ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

姫地区の盆踊り

2007-08-31 05:10:00 | 田舎
8月15日、お盆・・・姫にあるお寺『海林寺』で地域の盆踊りがありました。
1部の踊りが終わって、休憩しているところです。

     

海林寺は成就寺と同じ臨済宗、成就寺は東福寺派ですが、こちらは妙心寺派の禅寺です。串本にある無量寺も臨済宗・東福寺派のお寺、こんな片田舎に武士に奨励された禅の寺がかたまってあるなんて、ちょっと不思議です。

ボツボツと人が集まり始めています。でも知らない人ばかり。

     

フラッシュを焚かないとこの通り。

     

暗くて幻想的でさえあります。

     

一応は櫓も組まれて・・・大阪のように櫓の上で河内音頭の生演奏をするわけではありません。

     

踊りが始まりました。
今時レコードをかけるわけもありませんし、CDかな?でも『串本節』や『炭鉱節』のCDなんか発売されてるのかなぁ?




私は唯一この炭坑節しか踊れません。
おっと最後に氷川きよしの『ズンドコ節』、こちらは大阪では有り得ませんね。




『ズンドコ節』といえば私の時代ではドリフなんですよネ。

しかし、姫地区の盆踊りを見に行かず、岩淵地区の盆踊りに行ってたら、幼馴染に会えたかも知れません。
来年は懐かしい岩淵地区に行ってみようかな。

     

破獄

2007-08-30 05:00:00 | 読書
いつも時代小説を読んでいるので、ちょっと毛色の違った本を読んでみようと思い、『破獄』という本を手にしました。

大黒屋光太夫』の吉村昭が描く、昭和の初期から終戦前後に至る実際にあった話のようです。

吉村昭は史実に基づいて題材を求め、綿密な調査で小説として書き上げていく人なんですね。

     

物語は青森・秋田両刑務所を脱獄した佐久間清太郎(仮名)が、東京拘置所から網走刑務所に護送されるところから始まる。

昭和10年4月に青森で起こった強盗致死罪による犯人=佐久間は、死刑判決を不服とし昭和17年に青森刑務所・柳町支所を脱獄、社会背景として2,26事件と並べられて話は進展していく。

間も無く佐久間は捕らえられ、東京・小菅刑務所に移管されるが、第2時世界大戦の進展に伴い、無期・長期受刑者は秋田刑務所へ移されることになった。
この頃すでにアメリカによる本土への空爆が開始されていた頃だった。

佐久間の脱獄を警戒し、有能な看守を貼り付けたり、沈静房という特別な部屋に収監するのだが、佐久間は看守を思うように操り、またまた脱獄してしまう。

脱獄した佐久間は、離婚した妻や子供に会った後、東京の小菅刑務所でよくしてくれた戒護主任のもとに自首、秋田刑務所で受けた非人間的扱いを脱獄の原因として主張したが、裁判の結果無期懲役、先の網走行きとなった。
佐久間は極寒の地・網走行きを拒んだが、どうすることも出来ず、またまた脱獄を計画する。

網走刑務所はご存知の通り、官憲が最も憎むべき者達を収容した監獄で、先ごろ亡くなった日本共産党の委員長・議長を歴任した宮本顕治も収容されていた。

まんまと網走をも脱獄に成功する佐久間だったが、当時の行刑局=司法省の面々は度肝を抜かれ、片方で佐久間は国民から一種のヒーロー扱いになっていった。

私はこの小説を読んでいて、この佐久間という男は体力といい・精神力といい卓越したものを持っていたので、時代さえ間違わずに生まれていたらスポーツ面で何らかの歴史に輝かしい足跡を残せたのではないかと思う次第です。

戦後の混乱に乗じて逃げ延びていた佐久間だったが、ふとしたことから優しくしてもらった警官に自首し、再び刑が確定するのだが、最後に入所した府中刑務所からは脱獄することはなかった。

それは何故なのか、脱獄への佐久間の執念、イソップの『北風と太陽』をモチーフとしたような刑務官の脱獄させまいとする考え方の変遷、その辺りに吉村昭のこの人物への思い入れが描かれていると思います。

是非、ご一読を。


串本海中公園の怪 Ⅲ

2007-08-29 05:30:00 | 田舎
海中公園のチケットです。
昨日綴った通り、ステラマリス・海中展望台・水族館3種で2400円です。

食事の後、水族館に寄ってみました。
ここでも入場券を確認する人がいません。
こうなるとステラマリスに乗るためのお金を払っただけで、3つとも見学できますよね。

     

当日限りの有効です。
ところが、1番上の表にも・・・

     

裏にもどこにも日付は打ってありません。今度使えますよね。
ちゃんとお金は払わなアカンと思うねんけど、こんな杜撰なことでいいのでしょうか?
ここの経営者はきっと性善説の考え方を持っておられるのかも知れません。

     

結構大きな水槽ですが、中1君が立つとそんなに大きく見えません。




もう一つ・・・




スズメダイやカゴカキダイの群遊が見られます。時折ノソッと通るのは青ブダイです。

     

別の水槽、石鯛です。年無しと呼ばれるくらい大きい、縦縞が消えています。




こちらも負けずもっと大きい・・・クエです。
どっちも鍋にして喰ったらウマイやろなぁ。




ウツボが泳いでるのをキャッチ・・・龍が空を泳ぐ姿はこの泳ぎを見て作ったのだとつくづく思った次第です。




水中トンネルです。
エイやサメ、マグロやタイが悠然と泳いでいます。

大きい水槽に比べて水が汚かったのが残念です。

串本海中公園の怪 Ⅱ

2007-08-28 05:30:00 | 田舎
ステラマリスを降りて海中展望塔へ行くことに・・・

     

西の方に広がる磯で遊ぶ方々、この日、日本語をしゃべらない人が沢山来ておられました。




餌に群がるグレです。庄下川の鯉を思い起こします。
Replayの途中「ウワッ!キショッ(気色悪いの略)!!」と声を出しているのは中1君です。
撒いている餌はペレットと呼ばれる串本港などで養殖魚に用いられているもののようです。
大島の地磯、苗我島の前辺りでは、この餌でグレを狙うこともあります。その大島の地磯には橋杭の波止場から中尾渡船が出ています。

ここで入場券を見せて入るのだと思っていましたが、誰も入場券を示して入っている様子でもなく、係りの人も見受けません。

これでは何も入場券(ステラマリス+海中展望塔+水族館で割引のもの)を2400円も出して買う必要などなかったではありませんか。

     

展望塔の窓からはいろんな魚が泳いでいました。写っているのは『サンノジ』グレ釣りの外道です。

とうとう入場券を調べられることなく水族館に戻ろうとする前に亀のプールがありました。

     

なかなか迫力があります。
亀は餌を食べるのが結構下手です。そやのに、手で相手を押しのけて食べようとしたりします。




あれっ!見ました?すれ違いざまにお尻を触りましたよ。セクハラですね。
亀の世界では許されているのか・・・?

お腹がすいたので、レストラン・アクロボーラでお食事・・・前とは少し雰囲気が違っていましたが、中1君はマグロ丼が「1000円やのにマグロが4切れしか入ってない」と文句を言っていましたが、賞味期限切れのものを出すような問題はありませんでした。

まぁ、マグロ丼に賞味期限は付いていませんけどネ。

串本海中公園

2007-08-27 05:30:00 | 田舎
実は古座に帰った4日当日は着くなり少し雨模様になりました。
たいして降らなかったのですが、翌日も曇天でした。

それで、中1君を串本海中公園に連れて行きました。
水族館を見たいというより、海底を見ることが出来る『ステラマリス』という船に乗ってみたかったからです。

     

昼前だというのに暗く、夕方のようです。




     

この串本・有田はテーブル珊瑚が生息する世界の北限だそうです。

     

天気が良くて、もう少し陽が射せばもっときれいに見れると思います。




泳いでいるグレが見えます。




小さいですがテーブル珊瑚が沢山見えました。


河内さんに咲く花

2007-08-24 05:20:00 | 田舎
県道との分かれ道を入ったところに咲いていた一見アジサイ風の花・・・今頃アジサイが咲く筈もなく、花びらも全く違います。

     

右に咲いているのがまだ蕾の状態なのか、ピンクが濃くてよりきれいです。

     

葉も枝のつきようもアジサイとは全く別のものですよね。

     

鳥居を過ぎて元の県道に出る手前に咲いていたユリの一種。

     

奥で枯れてるアジサイを尻目に、私を見てくれと叫んでいるようです。

     

灯篭のある近く、いろんな花が植えてありましたが、一番目に付いたのがこれでした。

     

夏の花にしては、可憐です。

     

橋を渡り戻ってきています。
こちら側からは鳥居は見えません。

       

川原への下りる道左側に『国指定 河内祭 重要無形民俗文化財』と記された碑があり、誰かの名前まで刻んであります。

     

反対側につい最近出来たのでしょうか・・・河内祭りが重要民俗文化財に指定された説明が記されています。

御神体が島神社 Ⅱ

2007-08-23 05:10:00 | 田舎
灯篭のあった所から、対岸の川原を眺めた様子です。
白い車が3台ある真ん中はクロスロードです。
川面に雄姿が映えています。

     

いつもとは反対側から清暑島を見るとこんな風。

戻る途中で川へ降りられそうな道があったので、そちらへ進んでみました。

     

私はカヌーで通る時は、川原側を行かず手前側を進みます。

     

少し浅いしゴミが溜まってる時がありますが、いつも見慣れてる所よりいいし、岩に当たりそうになりながら進むのも一趣あります。

     

同じ地点から上流を眺めた様子、やはり橋や川原からの眺めとは一味違います。

     

戻ってきて、河内橋の真ん中あたりからの上流の佇まいです。

     

今、この御神体を踏みつけてる不届き者は私の三男ですが、一人の人間を現人神などと呼ばせ、神の名の元に絶対服従を誓わせたあの暗い時代にも、ここらの人々は御神体を踏みつけて平気でいたのでしょうか・・・?

その辺りに旧古座町の革新的気風が窺われます。

御神体が島神社

2007-08-22 05:20:00 | 田舎
いつもは泳いだり、飛び込んだりを紹介している河内さん。
実際には河内神社と言います。

河内橋を渡って、対岸を見に行ってみました。

     

県道を逸れて神社の案内板がありました。

     

おそらく読めないと思うのですが、3行目に『御神体が島神社』と書かれています。

こちらはあまり人もやってこないのでしょう。

     

道端に鳥居がありました。左下はすぐ川です。

     

神殿などありません。正面は清暑島、そう島全体が御神体なんですね。
その上を子供達が登り、川に飛び込んでいく・・・御神体を踏みつけても誰も咎めない・・・何とおおらかな神の姿でしょう。

     

鳥居を過ぎると下り坂、ここは右に通っている県道が出来るまでは生活道路だったのでしょうか?

     

すぐに県道に出てくるのですが、出てくると灯篭があり、祭壇のような形になっています。

     

河内神社ではここで神事や行事を執り行うのでしょうか?

     

ここにも神殿はない代わりに大きな楠が2本並んでいます。

     

貴布禰神社の夏祭り

2007-08-21 05:40:00 | 大阪にて
8月の最初の日に貴布禰神社の夏祭りがあり、仕事がてらに寄ってみました。

改めて行ってみると、冬に訪れたときに感じたより大きな神社です。

     

正面から見ると何の変哲も無い神社ですが、裏側に沢山の社があったのには驚きました。
その紹介は後に譲るとして、今日は街で出会っただんじりの紹介です。

     

最初の写真で提灯が並んでいますが、左から中在家・北出・西桜木・東桜木・新三和・西町・御園町・南出と八つの地域の名前が出揃っています。

北出・南出というのは、夫々北出屋敷・南出屋敷の略だろうと思います。

境内に新三和の地車の車庫がありました。

     

神社の西側の阪神電車の高架下で、南出のだんじりに出会いました。

夏祭りはやはり鐘や太鼓の音が懐かしいと思いませんか。




だんじりを引く子と見物の子が何やら話しています。

     

みんなだんじりの引き手になりたかったのかな?




中在家のだんじりと南出のだんじりが出会い、すれ違っていきました。
街によって鐘や太鼓の調子が少しづつ違うようです。

     

全部で8個のだんじりがあるのだろうと思うのですが、地域事情がよく解からず2つにしか出会えませんでした。

ミミズ!?と思いきや

2007-08-20 05:10:00 | 田舎
姫の集落から姫川の集落へ上がっていく道の真ん中にに「おやッ!?」と思うものが落ちていました。

大きなミミズかと思いきや、よくよく見るとヘビではありませんか。

     

どうやら死んでるらしい。干からびてる。
どうして道の真ん中で死んでしまって、干からびるまで放置されていたんでしょう。

おそらくこの道を歩いて通る人はいないのかも知れません。
たいがいが車かバイクです。
車は轢くことが出来ませんが、バイクなら轢いてしまう可能性はあったと思われます。

貰っておきました。

     

道で見たらごく小さかったけど、家の中では・・・おそらく伸ばしたら30cmはあると思います。

     

裏返した方がきれいですね。