ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

病院食

2006-12-31 05:00:11 | 大阪にて
不肖ぼんくらが綴る2006年最後のBlogになりました。
今年付き合っていただいた方々に感謝申し上げますと共に、来年もなお変わらぬお付き合いをいただけますよう、切にお願い申し上げます。

さて、選択日以外の朝食は、2枚の食パンと牛乳とフルーツのみ。

食パンは2枚も要らんから、トーストにして欲しいと思い、トースターを買おうかなと思ったりもしましたが、勝手なことをしたらどんな仕打ちに遭うのか判らないので、思いとどまりました。

牛乳こそが不健康の原因とかいう本がよく売れているそうですが(私は未だ読んでいません)、元々牛乳を飲めない(おそらく学校の給食が原因)私に、ジュースかヨーグルトに替えましょうかと言ってくれたのは12月に入ったその日で、「はい、そうしてください」と頼んだのに暫くは変わらず、ジュースになったり、牛乳になったりしつつ、やっとジュースになったのは12月6日のことでした。

食パンではない日はロールパンでした。

           

食パンもロールパンも人肌に温めてありました。
メーカーは難波の近くの『小林木村家』でした。

これじゃ、選択日はご飯かお粥が選べるので、そちらにしますよね。
最初の頃はご飯を選んでいたのですが、9時からリハビリになってからは、お粥を選んでいました。

          

           写真はリハビリルームです。


朝食は8時から、いつも5時半から6時の間に食べていた私にとっては、遅いのです。昼食までの時間が短すぎる。

それでもリハビリから帰って暫くすると、必ずお腹が減ってきます。
と言うより、朝昼晩とも食事をして2~3時間も経つと、必ずお腹が減ってくるのです。

看護婦さんに訴えると、おやつを食べてもいいと言われましたが、そういう習慣の無い私にとっては、慣れるまで待つしかありませんでした。

バナナのある日はその時食べずに、暫くしてから食べるようにしていました。
おぉ、何と慎ましやかな入院生活・・・お蔭で3~4Kgは体重が減りました。

今年最後のBlogにしては、つまらぬ愚痴ばかりになってしまいましたが、皆様方にとりまして、来年はいっそう良いお年でありますよう・・・衷心よりお祈り申し上げております。


点滴

2006-12-30 05:43:11 | 大阪にて
11月24日16時ごろに手術を無事終了しまして、病室に戻りました。
下半身麻酔が未だ利いてきてないと思ってるうちに執刀が始まり、そのうち動かそうと思っても動かない腰から下でありました。

病室のベッドに上がると、左足に何か重いものが乗りかかってきているような感覚で、ギブスが重たいのか?布団が重たいのか?判りません。

後々になって判ったのですが、ギブスって案外軽いものですヨ。

看護婦さんが頻繁にやってきて、「気分はどうですか?足は動きますか?」などと聞いてくれてました。
その時は余裕などありませんから、言われたとおりに答えていましたが、考えてみると「足先を動かして」と言われても、いつまでも動かさんといたらどんなことが起こっていたでしょう?

手術終了~26日昼まで、点滴が行われていました。
25日の夕食後、薬は残ってるのに点滴が落ちなくなりました。
自分では何故だか判りません。

見回りの看護婦さんがやってきて、「手(腕)の角度が悪い!」と言うのです。
何という言い草!?
角度が悪いと言われても、ご飯も食べるし、本も読む。ベッドからは降りることはないものの、上半身はいつも動いているわけで、初めの角度を維持することなど出来るはずがありません。

「針の角度が悪い」の間違いじゃないの?

          

ついでに苦言をもう一つ。
退院間近の12月20日の夕食後です。

時計の時間、見えますよネ。
plalaオフ会で貰った時計なのですが、8時です。もちろん午後の8時。

病院では飲みたいものも飲めませんから、話し相手もいないし、食事は5~10分程度で終わります。
松葉杖なしでは歩いてはいけないので、食器は自分では運べないので、いつも看護婦さんに運んでもらっていました。

この日は6時半頃に片付けに来ておられましたが、私のは片付けてくれない。
これって結構邪魔になるんです。特にベッド上の生活から解放されて、イスに座って本を読もうとする時なんか、ちょっとした時に本を置いておくスペースも無いのです。

結局は8時半頃、定時の点検の時に下げてくれたのですが、「あれ~下げてなかったん?ゴメンね。」なんて言わないんですよ。

実は15日の朝食後も、リハビリが終わって帰ってきても放ったらかし、10時半になって血圧や体温を測りにきて、やっと気付いてくれたようでした。
でも、その時は、「あれ~下げてなかったん?ゴメンね。」って謝ってたんですよ。

看護婦さんも人によって対応がまちまちです。



病院西側Ⅱ

2006-12-29 07:07:43 | 大阪にて
病院の一番西へと廊下を歩いていくと、病院と隣接して野球場がありました。

そこで、高校生がソフトボールの試合をやっていました。

          

高校にも今や男子のソフトボール部があるのですネ。
朝7時半頃から声が聞こえてきて、8時半頃から試合を始めます。
終わるのはだいたい午後3時過ぎ、いったい何試合やっているのでしょう?

病院で本を読む以外に、TVも見なかったしラジオも聞かなかった私にとって、高校生が冬休みに入ってからでしたが、彼らのソフトボールの試合は楽しい暇つぶし・娯楽の時間になりました。

ただ入院してからというもの、ほとんどの時間をベッドの上で生活していた私にとっては、如何にスポーツ観戦とは言え、立ったまま数時間を過すのは、なかなかしんどいことでした。

何故か窓を開けることも出来ませんし、外に出られません。なので、余計な柵か手すりか判りませんが、写ってしまっているのです。

屋上に行けば、窓越しに撮らなくてもいいのでは・・・と思って行ってみたのですが、外に出られないよう鍵がかかっていました。

             


病院西側

2006-12-28 08:15:46 | 大阪にて
1階のエレベーターホールに方位を示す座標があります。

北は大阪城の鯱を示し、南は帆船が描かれているので海を表しているようなのですが、ここから真南の海は和歌山の周参見辺りの海になるはずです。
西の方が大阪湾で海に近いのですが・・・

東は山を模っていますから生駒山系、西はお寺の屋根を表しているようなので四天王寺なのでしょう。


          

入院していた7階の病棟の談話室から西側を眺めたものですが、真ん中やや右に通天閣、沈んでいく太陽の右に四天王寺の五重塔の屋根が僅かに見えます。

          

この画像で確認できると思います。

夕陽がきれいなのですが、ここら辺りを『夕陽丘』ご呼んでいます。
周りに高い建造物が無ければ、さぞかし風流なのでしょうね。

          

昼間はこんな感じです。

一方東側は遠くに生駒山系を望むことが出来、近くには野球用品メーカーの会社のロゴが大きく見えます。

          

全く見えませんが、環状線の桃谷駅もこちら側です。



祝!退院

2006-12-27 06:43:18 | 大阪にて
昨日26日をもちまして、メデタク退院の運びとなりました。
見舞いに来てくださった方々、心配してくださった方々、ありがとうございました。

しかしながら、まだまだ職場復帰は叶いません。
全体重を左足にかけることがOKになるまで、リハビリを続けなければなりません。
出勤は来月の中旬以降のことのようです。

それまで勝手なことをやってると、骨がずれるおそれがあるということなので、ここは慎重に・・・でもたいへん元気です。

ところで、写真は病院食。上が朝食、下が昼食です。
でも単に病院食の紹介では、ありません。

          

実はこの食事、11月23日のメニューでした。
入院して2日目で、病院の実情などよく理解していない状態でした。

前日入院したばかりで昼食を出されたとき、看護婦さんが「明日の朝と昼の食事は選択できますよ。」と言われたので、朝は『ご飯』、昼は『麻婆豆腐』と答えたのでした。

それで出てきたのがこの食事なので、私の注文したものと違うので、両方とも食べなかったのです。他の患者さんのものだったらいけませんものネ。

翌日は手術日で1日中何も食べれないと解っていながら、眼の前にあるものが食べれないのには少々辛いものがありました。

夕食は別段注文したものではありませんから、遠慮なくいただいたのですが、勤労感謝の特別メニューということで、栗ご飯にブリの照り焼きがメイン、病院食にしては豪華でしたし、お腹も十分すぎるくらい減っていたので美味しくいただきました。

          

ところで、1週間も入院していると解ってくるのですが、食事の選択制は月・水・金の朝・昼3日間で、2日前に尋ねているんですね。水曜日の食事は月曜日の昼食時に決めるという具合にです。

だから22日に尋ねられた食事は、24日のものだったのかも知れません。24日は手術日で何も食べれませんから配膳されることも無く、患者の皆さんは何を食べていたのか知りません。

でも何故あの時、看護婦さんは「明日・・・」と言ったのでしょう?
そして朝も昼も食べない患者を不思議に思わなかったんでしょうか?

その時の看護婦さんは口で尋ねて、自分で記入していましたが、用紙を配って患者自身に書かせて提出するのが本来のやり方のようでした。

看護婦さんにしてみれば、善意のつもりでやっていただいたのでしょうが、「明日・・・」と言ってしまったばっかりに、そして病院の慣習を知らない相手だったために、妙なことになってしまいましたね。



戸隠神社

2006-12-24 14:31:35 | 大阪にて
またまた、外泊で家に帰ってきています。
26日には退院できるという喜ばしいニュースがあります。

撮り溜めしておいた写真も底をつき、伏見台方面の記事もこれが最後になりそうです。
内馬場の集落を歩いていくと、少しはずれた所に『戸隠神社』というのがありました。
戸隠などと言うと、蕎麦か忍者を思い起こしますが、何か関係でもあるのでしょうか?
そうは思えませんが・・・

          

しかし古い神社であることは間違いなさそうです。

          

入り口の鳥居のところに1本だけモミジかカエデが紅葉していて、きれいでした。
古座川の滝の拝のモミジも見ごろかな?

          

手前の灯篭にピントが合ってしまいました。
この灯篭が無ければいいのに・・・

前述の八幡神社もおそらくこの内馬場の集落に在ったものなのでしょうが、伏見台へ移遷させる時に、どっちを持っていくか揉めへんかったんかなぁ・・・


川の名が・・・

2006-12-20 13:33:38 | 大阪にて
伏見池公園の坂を下りていくと、平地に出た途端に橋が架かっています。
『大部川』と書かれています。

でもほんの少し下ると、また橋がかかってあり、今度は『内馬場川』になっていました。

          

どこで区切っているのやら、解りません。


字が読めますかネ?

          

以前にも述べたのですが、ここの集落は“野”の付く姓の方が非常に多い。
八木という姓も目立ちますが、ヤ=野とすると“野”関連の姓が多いでしょう。


こちらの集落の東側の山麓でも紅葉が始まっていました。

          

イチョウの紅葉を見ると、今年こそ観に行こうと思っていた古座川の光泉寺のイチョウの落ち葉の絨毯を観に行くことができなかった事が悔やまれます。

          



降りていくと・・・

2006-12-18 14:15:38 | 大阪にて
2日間の外泊を経て、病院に戻っています。
撮り貯めした写真を綴っておかないと・・・と思い、有料ブースを利用しています。

先日紹介した伏見池公園に沿って降りていく道があります。

かなり急な坂道で、降りるにはいいけど、登ってくるのはちょっとキツそう。

          

下りきると昔風の家が点在します。

読めないでしょうが、上の写真の家の右側の屋根に三角形があるのですが、その中に『水』と書かれた字があります。

下の写真の家にも同じように『水』の字が・・・

          


ひょっとすると『水』では無くて、なんかの記号かも知れませんが、この土地で何かの目印になっているのではないかと思うのです。

ここは『内馬場』という地名が付いています。

川が流れています。
昭和の終わり頃、伏見台の住宅街が出来るまでは、この辺りではこのが一番奥にあったんだろうと推察されます。

          


を通り過ぎて、後ろを振り返ると、のどかな田園風景です。
後ろの山も地図上は内馬場とありますから、内馬場の山野に伏見台が侵食してきたことになります。


アカンやろ!

2006-12-17 05:55:05 | 大阪にて
せっかくの入院の記念に、利用させていただいた車椅子とギブスを嵌めた我が左足のツーショットです。

この写真でお分かりのように、私は窓側のベッドを与えられていたのでした。

          

最初に部屋に案内されて驚いたのが、上の写真にあるカレンダーです。
ホントにびっくりしたんですヨ、「こんなもの貼ってええんか」と。

見舞いに来てくださった先輩のKさんは「おぉ、これはエエ!」と感慨深げでしたが、私は病院という公器ともいうべき施設が、このような個人の嗜好に拠るものを堂々と貼っているのを見て、節操の無い病院やなぁと嘆いたものであります。

次に驚いたのは、この写真。

          

雨が降っているんじゃありません。
滅茶苦茶汚れているんです。

訪れた人が皆、口々に同じ事を言います。
「ちょっとぐらい拭けよな!」

リハビリの先生も「事務棟は仕方ないとしても、病棟ぐらいはきれいにして欲しいね」と呆れ顔。

ピントを遠くに合わせれば、汚れは見えないんですがねェ。

          

こちらは病院から北側を眺めた写真になります。

足だらけ

2006-12-16 20:53:08 | 大阪にて
術後3週間目にして外泊許可が下り、自宅に帰っています。
禁酒による禁断症状も無く、自他共に認める『酒飲み』でも無かったんだと胸を撫で下ろしております。

上の写真はギブスを外してもらった日、傷口を撮ってみました。

          

これは病院に行く前、右足の細い足首に比べて、左足首が腫れています。
実は私、サッカー~野球~ソフトボールとクラブに所属してきた経緯があり、未だにスポーツを好んでおり、腿や脹脛に比べて足首が締まっているのが自慢でした。

足で歩く営業(?)に向いた足だったのに、成果は上がりませんでしたが・・・

          

抜糸してもらった日の写真ですが、見ると右足の方が細く見えます。
実際はそんなことはありません。左足の方がずっと細くなってしまっています。

2枚目の写真と3枚目の写真を比べると、細くなってるのがよく判ります。

          

これは前の写真より1週間後、ますます細くなっていっています。

ついでに体重も少しづつ減っています。

体重は元に戻らなくてもいいけど、足は元に戻るんやろか・・・?