ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

鳴滝

2014-09-29 05:00:00 | 田舎

自分の姿をしげしげと見ることのない今日この頃、23日の釣行時、アカハタを釣った時にY下君が撮ってくれた写真を見て、なんかジジィになった感じの自分が信じられません。尿管結石の手術をした後、4kgほど体重が減ったのは知っていましたが、その体重も2kgほどは回復したので、エエような悪いような面持ちでいたのですが、この時は確かに疲れていたものの、ゲッソリしてしまっていて、若いのは服だけになってしまっています。

Y下君が帰った後、船の煙突の蓋を閉めるのを忘れていたことに気が付いて、船に引き返したのですが、もう海は満ちてきていて、舳先に乗ることは出来ても、降りる時が危ないのと、雨は翌日の昼からという予報だったので、蓋を閉めずに帰ることにしました。その時見た古座の海は少々砂が巻き上げられたような色に変ってきていました。次の日は予報に反して朝から霧のような雨が降っていましたが、満潮が朝なので船には行けず、10時半ごろになって行ってみると船に乗れる高さに下がって来ていたので、蓋を閉め、ついでに機関室に溜まった水を抜くためにビルジポンプを作動させましたが、水はたくさん溜まっていたようで、いつまで経っても排出される水の量は減って来ません。雨は徐々に強くなって来るのでポンプを止めようとしたのですが、スィッチを触っても止まらないのです。これには焦りました。どうしたら良いのかと考えても良い考えなど浮かぶ筈もなく、途方に暮れていたら勝手にポンプは止まってしまいました。おそらく水が全部抜けたので自動的に止まったものだと勝手に解釈して、強くなった雨の中、急いで船から降りたのでした。その日はずっと強い雨が降り続き、翌朝まで続いていましたが、昼前から降ったり止んだりの繰り返しの後、昼からは晴天に変ったので、以前から気になっていた一枚岩近くの鳴滝を探しに行くことにしたのでした。

               

鳴滝は『古座川風土記』の中で紹介されていて、立合から相瀬へと向かう途中の前の平という小字にあると書かれているのですが、最初歩いてこの道を通った時は、滝の存在を知らなかったし、2度目は愚車で一周したのですが、全く気付きませんでした。国土地理院の地図で前の平を検索すると相瀬の対岸の長方形の土地であり、僅か10件ほどの民家が点在する地域です。この民家のある地域で、山側から水が落ちてくる所を探すのですが、確かに小さな滝とは呼べないような水が落ちている所はあったのですが、鳴滝と呼べるほど音は鳴っていません。

         

一枚岩の道の駅・鹿鳴館で何処にあるのか聞いてみましたが、店の人は知らないと言います。相瀬を通る時に畑に居る人か、囮アユを売ってるところで聞いてみたらとアドバイスをくれていたので、一旦探すのを止めて、相瀬の集落へと足を運びました。相瀬の集落へ行くには古座川に架かる橋を渡ればすぐですが、もし橋が無ければぐるっと長い距離を歩かなければなりません。橋を渡った所にある囮アユを売ってる店には人影がありませんし、向こうから紀州犬らしきイヌを散歩させている人に聞こうと思ったのですが、なかなかやってこないので、反対側に歩いて行くと、水の落下する音が聞こえたので、少しだけ山に踏み込むと確かに滝らしきものがありました。

                       

でもここは相瀬ですから、これが鳴滝で有る筈がありません。第一水の落ちてくる所へは近寄れないのです。

もう少し集落方面へ歩くと、話し声が聞こえてきたので、おばあさんが二人喋っている家の前まで行くと、私より先に向こうから挨拶されました。おもむろに「鳴滝って何処に有りますか」と聞いてみると、それには答えず、持っていた『古座川風土記』を見て、それ何とか、見せてとか、出版社の名前や、誰が書いたのかとか言いだします。鳴滝のページを開いて「この滝なんですけど」と聞くと、橋を渡って向こう側だと言います。そんなことは分かっているのです。詳しく聞いていると新しい国道の橋の下、階段が有る所だと教えてくれました。その橋の名前が『鳴滝橋』だと言うと、「勝手に付けた、私ら知らなんだ」と言っていました。橋の下かと思い直し、お礼を言って相瀬の集落を後にし、途中で置いた愚車に乗って橋の下まで行ってみたのですが・・・

       

確かに車を停めるスペースは有るし、階段も有るので、ここかと思って辺りを見回しますが、水が滴り落ちると言うより、滲み出ているような所は有るには有るのですが、滝とは呼べるものではありませんし、音など鳴っていません。おばあさん達は「雨が降ったあるから、よぉ水が流れとるやろ、山へ登って○×でも取ってこんし」と言われていたので、こんなところから山へ入る道も無いしと思って、合点がいきません。言ってくれた取って来いと言われた○×は、よく聞き取れなかったのです。

             

仕方なしに橋の下を潜って反対側に出ると、見事に落下する滝が有るではありませんか。よく見ると山へ入るための階段もあり、これがおばあさん達が言っていた階段かと納得、でもこの日は山へは登りませんでした。

                       

2度も前を通っているのに、何故この滝に気付かなかったのか、きっとこの日のように滝に勢いがなかったのかも知れませんし、私は川の方ばかりを見ていたのかも知れません。ここは国道の下、鳴滝橋には階段が付いているので、この滝にはすぐに降りて来れますが、国道には車を停める所は無いでしょう。車だと相瀬の集落か反対の立合の集落をグルッと回って来なければなりません。旧道なので対向車が来ると行き違いの難しい所もあります。

             

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、今年は8月下旬から涼しく、彼岸は待ち遠しくは無かったのですが、その今年の秋の彼岸も過ぎてしまいました。これからだんだん日が短くなり、寒くなってくるので、私に嫌いな季節に移っていきます。でも台風一過のこの日、昼からは蒸し暑く、少し動くだけで汗が滴り落ちるほどでした。



9月の釣り

2014-09-26 05:00:00 | 田舎

皆さん、御機嫌よう。別段意識しているわけではありませんが、最近は週一回のペースでブログを書き込んでいます。台風16号がやって来るのか来ないのか、そんな天気予報が出されていた先週の初め、Y下君から「今、何処に居る?」と連絡があり、何処にというのは大阪か串本かという意味なのですが、私はまだ大阪に居たので、そう応えると次の週は月曜日に年休を取ると4連休、そろそろ釣りに行きたい気持ちが芽生えていたのでしょう。火曜日までは台風の影響は無いと分かった先週木曜日、私は大阪を発ち一路串本に向かったのでした。Y下君からは日曜早朝に大阪を発つと連絡が入り、私は当日8時過ぎから桟橋の波止場で待っていたのですが、Y下君は9時半ごろに串本に着き、「何処に居る?」と電話してきたので、いつも釣りに出る波止場と応えると、彼は南防波堤と勘違いしたらしく、船を置いてある波止場に行ってしまったのでした。南防波堤に船は有るのですが、釣りに出ると桟橋の波止場へ帰って来るので、桟橋で待ち合わせて1台車を置き、片方の1台で南防波堤へ行かないと、帰って来た時に歩いて車を取りに行かなければならなくなるのです。

       

いつも私の船は一番左に繋いでおくのですが、私が行ってみるとその左にもう一隻古座の船が繋いであり、おそらく台風が来るので避難してきたのでしょう、私の船にロープをかけています。こんな状態で船が出せるのか、少々疑問だったのですが、何とかロープをほどき、3日後に帰って来た時に私が入れるスペースがあるかどうか怪しかったのですが、何とか11時過ぎには釣りを始めることが出来ました。この日は東の風が強く、天気予報では波の高さは1,5mだったので、外海に出られると思い、臼島と大耳崎の間を流して釣ることにしました。
先ずはY下君にヒット、でも少し大きめのイソベラなのでさようなら、すぐ後にアカハタが来たのですぐキープ、1時間ほど経ってキープサイズのガシラ、8月に来た時よりは順調でした。

  

私は喉が渇いたので、お茶を飲もうと思ってコップにお茶を注ごうとすると船が揺れてうまく注げません。そこで波が高くなってきていると感じたので、猪喰鼻の浦に場所変更しましたが、誰も釣りをしておらず、アタリが小さいようで何も釣れないので、3時ごろに上がりました。

 

翌日は晴れの天気予報だったのに、朝6時に起きると雨が降りだしてきました。昼からは晴れると言う予報だったので一応、桟橋の船の前に車を停めて、雨が小降りになるのを待っていました。30分ほど車の中で過ごしたのですが、なかなか小雨にならないので、やむなく船に乗り、燃料を入れて船を出しました。表に出ようと思ったけど、くしもと大橋の下まで来て沖を見ただけで、こりゃアカンと思って引き返し、橋杭周辺、戸島崎灯台と弘法湯を結ぶ線上の懸け上がりで釣ることにしたのですが、芳しくありません。

           

Y下君は大きめのサバフグをキープ、その後はエソの猛攻に苦しんだので、タイ島周辺へ移動しましたが、こちらも芳しくありません。

             

雨も上がって陽が差してきたので、出れる所まで出てみようと樫野を目指しましたが、途中大箱の横で底が変化に富んでいたので、船を停めて釣っているとY下君がチョイマシなマダイを釣りあげたのでした。

             

その後も樫野漁港の手前、高平瀬磯の前で釣りを続けましたが、あまり釣れません。橋杭まで戻って目印の発泡スチロールのブイを探して釣りをしましたが、この日はどこも芳しくないようで、3時には上がったのでした。

  
  

最終日、Y下君は帰らなければならないので12時を目標に1日目と同じ所で釣りを始めました。上の2枚のパノラマ写真、上は釣っていた所の左側で須江方面、下は右側の樫野方面です。

       

またしてもY下君にイソベラ、海にお帰り頂いた後2匹のアカハタを追加、私は10時前にやっとアカハタをゲット、よく釣れるといったシチュエーションではありませんが、そこそこお土産が出来ました。

             

あっちこっちと釣り場を探すのですが、表は風が強く、波も立ち始めてくるし、時間が経って干潮が近いのか、底が見える所も多くて、船底が擦らないかと心配なので(海底が見えても魚探には15mほど表示されていたので船底には擦らないはず)、橋杭の発泡スチロールのブイを目指して移動しました。移動した途端、私にオウモンハタがヒット、橋杭岩から大島の権現島に向かって、この発泡スチロールのブイ辺りはきっと岩盤が連なっている筈で、こうした磯魚が釣れるのです。お土産に何とかY下君にガシラを追加して貰いたかったのですが、周辺をウィンドサーフィンの連中が走りまわるので鬱陶しいのです。

             

ウィンドサーフィンの連中は5~6人居たかと思いましたが、一人こけてしまってなかなか起き上がれないのに、誰も助けようとはしないのです。私もウィンドサーフィンなどどうしたら良いのか分からないので、まぁ人は元気そうだったので知らんふりをしていました。12時前に切り上げて、南防波堤へ繋留に向かったのですが、この日も東風が強く、私の停めるスペースはどうなっているかと心配でしたが、入口が狭まっていて、なかなか上手く入れません。横からの風を受けて何度も失敗を繰り返し、やっとの思いで船を係留することが出来たのですが、荷物なども全部降ろして、横の船と艫を繋ぎ、船から降りた時には1時前になってしまっていました。

                    【おまけ】

  

こちらは紀ノ川、せせらぎ公園というだだっ広いだけの公園です。8月30日に三男たちとハゼ釣りに行ったときのものです。ハゼ釣りは加古川によく出かけたものですが、遠いのが難点、三男は武庫川に行くと言っていたのに、当日は紀ノ川、でも良く釣れると言っていました。

                       

でも型は小さいし、数も出ません。2時前まで粘って15~6匹、最後に私が一荷で釣りあげたのを機に終了、家に帰って天ぷら用に捌いたのは私の係になってしまったのでした。

             

今年最後のプロ野球観戦

2014-09-18 05:00:00 | スポーツ

皆さん、ご機嫌よう。お久し振りです。何が久し振りなのか、それは勿論、私にとってはブログを綴るのが久し振りなのです。先週の9日にUPして以来ですが、実際にはもっと早く記事を書いていますから、私にしたら久々に記事を書いているということになるのです。おそらく2週間は編集画面を開くこともなかったでしょう。それはそれはとても楽チンなことであったのですが、その反面こんなに体たらくなことで良いのかという自嘲もあるのですが、もうこの歳ですから追い詰めたくはないと言ったところが本音です。ところで、“ていたらく”と入力すると“体たらく”と変換するのですが、“ていたらく”は漢字では“為体”だったはず、何故“体たらく”と変換するのか、“体たらく”で検索するといろんな辞書にヒットします。きっと“体たらく”と書いても“ていたらく”とは読めない人も居るのでしょうから、“為体”などと書いたら全く意味が通じないのでしょうし、私も何故“為体”がこんな字なのか、理解できていません。

             

7月30日の甲子園以来、野球観戦には行っていませんが、パリーグもセリーグも首位争いが面白くなっていた8月29日、急にK川君から電話があり、今は何処に居てるのか聞いたうえで、今晩甲子園へ行くかとお誘いがありました。急なことでしたが、別段何も予定のない毎日ですから、渡りに舟とばかりにその話に乗ったのでした。しかしこの日は夕方から雨という天気予報、案の定家を出た頃から小雨が降り出し、私は折り畳みの傘と、防水ハットを持って出たのでした。

       
                    いつも3塁側あるいはレフトスタンドでの観戦が多い私ですが、今回は1塁側からなので、写真がいつもと角度が違うでしょ。

甲子園駅に着くと傘を差すほどではないにしても結構な雨が降っていました。ダイエーの入り口で待ち合わせたので、ダイエーで食料と、雨水で席が濡れるのが嫌だったので観戦用のクッション、ついでに100円のビニールポンチョも買ったのでしたが、結果としてそれ等は不必要になったのでした。雨が止んだわけではありません。K川君が押えていた席はサンテレビのオッサンシートとでも呼ばれているものらしく、銀傘の下にあたるところだったのでした。先発は今年勝星に恵まれないでいる能見、しかしタイガースは序盤から徐々に点を奪い、7回を終わって10-2と大きくリード、こんな楽な展開のタイガースの試合は観たことがありません。9時になってなかったけど楽勝と思って球場を後にしたのでした。

             

前回来た時は梅田から乗る時から甲子園を目指す人が多かったのですが、今回は前回より遅く出たとはいえ前回ほどの人出ではありません。帰りも座って帰れました。横に座ったK川君の友人はずっとスマホとにらめっこ、梅田に着く前は8回表に2点入れられ、9回表は1点を入れられてなおノーアウト満塁だとか、まぁ満塁ホームランを打たれても1点勝ってるなどと冗談を言って、そこでお別れとなったので後のことは知りません。でもこの試合、ここから雨が降ってノーアウト満塁の場面でコールドゲームとなって終了、和田監督は抗議をしたと聞きましたが、抗議は受け入れられないという打算が有ったに違いありません。このまま試合が続いておれば逆転負けしていたのかも知れません。もう今季はタイガースとホークスの日本選手権での試合は無いでしょうから、今年の甲子園での野球観戦はおそらくこれが最後でしょう。

 

日はどんどん過ぎて、先日16日の火曜日です。まぁホークスのパリーグ優勝はほぼ間違いないでしょうが、前回の京セラドームでのホークスの試合時は串本にいたのでしたが、今回は大阪に居たので、オリックスを突き放す試合を観に行こうと思っていました。京セラドームでの残り試合はもう少なくなって、金券ショップで売られているセレクトチケット(後半戦が始まる前に後半戦のオリックス主催ゲーム用のチケットを束で売っている)はだんだん価値が無くなって来ていて、梅田などではきっと1000円を切っていると想像しているのに、難波では1400円もしているけど、セレクトチケットの方がが安いので難波で買って、阪神電車に乗りドーム前駅へと行ったのですが、地下鉄なら180円なのに阪神は200円も・・・でも地下鉄は心斎橋で乗り換えて、西大橋、西長堀、ドーム前と時間がかかるのですが、阪神なら難波、桜川、ドーム前と早いのです。

               

チケットは内野でも外野でも、1塁側でも3塁側でも自由席、席が決まってない分、空いたところに座れますが、満員になれば同じです。でも京セラドームで3塁側が満員になるようなことは無いでしょうと高を括っています。でもやはりホークスファンはたくさん入っています。先発は病気から復帰した大隣と12勝を挙げている西、どちらかといえば西に軍配が上がりそうですが、やはりホークス打線は活発でした。

                 

応援団の旗、オリックスは2本とT-岡田専用のものが1本、一方のホークスは個人用のものは無く、全部で6本舞っています。一時よりライト~1塁側のスタンドは観客が入るようになりました。今ではオリックスファンの方が多いかも知れません。でも私の前を歩くホークスファンを見ていると、何故か中学生が多いし、おじいちゃん・おばあちゃんも多い、どちらかというと現役で働いている世代が少なく思われます。

                     

甲子園と違ってバックスクリーンでの演出も多彩です。回が変わるごとに写真のように内川vs糸井などが流れます。この日球場で初ヒットを放ったのは糸井の2塁打、でも内川は3回の貴重な追加点を挙げています。他には李大浩vsペーニャの映像もありましたが、李は3ランホームランを打ちましたが、ペーニャは大隣に抑えられていました。

 

7回表のホークスの攻撃前、どこでも風船を打ち上げる風習が広がっているようですが、私はあまり感心していません。でもパノラマ写真で撮ると、面白く写っている風船がありますね。『カーコン』の下から右へ向かって飛んでいる風船は、1個なのに10個以上で写っています。これは私がカメラを左から右へ動かしているからだと思います。

   

こちらは7回裏のオリックスの攻撃前、席が遠かったせいなのか、撮る前はみんな風船を膨らましていたと思っていたのに、写真を撮ってみるとあまり風船は写っていませんでした。

             

試合は5回、李大浩の3ランでほぼ決まり、しかしそれまでは効率が悪く8安打で2点しか入ってないので、下手すると負けるかもと思っていましたが、大隣が尻上がりに調子を上げ、私は7回が終わった時点で帰ったのですが、家に帰ると完封勝利を上げていました。

             

これから先、オリックスとホークスの差がどうなるのかは分りませんが、ホークスの残り試合が10、オリックスの残りが15なので、残りをどちらも勝率5割と考えると、ホークスが80勝、オリックスも15試合のうち8試合勝つとどちらも80勝に到達しますが、その場合の負け数はホークスが56なのに対して、オリックスは62ににもなるので、これでは京セラドームでのクライマックスシリーズは有りません。どうやらこの日が今年最後のプロ野球の観戦となりそうです。

お盆以降

2014-09-09 05:00:00 | 田舎

退職して2年以上が経ち、受信料を払いもしていないのにNHKの朝ドラを見るのがクセになってきています。退職したての頃は朝からテレビを見る癖も無かったし、ハローワークを始め、いろいろ用事もあったので、実際にテレビを見る暇もあまりなかったのですが、だんだん当時放映されていた『梅ちゃん先生』をチラチラ見るようになりだし、次の『純と愛』はオモロないなぁと思いながらもほぼ毎日見るようになったし、次の『あまちゃん』は最初から強烈なイメージだったので興味を持って見たし、次の『ごちそうさん』はオモロないと思いながらも『あまちゃん』からの惰性で見ていたよう気がしていました。今放映されている『花子とアン』もほぼ毎朝見ていますが、習慣によって見るようになってからですが、ヒロインが嫌いなタイプと好きなタイプが順番に出てくるようになってるような気がするのです。『純と愛』の夏菜のような顔は嫌いだし、『あまちゃん』の能念玲奈は好きですし、『ごちそうさん』の杏は嫌いですし、『花子とアン』は好きなタイプです。『ごちそうさん』が何故、嫌いな奴がヒロインなのに視聴率が高かったのか、きっとあのキムラ緑子演ずる意地悪な義姉が面白かったのかも知れません。まぁ、書きたかったのは私の好みの事ではありません。『ごちそうさん』も『花子とアン』も明治末期から昭和の太平洋戦争へ突き進んでいく時代を描いていますが、戦時中の様子を比べると前者は国策としての戦争が描かれていないのに対して、後者は国家が国民に対してどのようなことをしてき、国民に戦争へ動員したのかが少しなりとも描かれています。宮崎龍介や白蓮のような反戦思想の持ち主も重い役柄で登場します。籾井会長のNHKですから反戦ドラマとしては作ってはいないのでしょうが、戦争はいけないという作者の思いは伝わります。

             

15日、A竹君たちが帰った後、三男たちがBBQをすると言っていた河内さんへ行ってみました。到着したのは2時頃でしたが、河原でBBQをしていた痕跡は三男たちだけのようで、毎年のように河原に遊びに来ている人も多くはないように思えました。水かさが増して流れも急になっていたので、御神体の清暑島へ泳いで行く者もいません。

       

流れが早くて、一緒に来ていた小学生が流されると危ないと思い、丁度干潮時だったので姫の地磯のタイドプールで磯遊びをすることにしました。タイドプールはカニや貝、魚が見れて、来ていた小学生は大喜びでしたが、磯焼けが激しく、カメノテなどは渡れない磯にしかありません。橋の下のコンクリートも割れ落ちていて、地震でもあったのかと驚きました。

             

お盆が過ぎて20日になっても、まだまだ橋杭岩には観光客が絶えません。橋杭に来たのはただただスタンプを押しに来ただけでしたが、曇っていたお盆のころより天気が良く、空気が透明だったので、写真を撮っておきました。ただ道の駅の2階に上がると、冷房も効いてなく、物凄く蒸し暑く、2階の部屋には誰も座っていません。ベランダに出ると涼しく感じたぐらいです。

             

1月に受けた手術に対して高額医療費費への補助金が増額されるかも知れないと通知があり、25日まで24年分の収入を書いて投函するよう指示されたので、23日に帰ることにしました。三男が車に乗って帰ったので、私は電車で帰らなければなりません。朝10時20分紀伊姫駅発の電車に乗ると、いつもワンマンカーの電車には女性の車掌が乗っていて、何処まで行くのかと切符を売りに来ました。いつもはこんなことがなく不審に思ったので、「何処で降りるか決めてない」と答えると、「この電車は田辺までしか行かない」などと何処まで行くのかとは関係無いようなことを言っていましたが相手にしないでいると、さっさと行ってしまいました。私はいつもと違う行為なので不審に思ったのですが、相手は私の事を不審に思ったのでしょうね。

               

姫を出た時は晴天では無いものの晴れていましたが、白浜付近まで来ると雨が降り出しました。雨の降る紀伊田辺駅で10分ほど待たされた後、御坊行の電車に乗り換えたのですが、乗った途端いつもと雰囲気が違います。何となくレトロな雰囲気、これもお盆の催しだったのでしょうか。田辺~御坊間は高速道路なら印南を経てすぐですが、電車では印南を越えてからどれだけ停まるかというぐらい駅がありました。御坊で5分の待ち合わせで和歌山行の電車に乗り換え、土曜日だったからでしょうか、何とか座れたぐらいで結構人が乗っていました。和歌山で7分待ちで天王寺行きの快速に乗りましたが、座れません。この時は天王寺まで行こうと思っていたので、列車の前方に乗ったのですが、停車駅を聞いた時、三国ヶ丘で南海電車に乗り換えて帰ろうと思ったのですが、途中日根野で関空からの電車を後ろに連結したので、三国ヶ丘で乗り換えるなら後ろの方に乗らないと南海電車まで遠いことを思い出しましたが、決めた通り三国ヶ丘で乗り換えました。紀伊姫から天王寺までの運賃が4000円、三国ヶ丘で降りると3670円でした。南海電車の方は260円ですから、天王寺まで行くより安くついたのでした。でも家に着いたら4時でしたから6時間もかかってしまったのでした。今回は往きも帰りも時間がかかった帰省でした。

立合の木材流しトンネル

2014-09-05 05:00:00 | 田舎

野菜が高い。特に葉物の野菜、最近よく行くスーパーMISUGIYAでは、白菜1/4株が198円、キュウリ2本で198円、レタス1個298円、白ネギ1束198円、ホウレンソウも1束198円、よく降った雨によって日照時間が短かったとか、暑さが足らんかったとか言われているけれど、下がる一方の年金で生活する者にとっては手痛い価格です。串本に居たお盆のころはオークワでもAコープでも、同じぐらいの値段でした。業者にとっては稼ぎ時だと思っていましたが、大阪に帰っても同じような値段が続いています。まぁ野菜などは時期がくれば元の値段に戻るのでしょうが、飼料代が高騰しているとの理由で値上げされた大手企業の乳製品などは、飼料代が元に戻っても、製品は上がったままなのでしょうね。

             

七川から国道で下ろうと思っていたら通行規制があるらしく普通車は迂回できると書いてある看板が立っていました。ただ時間的な規制があるようで2時から4時までと書いてあったような気がしたので、未だ2時前だから行けると思っていたら、真砂の手前で右折して橋を渡るよう指示されてしまいました。古座川右岸の細い道を走っていると、長追とか美女湯温泉とか、読んだことのあるような地名や施設があり、こんなところかと思いながら走っていたのですが、すれ違う車は殆どありません。美女湯温泉などと聞くと、まぁぼたん荘のような温泉を想像していましたが、なんか小汚い小さな施設でした。通った道は途中からすさみの佐本からの道と繋がっているようです。何処で国道に出れるのかと思いながら走っていたら、とうとう三尾川まで来て、三尾川橋を渡るようになっていました。昔は古座川沿いの林道のような狭い道で山を縫うようにして走っていたので随分遠いと感じていましたが、三尾川までくれば一枚岩まではすぐです。

             

この日は一枚岩の道の駅には用は無く、素通りしてトンネルを抜けたところで、ハタと考えました。未だ2時過ぎなので峯の薬師堂へ車で行こうかと思ったのですが、車は停めてカモシカ岩と呼ばれていた、立合の集落とは逆の箱根駅伝でよく見る函嶺洞門に似たトンネルのある方へ行ってみることにしたのです。『古座川風土記』にも探検絵地図にもここに木材流しのトンネルが有ると書かれていて、どんなものか見に行ったみることにしました。以前から山を見てもカモシカに似た岩があるようでもないので、何故カモシカ岩なのか、私にはよく解りませんでしたが、昔はこの山にはカモシカがいたと『古座川風土記』には書かれていました。昔読んだマタギの小説では、クマに出逢わなければ、カモシカを撃っていたようなことが書かれていましたから、ここに棲んでいたカモシカも猟師の餌食になってしまったのかも知れません。ただ最近はカモシカ岩という案内板は見かけません、私が見落しているのか、撤去されたのかも知れません。

                       

トンネルを潜るとすぐにそれらしき穴から激しく水が流れ落ちてきていました。いったい何処から材木を投入して、どの位の距離を流していたのか、自然に有ったものを見つけたのか、それとも人工的に造ったものなのか、また長い材木を流すのですから、ほぼまっすぐでなければならないし、水が流れているのですから、投入口には水源があるはずですが、そのことについては『古座川風土記』には触れられていませんでした。でも昔この近くに住んでいた少女は明神小学校に通う途中、このトンネルに入ってみたという当人が語った話が載っていました。

地図で調べると、このトンネルの真上には立会川が流れており、その何処かの地点から投入したのではないかと想像できますが、見に行くと案外簡単に見つかるかも知れません。

             

今は使われていないので、材木流しトンネルの出口にはコンクリート製の衝立が出来ています。衝立を造ったのが私が働いていた会社なのかどうかは判りませんが、奇しくもその会社の電話管埋設標なるものが貼付されていました。昭和60年とありますから、電電公社が民営化されたその年のものもようです。

この道を通る人や車を見たことがないけれど、古座川の左岸を通り、押の池や上地という集落を通り、一雨(いちぶり)の集落手前で国道に合流しています。

宇筒井川

2014-09-03 05:00:00 | 田舎

楽しい筈の8月は前半と後半に台風が来たり大雨が降ったりで、今年の夏は散々だった人も多く居られると思います。私もたいして面白かった夏ではなかったのですが、何とか無事に生きております。先週の木曜の夜から考えられないほど涼しくて、朝方は姫で寝ているのと同じくらい寒く、上布団が必要なくらいで、こんな異常なら歓迎なのですが、人の命にかかわるような異常は、自然と言えどもなるべく避けて通って欲しいものです。とは言え自然の力は人間にはどうすることも出来ないほど大きく、人間は自然と共生していくしかないのに、自然に働きかるぐらいならまだしも、自然を破壊してまでも文明を発達させてきたのです。もうそろそろ自然を支配しようとは思わないで、自然の中で自然と仲良く暮さないか、そういう思いでいるこの頃ですが、人間も一種の自然の生き物、人間を含めての自然と対峙するのは原子力でしょう。原爆を2度も落とされ惨事となった国である筈の日本国が原子力に頼る発電に活路を求めているのは本末転倒というもの、今は一基も稼働していない原発ですが、内閣総理大臣の狙い通り原発を再開するとなれば、万が一にでも事故になったとして、連鎖反応が起こったなら、日本の国はもう全ての範囲で廃土となり、生き残れた人は僅かで、国土強靭も経済発展も何もかも、一切のものを失ってしまうのです。

             

GWの頃から古座川町役場主催のジオパーク巡りのスタンプラリーが始まっていましたが、夏には第2弾のスタンプラリーが始まっていました。前回は全部巡ると古座川のステッカーが貰えましたが、今回は抽選で古座川特選の名産物やTシャツが当たるのです。でも当選者は全部で13人、あまりにも少ない気がしてなりません。一般的に串本へ観光に来る人はジオパークの中では橋杭岩に簡単に行くことが出来ますが、次に行くとしても一枚岩、古座駅前を通って一枚岩へ行くには途中で牡丹岩、途中遠回りしても虫喰岩へは寄れますが、滝の拝へ行こうとする人は少ないんじゃないか、そうなると全部回る観光客はきっと少ないとでも見積もっているような気がします。

             

そうなるとジオパークを巡るのは私のような長期滞在者か地元の人と言うことになり、地元の人がこんなラリーに参加するかなぁという思いも湧いてくるのですが、滝の拝へ行く途中で前回の景品のステッカーを何枚も貼ってある車を見かけました。

広島では大雨で大災害となっているのに、私は21日の昼にのんびりと滝の拝へ出かけました。トンネルを造っているので途中ダンプカーとすれ違う恐れがあるので、昼の休憩時間を狙って12時を回ってから出かけたので、ダンプに出逢うことはありませんでした。滝の拝では道の駅より南側を工事中、現在は新しく出来たトンネルを抜けて最後の300mほどが旧道のままなので、トンネルからまっすぐ新しい道を造っているようです。でも最後の300mは道が細いと言っても見通しが効くし、注意していればすれ違いはそんなに難しくありません。

スタンプを押して帰ろうと思うと1時を回っていたので車1台がやっとのところでダンプと出会うのがイヤだったので、宇筒井や大桑を通る山道で七川へ抜ける道を選んだのでした。山道と言っても残存している滝の拝への道の細い所よりは少々広い、軽なら行き交えることが出来るぐらいの道幅です。『古座川風土記』には古座川町内に徳本上人の念仏碑が多数有ると(手元に本が無いので正確な数は分らない)書いてありましたが、滝の拝から30分ほど走った山の中にも有りました。珍しい花押が刻まれている碑が有るとも書かれていましたが、これの事だったかどうか・・・

         

『古座川風土記』には大桑に誰かの立派な屋敷跡が有ると書かれていたので、ゆっくり走っていましたが、このような山道なので標識も無く、何処に有るのか分からず仕舞いでした。地図を調べるとこの辺りは土井という地名、もう大桑は過ぎてしまっています。人しか通れなさそうな橋や石垣が残っていますから、この辺りにも人は住んでいたのでしょう。ここでは歩いているのですが、左側の山手に新しいと思われる碑が建っていました。

             

東山神社との刻、でも何処にも鳥居や祠らしき物は見当たりません。氏子の名前が数名刻まれてありました。国土地理院の地図にはこの地点に鳥居のマークが描かれています。

             

明神から滝の拝へ行く途中で山手という標識のあるところがありましたが、そこから大桑へ抜ける道を示していました。ここはその林道の終点、山手まで8、1kmと書かれています。歩いても2時間、でも往復すると4時間はかかりますから歩きはしません。

             

山手への林道の終点から歩いて5分、ここには立合への林道が有ります。立会川地区まで8、6kmの表示が有ります。立合へ抜けれるなら帰るにはこの道が一番早いかも知れませんが、途中どんなところか分らないし、霜露の集落が眺められる尾根にも行きたかったので、この林道も通りませんでした。どちらの林道も国土地理院やGoogleの地図に載っていますから、とんでもない道では無さそうです。

結局霜露の集落が眺められるところは、木材の切り出し作業中で、作業する車や木材があちこちに置かれていて、愚車を停めるところがなかったので、写真を撮ることができませんでした。

       

立合への林道の終点から20分ほどで七川に到着、古座川は雨後の増水で濁り、流れが速くなっていたのに、ダムにはあまり水が貯まっていませんでした。頌徳碑が設けられているのは知っていましたが、何を書いてあるのか興味も無かったのですが、どうやら佐藤新次朗という人の偉業を讃えた碑のようです。翁は七川村の出で、村長から県会議員、県議会議長にも就いたと書かれていますが、昭和8年の建立になっています。駐在所に設置された高度を示す物差しには海抜110、0mと示されていました。ここなら巨大津波には安心です。