トンネルと相瀬トンネルの間にかかる鳴滝橋、国道371号線は立合トンネルと相瀬トンネルが出来てから一直線で500mほどの距離ですが、実は立合集落と相瀬集落はS字型の上と下、両極端にあたるのです。この時は何も考えられなかったのですが、このまま一枚岩まで行くには、反対側の相瀬まで行き、旧道を通って相瀬橋まで歩かなければなりません。

       

この時歩いていたのは古座川を挟んで旧道とは反対の道、こんな所にも道が有ったんやと思いながら歩き、橋を渡って相瀬の集落に入りました。昔トンネルが無かった頃は一雨橋を渡れば右へと道が続き、そこからは車がすれ違うのが困難な所がふんだんに有る道でした。一枚岩や七川ダムに行くには、この細い道を通ったなぁと思い出しながら、ひところ、相瀬の集落のおとり鮎を売ってた家で、おとり鮎ではなく食用の鮎を買っていたことを思い出したものです。それが真ん中の写真の右側が広くなっている所の家。どうやら鮎はもう売ってないみたいでした。

             

途中でどれだけ歩くのか心配になって来たので、畑に居たおばさんに一枚岩まで遠いかと尋ねたら「遠い」と言われ、戻って相瀬トンネルの手前にあった階段まで戻った方が良いのかと尋ねたら、このまま行った方が良いと言われました。歩き始めて30分、やっと相瀬橋に到着、案外近いやんと思ってのでした。

             

相瀬橋の上流側の下にある牛の爪と呼ばれている岩、確かに牛の蹄に似ていますが、実際に牛の蹄をしげしげと見たことはありません。相瀬橋が架かるまでは馬の爪という岩もあったそうですが、橋を造る際に取り壊したそうです。

             

相瀬橋から観る道の駅『鹿鳴館』、歩けば未だここからかなりあるようです。

             

一枚岩の前でアユ釣りをしている二人連れを見ました。こんな人が大勢寄ってくるところで釣れるのかと思ったのですが、案外、次々に釣れていました。大勢集まってくると言っても知れてますもんね。

             

鹿鳴館で注文したアユソバ、以前一回食べたことがあったのを覚えていて、結構美味しかったような気がしていたので、同じように注文したのですが、ソバの味がイマイチ、以前食べた時の方が美味しいと思ったのは、今の季節が夏だったからなのかも知れません。

神水瀑

2014-07-29 05:00:00 | 田舎

5月に串本へ行った際、一枚岩の鹿鳴館で古座川風土記という本を買って、しばらくは読んでいたのですが、1ヶ月以上串本には来なかったので大阪の家に放置していました。今回串本に行くにあたって持って行こうと思っていたのに、忘れてしまい、最近は本当に耄碌してしまったものです。何処へ行くにも、時計かスマホのどっちかを忘れる毎日、自分の人生に緊張感が無くなったせいなのかも知れません。風土記にはあらゆる角度から掘り下げられた話が載っており、古座川近辺を歩き回るにはもってこいの本、この本を読んでいると至る所に行きたいと思うようになります。

       

風土記の中でうろ覚えでしたが、直見の近くに滝があった筈だと思っていたのですが、姫の家にあったたんけん絵地図を見ていると、明神橋を直見の方に曲がるのではなく、明神の方に曲がって、明神小学校の先に神水瀑という滝が有ったので、天気の良くなった22日に行ってみることにしました。小学校を越えてすぐに山へ入る道が有ったので、道路脇に愚車を停め、歩いていくと当に神水瀑への道標が立てられていました。季節はもう夏ですが、田植え前の田んぼのように水が張られているのを見て、何故今頃なのかが不思議でした。

             

この林道の左側を川が流れていますが、道はGoogleの地図には載っていませんが、航空写真からは道が有るのが分ります。道標には歩いて5分と書かれていましたが、3分も歩くと静かに流れ落ちる滝が左手に見えてきます。

             

林道からしか見えないので少し遠い感じがします。もう少し近寄ってみたいと思うのですが、近寄る手だてがありません。きっと登り口から川を伝って歩けば、滝壺の傍まで行けたのかも知れません。

             

あまり人が来ないのか、ゴミは落ちていませんし、滝壺もきれいでした。

             

マップには落差約10mと書いてありましたが、10mも有るようには見えません。白い布を張ったような水の色を見ていると、大正時代にこの地を訪れた鷲田碌翁という絵師が神水瀑と名付けたそうですが、私はその名を付けるなら漢字は神垂瀑と書いたほうが良かったんじゃないかと思いました。

 

マップにはこの林道が記されていませんので、この道が何処へ繋がっているのか、また行き止まりになっているのか分りませんでしたが、少しだけ登ってみました。すぐに橋が架かっており、川は林道の右へと方向を変えます。どんどん上まで行くと帰りに時間がかかるので、すぐに引き返し、県道に戻ったのは11時20分ごろ、次は潤野の三冠山か峯の薬師堂を目指そうと考えながら、立合トンネルの手前で旧道に入ったのでした。

ハッチョウトンボ

2014-07-28 05:00:00 | 田舎

ハッチョウトンボとは体長2cm以下の日本一小さなトンボだそうで、古座川町では町の天然記念物に指定されている昆虫です。東南アジアに広く生息しているようですが、日本では本州・四国・九州で見られますが、環境の悪化から絶滅危惧種に指定している自治体もかなりあるようです。

       

妙見橋から1km、確かに500mほど歩くと“残り500m”の道標、次に見つけたのは“残り200m”の道標、だけど僅か1分ほどしか歩いていません。私が歩くのはそんなに早いのか、いやいやこの齢ですから1分で300mも走れんでしょう。ところが残り200mが長い、なかなか着かないのです。

        

古座川町では休耕田を買い取って保護柵を設けていて、そのような写真を見たことがあったので、柵が見えてきた時は「ここや」と思ったのでした。でも柵の中に設けられた桟橋の入口には網がかけられて入れないようにしてあります。柵の外からじっと眼を凝らしますが、なかなか赤いトンボを見つけることが出来ません。飛んでるのは灰色の普通のシオカラトンボばかりです。

             

やっと隅の方で飛んでる姿を見つけたので写真を撮ったのですが、手前のトンボにピントを合わせたつもりが、知らん間に止まっていた奥のトンボにピントが合っています。

             

柵の中ではなかなか見つけられないのでもう少し奥の方へ行くと水が張られた田んぼのような所が有り、そこで観察していると数匹のハッチョウトンボを確認、枯れ草に止まっているトンボを撮ります。近寄れませんから望遠で14~5枚写真を撮りましたが、半分ぐらいはピンボケでした。

             

でもこうやって写った写真を見てみると、2cm以下には見えません。確かに生で見ていても2cm以下には見えないのです。5cmぐらいは有るんではないかとさえ思っていましたから、これってホントにハッチョウトンボなのかと疑っています。でもネットで見るハッチョウトンボのオスはこんな色です。

         

毎日のように人が来て写真を撮るので、ここのトンボはなるべくポーズをとってくれているような感じを受けるのですが、そんなことはないのでしょうね。もっと奥へ行ってみようと歩いていたら塚のような木の群れ、古墳ではないのかと思ってしまいますが、古墳ではないのでしょう。ずっと奥へ歩いて行くと、またハッチョウトンボの道標、残り200mと書いてあります。まだ有るんかと思ったのですが・・・

  

よ~く周りを見てみると、訪れた時に見た道標と同じ物だと気が付き、一周回って元の位置に帰って来たのでした。航空写真で見ると、このパノラマ写真では私は北から南を向いていることになります。こんもりと茂った木々はやはり古墳のようであり、周りは田んぼや畑、上から見るとハート形をしていました。是非Googleや国土地理院の航空写真で和歌山県東牟婁郡古座川町直見で検索してみてください。妙見橋から東の方角にポツンとハート形をした塊が有りますから。

             

ハッチョウトンボの赤いのはオス、湿田ではメスを見かけませんでしたが、それは草に紛れ易い色をしているから、見つけられなかっただけかも知れません。帰り道のアスファルトの上でメスらしきハッチョウトンボを発見、こう見ると小さいですよね。私は歩いたのでこのトンボを見つけられましたが、車で行ってたら見つけられなかったでしょう。でも車で行くことは十分可能です。

妙見橋

2014-07-25 05:00:00 | 田舎
 
三連休の最終日、近畿地方もついに梅雨明けが発表されました。大阪では雨量が少なかったと言っていましたが、土日にかけて雨が降ったような記憶があり、ソフトボールの試合も二日分流れてしまい、試合日程を組む幹事校としては頭が痛いことになってきました。梅雨が明けた筈の22日の朝方、3時半ごろでしたが串本では一時的に猛烈な雨が降って来て、天気が変わる頃とはこんなものかと感じています。

            

潮風の休憩所でネタを拾ったので、もう一つで今週分が出来ると思って、7月初旬から孵化が始まったと言われるハッチョウトンボを見に行ってみることにしました。4年前のお盆に滝の拝へ行った折、この妙見橋に立ち寄ったことがありますが、その時はトンボなんかと思って見に行ってません。

       

こうやって橋だけを撮っていると誰も居ないように思えますが、夏休みが始まったからなのか、三連休だからなのか、川では大勢の人が遊んでいました。この日は河内さんでもお盆ほどではありませんが遊んでいましたが、連休明けには誰もいませんでしたから、そこから判断すると三連休だから遊びに来ていたのでしょう。橋を渡ったところには車がたくさん停めてあり、小さい子供連れの人が多く、高学年の子は遊んでいる風ではありません。

             

4年前に来た時は橋の下にロープが垂らしてあり、そのロープにぶら下がって遊んでいる子を見ましたが、今回はロープは有りませんでした。夏休みに入ったばかりで、未だ地元の子供たちが遊んでいる様子もなかったので、これからまた垂らすのかも知れません。そう言えば水泳場として明神小学校の立て札が有りましたが、明神小学校って古座方面から行くと明神橋を渡って左へ曲がって2kmほどの所、ここは明神橋を渡って右に曲がって1kmぐらい、子供の足で歩けば1時間ぐらいはかかりそうですが、山奥というほどの山奥でもないのに、働くところも無いからなのか、若者は都会へ流出するので、田舎で育つ子供って少なくなっているのですね。

             

橋の下流側になりますが、こちらは浅場です。ハッチョウトンボの生息地にはこちらの方向へ進んで行きます。

             

田舎のことなので、この先道が細くなっているかも知れないし、橋の手前にはハッチョウトンボの生息地まで1kmの道標があったので、歩いて行っても知れてると思って、みんなが停めているところに車を停めて、ここからは歩くことにしました。少し歩くと左への道が有り、両側にお地蔵さんと碑が建っているので写真を撮りましたが、ハッチョウトンボの生息地はこちらではありません。

             

振り返って妙見橋の全景、テントなんかも張られていて、結構な人数が遊んでいます。

潮風の休憩所

2014-07-24 05:00:00 | 田舎

19日の夕方、町内の放送で「明日、望楼の芝で展望休憩所がオープンする」というようなことを聞き取り難いながら耳にしたので、何か出来たのか、最近は潮岬に行ってないけど、工事してたんは知らんなぁなどと思いながら、昼食後に行ってみることにしました。愚車を走らせると出雲からの坂、浪の浦からの坂はキツく、どんどんスピードが落ちていき、なんと情けない車であることを思い知らされます。望楼の芝に着き、展望タワーの方を見ながら走っていても、何の変化も感じません。おかしいなと思って、左側(海の方)を見ると、新しい建物が建っていました。瓜田渡船の駐車場で反転し展望タワーの駐車場に入れようとしましたが、三連休の中日のせいか、結構混んでいました。

             

私が到着したのは昼の1時前、建物に近づくと中から大勢の外国人が出てきます。どうやら顔つきからトルコ人のような感じ、きっとオープンセレモニーが終わったのだろうと思いながら、もう少し早く来れば良かったと思ったけど、何の情報も無く、聞こえ難い放送を1回聞いただけですから、仕方ありません。

             

建物に近づくと『潮風の休憩所』というロマンチックな文字が(字がロマンチックという意味ではない)掲げられていました。ここは確か、白い吹き抜けのコンクリート製の閑散とした休憩所のようなものが建っていた所ではなかったか。

       

玄関横にはこれまたこの辺りに建っていた銅像、私は知りませんが和歌山県出身で国務大臣を務めた下村某のもの、昭和32年没とありましたから、私とも息を共にしていた時間があったのですね。入館するといろんなパネルや展示物が有りました。『あまちゃん』で着ていた潜水服とよく似た展示品です。この建物のアイデアはひょっとすると『あまちゃん』からヒントを得たのかも知れません。この展示物は明治から昭和にかけて、アラフラ海で白蝶貝の漁をしていた際の道具、右の展示物は送風機です。でも夢を求めてオーストラリアまで貝を採りに行っていたのは、串本の人ばかりではないと思うのですがね。

                       

狭い空間ですが、ジオパークや黒潮の恵みを受けた自然についてのパネルが所狭しと並んでいます。未来永劫ということはないでしょうが、これらの展示物はずっと変えずに設置しておくのでしょうか。私はいろいろ手を変え、品を変えた方が良いと思うのですが。

       

串本町内の見どころは、潮岬だけではありませんからね、まぁ入館料は取らないのですから、手を変え、品を変える資金が無いでしょうね。

                       

入館するとすぐに目に付くのがこの床に描かれた地図、入口の方から見ると、いつも見慣れている地図とは反対で、中国やコリアから見た日本になっています。潮岬からアラフラ海への地図を描いているのです。約5000kmあるようですが、近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い、先の大戦で日本軍はこんな所まで侵攻していったのです。貝を採りに行っていたのとはわけが違います。

             

このちっぽけな建物のオープンに友好国であるトルコの人を招待したんだろうなぁと思いながら、招待を受けた人たちは潮岬で何を感じたんだろうと思ったりもします。トルコの人たちにとって重要なのは同じ串本町内でも潮岬ではなく、大島の方なんですものね。

キャンプ場にもたくさん人が来てました。

丸山千枚田 Ⅱ

2014-07-23 05:00:00 | 田舎

丸山というこの地区にこのような棚田がいつ頃から出来たのか、分かってないらしい。資料によると、天正18年(1590年)に最初の検地が行われたようで、その後の慶長6年(1601年)には約2240枚の田があったようです。時代は移って明治31年の測量では2483枚の記録が残っており、この山深い閑散とした地域にそれだけの米を必要とした時代があったことを窺わせます。近くに鉱山跡があることから、多くの労働力が必要だったのでしょう。しかし鉱山が閉鎖(昭和53年)されると、労働力は必要なくなり、後継者不足と高齢化、更には当時の減反政策とも絡まって平成4年には540枚まで減少したとあります。

             

翌年、紀和町長は歴史的遺産を残すために住民が棚田の復興に努力するなら、行政として支援する旨を発表、その年には丸山千枚田保存会が発足しました。翌平成6年には千枚田を保存するための『紀和町丸山千枚田条例』が施行されます。上の写真の案内板にはその時の条例の前文が書かれています。当時は三重県南牟婁郡紀和町でしたが、現在は熊野市に編入されていますから、紀和町丸山千枚田条例としてはありません。

             

保存会発足4年後には810枚まで増やすことが出来、現在は1340枚にまで復活しています。当に枚数通り千枚田になったわけです。有名な有田川町のあらぎ島がたった54枚ですから、その規模の違いが分かりますが、耕地面積で比べてもあらぎ島が僅か24、182㎡、丸山千枚田が4、2haなので、420000㎡、桁違いの広さです。

       

車を停めたところにあった案内図には中央に大石という目印があり、その東西に棚田が広がっている様子でした。大石とは当に大きな石で、私は東側から降りてきながら石を見ていると、今にも道側に倒れてきそうな感じなのですが、通り過ぎて西側から見てみると、安定していて倒れてくる様子はありません。

  

大石を境にしてみると、東側は休耕田や荒廃地が割合多く、西側の方が耕作田が多いように思われます。棚田の復活のため丸山千枚田では棚田オーナー制が設けられ、保存会が管理している4、2haのうち1、6haをオーナー田として活用、毎年全国から100組を超える申し込みがあると書いてありましたが、私が見た限りでは愛知県と三重県の人が殆どでした。

             

ずっと下の方に建物が見えていたので、行ってみました。車を降りた時にデジカメしか持たず、財布が入ったバッグを置いてきたことを悔やんだのでしたが、それはここで食事がとれたこと、すでに1時20分近くになっていたので、夕食のことを考えると普段ならもう食べずにおく時間ですが、やけにお腹がすいてきたのでした。

             

歩き始めて30分で千枚田荘まで降りてきましたが、これより下は棚田が無いので、戻らなければならないと思うと、ここに車を停めて体力のあるうちに登り、上まで行って降りてくれば良かったと思ったのでしたが、後の祭りです。

             

登っている途中で季節外れのコスモスが咲いているのを見つけました。この辺りはあまり暑くならないのかも知れません。早朝などは眼下に雲海が広がることがあるといい、そんな光景を見てみたいものだと思います。

             

40号線を登って来た時は12時から1時の間だったので気が付かなかったのですが、一時を回るとやけにダンプカーが走ります。千枚田の中の道を降るダンプには土砂や岩が積まれ、登っていく車の荷台は空です。自車に戻って来た道を戻るか、先に進んでいくか考えたのですが、きっとナビが案内した余りにも細い道を通らねばならないのでは敵いませんから、来た道を戻ったのですが、途中で工事をしていてダンプとすれ違わなければならない状況に陥り、案の定行き違えが出来ないような細い道でバッタリ、ダンプが譲ってくれそうもなかったので、私が長い道をバックしなければならない羽目になってしまいました。もし再度行くようなことがあれば、工事が終わってからにしたいものです。

丸山千枚田

2014-07-22 05:00:00 | 田舎

串本に来た水曜日は良い天気で空気の透明度は高く、いつも見る景色も格別の感がありましたが、翌日以降は雨こそ降らないもののどんよりとした天気が続き、すりガラス越しに景色を観ているようなすっきりした感じではありません。土曜日などは水平線が見えないくらい、きっと雲の中で過ごしているような暮らしだったような感じで、夕方出かけようとしたら小雨がぱらつき始めたのでした。やってきた当日は暑くて夜も眠れないくらいだったのですが、徐々に涼しさを感じるようになり、日曜の朝方は掛け布団が要るように感じ、これが串本の夏の夜だと実感し始め、水曜の夜の暑さは何だったんだろうと思っているくらいです。

             

三連休は誰も来なかったので船に乗ることもなく、かと言って今まで頻繁に通っていた大島港へ釣りに出かけることもしないで、どうやら怠け癖が付いてしまったようで、自己嫌悪に陥りそうですが、よくよく考えてみると、釣りの道具は船に積んであるので、わざわざ取りに行くのが面倒ということだけなのかも知れません。

             

あまりすっきりした天気が続かない日々が続きましたが、何もしないでいるとネタが無くなってしまうので、前回来た時にニュースで見ていた丸山千枚田に出かけてみることにしました。丸山千枚田は三重県熊野市の紀和町にある棚田で、日本の棚田百選にも選ばれており、千枚田とはどういう景色なのかを見ておく上で参考になると思ったのでした。

       

和歌山にもあらぎ島という有田川町にある棚田が有名らしいのですが、大阪に近いため串本からはわざわざ観に行こうとは思いませんし、大阪~串本間の往復時に寄ってみようとも思わないのです。

地図を見ていると本宮へ行く国道168号線から紀和町へ抜けるコースと、阿田和の手前で県道62号線へ入るコースと、花の窟神社の手前で国道311号線に入るコースが有ったのですが、愚車で行くとカーナビが無いので、クロスロードで出かけることにしたのですが、走り出してから丸山千枚田と入力してもカーナビは反応せず、仕方ないのでスマホの地図に頼ることにしたら千枚田荘という建物があったので、カーナビに再入力したら出てきたのですが、その時には本宮への曲がり角を過ぎてしまっていたので、熊野川を渡ってからのコースになっていました。最近は大雨が降った記憶が無いのに、熊野川は濁流が流れていました。

             

自分ではちょっと遠いけど国道311号線を走るのが安心かと思っていたのですが、ナビは62号線を案内したようで、釣られる様にして走っていくと、やはり対向車が来たらどうしようというような道が所々に有りました。62号線を走っていても途中で311号線に合流し、すぐに県道40号線という山道に入ります。この道も所々細くて、対向車が来たら困るので用心して走らねばなりません。丸山千枚田の標識が有ったのにナビはもっと向こうで曲がるよう指示するのでその通りに走って行ったら、とてもじゃないけど車1台がやっと通れるような道だったので引き返し、標識通りの道を登っていったのですが、その道が40号線だったのです。

        

走っていると千枚田らしき景色がチラッと見え、もう少し登った所に駐車スペースが有ったので、適当に停まってそこから歩くことにしました。たまたまですが、停めた所は千枚田の一番上だったようで、最初は急な階段を降り、道かどうか分からないような道を下っていくと車の通れる道路に出たので、その道を辿って下って行きました。

この辺りは昔から開けていたようで、熊野古道の伊勢路の通っていたところ、通り峠や風伝峠などの山越えの道があるようで、峠から千枚田を眺めるのもきれいかも知れません。後から知った事ですが、Googleマップでは出てこないのですが、国土地理院の地図を見ると、近くに赤木城跡や田平子峠刑場跡などが有ったようです。

             

家を出たのが11時ごろ、新宮の何処かで昼食をとろうと思っていたのですが、何処へ行ったら良かったのか思い出せず、42号線を走っていたら何処かに何か有るだろうと思っていたのに、とうとう千枚田まで来てしまったのですが、当然こんなところに店は有りません、店どころか自動販売機すら無いのです。車を降りた時はデジカメだけを持ったのですが、財布の入ったバッグごと持って降りれば良かったと思ったのは、棚田の最低部まで降りた時でした。

串本病院跡

2014-07-18 05:00:00 | 田舎

最近は交通事故が多発していて、うかうか繁華街を歩いたり、自転車に乗って走ってられないような状況になりつつあります。しかも出合い頭とか、未必の故意ではなく、問題になっている脱法ハーブの吸引が原因ですから悪質です。脱法とは違法ではないからと言っても、人体に起きる症状は麻薬や覚せい剤と同じなので、警察は取り締まろうとしているらしいのですが、業者はまた新たな手法を考えて売りだすので、いたちごっこをしているようなものだと報道されています。何を取り上げても全国的にあまり評判の芳しくない和歌山県ですが、県内では脱法ハーブを売り難くする制度を設け、度々ニュースに取り上げられていました。

安倍や橋下のような新自由主義者を支持する日本国民は、その儲ければ良い、勝った者がエライという風潮に流されているのか、倫理的にアカンものはアカンと言えなくなってるんじゃないかと思ったりもしています。脱法ハーブで儲けようとする輩は、その論理的根拠を安倍や橋下の考え方に置いているように思えてくるのです。

             

今週水曜日に串本にやって来ました。9時にガソリンを満タンにして大阪を出発、田辺には10時半に着きましたから、高速道路はまずまず順調でした。ところが42号線に入ると相変わらずダンプがノロノロ走っています。一応法定速度の60kmで走っているので文句は言えませんが、もうちょっと何とかならんもんかと思います。田辺や白浜、富田川辺りの見えている道路は、かなり出来あがってきているようで、ダンプの台数も減ったようにも思えます。でも山の中はどうなんでしょう。きっとトンネルばかりの道路になるんでしょうね。江住なんかもう工事をしていませんでしたが、ショベルカーなどは置かれたまま、昼食休憩時間なので誰も居なかったのかも知れません。ノロノロ走るので田辺からは2時間ぐらい掛かってしまいました。

             


前回串本に来ていたのは5月、その頃にはもう更地になっていたここは旧の串本病院が有った場所、結構広いスペースですが、この跡地に何が出来るのでしょう。とてつもない津波が想定されていますから、住宅地にするわけにはいきませんし、商業施設もゴメンでしょう。橋杭岩も見えるので、景色は良いのですが・・・津波を寄せ付けない堅牢な壁で囲まれた建物、刑務所なんかどうでしょう。

撤去

2014-07-17 05:00:00 | 大阪にて

昨日、自転車のことを書きましたが、今日は私の自転車の事ではなく、住んでいるマンションの駐輪場のことで気になることが発生しました。例年6月末で駐輪場の貸与期限を迎えるのですが、翌年の申し込みは6月末日までということになっています。申し込むと自転車に貼付するシールを渡されるのですが、まぁそれが申し込んだと言う目印と言う訳です。

             

そのシールを貼ってない自転車は7月末で撤去し、警察に処分を依頼するのですが、なんと6月末で自転車を撤去してしまっているのです。何とも高圧的な自治会だと思いませんか。きっとシールの貼ってなかった自転車は移動したと言うに決まっていますが、自分の自転車を取りに行って、無くなっていたらその人はビックリするでしょう。お知らせには7月31日とちゃんと書いてあるのですから、6月末に移動してしまうのは約束違反です。

             

私は早くから申し込んでいましたが、シールは未だ貼っていませんでした。たまたまその日は、早くから自転車で警察病院へ行っていたので難を逃れたわけですが、もし自分の自転車が撤去されていたら、文句を言いに行ったでしょう。だいたい他人の自転車を何だと思ってるんだと言いたい。自転車にシールを貼れと言うこと自体、私は他人の美意識を犯しているのではないかとさえ思っているのです。一昨年駐輪場の賃貸料を年1200円から倍の2400円に値上げしました。みんなが賃金が上がらず、物価は上がって生活が苦しいのに、そんなことは顧みず値上げするとは何と言う自治会かと思っていて、払えないわけではないけど、月賦にしてもらっています。

                       

GWに釣りに来たヒィちゃんから、沖縄のお土産を貰いました。沖縄に行くとは聞いてなかったけど、台風に遭わなかったかと聞いたら、それより前に行っていたと言っていましたが、それなら梅雨真っ最中の沖縄に行っていたわけで、何をしに行っていたのかと言いたいところですが、基地の視察に行っていたのではないでしょう。それにしてもミミガーを買って来てくれるなんて、私の好物を知っていたのでしょうか。

             

これもヒィちゃんから貰ったもの、これはQW明けに貰ったのですが、賞味期限が長いので未だ封も切らずに置いています。ただこの間、何処かのホームセンターで売られていた食用ヒョウタンが食中毒を起こしたそうで、今は手を出せそうにもありません。