ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

富田の海

2012-12-28 05:00:00 | 田舎

前夜いつの間にか眠ってしまったU畑家、早朝から会話が聞こえますが、なかなか起きることが出来ません。いつまでも寝ていては迷惑、7時になったのでそろそろ起き出さないといけません。モーニングに行こうと誘ってくれます、その前にU畑君の家をパチリ、姫ではモーニングなどというような洒落たものが食べれる喫茶店などありません。富田は白浜や田辺が近いのでそういう店もあるのですね。行ってみるともう沢山のお客さんがいます。それぞれが常連さんなのでしょう。

             

こちらはU畑君の農(U畑君は何故か「たんぼ」と言う)作業のための納屋です。たんぼと言うから稲作かと思っていたら畑なのです。お母さんの面倒をみるからとJAを辞めて白浜に帰ったと言っていたので、もうお歳なのかと思っていたら、とても元気で畑で頑張っておられます。彼と私は丁度一回り違いなので、きっとお母さんも私より一回りぐらい違うのだと思います。

             

モーニングを終えて再びとれとれ市場へ、朝風呂を浴びようと言うのです。

             

『とれとれの湯』と呼んでいるようで、入浴料は700円、ちょっと高いなと思いますが、新しいだけあっていろんなお風呂が楽しめました。外湯からは遠くに海が臨めたのでカメラを持って入れば良かったと思ったのでした。

             

とれとれの湯からの帰りは、私が姫からの帰りに以前よくとれとれ市場へ行くのに通っていた42号線から左折して富田橋を渡り、まっすぐ走って堅田南の信号を左折し、西越の信号まで行く道を逆に走ったので、私は地元の人が使う道で通っていたのだと気付いたのでした。家の近くまで来てから何処をどう曲ったのかよく分かりませんが、最終的には川沿いを走り、着いたのが結構大きな浜。すぐにドン深になっているので、海水浴場としては使われていないのだとか。

             

右側の岩場では釣りをしている人を見かけました。ここまで来る途中で鴨居漁協などの字も見え、以前来たことのある鴨居漁港の近くであることが想像されました。

             

少し引き返して「もう一つきれいなとこへ行く」と言って案内してくれます。中地区と書かれた地域へ、こちらも浜です。

             

こちらの浜もすぐドン深になっていると言います。キス釣りやジギングをしている人を見かけます。散歩している人や雑談している人もいました。U畑君は釣りをしないのですが、情報はよく入っているようで、何処で何が釣れるという話をよくしてくれました。養殖場から逃げ出したクエが釣れるところもあるようですが、クエなど釣る竿など私は持っていません。

             

中地区からの道はだいたい分かりました。覚えているのはコメリの前で曲るということ、そこからはほぼまっすぐでした。11時3分発の電車に乗るために駅へ、でもスマホを充電したまま、もう一度家へと帰ってもらいました。でも駅からは近そうでしたよ。

             

紀伊姫駅はホームが一つあるだけですが、紀勢線の駅のホームってこういうタイプが多いのです。何処の駅でも電車が行き交えるようになっているのですね、単線のままでホームが一つだけなのはあとは田子駅だけでしょうか。

             

駅の南方面、少し行くと富田川を渡り、次の駅は椿です。

             

1時間と少しで串本に到着、この電車は串本で20分以上停車したままです。前日私が串本駅で2番ホームで見た電車は、当日私が乗って来た電車と同じダイヤの電車だったのです。

今年の投稿は今日で最後、今年も1年よく頑張りました。また来年もよろしくお願いいたします。

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紀伊富田

2012-12-27 05:00:00 | 田舎

雲の様子から雨が窺えたのかどうかは分かりませんが、天気予報通り夜の内から雨、Y下君がこの週末にやってくるか、その次の3連休でやってくるかという話も進んでいたのですが、天気予報のお陰でこの週はお預けとなり、結局22・23・24日の3連休でやって来たのでした。でもこの日の土曜日は朝までは降っていたものの9時ごろには止み、せっかく3連休でやってきた日々が風が強くて釣りにならん状態だったことを考えると、この週に来ておれば良かったのにと後になって思ったのでした。

             

雨ならすることも無いので、同じソフトボールの顔ぶれだったU畑君に前夜に「明日そっちに行くで」と電話をかけておいたのです。U畑君は大阪のJAで働いていて、一昨年に駅前に飲み屋を出し(経営は奥さん)、自らは客として毎日飲んでいたので、そこで知り合うようになり、ソフトボールに誘ったのですが、母親の面倒を見なアカンということで、1年ほど一緒にプレーをしただけで今年の春、突然故郷・白浜に帰ってしまいました。彼は私より一回り歳が下です。

地蔵屋の食パンをこの日の午前中に配達するよう頼んでいたので、パンを受け取らねば出て行けません。それがなかなかやって来ないのです。電車は串本発8時2分は無理だとしても、次の10時25分発なら丁度いいなぁと思っていても10時を回ってもやってこない、地蔵屋の食パンを頼んだのは3回目ですが、最初は8時半ごろというとんでもなく早い時間に配達してくれたのに、配達ルートの調整もあるのでしょうが、今回はやけに遅いのです。用事があって待っている時に限って余計に遅く配達するという意地悪をしているのではないかと思ってしまいます。結局配達されたのは11時を回ってから、それでも午前中ですから文句は言えません。だいたい午後は配達時間が細かく設定されているのに、朝は午前中という大雑把な設定、午前中は誰もがいつでも家に居てると思ってるのかと聞きたい、家でじっと待っていては外に出る用事は出来ません。

             

結局12時40分発の電車に乗り、14時前に紀伊富田駅で下車、5分ぐらいでU畑君が迎えに来てくれたのは、泥だらけの農業用のハイゼット、これに乗るのかと気持ちになります。まぁ私もスーツを着て行ったわけではありませんから、乗っていても誰も違和感を感じることなどないのでしょうが・・・

             

この日も暖かく、いつも着ているダウンジャケットなど要らないくらい汗ばんできます。なのに電車は無茶苦茶暖房を効かせていました。

             

15分ほど走って向かったのは家ではなく、椿の手前の袋近くの山、イノシシをどうのこうのというので、手伝いを頼まれたらしい。猟犬が3匹、着いてから帰るまでずっと吠えていました。犬は全部で10頭ほどいるそうで、それならエサ代だけでも大変です。

             

一旦家に行き、荷物を置いて、次はセダンに乗り換え、またまた椿の手前まで走ります。朝来帰の信号を山側に左折、いつもこの信号を通る時、この信号を曲がるとどんなところか知りたかったのです。紀伊田辺の駅前で選挙演説を聞きに行きたいと言う元漁協の会長を迎えに行ったのです。朝来という字、42号線を走っていると3つ数えることが出来ます。一番北が紀伊田辺の次の駅、“あっそ”と読みます。その次が『帰』という字が付きますが、この信号。そして日置川を超えてバイパスに入り、二つ目のトンネルの名前が朝来トンネルです。おそらく“あさら”と読むと思います。その後すぐにすさみ町に入るのです。

その後きれいな所を案内してくれます。白浜ならお決まりのコースですが、富田方面からなので大阪からとは逆コースになります。まずは三段壁。

             

もう4時近くになっています。晴れていれば未だ陽は沈んでいませんが、雲が厚くてもう太陽は沈んだ後のよう。

             

こちらは千畳敷、鬼ヶ城にも千畳敷がありましたが、こちらの方がずっと広いです。

             

円月島、小さい頃この辺りに住んでいたので、私の脳裏には刻まれている筈の景色ですが、記憶力が悪いのでいつ見ても新鮮です。この後用も無いのにとれとれ市場に寄り、明日の電車の時間を確かめて帰りました。

             

近所の人たちも集まってきて酒盛りです。投票前日だったので暫し選挙談議もありました。左の人は元校長先生だとか、私と同じ辰年生まれですが、学年は一つ下、なので元と付いているのは定年前に辞めたということです。生まれた年が同じからではないでしょうが、考え方がよく似ていて、初めてなのに仲良くなれました。持って来てくれた焼酎が美味しかったけど、銘柄が思い出せません。

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12月14日の釣り

2012-12-26 05:00:00 | 田舎

前日は出かけたのが遅かったので、この日は気合を入れて出陣、といっても釣り場に着いたのは8時を少し回っていましたけどね。この頃は明るくなった頃に起きだし、朝食をとってから出かけて、オークワでお茶と弁当を買ってからなので、波止場に着くのが遅くなってしまうのです。弁当を買うと言うことは、昼を超えても釣りを続けるぞという決意の表れです。冬場の大島の波止場のグレのポイントは9時を過ぎないと陽が差さず、寒いのです。

早く出かけたつもりでも、波止場には既に3~4人の先客がいました。グレのポイントには夫婦らしきお年寄りが陣取っています。夫婦でグレ釣りなんて珍しいなと思いながら見ていると、グレ釣りではなさそう、カゴ釣りをしていて、それもサビキデはなく1本針でしきりにアジを釣っていました。

             

前日は好ポイントのこちら側、この日は向こう側で竿を出しましたが、アジを釣るならもっと先端でやれよなと思いつつも、釣れてなかったら先端の方が釣れるよと教えてあげるのですが、まぁまぁ釣れているので黙っていました。

             

何故、空ばっかり撮ってるかというと、翌日の天気は雨の予報が出ていたのです。よく見学に来ていて、釣り人と話をしている人がいますが、「こりゃ雨の前の雲やなぁ」などと言ってるのを聞いたりしますが、「それは天気予報を見てきただけやろ」と思うので、この雲が翌日が雨になる前触れかどうか、確かめたくて撮っておいたのです。1枚目は西方向、この写真は北方面ですが、私の眼には「エエ天気やん」としか映りません。

             

2時間ばかりアタリがあるのに合わせられない時間帯が続きました。沖目には何がいるのか分かりませんが、手前にはグレやカゴカキダイやイワシがいるのが見えています。仕掛けを投げ損なって手前に落ちたのをそのままで釣っていたらグンとハリに乗ったのが20cmぐらいのグレ、満足はできませんが一応スカリに入れておきました。

             

1時間おきぐらいに1匹の割合でコッパグレが釣れます。この日はいつものサギがいないので、海に帰って貰います。小型の白いサギが船の上にとまっているのを眺めていると、いつもの大きなサギは自分で漁をしないで、釣り人のおこぼれを頂戴しているのに、白いサギは小さいのに海面に近づいた魚を自分で獲っているようです。

             

この日は大きなアタリも無く、隣のアジ釣りを見ていて、結構の数が釣れているなぁと思ったついでに、それならサビキにしたらぁと思ったのでした。

             

スカリに入れた25cmぐらいのグレ、要らないのでネコを探すと駐車場の辺りにいました。スカリごと駐車場まで持って行ってネコにやると、いつも貰っているものより大きく感じたのか、一瞬躊躇していましたが、咥えようとして大きく跳ねたのでビックリして後ずさり、それが獣心を刺激したのか、両手で襲いかかって口に咥えて何処かへ消えてしまいました。きっと大裕丸の家の何処かで食べているのでしょうが、サギのように丸飲みするわけではなさそう、骨と鰭だけ残しているのかどうかは知りませんが、残骸が家の中の何処かに山ほど溜まっているのではないかと思うのです。

帰る際、2時ごろの西の空、これなら「明日は雨やな」と言われても「なるほど、そうかもな」と思いますね。

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12月13日の釣り

2012-12-25 05:00:00 | 田舎

串本にやって来た当日は寒かったものの、風のさほど吹くこともなく翌日からは暖かで、絶好の釣り日和が続き、前日は誰も釣りをしていなかった大島港に出向いてみました。波止場に着いたのは11時半ごろ、ところがこの日は先客が二人います。一番釣りたいポイントは彼のオッサンではありませんが、見たことのないオッサンが一人でポイントを占領しています。もう何度もこの波止場に来ているので、いつも来ている人の顔や服装は覚えてしまっているのです。

             

あの独りでポイントを独占していたオッサンでも、荷物は散乱すること無くひと所に纏めていましたが、この日のオッサンはそこら中に荷物をほったらかし、写真では見えませんが、糸やハリを地面に放りだしたままなのです。釣りをする精神に欠けていますね。他の人の邪魔になるとかという以前に、何か起こった時に急いで帰れるという心準備が無いのでしょうね。竿はあんなに向こうでタモはこっち、大物が掛かった時にはどうするのかと思いますが、タモを持ってる割には大物を釣った(釣れた)ことが無いのかも知れません。向こう側の人との間でも釣りをすることが出来ましたが、手前側が誰もいなくて邪魔にはならないので、図々しいことは止めておいて、釣りにかかりました。

             

いつものネコとサギが魚をくれんかいなと待っています。でもなかなか魚が釣れません。ヒョコッとウキが沈みますが、もうそれでエサが取られています。直径で1cmぐらいはあろうかと思うほどのペレット、小さなグレでは一息に飲みこむのは無理だろうとは思うし、グレのアタリではありません。グレはエサを喰ったら底へと潜るので、ウキがスゥーッと底へ潜って行くのです。

                       

1時半ごろになって、ようやくグレのアタリ、あわせて釣り上げると掌サイズのコッパグレでした。ネコにあげるとサッサと咥えて大裕丸の家の門の中に入って行きます。

             

続けざまに同じサイズのグレ、釣れ出すと続くものなのです。回りを見てもネコもサギもいないので、海へ帰してやりました。

             

2時ごろに釣れた同サイズのグレ、これより前に一度手元にゴンというアタリがあり、これは大きいぞと思った途端に掛かりが浅かったのか、ハリがすっぽ抜けてしまいました。まぁ、初日としてはこんなものかと3時前には片づけて帰ったのでした。

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弘法湯の裏

2012-12-21 05:00:00 | 田舎

コメリでのちょっとの用事を済ませて、天気が良いのでコメリの駐車場から海を観ていたら、浜に降りてみたくなり、普段は歩かない橋杭岩方面に歩いてみました。ここは海が荒れて波が高くなると時々サーフィンをしている人を見かけます。ここで泳いだことや釣りをしたことが無いので深さや底の地質などは知らないのですが、岩が多そうで磯遊びには適していそうですが、泳ぐという行為には適しているとは思えません。

             

おそらく観光で串本を訪れ橋杭岩を観た人も、この方向から見ることはまず無いでしょう。橋杭岩のこちら側の海は急に深くなっています。

             

振り返ると姫から伊串の街並、浜に付いた足跡は私のものではありません。

             

姫の地磯とは地質が違うように見えますが、こちらも満潮になると岩は海水に隠れてしまいます。びっしりと海苔が生えているので運動靴では先端に行くことは困難です。九龍島や鯛島が遠望出来、古座らしい風景です。

             

去年の台風で流れ着いた流木でしょうか、ここでは人が来ることがないのか、放置されています。この岩も橋杭岩と同じように出来たのだと思いますが、一直線上に並んでないので脚光を浴びることはありません。

             

これが弘法湯の源泉ですね。狭いのでもう長いこと弘法湯に入ったことがありません。入湯料は200円のままなのでしょうか。弘法湯の窓からの眺めはなかなかのものなのですよ。

             

大きな岩は満潮になっても海中に沈むことはありませんが、回りは海水に浸かってしまうので、ずっと座っていると戻れなくなってしまいます。

             

早春になるとここでヒジキを採るおばさん達を見かけるようになります。なのでこれはヒジキなのでしょうか・・・収穫まで未だ数ヶ月はあるので、もっと伸びるのでしょうかね?

             

台風などが来て、海が大荒れするとこの辺りには魚や貝が打ち上げられていることがあるそうです。それを狙った鳥が集まって来るのです。

             

人の目にはもっと視野は広いのですが、九龍島はこれくらいの大きさに見えます。

             

串本港の市場に行ってみると、普段は使われていない左の舎屋が潰されていました。今まで港には2つの舎屋があったのですが、漁獲量や船の数の割には大きな港になっています。おそらく一つで間に合うのだろうと思っています。

             

潰してどうするつもりなのでしょうか、建て直すのか、それとも単に潰してしまうだけなのか。

             

この日、釣りの用意はしていませんでしたが、大島港へ行ってみると、誰も釣りをしていませんでした。これはきっと釣れてないということなのでしょう。

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紀伊姫駅ノート

2012-12-20 05:00:00 | 田舎

今月11日(火曜日)から串本・姫に来ています。訪れた日はなんと寒いと思ったのですが、大阪より気温は高い筈、この感じる尋常では無い寒さは何だったんだろうと思うほど翌日からは結構暖かかったのです。その日はチョットだけコメリに用事が出来たので、その前に気になる紀伊姫駅に寄ってみました。駅自体には何の用事もありませんが、紀伊姫駅ノートがちゃんと残存しているのか、以降書き込みがあるのかどうかがとても気になっているのです。

             

駅に入ってみると(入ってみると言うほどたいした駅ではありませんが)、すぐにノートが残っているのが分かります。誰も処分していないのが分かったので、安心しました。去年の夏に初めて設置された紀伊姫駅ノート、その年の12月には少し焼かれているのを報道しています。このノートが無くなったのを知ったのが今年の4月下旬、そして新しい紀伊姫駅ノートPARTⅡが何方かの手によって設置されたのを知ったのが忘れもしない金環日食のあった翌日の5月21日でした。

             

6月に帰った時は未だあったPARTⅡ、何時、誰によって持ち去られたのかは知る由もありませんが、8月のお盆には新しいノートが置かれたのを知ったのでした。

最初に置かれたノートは7~8ヵ月は存命しており、PARTⅡは2ヶ月くらいの短い命、そして3代目は今のところ4ヵ月は無事に残っています。

                       

前回は9月21日、山歩きから戻ってこの駅で休憩した人が書き込んでいました。その後ずっと誰も書き込んでないと思っていたら、10月31日にバイクで来たという二人組の書き込み、11月9日に名古屋から来た御夫婦が串本駅から橋杭岩を眺めながら歩いてきたと綴っています。そして11月11日と15日に小学生の書き込みがあり、急にぐっと書き込みが増えました。

日付がありませんが、日本を10周する計画を持たれている神戸の方が、去年もこの地を訪れ、今年は4周目で再び訪れ、来年も来るからノートは残しておいて欲しいと綴っておられます。去年来られた時はノートは無かったのかな?それとも気が付かなかったのかも知れません。

12月2日に埼玉と東京の方がそれぞれ仕事で来たと書かれていますが、こんな片田舎に仕事があったのでしょうか。

             

私が姫に帰った1週間前の12月4日に最後の書き込み、長崎から船に乗って串本にやってきたそうです。10kmほど散歩したと書いてありますから、何処から歩いて来たのでしょう?串本港からではなさそうです。19時30分の書き込み、もう真っ暗で寒かったでしょう、電車はすぐにやって来たのでしょうか。

             

ここでノートに書き込んだ人々は、夜で無い限り、駅裏のこの景色を観たのでしょうね。

                       

駅に貼ってあった新宮鉄道開通100周年のポスター、時々イベントがあるようです。当時の切符も写真になって載っていますが、新宮駅と三輪崎(切符には三ワ崎)駅の間の駅名が分かりません。カタカナのマとクを合わせたような字にノ地とありますが、手書き入力でもこんな字は出てきませんし、今は新宮駅と三輪崎駅の間には駅はありません。

             

ところが紀勢線の普通列車の先頭に同じように100周年のワッペンが貼られていて、そこには熊野地と書かれているのを見つけました。熊という字をカタカナでクマ(わざわざ逆にして)として一字にしたわけです。両方を比べるとワッペンの方には熊野地の次には御手洗という駅もあったことが分かります。そして切符の方には勝浦の手前には天満という駅があり、両方の無い駅を補えば、駅の数が11あったことが分かるのです。でも双方にも書かれてない駅があったのかも知れません。

二代目が何故短命だったのか、それを知る由もありませんが、三代目が1日でも長く次の人たちに引き継がれていければ良いと思うのです。

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おみやげ

2012-12-19 05:00:00 | 

日曜日の投票結果は民主党の惨敗、自民党が多くの議席を獲得することに成功した結果となりました。3年前には自民党への失望から民主党へと政権が交代し、多くの選挙民は新しい政権の新しい政策に期待を寄せたと思いますが、その期待に応えられなかったのは明白です。3年前に国民からNO!を突き付けられた自民党がいとも簡単に復活したのです。これはマスコミが自民か民主かと二大政党論を振りかざした所以、所詮小選挙区制のシステムでのこと、例えば5人が立候補すれば20%越えの得票で一人だけ当選するというシステムは、こういう結果を生み出したことを証明しました。小選挙区制は制度ですが、二大政党制は制度ではありません。

政権を担うことになる自民党は武力で以って国際紛争を解決しないことを決めている憲法9条の改悪を示唆しています。これは非常に恐ろしいこと、私自身はもう徴兵されることもないでしょうが、息子たちには徴兵が課される可能性があり、これからは海外で人を殺し、殺されるという事態が起こり得るのです。そんなに日本国民は戦争が好きな人が多いのでしょうかね?

              

さて、伊勢から熊野への旅では鶏肉しかお土産を買わなかったのですが、今回は何故かたくさんのお土産を買いました。島根ワイナリーではワインを2本と葡萄ジュースを1本買い、妖怪の街ではシーフードチップスというものを買わされ、他にもチョコチョコと買い物をしました。

S木さんの奥さんが「とうふちくわって知ってる?」と聞くので、初めて聞く名前、想像するだけで差した竹から豆腐が落ちてしまいそうなので、「見たことも聞いたこともない」と答えると「美味しいねんで」と言われます。私はてっきり豆腐に竹を突き刺したものを想像していたのですが、豆腐そのものではありませんでした。竹輪の原料に豆腐を混ぜたのが始まりで、鳥取県では有名な食べ物だそうで、観光バスもやってきます。どの辺りなのか分かりませんが、『ちむら』というきれいなお店へ連れて行ってくれたので、試食をしてみると案外に美味しい、これは買ってみる価値がありそうと5本買ったのです。チーズや島根和牛やジャガイモ等が入ったものをそれぞれ買ったのですが、家の者は「竹輪かい」という感じであんまり食べてくれません。

              

先に寄ったのが道の駅『大山恵みの里』という店、地元の野菜などが置かれていて、ビックリするほど奥さんが野菜類を買うので、私もパンを見つけて買ったのでした。地蔵屋のパンと同じぐらい高いと思わせるパンでしたが、地蔵屋のより少し大きくて、そんなに甘味があるわけではありませんでした。

              

それとハクサイ、白ネギ、山芋、どれも安いですね。ハクサイ一玉120円、大阪だったら300円はしますよ。こんなハクサイを見ると漬けたことはないけど、キムチにしたいですね。鳥取は長いもが有名ですが、こちらで買ったのは大きな自然薯、大阪なんかでは滅多に見られるものではありません。

              

これは大山寺から降りてきた時に土産物屋で買ったシジミの佃煮、宍道湖はシジミが獲れることで有名ですが、今はどうなんでしょう?店の人に「これ宍道湖で獲れたものですか?」と尋ねましたが、「いや、違う」とは言いませんよね。どう考えても佃煮にするほど獲れているとは思えません。

              

ところで12時を大幅に回っていると言うのに昼食をとっていません。朝食をたくさん食べたのであまりお腹が減っていたわけではありませんんが、そろそろ食べておかないと夕食に差し障りが出てきます。少し走って今度は『清流茶屋かわはら』という道の駅、ここで私は無理矢理ざるそばを食べ、この長いもの焼酎を買ったのでした。長いも焼酎って無味無臭の感じがしますよね。

ここから私の運転、道の駅を出る時に虹が出ていて、思わず虹の方へと向かったのですが、「出口はそっちと違う」と言われて大慌て、知らない道は走りたくないものです。以降は無料の鳥取自動車道を走り、岡山に入って完全に雨が止み、宮本武蔵の里と言われる所を通過して中国自動車道で池田の手前までは順調に帰ったのでした。

でも、これっておみやげじゃなくて、買い物ですよね。

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大山寺

2012-12-18 05:00:00 | 

登りでさえ滑り易かった石畳の階段を降るのはもう一つ怖い、雨が降ってなければ随分楽だった筈ですが、緊張します。登ってきた分降りなければならないと思っていたら、途中横道がありました。一つは金門への横道、後から知ったことですがその金門への横道を辿ると大山の北壁が見れたといいますが、この日は雨だったので知っていて、そこを通っても北壁が見れたかどうか分かりません。もう少し下ったところにも左への横道があり、何となくそちらへと向かうと、大山寺の裏側へ到着、一番下まで降りて、また大山寺の階段を登らなくて済んだのでした。

               

最初の篆刻文字風の碑やこの山門は降りてきてから撮ったものです。実はこの山門では入る時に自主的に300円(大山寺には檀家がいないのでという理由)払わないといけなかったのですが、降りて来た時初めて通ったので300円は徴収されませんでした。自主的に払うのですから、降りてきた時にでも払えば良かったのかも知れませんが、何も言われなかったので払わなかったのです。

              

こちらが大山寺への脇道、坂道ではないので楽です。大山寺からこの道で大神山神社へ向かう人は土地の人でないと分からないと思います。この道は完全に大山寺の裏に続いていましたから。

              

雨に煙る大山寺本堂、晴れていたらもっときれいに撮れるのですが、鄙びたお堂には雨も似合うようです。

              

私たちは左側の寺務所と本堂の間から入って来たのです。なので大山寺に先に訪れたら、ここを通れば大神山神社への近道なのです。まぁ、私は2度と通ることはないだろうと思っています。

               

このお寺にも賓頭慮尊者像がありました。釈迦の弟子の十六羅漢の筆頭だそうで、自分の患部と同じ所を撫でて、その後自分の患部を撫でると治癒するとか、私も頭を撫でておけば良かったと思っています。私は時々踵が痛くなり歩くことも困難なことがあるのですが、何処の賓頭慮尊も胡坐をかいているので、踵を撫でることが出来ません。仏さんも身代わりにはなってくれない、やはり私はバチアタリ者なのですね。

               

ここの鐘は参詣者なら誰でも撞いてもいいそうですが、加減をするようにと書かれてありました。S木さんの奥さんがやんわりと撞いていました。

              

山門を潜って階段を登って来ると正面に見えるのがこれ、宝篋印塔や錫杖などが並んでいますが、畜魂碑と書かれていました。

              

牛の像までありますが、牛の像は天神さんに置かれているものですよね。何処かで余ったので畜魂碑の為に貰って来たのでしょうか。

               

山腹に並んだ地蔵さん、中には意味不明なミツバチの巣箱みたいなものもあります。

              

右奥には不動明王の祠、その後ろには車が見えていますが、ここまで車で来れるということですね。

                        

こちらも急な階段ですが、大神山神社への参詣道のような滑り易さはありません。その代わり雨水が溜まって足の踏み場がない段もありました。

             

一番下まで降りてきて、元の大神山神社奥宮と大山寺との分岐点、左が奥宮の鳥居、右が大山寺山門への階段です。私たちが降りて来た時には、来た時あった車は無くて、タクシーが1台停まっていました。

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大神山神社

2012-12-17 05:00:00 | 

翌26日は天気予報通り朝から雨、最近の天気予報は確実性が増していますが、こんな時ほど外れて欲しいというものです。今どの辺りにいるのかさえハッキリ分かってない私にとって、今日は何処へ行きたい?と聞かれても、何処へと答える能力がありません。S木さんの思召すままということで大山寺に行くことになりました。私は大山寺など聞いたこともないお寺でしたが、単に“だいせん”と打つと“大仙”と変換するのに、“だいせんじ”と打つと“大山寺”と変換するので、有名なお寺なのでしょう。

雨の降る中9時にホテルを出発、S木さんはこの辺りを熟知しているのか、私は何処をどの方向を向いて走っているのか見当もつかないのに、ナビ無しで淡々と車を走らせます。まぁ、おおよそは南に向かっているのは分かるのですがね。

                       

1時間ほどで大山の中腹と思しき所に到着、無料の駐車場がありました。途中フォグランプを点けないと対向車が見難いような霧が出ましたが、駐車場まで来ると霧は晴れて雨だけになっていました。車を降りて坂道を少し登ります。大山寺の山門の前には車が一台停まっていて、ここまで来れるのかと思いましたが、何台も停めるスペースがあるわけではありません。

大山寺の山門を見上げつつ、左手には鳥居があり、3人の足は自然とその鳥居の方に向かいます。鳥居横には『大神山神社 奥宮』の標識があり、私は大神・山神社と読んでいて、大神と山神を祀ってある神社かと思いましたが、大山の昔の呼び名が大神山であり“おおがみやまじんじゃ”であることに後で納得。

杉の木と岩が自然に調和しているので『和合の岩』と呼ばれていると書かれていますが、このような現象は和歌山でも至る所で見られ、私は木の生命力の強さを感じるだけで、決して和合などとは思いもよりません。

             

石畳は雨で濡れて滑り易く、一度滑って骨折した経験がある私は足元も覚束なく、15分程度で神門に到着、ゆっくり歩いたので息はそんなに弾みません。神門を潜り、また少し階段がありますが、それを登ると奥宮、でも階段と奥宮の距離が近過ぎてカメラに入りきれません。

             

奥宮の玄関の天井、実は300円の拝観料を払えば壇上に上がることが出来、もっと沢山の天井画が見れるとのことですが、今履いている靴がマジックベルト式なので脱ぐのが邪魔くさくて、玄関の絵だけでガマン・納得したのでした。

             

正面からは撮れないので斜めからの奥宮を撮影しておきました。雪が残っているのが見えます。大山の頂上は冠雪をしていますが、この辺りにも既に雪が降ったことの証しでもあります。

             

こちらは奥宮の左奥にあった下山神社、同じ境内に設置されていますが、摂社ではなさそうで、1805年に津和野の亀井何某が再建したものと書かれていました。でも大神山神社も1805年の建立です。そうか、ここには昔から下山神社があって、再建と同時に大神山神社が建立されたのですね。どっちでもいいけど、大神山神社が建立されるから、ついでに下山神社が再建されたのかも知れません。

             

奥宮の裏庭、たくさんの雪が残っていますが、残っているというよりはこれからが本番、きっと真冬になれば境内は真っ白な雪化粧を施し、参拝も困難になってくるのではないかと思います。

             

弁財天社とダイセンキャラボク、大山自体が海上交通の目印となっていたので昔からこの弁財天社があったとされています。現在の社は1998年、東京の人が寄進したものだとか。

             

ダイセンキャラボクは大山山頂に群落する常緑の低木だそうで、雌木は秋に赤い実を付けるとか、未だ11月末に訪れた時ですから、実の名残は無かったので、この木は雄だったのでしょう。モミの木やローズマリーの葉によく似ていると思いました。

             

こちらは左奥からの奥宮、やけに細長い権現造りの建物です。6月の開山の祭りがここで行われるそうです。

             

こちらは奥宮側から見た神門、門の表裏が逆になってると言われますが、そう言われても私にはよく理解も判断も出来ませんが、そう言われたならこちらが表なのでしょう。この門を“後ろ向き門”と呼んでいるそうです。

ひっそりとしていて、冷気が霊気に変わりそうで、あいにくの天気なのに出雲大社より神社らしいと感じたのですが、そんな感覚で良いのでしょうか?

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芙蓉別館

2012-12-14 05:00:00 | 

今回の衆議院選挙の投票日まで今日を入れてあと3日、ネットでの選挙活動は禁止になっていますが、あくまで私の考え方をいつも通り綴っているだけですから、選挙違反にはならないと思うので、思っていることを少し書いてみたいと思います。

国民の税金で賄っている政党助成金を多額に受け取っている2大政党ですから、テレビにもコマーシャルを流す時間が多いので当然目にする機会も多くなりますが、党首の両人の言動は「バカかこいつは!」と思ってしまうのです。片方は「自身の責任で決断することが大切だと分かった」などと政策ではなくて、自分の行動を美化するような発言です。政治生命を賭けて決断したとは3党合意の“消費税増税法”のことなのでしょう。弱い者いじめのこんな法律を作っておいて、今更ながら決断することが大事だと分かったなどと、「お前は何歳になったんじゃ?」と聞きたい。それも国民にとって良いことならまだしも、こと悪法を通したのですから、中身は隠しておいて自分のことだけ自画自賛するなんて政治家以前の問題、自分の人生哲学って「持ってんの?」と問いたいのです。

もう一方の党首、言ってることが狂ってます。「日本を取り戻す」こればかりです。日本国は何処の国にも侵略されてはいませんよ(お前の祖父が亡国的な日米安全保障条約を成立させたんだけど)、言葉を取り違えているんだろうと善意に解釈してあげましょう。一つは教育を取り戻す、二つ目は経済を取り戻す、三つ目は安心でした・・・3年前まではお前の所属する政党が政権を握っていたからこそ、こんな国にしてしまったんじゃないのか、民主党の弁護をするつもりなど毛頭ありませんが、60年間政権を握り続けてきた自民党の政治は、新たな権力を握った政権党にはこの3年間では刷新できなかったのであって、民主党の動向を見ているともっと期間があっても刷新できるとも思えませんが、自民党型政治のレールを新たなレールに敷設することが出来なかったのです。結局のところ、彼の党首が述べる“日本を取り戻す”というのは、自民党の政権を取り戻すということであり、元の黙阿弥です。いや“安全を取り戻す”などに言及すれば、国際紛争に武力を用いないと宣言している憲法を変えてまで、武力による解決を目指しているようです。

             

争点は、消費税増税の是非や原発推廃、TPP、震災復興や沖縄の基地問題があろうと思いますが、まずは消費税。日本国に消費税が誕生して23年、現在の税率にアップされて15年が経ちます。当初福祉を充実させると嘯いた自民党でしたが、自助努力の掛け声とともに福祉は後退する一方だったのです。今も同じようなことがささやかれていますがもう騙されてはいけませんよ、消費税自体は零細・中小企業を泣かせる一方、巨大輸出企業にとっては利潤の的なのです。例えば1000億円の売上高がある企業が仕入高800億円で、国内で500億円、輸出で500億円売り上げたとしましょう、国内の500億円には5%の消費税25億円が課税されます。輸出品には消費税がかかりませんので税金は0円、ここに輸出還付金と言う制度があって、仕入金の800億円のうち消費税が5%で40億円ですから、払った消費税から仕入金の消費税を引いて申告することが出来るので、25億円-40億円=△15億円、これが税務署から還付されるという仕組みがあるのです。だから日経連は消費税率アップに積極的なのです。

             

原発問題、これはきっと程度の差こそあれウランが未曾有なものではないので、将来は原発に頼らない社会を目指さなければならないのは当たり前の意見でしょう(自民党は何が何でも推進ですが)。しかし何年先を見据えて廃止していくという考え方は実際にそうなるのかは疑わしい、今全廃を言わない人たちはその時期が来たら、また引き延ばすのが今までの政治のやり方だったのです。自然エネルギーに頼る政策、太陽光パネルが何処の家にも取り付けられるようなシステムを政府が考えるべきだと私は思うのです。

TPP問題、私は農林水産業従事者ではなかったので何だかよく分かりませんが、TPP参加を言う人たちは、農業にも大企業が参加して農地を買い取り、農民を賃金労働者に変えてしまう、それも正社員じゃなくて流行りの派遣社員にしようと考えているのではないかと思うのです。曲がりなりにも農地という資本を持っている農家から、資本を取り上げて格安の賃金労働者にしてしまう、一層の富の蓄積を狙っているのが見え隠れしています。

いずれにせよ、1%の富裕層・99%の中間・貧困層、所謂格差社会の実現を目指す新自由主義を推進するのか、自由・平等を実現しようとする社会に展望を開くのかという対決になっているのだと思うのです。だからこれまで民主も自民・公明も同じ穴のムジナだと言って来たのです。マスコミの流す“自民か民主か、それとも第三極か”の選択はいずれにせよ、新自由主義の枠内の議席の取り合いでしかありません。

             

話は戻って鳥取県、妖怪の街からその夜の宿のある皆生温泉に向かったのは4時半を回っていました。皆生温泉って訪れるのは初めてだったので、どんなところかと楽しみにしていました。途中、美保関というところを通りますが、これは“みほがせき”と読むのではありません、“みほのせき”だそうで、“みほがせき”と読むのは相撲界でした。

境港からは案外近くて、5時前にはチェックイン、芙蓉別館と言うホテルを取ってくれていました。部屋に通されて「男性の風呂からは海が見えるので早い目に」という仲居さんの言葉を信じて急いで階上の風呂へ、でももう辺りは暗くて(夕日が見えないからなのか、雨が近づいていたから曇っていたのか)海岸はハッキリ見えませんでした。翌朝は男女のお風呂は交替になっています。

             

楽しみの夕食は6時半から、私は部屋で食べるより、来客が集まる食堂で食べる方が好きなのですが、この日は部屋食、3人でゆっくりと寛げますが、何だか寂しい。でも食卓は豪華です。びっくりしたのはマダイの舟盛に大きな茹でガニ、見ただけでこんなに食べれません。きっとS木さんは私が大食漢だとでも思ったのでしょう。普段からそう多くは食べれない私なのに、昼食を食べたのが2時ごろでしたから余計に食欲が湧きません。普段は6時前には朝食、12時前には昼食をとり、夕食は7時を回るのが日課でした。

焼酎の5合瓶を頼み、おそらく殆ど私が飲んだのでしょうが、床に就いたのが何時だったのかも覚えていません。家なら早く寝床に就くし、今は夏蒲団1枚で寝ていますが、伊勢志摩熊野そして今回の鳥取とホテルでは分厚い布団だったせいもあるのか、家なら朝方寒さで早く目が覚めるのに、暖かくて三日供遅くまで寝てしまっていました。

             

殆ど手付かずだった舟盛と私のカニ、何とか持って帰れないかと仲居さんに懇願するのですが拒否されてしまいました、勿体ない!。何とか翌日の朝食にタイのアラと身で澄まし汁を作ってもらいました。部屋食なので持って来てもらううちに少し冷めてしまっていましたが、美味しかったです。

最後にこの選挙戦の最終盤、マスコミ業界は当落予想などと盛んに情報を流しますが、そんなものは一種の情報操作であり、洗脳です。その情報に踊らされて投票するから、あたかも情報が正確だったように写っているだけ、国民の視線を何とか二大政党や第三極(政策で言えば自民党とたいして変わらない)に向けさせるためのプロパガンダは今までは成功してきました。でも私は騙されるのは懲り懲りです。

自分が投じた票で議員が誕生して欲しい(死票にしたくない)気持ちは分からんでもありませんが、そのことと自分の実現してほしい政策は違っててもいいのか、批判するという精神を失くしたマスコミが流す報道(あたかも自民か民主しか無いような)を真に受けて投票してしまえば、変わって欲しい世の中は何も変わることがありません。世の中が変わるんじゃなくて、政権が替わるだけなのですから、まるで選挙ゴッコです。

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