ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

駅前

2012-04-27 05:00:00 | 田舎

4月に入って毎週一回はハローワークに行かなければならない事態になり、当初考えていたように串本での生活は儘なりません。昨日も最初の失業認定日ということで必ず行かなければならず、23日に一旦串本に帰った私は2泊3日という強硬スケジュールで水曜日には大阪に戻ってきていました。日曜日は雨が降ったので練習は無かったのですが、強い雨が降っているという串本には近寄りたくなく、月曜日も午前中は風が強いと言うことで、昼ごろ田辺に着くように大阪を出たのでした。

失業手当について思うのですが、働くという意思が無ければ支給しないと公共職業安定所は言うけれど、そんなことを言うのなら失業保険などかけ続ける必要性を疑うのです。42年間全うに働き続けてきて定年退職したなら、誰しもが少しはのんびりと休んでいたいと思うのは人情であって、毎週毎週ハローワークへ呼び出されていては、纏まったことをすることが出来ないというものです。失業するのは私のように定年だけが理由ではない人もいることは解ってますが、何が失業認定日ですか、とにかく喧しいことばかり言わず、退職したら自動的に失業手当を支給してもらいたいのです。いやぁ、歴代の政府の失態で国庫にお金が無いのは解っていますが、それって選んだ国民に責任があるのか、私は一度だって前も今も政権党に投票したことはありません。

まぁ来月からは月2回の求職活動は全国何処のハローワークででも受けることが出来ると言うので、阿倍野のハローワークへは失業認定日にだけ行けば良いと言うことになりました。

しかし求職活動の実態を知らない私は、離職票が届いてすぐにハローワークを訪れたのですが、出頭したその日によって失業認定日が違ってくると言うことを知って腹立たしく思うのです。最初、木曜日に行った私は、その日から4周目の木曜日が失業認定日になると言われて、初めはそんなものかと思っただけでしたが、そんな拘束力が働くのかと思うと、最初に行く日を慎重に決めるべきでした。でもこんな決め方って単にハローワークの都合上では無いのか、失業手当を貰いたいんだったら御上の言うことを聞けという態度が暗に出ているように思えてなりません。

             

さて、タイトルの駅前のお話し、写真は月曜の夕方、古谷魚店へ行く時の紀伊姫駅です。家を6時ごろに出て、6時11分の電車に乗ろうとして駅に到着、先月は未だ暗かった駅周辺もかなり明るくなってきています。私は紀伊姫駅ノートに書かれた記事を読むのを結構楽しみにしていて、先月は姫路から来られたという方が“姫”という共通語からこの駅で降り、すぐ前に見える海に感動したというような記事を書かれていたのを読んで、このノートの存在がそのような旅人も居るんだということで認識を改められるきっかけとなり、更にノートを読むことに楽しみを覚えていたのです。

             

でも駅の中にはノートがありません。唖然とします、どういうことでしょう。頑固な年寄りが「こんなものは要らん!」と捨て去ったのでしょうか、心無い若者がふざけて捨ててしまったのでしょうか、JRの職員が私物を撤去したのでしょうか。獣害の多い地域ですが、イノシシやシカが食ってしまったというようなことは考えられません。いずれにしても残念なことです。最初に置いた謎の方が再訪されて、もう持ち帰ったのかも知れませんが、それは権利として認めますが、それならきっと次のノートを残して帰るはずだと思うのです。

ノートが設置されて半年以上経ってからのこの暴挙、謎の方が名前の素敵な駅に設置したという湯川や見老津のものはどうなったのでしょう?一度焼かれ、破られて災難に遭いながら、それからの書き込みの方が良くなっていたのに・・・こうなったら自分で置いてみようかなとも思ったりもします。

             

さて、こちらは串本駅前、信号のある道路は国道42号線です。左角の店を潰しています。うろ覚えですが喫茶店か民宿みたいな建物があり、奥は潰れたと早とちり・誤報してしまったすぎやの対面のエサ屋でした。

私が立っているところは、以前ガソリンスタンドだった一角で駅前の一等地なのに何の事業をする人も無く、駐車場になってしまっています。そういえば、すぎやの手前の店(道の右側)も潰れて駐車場になっていますね。写真には写っていませんが、その横の釣り道具屋は流行ってるのか流行ってないのか判りませんが、潰れずに頑張ってます。店の主は姫の人だと思います。

                       

そんな状況なのに、今何故店を潰すのか、何か新しい事業でも始める人がいるのでしょうかね。

             

奥のエバグリーンの方からも撮っておきました。エバグリーンって和歌山資本なのか、阪和道を走っていると和歌山市内にも見えています。大阪より安い品もあったりするので、オークワの値段の高さに比べると、こんなんでやっていけるの?と心配せんでもエエのに、心配になってきます。

これまでのペースで行くと4月の記事は今日でおしまい。今や土日祝の休みなど関係ない生活をしているのですから、今までのペースを守らず毎日投稿せなアカンのではないかと思うのですが、そうそうネタもあるものではありません。期待に沿えない面もあろうかと思いますが、これまで通りのペースで続けれたら御の字と思ってください。

             gooリサーチモニターに登録!

最近の貰いもの

2012-04-26 05:00:00 | 大阪にて

私の仕事は指定された地域に赴いて、インターネットについてのアンケートを集めてくるというものでした。最近はよくそのアンケートを持って出るのを忘れ、慌てるという夢を何度も見ます。働いている頃の夢を見るのは、やはり働かなくなったからなのか、28年間居た最初の職場の夢も見たことがありました。

退職前後に餞別のつもりなのか、いろんな方からいろいろと頂いたものがあります。自分では思ってないのですが、どうやら私は周りの人から酒飲みだと思われているらしく、くれるもの全てが酒関係のものばかり、これはこの記事の中では最後に頂いたものですが、桐の箱に入った錫製の猪口です。

             

年度末にK山君、W辺君、N山君、I原さんと私で飲みに行った際、N山君を首謀者として私を除く4人が相談、その時決断を迫られて選んだのがこの錫製の猪口だったので、その日に手書きの目録だけ貰っていたのでした。退職の31日に届くとのことでしたが、朝だけ会社へ行ったその日は間に合わなかったので、4月6日に予定されていた花見も雨天でオジャン、18日に京橋へ飲みに行った際にI原さんが持って来てくれました。

名前まで入れてくれていますし、貰っておきながら文句を言うのもアカンのでしょうが、まぁリクエストを言えるとすれば猪口が一つだけというのが残念です。チロリという酒を燗する器も付けて欲しかったな。あまり錫のチロリを置いている店は見かけませんが、Q’zモールの外にあった明治屋は使っていました。

             

この2本の純米吟醸酒は、これまたK山君に頂いたもの、何故か隣に座っていて、私のことがよく分かっていそうなのに、矢鱈と酒をプレゼントしてくれます。左の秋田の酒は18日の飲み会に行く際、彼も関目高殿の谷口酒店へ行く途中に京橋で待ち合わせ場所に来てくれて、このお酒をくれたのです。K山君は尼崎のセンターに4年前赴任したまたま私の横二つ目の席に決まったのですが、この日K山君が行くと言う谷口酒店は私も50歳になる前には何度も訪れており、ひょっとすると同じ時間に少し離れたところで飲んでいたのかも知れません。でも関目高殿から私の家までは遠いので一緒に飲みに行ったことはありません。

早速翌日、錫製の猪口でこの吟醸酒を飲んだのでした。

             

一見何のパッケージかと思うでしょ。豚の絵ですから何か食べ物らしいと思いませんか、それも肉関係の・・・ハムとかウインナーとかベーコンとか。でも待ったらやけに重たいのです。実はこれもお酒。

             

濁り酒から白豚をイメージしているようですが、もう一つ面白味がありませんね。これをくれたW辺君は私の最初の職場の後輩、こんなところで巡り合うなんて奇縁ですが、昔は課が違ったので、双方ともよくは知りません。貰っておいて失礼なことを言うかも知れませんが、今まで知り合った人間の中でこの男ほど変わった人物はいませんね。

             

この木製の箱に入っているものもK山君からの贈り物、貰うということはとても嬉しいことなのですが、何度も同じ人から貰い続けていると賄賂を受け取っているような感じでいやですね。いや別に私は彼から物を貰ったとしても何にもしてあげるような権威は持ち合わせていませんが。

             

中はステンレス製のビアグラスですね。箱には“KENMA”と印字されているので、磨き上げの精度を誇りにしているのでしょう。まぁこれは彼が串本に来た時に一緒にビールを飲むまで取っておきましょう。

             

そして極めつけはこのお鍋。届いた時は中身は知っていましたが、それ故に「これは何じゃ?」と思うほど重たかったのです。本体の割には蓋が随分軽いのが気にかかります。

それで一体この鍋で何を炊くのでしょうか?普通の鍋をするにしては底が深過ぎるようです。

                     gooリサーチモニターに登録!

大阪市立美術館

2012-04-25 05:00:00 | 展覧会

18日は春にしては靄ったところがない快晴で何処かへ行くにはもってこいの日でしたが、あいにく朝からは天王寺でハローワーク、夕方からは京橋で飲み会と重なり、そのしがらみから自転車で行ってないし(自転車で行っていたら紀州街道がイコール熊野街道なのか実証してみようと思っているのに)、何処で時間を潰そうかと悩んだ挙句、今『契丹』展を開催している市立美術館に行ってみようと決めたのでした。

             

契丹とは唐帝国が滅亡した10世紀初め、中国北部の草原地帯を支配した国です。遼とも呼ばれ、中国の南部は宋が支配していた時代です。今回の展覧会は、12世紀当初に女真族に滅ばされるまでの約200年の間、契丹が唐から影響を受けたと思われる美術品を展示していました。

平日だったせいもあったのか、契丹に興味の無い人が多いのか、訪れている人は多くありません。その上各コーナー毎に監視員を配置していて、撮影禁止の館内ではとうとう写真を撮ることが出来ませんでした。

             

余談ですが、遼を滅ばした女真族が建国した金はモンゴルから国を建てた元に滅ばされ、女真族は壊滅的な打撃を受けますが、あちらこちらと服従させられながら満州を根城にして、清国を建国したのでした。浅田次郎氏の『蒼穹の昴』~『中原の虹』はその女真族の誇りをテーマとした小説だったと思います。そういえば浅田次郎氏が会長の日本ペンクラブは、大飯原発の再稼働に対して強く反対する声明を発表しましたね。

             

以前は美術館だけの風景だったものが、余計な物(ハルカス)が顔を出し始めました。こんなところに影響が出るなんて考えもしませんでしたが、設計者は承知の上だったのでしょうか。これより100mぐらいは高いのですから、美術館を今まで見てきた者にとっては完成したら異様な感じがするでしょうね。

             

展示されている室内は暗く、展示品にだけ上部からスポットを浴びせているだけなので、実態がどんなものなのかよく分かりませんし、品数も豊富とは言えません。

主な展示物は契丹国の祖・耶律阿保機の近親のプリンセスが祀られたと言われているトルキ山古墳から出土した文明度の高い品々で、細かい細工が施された鏡箱や彩色木棺などには目を見張らされるものがありました。

いつのどの展覧会を観ても思うのですが、館内を一周すると必ず足が疲れます。そんなに歩いたとは思ってないのに、この疲れは何なんでしょうか。展示品をじっと見るからなのでしょうか?

                     gooリサーチモニターに登録!

スタンド FUJI

2012-04-24 05:00:00 | 大阪にて

先週水曜日、3回目のハローワーク行き、この日は職探しの講習と言うことで、パソコンの見方やその際の職員との対応の仕方を教えてもらいました。相変わらず遅れて入室するのは若い女性たちばかり、数えてたら4人もいたのですよ。何故遅れてしまうのか、私なんか始業の2時間ぐらい前から会社に入ってました、当たり前とは言いませんが、事故等で電車が遅れても会社には遅れない一つの方法です。だいたい遅れても平気な人って、もし就職が成就して通勤するようになったらどうするのでしょう。いつも遅れてばかりいては、その会社にとっては不要な人物になってしまいませんか。

いつから私はこんなに早く出社するようになったのか、それはきっと名古屋に単身赴任した時からだったような気がします。通勤に使っていた地下鉄・東山線は電車の箱自体が小さく、とても狭いのです。阪堺電車は路面電車ですが、そんな路面電車の方がずっと広くて、利用する人も少ないのか、あまり混雑しません。名古屋の地下鉄でも他の路線の電車は幅が広くて、まぁそれで普通なのですが、東山線だけが狭かった。そんな電車に乗って満員の中で痴漢などにでっち上げられでもしたら、はるばる名古屋まで配転させられて、知らない土地でそんな目に遭うなどしたら、アホらしいではありませんか。そんな習慣が身に付くと、痴漢云々とは別に座って本を読めるという、私にとっては思わぬ実利が付いてきたのでした。

             

その日初めて、ハローワークのパソコンを触りました。全国のハローワークのパソコンは一つのサーバーに繋がっているようで、何処からでも何処の地方の求職情報を見ることが出来ます。自分の求めている職種や諸条件を入力して探すのですが、なかなか思ったような仕事は無いものです。串本にも一つだけ求人がありましたが、何だったか忘れてしまいました。月1回の失業認定を受けるには、ハローワークのパソコンも一つの方法として、最低2回の就職活動をしなければなりません。ハローワークのパソコンで検索して、自分に合った仕事が見つからなかったときは、帰りに日付の入ったアンケート用紙を貰うことになり、その用紙を失業認定を受ける日に証拠として提出すれば良いわけです。

             

話はとんでもないというか、タイトルとかけ離れた話になってしまいました。この18日の水曜日は夕方に以前働いていた職場の人と飲みに行く約束があったので、それが京橋でということもあり、一旦家へ帰ると交通費も嵩むし、めんどくさいので、終日天王寺で過ごし、夕方になって環状線で京橋に行けば良いと考えていたのでした。

そんなこともあって、天王寺と言うか阿倍野と言うか、その辺りで食事をしようと考え、あっちこっちと歩いているうちに、いつまで経っても決断が付きません。優柔不断な奴とはこういう人間のことを指すのでしょう。1時間ぐらい歩き回って(他の目的もあったのですが)、アポロビルのB2階で、「そういえばこの場所で何か食べたことある、その時も安かった」と思い出したのが、このスタンドFUJIという店のあったところ、その当時の店の名前は思い出せませんが、この店もなんだか安くてお得な感じ、定食880円とあって安くはありませんが入ってみることにしたのです。

             

カウンター席の空いたところに座ったのですが、左右とも女性が食事をしており、前菜みたいなのを食べていたのでした。私にも同じものが出てきたのが2枚目の写真のもの。

             

次にスープが出てきたのは左右の人と同じタイミング、この人たちも同じような時間に入ったのだと思ったのでした。

暫らくして注文した品が・・・カキフライみたいですが、牛肉です。昼食でカウンターで食べるのにコースで出てくるのですね。ご飯自体は少し固めで、美味しくはありませんでしたが、そういう雰囲気だけで満足です。880円と言う価格自体は安くはありませんが、前菜からデザートまで出てくると言うところがお得気分にさせてくれます。

最後にデザートのアイスクリームが付きました。コーヒー味のムースがかかっており、ちょっと美味しい。よくよく考えてみると、私のような酒好き人間の行くような店では無いのかも知れません。見た限りでは女性客の方が多かったように思いますが、夕刻ともなるとどうなんでしょう。カウンターで飲むとなるとやはり男性が多いような気もしますが、夜にわざわざ行ってみようと言う気も起こりません。

                     gooリサーチモニターに登録!

ハルカス

2012-04-23 05:00:00 | 大阪にて

天王寺という言い方は適切ではないかもしれませんが、地下鉄やJRの駅で言えば天王寺、近鉄電車なら阿部野橋駅にあたるターミナル地域に阿倍野のハローワークがあります。きっと国道26号線を花園北の交差点で東へと折れて、新今宮駅の前を通る道(名前が不明)が丁度北側に天王寺駅、南側に阿部野橋駅に挟まれて東進し、その道が天王寺区と阿倍野区の境になっているのだと思います。でも近鉄の西側を走る阪堺電車の上町線の駅は阿倍野区側にあるのに天王寺駅前という名前、私は阿倍野区にあった阿倍野高校へ通っていましたが、天王寺高校も阿倍野区にあるのです。その辺りがややこしい、阿倍野区にある阿倍野高校へ通っていた割にはこの辺りのことはあまり知りません。

             

梅田や難波という繁華街に比べて、天王寺はJRや近鉄が大きな駅を持っていたのに開発は遅れていたように感じます。阿倍野再開発が言われてもう10年以上も経っていると思うけど、その前からアポロビルが出来、隣にハローワークのあるルシアスが出来、阿倍野筋の商店街を潰して、Q’zモールが出来、遅ればせながら日本一の高層ビルを建築中なのです。いや再開発して大きなビルが建てばいいと思っているわけではありませんので、念のため。20F100mの表示、更に上には40F200mの文字も見えていました。因みに津波が襲うと仮定される20mって4階の高さに相当します。

去年の3月くらいから着工しているはずなので、かなりの急ピッチで建設が進んでいるようです。尼崎界隈の工事の感覚とは大違いです。

                       

改装なった近鉄百貨店の上に建てているのですが、そんなに高いものを建ててホンマに大丈夫なん?何故そんなものが必要なん?と思っています。まぁ私にとっては全くの無関係、完成の2014年には私が大阪にいることはないでしょう。最初の写真は南の方から、この写真は西側から撮っていますが、中央で折り曲げたような構造になっています。

             

これがQ’zモールの外観、私の立っている道沿いに商店街はあったのですが、前にスペースを設けて、少し奥に造られています。中は何処のショッピングモールも一緒、入っている店に見新しいものはありません。

             

モールの中をウロウロしていたら一旦北側の外へ出てしまいました。そこには飲食店が並んでいましたが、懐かしい店を発見。

             

明治屋です。昔から阿倍野筋の商店街で店を出していましたし、近隣の店が皆畳んでしまう中で、最後まで(再開発に抵抗していたのかどうかは知りませんが)店を続けていました。美味しくて、あまり他所では置いてない酒(いつも行ってたから私は珍しい酒とは思ってませんが)を出す店で、肴も量が少ないので丁度いい店でした。看板は昔のまま、中の雰囲気もきっと変わらないのでしょう。

             

そのままアポロビルとの境の道へと出ました。これは出たところからハルカスビルの方を撮った写真です。昔のこの道はアーケードがあったためか、薄暗くて健全そうでない雰囲気で、旭通りだったか旭町だったか、とにかく旭の名のつく商店街がありました。ホルモン道場の前身『牛若』があったのもこの通りの一角でした。

                       

ルシアスの南側にあった道標、“阿さひ通”の字が読めます。横には大正7年3月の文字。

             

我が家のベランダから望んだハルカス、この上に未だ100m分追加されます。上町台地の上に建っているのでなおさら高いのです。毎月3回はハローワークに通わないといけないので、この辺りを散策することも多くなることでしょう。

                     gooリサーチモニターに登録!
                  

就職活動

2012-04-20 05:00:00 | 大阪にて

4月の3日になってNTTビジネスアソシエ西日本という会社から離職票なるものが送られてきました。退職したら公共職業安定所に持っていくものとして、職場でいろいろ書かされたものです。3月30日に荷物を持ち帰ってから、その離職票をどうしたのか、持って行かなアカンはずやのに無いなぁと思っていたのでした。サインした時に貰ったのか貰ってなかったのかも忘れてしまっていました。

この離職票なるもの、記入するときに総務係の人と一悶着あったのです。ずっと必要事項を記入し終えて、最後に自署のサインを入れるのですが、あまり詳しくは覚えていないのですが、サインの前この度の退職にあたって、納得しているかどうかという質問項目があり、50歳定年制のことか、政府の65歳まで働けるようにしなさいという法律との関連のことかと思い、納得してないという欄に○をつけたのです。そしたら係りの人は“納得している”に○をせなアカンねんと言うのです。「そんなアホなことがあるかい!どちらかに選択するようになってあるやん」と言い返すと、それなら違う用紙があるからそれを持ってきますと言うのです。

また同じことを書かされた上、最後のところでは“定年退職に納得”するか、しないかの選択に変わっていました。まぁ定年退職と言う言葉をこのブログでも何度も使ってきましたから、少し納得がいかんところがあったけど、まぁ納得するに○を入れて落着、でも何故か腑に落ちないものを感じます。

                       

どのようなことでもそうなのですが、特にこのようなことは早く済ますに限ります、翌日さっそく阿倍野ルシアスの8階にあるハローワークへ8時半には到着するように自転車で行って来ました。役所と言うものはだいたい8時半に始まるものですが、行ってみるともう早くも来ている人がいっぱいいて、受付も済ましているようでした。自分ではいったい何をしに来たのかも解ってなく、ただ離職票を持っていくものだという認識だったのですが、まずはこれを書いて持って来てくださいと紙を渡されました。それには自分の職歴と同時に、これから働こうとする職種、賃金、休日などの希望を書くようになったものでした。そんなこと未だ考えてませんやん。段取りの説明も無く、書けたら番号札を持たされて何番かの窓口へ行ってくださいと指示されるだけ、行程などは言わなくても言われた通り順番に済ましていけばいいのだと言わんばかりです。まぁ行程など説明されても覚えておくほど頭も良くないので、それでいいのかも知れません。

             

散々いろんなことを聞かれた挙句、次は11日の2時に説明会があり、18日は講習があるから9時半に、認定日が26日になるので10時半に来てくださいと言われただけ、次回は証明用の写真を持って来てくださいとも言われました。『雇用保険ご利用のしおり』なる冊子を受け取ってそれだけでこの日は終了、あっけないものでした。

11日は雨、自転車ではとても行けないので、100円の赤バスに乗り、説明会とやらに行って来ました。受け付けは1時半からなので、その時間に行くともう既にたくさんの人たちが座って待っています。早くから来る方の行動も分からなくはありませんが、役所の方は時間を守ってほしい。たいていの店では開店時間にならないと入れてくれませんよ。パチンコ屋だって10時になるまでは、皆さん外で待っています。

驚いたのは来ていた人の多いこと、100人ではききません、それも私より年上と思われる人は10人程度で、他は皆若い人ばかりです。この中には65歳以上の人はいないとのこと、若年層の就職が困難なことがこんなところにも表れています。

1時55分までに集合してくださいということだったのに、数人が遅れてきていました。それが皆若い女性なのです。交通機関の影響で遅れたのかも知れませんが、一向に慌てた様子もありません。こんな風に見ていると若い女性っていい加減な人が結構多いんですね。

私と言えば持ってくるように言われていた写真を持ってくるのを忘れました。私もいい加減な人間のうちの一人です。

                  gooリサーチモニターに登録!

賞品

2012-04-19 05:00:00 | 読書

会社へ行くことが無くなって、悪友に飲みに誘われることが無くなり、最近は深酒する機会も無く、もちろんお金も有りません。無い無い尽くしなのでお酒も家で嗜む程度、深酒した折は朝までグッスリ眠れたのですが、今も眠りに就くのは以前と変わらず9時か10時頃、夜中の2時や3時に目が覚めて仕方がありません。就労中なら仕事に差し支えるからと無理にでも眠っていましたが、今はそういう気遣いも無用の身、目を醒ましたら横になったままベッドで本を読む夜というか朝というかが続いています。

先々月串本に帰った折に新潮文庫の『Yonda? Club』の応募券が貯まったのでブックカバーを貰おうと応募した記事を書きました。2月の下旬のことでしたから、まだまだ寒さが身に滲みる頃でした。応募要領には発送まで4ヶ月かかると書いてあったのですが、到着したのが3月下旬のことでしたから、忘れる前にやってきたという感じです。新潮社の予想より応募する人の数が少ないのかも知れませんし、以前新潮社から貰ったものもそんなことが書かれていたのに早々と到着した経緯があるので、大袈裟に言っているのかも知れません。

             

同じ2月にブックカバーを4つも買ったのに何故またブックカバーなのか、それは新潮社が用意している商品の中に他に欲しいものが無かっただけのことなのです。

             

革製かと思っていたのですが、布製です。未だ使ってはいませんが、見た限りではどうも使い勝手が悪そうな気がします。ファスナーが付いているので本の他に何か入れれるようになっているのかと思っていたのに、そうでも無さそう、ひょっとすると無用の長物になってしまうのかも。ブックカバーで自分のブログを検索してみると、5年前にも新潮社から貰った形跡があるのですが、使った覚えも無く、何処にあるのかさえ不明になってしまっています。

             

先月田舎で詠もうと帰る間際に買った本が2冊、双方ともたまたま講談社のものだったのですが、中に解説目録を進呈するという応募はがきがあったので、それも応募しておいたら早々と届きました。文芸文庫を買ったのは井上靖の『補陀洛渡海記』が最初でしたが、他の文庫本より値段が相当高いので意見として書いておきました。

学術文庫の目録を読んでいると、読んでみたいと思う本が続々とありますが、無闇にあれこれ読んでも身には付きますまい。書店へと足を運ぶ機会も減ったこの身ですから、新聞の書評やこのような目録が本を選ぶ際の参考になることでしょう。

                       

韓流という言葉が好むと好まざると使われ初めて久しいのですが、TVで放送される韓流ドラマを観たことがありません。しかし、パチンコを全廃したという韓国、宇宙開発と銘打って弾道ミサイルを発射した北朝鮮、元は高麗、李氏朝鮮という名の一つの国でした。その国の支配思想が脈々と受け継がれた儒教であったことと、二つに分かれた国がそれをどう受け継いでいるのか、あるいは否定しているのか。そういうことを知りたかったのです。

彼の国を支えてきた儒教と言う思想がどんなものであったのか、興味があって読んでみたのですが、儒教と言う思想がどのようなものであるのかを書いた書物ではありません。要は儒教内部それも儒教の一派に過ぎない朱子学の各派閥の争いの中で勝ち得た者が政局を支配した歴史が語られています。そして朱子学こそが儒教であるという一尊主義が朝鮮の科学や経済の発展を阻害してきたことを強調しています。

             

但し、朝鮮を支配した儒教にのみ焦点を当てているわけでもなく、それぞれの時代の中国(漢から三国時代を経て隋・唐・元・明・清など)や倭国や日本国の歴史と対峙しているので、東アジアの歴史の流れが掴める一冊となっています。でもイマイチ韓国へ行ってみたいとも思わない私は朝鮮の地理が頭に無く、600ページ弱にも及ぶ論文は理解がし難いものでした。

時折頭を過るのは北朝鮮のこと、彼の国が社会主義的政策が執られている国、国名の如く民主主義国家だとは思ってない私ですし、理に適わない行動を取り続ける国でもあり、何とかならんのかと思いますが、現の大阪市長のようなあからさまな敵意を剥き出しにするのは如何なものかと思っているのです。

                  gooリサーチモニターに登録!

大失態やぁ~!

2012-04-18 05:00:00 | 

毎年、彦根で開催している名古屋の中村ビルに配属された仲間で作る『中村会』の送別会、今回は私一人が主賓という私にとっては真に贅沢な催しとなり、楽しみにしていたのでした。特に今までは一昨年の五百羅漢寺大師寺、昨年の大洞弁財天、同じく井伊神社龍潭寺などの近隣の見物も済ませ、今回は仕事もしていないので早目に行って彦根から電車を乗り替えて、多賀大社や高宮宿などを見てこようと意気込んでいたのでした。

開催は4月14日の土曜日、いつも通り4時ごろからと手帳に記していました。ところがこの日は第2土曜なので昼からソフトボールの練習があるのは分かっており、何故この日に決めたんやろ?ととても訝しがっていて、21日やったかななどと手帳を確認するのですが、間違いなく14日の欄に『中村会』と記されています。3月中に行っていた職場でもメールが来てなかったっけと(去年まではメールで届いていた)探しますが、来ていません。「まぁ、(練習は)誰かに代役を頼んどこ」などと思いながら、前日も朝暗いうちから起き出して本を読んでいたので、昼過ぎから眠たくなって横になっていたら、4時前になって突然ケータイに電話がかかりました。金曜日だったのでまた前の職場の悪友が飲みに行こというお誘いなのかと思って、出てみるとそうではありません。

50歳になるまで4年間働いた職場で短期間一緒だったT口氏、私が2年半名古屋にいた後に2004年の4月から中村ビルに赴任した人です。この人とは既知ですが、私が中村ビルを後にした後で名古屋に赴任された人、直接私が知らない人もたくさんいるのです。それでもわざわざお祝いにやってきてくれるのですから、縁と言うのは有難いものですね。ただ単にみんなと飲みたいだけなのかも知れませんが、私も『中村会』の最後の退職者が送別会を済まされるまで、出来る限り出席したいと思っています。ただ単に皆さんと飲みたいだけと言うのは私のことなのです。

電話口で「オイ、もうそろそろ来いや!、何処に居てんねん?」と言うのです。最初は何のことか解らず「家やで、何なん?」と聞き返す始末、向こうは「お前の送別会やろ」と言われ、「明日やろ?」と応えました。その頃になってようやく土曜日の練習とかち合ってなかったのは正解だったのかと解りだし、電話の向こうでのブーイングも聞きながら、「今からでもエエから来い」と言われて、遅まきながら出発することになったのです。

                       

2月ごろに幹事からいつが良いのかと打診されたことがあったのですが、その頃は大阪にいてる間やったらいつでも良いという返事をしておったのですが、実は去年からこの日にすると決まっていたらしい。去年幹事だった私は会の進行や決済のことには注意していましたが、来年のことまでは(自分のことなのに、きっと酔いも回って)覚えていませんでした。

「新幹線で米原まで行って、(東海道線で)一駅戻って来い」と言われましたが、去年のように安い切符を買ってあったので、それをパァにするわけにもいかず、東海道線の新快速に乗りました。大阪駅で来た新快速が野洲行で、そこから各停に乗り換えなければなりません。今までは近江塩津行に乗っていたので(乗り換えがありません)こんなに時間がかかるとは思っていなかったのですが、2時間近く電車に乗っていました。結局、彦根勤労福祉会館に到着したのが6時半前、もう既に皆さん酔いも回っていたのか、私の到着にブーイングも起こらず、「よぉ来たな」と労ってくれます。私はもう開催日を勘違いしていたことを平謝り、お蔭で行こうと思ってた多賀大社や高宮宿にも行けなんだと独りごちていました。結局1時間延長してもらうことになり、少しは飲食でき、励ましのお言葉も頂戴し、久し振りに会って、昔の私のことを言われてみると懐かしさが甦ってきます。

                       

例年、退職者が賜るお酒、ワインを所望される方もおられるそうですが、私は焼酎でも良かったのですが日本酒を希望、まさか一升瓶になるとは思わなかったので、持ち帰りはたいそうです。もちろん、持って来てくれた人も迷惑だったことでしょう。

選んできて頂いた方に文句をいう訳ではありませんが、この案内文を読んでいて文脈がおかしいのが気になります。出だしは良いとして4行目の“このお酒は、歴史ある京都にちなんで名付けた『古都千年』の純米吟醸です。”~の純米吟醸ですは、上のフレーズ(~の)に対応していません。書くなら“~歴史ある京都にちなんで『古都千年』と名付けた純米吟醸です”でなければおかしいと思うのです。6行目にも“酒造りにはなくてはならぬ銘水『白菊水』が有名で・・・”と書いてしまうと、お酒を造るには米や麹と同様に『白菊水』が必須になってしまいます。因みにワインを造る際には水は用いないということを最近学びました。

なにはともあれ、来年は『中村会』に退職者がいないということもあってか、寄ってみたいところがいっぱいある名古屋での開催が決定、日付こそ決まっていませんが、絶対に遅れないように参加しなければなりません。

結局、彦根に行ったら1週間分のネタが出来ると目論んでいたのに外れてしまい、重ねて大失態を演じてしまったのでした。

                  gooリサーチモニターに登録!

土佐稲荷神社 Ⅱ

2012-04-17 05:00:00 | 大阪にて

会社を辞めてからというもの、このブログのネタを探すには目的を持って赴くことを昨日書きました。この土佐稲荷神社に来たのは、妙国寺~宝珠院の続き、いや話としては妙国寺で切腹する前のことなのですが、堺事件の確認をしてみたかったのが目的です。土佐藩士がフランス軍水兵を襲ったのが慶応4年2月15日、刑の執行が2月23日、この一週間の間、事件を起こした藩士たちはこの土佐稲荷神社の周辺にあった土佐藩邸で謹慎していました。土佐藩邸がこの辺りにあったなんて私の認識不足だったのか、私は土佐藩邸は中ノ島の南に土佐堀川が流れており、その南側に土佐堀通りという街路があるし、あみだ池筋に架かる橋を土佐堀橋と言うし、きっと今で言う西区の北西部にあったとばかり思っていました。

             

この鳥居は私がこの神社に入った東側にあったもの、神額にも土佐稲荷神社と書かれてますから正式な入口なのでしょう。

土佐藩邸に謹慎していた藩士29名は、この神社内で切腹する20名を決めるための籤引きをしたことになっています。籤はあみだくじだったのか、先端に当たり外れの色を塗った竹ひごを引いたのか、それともじゃんけんをしたのか、末子枝葉のことに興味を抱く私ですが、それとても大事なことだったと思うのです。果たして切腹に決まった藩士が引いた籤は『当たり』だったのか『はずれ』だったのか、切腹に対してどのような意識を持っていたのかを知る上で非常に興味があるところですが、単に『切腹』と記されていたのかも知れません。

             

社務所の巫女風の女の人に尋ねようと思ったのは、その籤を引いた場所は何処だったのか、その碑でも残っているのかということだったのですが、期待に沿ってくれそうもなくてガッカリするのが嫌だったので聞かなかったのです。かなり丹念に境内を見て回りましたが、その手掛かりとなるものは見つけられませんでした。

             

妙国寺の境内にあったソテツの庭に似たものがこの神社の境内にもありましたが、不思議な縁というよりも敢えてこうしたという人為的なものを感じます。

記念碑的なものさえ無いということは、切腹のための籤を引いたという事実があること自体、この神社にとっては疎ましいものなのでしょうか。それとも野蛮な暴挙を起こした藩士など許せないのでしょうか。妙国寺周辺の道標にあった感覚とは違ったものを感じます。

             

20人の内9人を残して中止になった切腹ですが、中止になった理由は如何であるにせよ、残された9人の藩士は森鴎外によると非常に不服であったらしい。でも、ひょっとしたら内心良かったと胸を撫で下した人もいたように思えてなりません。武士である前に人間である以上、生への渇望は否定できるものではありません。

             

生き残った9名は土佐へと帰り、後日、朝命により配流となったようですが、本当にフランス水兵を殺めたのかどうかの詮議をするのでもなく、籤で以って問責・不問を決めたわけですから、朝命といえども天皇が関与したかどうかは知る由もありませんが、明治天皇はこの事件に関してどのような認識を持っていたのかを知りたくなります。
          
                       

読み難いですが、この碑には『岩崎家舊邸址』と書かれてあります。“舊”は似ても似付きませんが、旧の旧字です。

この神社に来て新しい発見は、土佐藩邸跡は岩崎弥太郎へ譲渡され、代々岩崎家の土地となったということ、労働者であった私は資本家の岩崎弥太郎などの経歴など知りたくもないのですが、NHKの大河ドラマ『竜馬伝』の冒頭で登場した弥太郎は郷士の株を売ってしまった地下浪人だったのです。それが維新後大金持ちになれたのは、政商として暗躍し今で言うインサイダー取引などが出来たことに他なりません。

なるほど土佐稲荷神社の玉垣には三菱系列各社の名前がずらりと並んでいました。

             

こちらは西側の鳥居、右下の木でできている床は、土曜日のコンサートの際の演舞台だったと思われます。

             

神社の周りは土佐公園と呼ばれる公園です。一角に神社とは縁も所縁も無さそうな銅像が建っていました。

それにしても29名中20名が当選するなんて、確率のいい籤です。そんな宝くじなら買っても良さそうです。切腹は御免蒙りますがね。

                  gooリサーチモニターに登録!

土佐稲荷神社

2012-04-16 05:00:00 | 大阪にて

定年になって2週間が経過しました。未だに次の仕事は見つかっていません。毎日ダラダラと過ごしていると、だんだん今日が何曜日なのかが分からなくなってきて、仕事があった頃はいつも水曜日になると後二日、木曜日になると後一日で休みやなどと、とにかく出社さえすればその日は何とかなる、そんなことを糧に頑張ってきたのを思いだし、哄笑してしまいます。その割には今日は何日ということは分かっていて、ハローワークに行く日を忘れてはならない意識だけはしっかり持っているようです。

先週の月曜日、例年より遅いサクラの季節がやってくるのを待ち侘びたように、大阪でもあちらこちらで満開になりだしました。土曜日の午後はソフトボールの練習で小学校の校庭のサクラを観ながら、未だ7~8分咲きやなぁと思っていましたが、日曜日の陽気で何処のサクラも満開になり、きっと花見を楽しむ人出で賑わったことでしょう。私は日曜日も中学校でソフトボールの練習があり、花見には行っていません。

             

だいたいソフトボールの連中と花見をすると、決まったように血を見るので最近は花見をしなくなりました。血を見ると言っても喧嘩をするわけではありません。誰かが何処かでこけたり、滑ったりして顔から血を流してしまうのです。

いやいや、先週の月曜日の話をしようと思っていたのでした。久し振りに昼食を外で済まそうと自転車で難波へ出たついでに、前から行こうと思っていた土佐稲荷神社へと足を延ばしたのでした。働いていたころのように会社から指示されて知らない土地へ行ったついでに何かを感じるところを見つけて写真を撮るなどということが無くなった今は、目的を決めて地図を見てから、出かけて行かなければならなくなりました。

難波から北へ心斎橋まで走り、そこから西へ西大橋まで走ります。中央図書館を目印にその近くだと覚えていて、一つ北の筋を西へと向かうと遠くからでも神社があるのが分かりました。

             

思っていたよりも大きな神社で驚いています。土曜・日曜と花見で賑わっていたのでしょう。ずらっとテキヤさんが屋台を並べています。土曜日の夕方にはコンサートもあったようでした。

             

神社の南側と西側は公園になっているようですが、何処が境界か分かりません。ここは一番南の鳥居の前です。普通鳥居が境界の役目を果たしてるものなのですが、ここでは鳥居の前に狛犬が鎮座しているのです。石畳の参道も続いているので、私の立っているこの辺りは未だ境内なのでしょうが、テキヤが店を出しています。

             

サクラが満開なので拝殿の姿は見えませんが、冬ならここからでも拝殿が拝めたはずです。標柱には“今古想遺音”“春秋厳大祀”と彫られています。月曜なのに人があとを絶ちません。

             

こちらは拝殿左にある社務所、社務所にしては大きい建物です。ここで堺事件について聞きたいことがあったのですが、巫女さんみたいな女の人がアルバイトみたいだったので、きっと知らないだろうと思って聞くことは止めておきました。

             

拝殿右上に飾られていた大きな絵馬、マンガチックで凄くオリジナルな龍ですね。前足でしっかりと珠を握っています。ドラゴンボールという奴でしょうか。

絵馬に願い事を託したり、神様に開運をお願いしてそれが叶うのなら、世の中に不幸な人など存在しないでしょうに、神様に願い事をする人って、自分だけが良かったらいいとでも思ってるのでしょうか?弱肉強食の新自由主義、一握りの富裕な層からワーキングプアと呼ばれる貧困層まで、これ皆政治が主導してきたのです。富裕層から税金を取ろうとしないで、貧困層からも税金が徴収できない、だから消費税率を上げるのだと言われても、私は納得しないので、悪しからずです。

                  gooリサーチモニターに登録!