ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

台風27号

2013-10-31 05:00:00 | 大阪にて

最近テレビの報道番組を見ていると、例えば法令の「じゅんしゅ」の漢字をフリップで“順守”と出てくるのが目立ちます。食品偽装の問題が大きく取り上げられているので、そういう言葉が出てくる確率が高いと思うのですが、私は今まで“遵守”だと思ってきました。麻生現副総理兼財務相なら“遵守”を「そんしゅ」と読みそうな気がするのですが、私は何かのテストで“順守”と書いたら×を貰った覚えがあります。それ以来ずっと“遵守”という漢字が正しいという気持ちを守り続けてきたのですが、最初テレビで見た時はテレビが間違ってると思ったけど、この頃何度も“順守”ばかり登場するので、どうなってるんでしょうか。どちらでもいいのなら、そんな曖昧なことは止めて、どちらか一方に統一すべきだと思うし、微妙に意味が違うなら少し教えて欲しいものです。もう時効になっているかも知れませんが、“遵守”が“順守”でいいのなら、私に×をくれた先生は、私に〇を与え直して欲しいと思うのです。

今年は台風当たり年、すでに29号の発生も確認されていますが、日本には全くやってこないらしい。次の三連休には三男と友達のT中君が串本に釣りに行きます。勿論船に乗る予定ですが、多少波があっても二人なら何とか船を出せるでしょう。私も行ければいいのですが、あいにく土曜日の昼からソフトボールの練習があります。今年は夏から秋にかけて串本では休業した漁師も多かったと思いますし、台風の影響で漁場も変わってしまったらしいのです。おそらく潮の流れが変わった影響だと思うのですが、いくら台風がたくさん来たからと言っても、海底に変化があろう筈も無く、日が経てばまた元に戻るのでしょう。

先週月曜日は大阪に帰ってきた日、南紀の海は荒れていましたが、天気は申し分なく、大阪に帰ってくると湾岸線から見る大阪の海は穏やかでした。火曜日は病院行きで天気は関係ないけど、晴れていました。

        

伊豆大島で死者・行方不明者を34人も出した台風26号が去らないうちに次の27号が出来、すぐに28号も出来て次々と日本を狙ってくるので、TVの報道番組は一日中台風の進路について喋り続け、私は自宅のある大阪や、船を置いている串本の様子が気になって仕方ありません。水曜、木曜と足の遅い27号は徐々に本州に迫ってきましたが、どうやら近畿地方への直撃はないようで、猛烈な台風だと言われていた28号は全く日本国からは遠い所を通っていました。

             

近畿地方に一番近づいた金曜日の8時ごろの写真、雨はそんなに強く降っているわけではないのに、阿倍野のハルカスが霞んで見えなくなっています。風も強く吹いていないので、低い雲がかかっているのでしょう。

             

昼前のハルカス、300mもの高さになると雲がかかるんですね。完成してから半年ほど経ちましたが、まだ一度も入館していません。私はあまり新し物好きではないんですね。でも一度くらい登っておかないと・・・何らかのネタになりますもんね。でも展望階へ上がるには1500円の入場料が要ると言うのです。

             

午後3時ごろになると雲はなくなりました。それでもぼやっと見えています。結局27号は大阪には全く影響が無かったのでした。

             

一番上の写真は台風去った26日、土曜日の朝です。すっかり晴れ上がっているように見えますが、北東の生駒山は辛うじて見えますが、南東の二上山や葛城山は全く見えないほど靄っています。大阪は晴天になった頃、TVでは千葉方面の報道、台風の真っただ中でした。

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拷問

2013-10-30 05:00:00 | 大阪にて

10月22日、1週間ほど前になりますが、桃谷のNTT大阪病院で尿管結石を取り除く手術と言うか施術と言うか、あまり誰の手も煩わせてはいないので、手術と呼ぶのはどうか、施術と言うのもしっくりこないなぁと思いながら、結石を粉砕する処置を受けたのでした。

予約は10時からということだったのですが、車や自転車では来てはいけないと言われていたので、南海電車、JR環状線を乗り継いで桃谷に着いたのが9時半ごろ、暫らく玄関の椅子に座って時間を潰し、45分に泌尿器科の受付に行きました。私はてっきり10時から『尿管結石を取り除く処置』が行われるとばかり思っていたのですが、なかなか名前を呼ばれません。こんなことでは予約の必要などないと思いながら、痛み止めの座薬を入れさされ、10時半ごろに手術着に着替えるように言われ、結石粉砕室に入って、どのような行為がなされるのか具体的に説明を受け、その『結石を取り除く処置』が始まったのが10時45分ごろでした。

                       

手術台に仰向けに寝転び、手術台の腰の部分が半分外され、超音波を出すダクトのようなものが腰部に繋がれます。1秒に1回づつパン・パン・パンと超音波が発され、チクッとした痛みが走りますが、たいしたことはありません。徐々に超音波は強くなってきたのか、10分ほどするとパチッ・パチッというような感じに変わってきて、おそらく結石に当たっているのでしょうが、超音波を浴びて砕ける方の石が痛い筈なのに、私の方が痛いのです。ピリッ・チクッと痛くても平気だったのに、その強さが尋常じゃなくなってきて、どこかの神経を痛打しているようです。開始後30分ほど経つと尿管結石の痛みが起こった夜と同じような痛みが始まり、痛み止めの座薬なんかいっこも効かんやん、顔中が脂汗まみれになっているのが分かります。

血圧計も取り付けられていて、手術台に上がった時と『結石を取り除く処置』が始まって暫らく経った時に測っただけ、こっちが痛いのを我慢していて、おそらく血圧もかなり上がっている筈なのに、全然測ろうとしません。体の上部からX線を当てられているので、部屋にはもちろん私の他には誰も居ないのです。私の様子を見ている医者か看護士が居るのか居ないのか、それさえ分かりません。所要時間は1時間ぐらいと言われていましたが、最初から最後までが1時間なのか、超音波を当てている時間が1時間なのか、それが知りたくなってきます。開始後45分ぐらい経って、超音波の発射が止み、医者が入って来ると「疲れましたか?石は硬いようでなかなか割れませんね」と言います。「暫らく休んでもう一度、今度は少し緩めますので」と言って出ていきました。

             

5分も休んでないと思うけど「始めます」との言葉、緩めると言った言葉とは裏腹に今度は最初から痛い、体が回復してなかったからなのか、1回目の時より数段痛くて、転げ回ることは出来ませんが、体が宙に浮きそうで、さしずめこれは拷問や、拷問は受けたことは無いけど相手は居てるのに、ここでは誰も居ません。秘密にしていることを「吐け」と言われながらの拷問だと、どうしようかと考えるでしょうが、ここにはそんなことさえ考えることが出来なくて、気を散らすことさえ出来ないのです。しかし私はそんなことを考えていたわけですが、架空のことなのでやはり気は散らせないのでした。10分も処置をしていたでしょうか、突然超音波の発射が止み「もう限界みたいですね、今回はこれで終わりにしましょう」と言われたのでホッとしたのですが、これで石は砕けてないのなら当に拷問であり、二度とこんな処置は受けたくないと思ったのでした。

次回は11月7日、レントゲン撮影が有りますから、石の具合を確かめるのでしょうが、次回は車や自転車で来るなとは言われていませんから、『結石を取り除く処置』は無いのだと思います。でも今回術中はしんどかったけど、帰るころには元気になって自転車でも帰れると思ったのです。

帰りに支払いが待っています。請求額は58000円ぐらい、手術料としての請求でしたが、結果が出てないので支払うのには腹が立ちます。高いお金を払って拷問を受けるなんてことが、この世に有っていいものでしょうか。いくら手術をしたところで患部が治ってないのなら目的を達成できてないのであり、つまり痛い目に会っても目的が達成できたのなら、高いお金を払うのにも納得がいきますが、今回の場合などは痛い目に会っただけ、お金を払うのもイヤなら、二度とこんな処置は受けたくありません。

なんか脇腹がヘンだと思っていたら、超音波を浴びていた肌に傷が出来ていました。

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ふるさと60年

2013-10-29 05:00:00 | 読書

久し振りに小説を2冊読みました。このところ経済や戦争(改憲)に対しての本ばかりを読んでいたような、つまり財界だけを潤おわすアベノミクスや自ら軍国主義者と呼べばいいというようなことを言う首相に振り回された感じ、それはそれで「騙されないぞ!」と必要なことだと思うのですが、実はとてもしんどいことなのです。何んと小説を読むのは去年の夏の『仁淀川』以来1年ぶりだったのですね。

             

2冊とも8月にジュンク堂の通販で送って貰ったもの、姫の家では読み切れず、大阪に持って帰って読んだのでした。働いていた頃のように出退勤時や営業先への行き帰りの電車内で読む機会は皆無となり、その分文庫本でなくても良いので、価格は高くつきますが、発行したての本を読むことが出来ます。

『王になろうとした男』は織田信長の家来の話、桶狭間の戦いで今川義元の首を挙げた新助が本能寺の変で織田家の為に命を落とすまでや、本能寺の変の首謀者は誰なのか(私にとって加藤廣の『信長の棺』以来の謎)、そして南国の黒人ヤシルバ、いったいこの本のいう“王になろうとした男”とは誰のことだったのか、そういうことを考えてしまう短編集でした。

             

一方この『鹿笛』も短編集ですが、数編の話には何の脈絡もありません。熊野川や白浜といった南紀の土地柄を題材にした話ばかりで、そう言う所に興味が惹かれたのでした。鹿笛とはシカを撃つのに雌のシカの鳴き声に似た音を出す笛、それを吹いて雄を呼び寄せて仕留めると言う猟があり、その猟を生業とする作次が出くわす怪奇な現象の話です。

                         

『鹿笛』の作者、宇江敏勝氏って何故か聞いたことのある名前なのですが、どのようにして知ったのか全く覚えていません。そしてこの本を手にするまで作家であることさえ知らなかったのですから、何処でこの名前を見たのか、とても不思議な気分になっているのですが、おそらく私のアルツハイマー症がどんどん進んでいる証拠なのでしょう。

             

タイトルの『ふるさと60年』は絵本です。込み入った絵本というのは大人が読んでも楽しいもの、それが丁度私が生まれた頃から今に至るまで(ホントは1946年ごろから近未来まで)、私の生き続けた年代を、同じ箇所から同じ場所を見続けたら、こう変化していったよという鳥瞰図的な描かれ方が面白い。表紙にあるのは最初の1946年ごろ、何処であると言う設定こそありませんが、終戦から1年経って、遠くで汽車が走り、川には木の橋が架かり、畑にはスイカが転がっているというような農村の風景、オート三輪が走り、道は全く舗装されていません。

             

こちらは1986年ごろの風景、汽車が走っていた所には新幹線が走っており、殆どの家は取り壊され、ビルに建て替わっています。更に工事が進行中、バブル経済絶頂の頃でしょうか。川に架かっていた橋は無くなり(1976年の絵では既に無くなっていた)、コンクリートで覆われたのでしょうか、駐車場に変身しています。写真では分かりませんが左部分に最初から建っている神社がそのまま残っています。

それから10年経つとこんな農村だった所にも高層ビルが建ち、埋め立てられ駐車場になっていた川は子供たちの遊び場として復活してきます。

そして最初の写真は近未来図、コンクリートの道は無くなり、川の水や地道も多くなり、川で泳いだり、魚を釣っている姿も描かれています。老若男女が全てくつろげる場として存在するのですが、さてそんな希望通りにことは進むのか、そんなゼニにならんようなことはさせるものかと、きっと新自由主義者たちはキバを剥いていることでしょう。

文を担当した道浦母都子さんは和歌山県出身の歌人、絵を担当した金斗鉉さんは韓国の人です。21世紀が平和な時代でありますようにとの願いが込められています。

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志原海岸

2013-10-28 05:00:00 | 田舎

我が国最大の労働運動組織(労働運動をしているかどうかは疑わしいが)・連合は来年の春闘で1%以上のベースアップを求める方針だと言う。入社後数年、総評と呼ばれていた時代はいざ知らず、闘うふりだけに成り果てた労働組合が久し振りにその闘うと言うポーズをとったのだが、政・財・労が一体となって労働者の賃金を上げようと国会でも論じられている最中、法人税減税、法人向け復興税の一年前倒しをやり玉に挙げられ、労働者の賃金が上がらなければ景気は悪くなると言われて、少しは堪えたような内閣総理大臣が言っていることに賛意を述べる企業の幹部もいるようで、連合幹部たちのきっと“企業を追い込まなくても少しぐらいならベースアップを勝ち取れる”と言うような姑息な考えが見て取れます。如何にも新自由主義に冒された労働貴族の考えそうなことで、僅かな賃上げにも、それ見たことかと手柄を我が物顔にするのでしょう。来春からは消費税が2%上がるのです、単純に考えても2%以上の賃上げを獲得しなければ労働者は今までの生活を維持することは出来ません。でもね、意図はともかく、賃金は労働者と資本家との闘争によって決まることを連合幹部も覚えていたとは・・・少しぐらいは褒めてあげましょうか。

さて朝来トンネルの手前から渋滞を抜け出して旧道243号線を走った私は、心ならずも日置トンネルの手前で再び42号線に合流してしまったのですが、幸いにも42号線はまたも私の車一台だけが走っている状態、きっと朝来トンネルの手前で待たされている車が並んでいるのでしょう。目的の志原海岸までのんびりと走ることが出来ました。

             

この志原海岸の道の駅が出来て、どれぐらいになるのでしょうか、少なくとも20年は経っているような気がします。出来た頃は釣りの帰りに度々寄っていたのですが、たいしたものも販売していなく、串本からは休憩するには近過ぎるので、最近は全く寄らなくなっていました。

             

約束の時間より余りにも早く着き過ぎたのでたっぷり時間があります。右の方で釣りをしている人が居たので何を釣ってるのかと思い、近寄って行きました。投げ釣りでキスでも釣っているのかと思っていたら、グレ釣り用の棒ウキとカゴにヌカを詰めてエサはオキアミのカゴ釣りでした。きっとチヌかアイゴか、そういった平たい魚を狙っているのでしょう。「魚はおらんよ」と言っていましたが、投げて引いてくるたびにエサは無くなっていましたから、魚は居るようです。海が荒れているのでアタリが取り難いのでしょう。こうして見てみると浜の前は深いのだと思います。

             

道の駅の田辺寄りの端に出来た日帰り温泉施設『リバージュスパ・ひきがわ』、私は寄ったこともありませんが、泉質はなかなか良いようです。入湯料650円はチョット高めかも知れません。

             

外には足湯も有りましたが、誰も居ませんでした。ヤシの木などが生え、如何にも南国風な感じです。出来たのは最近のように思ってたけど、調べてみたら2004年とのこと、そんなになるかなぁと鈍い頭をさすってみますが、思い出せません。この間見た『ためしてガッテン』では、歳を取ると覚える力より、思い出す力が減って行くと言っていました。

             

今度は左の方、日置川河口の方に歩いて行ってみました。道の駅の裏は比較的整備されていますが、左の方はあまり手が入っていないようです。

             

ここは真ん中に大きな岩が有り、そこを中心に二つの湾に分かれているのです。

             

防風林のある堤防の手前にテトラが入っていますが、波で打ち上げられた砂や石が高く積み上げられ、自然の堤防が出来てしまったので、テトラまで海水は届いていません。



ここで360度のパノラマ写真を撮ったらどうなるのだろうと思って、前の岩の端から日置川河口方面、道の駅からリバージュスパを撮り、元の岩まで戻ってみました。広い所を撮っているので姫の駅で撮ったのよりはマシだと思うのですが、画面上に不具合は有りませんか?これより小さくすると何を写しているのか分からなくなってしまうのです。

             

道の駅とリバージュスパの間に供養塔が建っていました。堰堤の高い所で海抜9mだとか、津波が来たらトイレの屋上に逃げるよう案内がありましたが、42号線を田辺方面に逃げるとすぐ上りになっているので、そちらの方が高いと思います。

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高浜海岸

2013-10-25 05:00:00 | 田舎

Y下君が来ていた3日間とうって変わって21日は晴天でした。22日は尿路結石の手術だったので、私は21日に帰らなければなりません。風は治まっていましたが、波は未だ高いようで、岩に打ちつけられた白い波飛沫が高く舞い上がっていました。
11時に志原海岸で約束が出来たので、チョット早いかなと思いながら9時半ごろ串本を出発、前の車も後ろの車も80kmぐらいで走るので、私も必然的にそれ位の速度で走って行きます。愚車である軽バンを運転するようになって、最近はあまりスピードを出そうと言う気が無いのですが、前後というより、前は放っておいてもよいのですが、後ろの車が迫ってきて遅く走っていると迷惑がかかると言う思いがあり、どうしても早く走ってしまいます。早く走れる力は愛車にはあるのです。

             

それでも時には遅い車が居るもので、前の車が快適に走って行ったのを尻目にしていた私の車も暫らくすると前の車に追いつきます。かなり行列が出来て鬱陶しくなってきたので、一度見ておこうと思っていた出来立てのイノブータン大王の像がある広場に立ち寄るべく、長い行列から離脱したのでした。

               

ここは串本方面から行くと、恋人岬を過ぎ、黒島トンネルを抜けると、右に和歌山県畜産試験場を見ながら前に海が見えてくるところ、左側に広い空き地があるところで、大阪方面から来ると道の駅『イノブータンランド・すさみ』を越えてすぐ左にカーブを切るところにあります。大阪方面から7~80kmで走って行くと、ここでは急に止まることは出来にくく、串本方面からなら直線が長いので早くからブレーキを踏んで広場に入るのは安全です。

             

イノブータン大王の像は竿は持っていませんが、魚を持っているので恵比寿様を真似ているようですが、持ってる魚はタイではなく、カツオのようです。遠くから見るとムーミンみたいなんですがね。像は新しいのですが、左側にある標識は古くてペンキが剥がれています。“熊野枯木灘海岸 県立自然公園 高浜海岸 千畳敷 和歌山県”の文字が見えます。ここにこのような標識があるなんて知らなかったのですが、このブログで大王の像の存在を知ったのでした。

             

千畳敷は円月島、三段壁と並ぶ南紀白浜のシンボルですが、ここにも千畳敷と呼ばれる岩があるのですね。でも白浜の千畳敷と比べると、百畳敷ぐらいでしょうか。ずっと道が続いていますが、車に施錠してなかったので歩いてはいきませんでした。波が高いので百畳敷の岩には渡れそうもありませんが、黒島トンネルの向こう側にも県立自然公園の標識があったので、海岸沿いに歩いていけるのかも知れません。

             

岩に砕ける白い波飛沫、前日までの波の高さが窺えます。

             

浜にも降りれる道が造ってありました。でも私は降りてはいません。右上に見えている道路が42号線、曲った先に道の駅が有ります。

             

串本からここまで約30分、国道に戻ろうとすると車が1台も走っていません。ずっと42号線を独り占めするような走り、夜中にでも走っているようです。10分ほど走ると日置川までのバイパスとして造られたトンネルが工事中、一方通行になっていたので止められてしまいました。ラッキーとばかり、ここから久し振りに左の旧道を走ってみました。思ったより広くて、こんな道だったかと思って走っていると、白浜方面の標識通りに走ってしまい、2つ目のトンネルに連れて行かれる羽目に、日置川まで旧道で走りたかったのに。

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工事中

2013-10-24 05:00:00 | 田舎

今回短期間でも串本に行ったのは、船の譲渡の完了と、法令で定められている6年に1度の小型船舶の検査を受けるための予約を取ることだったのです。月に一度の訪問でなんだかんだと言われると、大阪に戻っての作業もあり、今月やっと譲渡の完了と船検の予約が取れました。いやいや串本と大阪の往復の問題だけでなく、海事事務所の方の説明も間違っていたり、行った時には長期に休んでいたりで遅くなってしまったのでした。

             

串本漁協の建物、漁協の事務所などが入っていますが、海事事務所も入っていました。でも最初は何処に海事事務所があるのか判らなかったのです。

                           

この看板を見て電話をかけてみると、横の階段を登って入るとすぐだと言われました。ここでは私が講習を受けたJEISが海技免許の講習を行っています。JEISでは、免許が届いて1年以内であれば船の操縦の練習をさせてくれますが、やはり水の汚い大阪湾では受講したくはなく、大阪の講師がホテル浦島と大島の間で行うと言っていた串本での講習なら受けてみたいものです。

どのような検査をしてくれるのか、よく分かりませんが、船の検査料は34700円、譲渡の手続きとの手数料で4000円を要したのでした。検査は11月11日と決まったのに、後から12日の間違いだったと電話があり、どうも間違いの多い人ですが、漁協の人たちは先生と呼んでいます。

             

Y下君が来た際に見に行った大島港、工事中なのにはビックリ、これで大島港では釣りが出来なくなるかと思ったのですが、どうやら工事は根元の部分だけのよう、台風が来て波が高くなると、隙間から海水が入って来るようで、そこには大裕丸の家があり、民家に被害が出るので工事となったようです。隙間が空いているのは看板の右の部分、岸壁の高さも多少高くする様子です。

                

“陸閘をなおしています”という説明、その『陸閘』が読めません。意味も不明ですが、考えていて、大阪に毛馬の閘門(こうもん)があるのを思い出し、閘は「こう」と呼ぶのだということが分っってきましたが、相変わらず意味は不明でした。調べてみるとどうやら陸閘とは防潮扉と理解すれば良さそう、でもこれでは東南海地震による津波には心許ない限りです。

             

串本町では他にもこの新しく出来る漁協の建物、昨年の12月ごろから取り壊し、7月半ばには鉄骨が建てられるようになったのですが、慎重に建てているのか、今やっとこれだけの部分が出来てきています。

             

漁協のすぐ近く、8月に私の船を泊めていた岸壁の前と国道との間に小さい何かが建てられています。いったい何なのか、噂さえ聞きません。

               

ここはAコープの裏、私が今泊めている岸壁へ行くのに、護岸沿いに車を走らせると、以前は何も無かったところに、9月頃から何か工事を始めていました。左の写真は10月1日に撮ったもの、20日も経たないうちにもう何が出来るか分かってしまっています。 コメリの看板が立ったのです。では今姫の海岸にあるコメリはどうなるのか、こんな近くにコメリが2軒も要る筈も無く、果たしてどうなるのやら、今蚊帳の外に置かれているホテル浦島近くのコーナンがチャンスとばかりに獲得するかも知れませんね。

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10月19日の釣り

2013-10-23 05:00:00 | 田舎

今月は第2週目の練習を終えた後、台風26号がやってきそうだったので、大阪を発ったのが台風が過ぎていった17日に串本に来たのですが、22日に尿路結石の手術を受けなければならないので21日には大阪に帰らなければなりませんでした。伊豆大島に甚大な災害をもたらした台風26号ですが、串本に対しては大きな被害も無く、台風が去った後は好天が続くだろうと予想したY下君も久し振りに釣りに来たのです。ところが天気が良かったのは私がやって来た日の17日だけ、Y下君が来ていた18日から20日までは風が強くて波も高く、船を出すことさえ出来ません。18日は私の船の譲渡書類の提出と船舶検査の申請もあったり、昼まで繋留している船の上であぁやこうやと話をし、昼食の後で大島港まで出かけてみたのですが、先客が3人ペレットでグレ釣りをしていました。

             

ここで工事をしていた人が前日は70cmのシマアジが上がったとか、40cm台のグレも釣れていたとか教えてくれ、今日も30cm台のグレが何枚か上がっていると教えてくれました。私は波止場で釣る用意はしてなかったので、最初から見るだけと思っていたのですが、風がきつく、脚立も持って来ていない上に雨まで降り出したので、Y下君も釣りは諦めたようでした。

             

翌日、昼までは雨ももつだろうと言う天気予報だったので7時ごろから大島港に出かけました。到着した時にビックリ、トビがどっさり飛んだり、とまったりウジャウジャいるのです。波で何かが打ち上がっていたのかもしれません。カモメの姿も見えましたが、カラスの姿はありませんでした。

             

私たちが釣りを始めたら、いつの間にか何処かへ飛んで行ってしまいました。土曜日だというのに釣り人は私たち二人だけ、これはラッキーだと思いましたが、最近船で釣ることしか頭にない私は磯や波止で釣る道具を入れたバッグを持って来るのを忘れていました。まぁ何とか釣りが出来るものは持っていたので、不十分ながらも釣りはすることが出来ましたが。

             

1時間ほど経って私にアタリ、30cmほどのグレでした。スカリを取りに車へ戻ると、車に積もうと出しておいたスカリがありません。どうやら出したのに積むのを忘れたようで、アルツハイマー症の進行が顕著なのが分かります。

             

Y下君には大物のアタリが無く、コッパグレを釣ってはサギにやっていました。今回のサギはいつものサギと違い、あまり警戒心が無いようで、グレをくれと言わんばかりに近寄って来ます。Y下君が釣った20cmほどのスズメダイ、これも欲しそうにしていましたが、いざやってやると嘴に咥えたものの、喉を通らないのが分かるようで、いつまでも咥えたまま、ついにほったらかして飛んで行ってしまいました。そこへ登場したのがカラス、カラスは魚を飲み込んで食べるようなことはしません。突ついて食べるのです。

             

そんな様子を見ていたら私にアタリ、今度は30cmぐらいのアイゴでした。この日はアイゴバサミを持って来ていませんから、ハリを外した後は海へお帰りさせたあげました。

             

この日、私はペレット、Y下君はオキアミのエサを使っていたのですが、オキアミには大物が食いついてはきません。コッパグレや小さなイサキがよく釣れていましたが、そんなもので満足は出来ないのでしょうが、12時近くなって私にもアタリが遠のき、昼からは雨の予報だったので、切り上げたのですが、雨が降って来たのは夕方になってからでした。その雨は翌日昼の2時ごろまで続いたので、Y下君はせっかくやって来たのに、釣りが出来たのはこの日の半日だけだったのでした。

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鷹の祭典

2013-10-22 05:00:00 | お友達

『風立ちぬ』を観た後、K川君に会って久々に飲んだわけですが、いつも会う度に明治の試供品をたくさん貰うので恐縮が続き、今回は南紀特産のひめひじきと梅干をお土産に持って行ったのでした。そのせいではありませんが、翌々日の木曜日にK川君が実家で用事があるので、家の近くで再度会おうということになり、その際にこのホークスのレプリカユニフォームを持って来てくれたのでした。そのせいでないと書いたのは、飲んでいる最中に福岡ドームの話になり、このユニフォームのことを切り出され、木曜日に持って来るという話になったのに対して、私のお土産は、飲み終わってから駅までの途中のコインロッカーに入れてあったから。お土産自体はたいした大きさでもなかったのですが、あちこちと持ち歩いたり、映画館に持って入るのも気が引けたのです。

シーズン終了前に着用していた濃い紺色のユニフォームをなかなか良い色だと思っていたのですが、写真に撮るとこの色に似ていますが、このレプリカは実は紫色をしています。光の加減なのか、実際には違う色のユニフォームを着ていたのか、ホークスの試合を観ることが少なくなった私にはよく判りません。ホークスのレプリカはダイエー時代のものを持っていますが、袖を通したことは有りません。ソフトバンクになって袖の二本のラインが付きましたが、これは良くない、江戸時代の島流しに遭った罪人は手首にこのような入墨を入れられ、良民と区別されたことを思い出すのです。

             

でもユニフォームの他にも『VAAM』や食料まで頂きました。『VAAM』は最初ドリフの高木ぶーがコマーシャルに出ていたので、ダイエットに効く栄養食品だとばかり思っていました。K川君によるとそうではなく、飲んで運動すると体が軽やかに動くのだとか、でも今まで試してみたけど私には効果は薄そうなので、ソフトボールの人たちに使ってもらうことにしました。

K川君は今年福岡ドームに行ったらしく、それでこの75周年のレプリカを貰ったようなのですが、彼は去年私に見てくるように頼んだ自分のメッセージレンガを見ておこうという動機も有ったようです。ですが、番号を覚えてなかったので、なかなか見つけられなかったと言っていました。

             

新しく買ったデジカメ、液晶画面に保護フィルムを貼ろうと考えました。私はどうも苦手なので三男に貼って貰ったのですが、スマホは上手く出来たのに、このメーカーの物は上手く出来ません。

             

保護フィルムに貼付用の紙が貼りついたまま、剥がれないのです。問い合わせ用の番号に電話するのですが、いつも話中で繋がりません。

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風立ちぬ

2013-10-21 05:00:00 | 大阪にて

大阪に帰ってから、翌日は病院に行き、土曜日はソフトボールの練習をこなしましたが、その後はこれと言って何をするでもなく、手持無沙汰にしているとK川君から飲みに行こうと言うお誘い、火曜日の夕方に設定したのです。夕方まで時間を潰すのに、何をしようかと思って、アニメ『風立ちぬ』の制作を最後に引退を表明した宮崎駿監督のことが気になっていて、7月から始まった『風立ちぬ』はもうやってないのだろうと思っていたのですが、検索すると未だTOHOシネマズでやっていたのです。10月を越えているのに、未だやっているとはラッキーとばかり、席を予約しようとすると3人しか予約していなくて、空いているのは良いものの、こんな状況では昨今上映打ち切りになるのではと思ったりもしたものです。

             

3時台の予約を取り、30分前には映画館に到着、でも10分前にならないと入場できません。次回上映の映画のポスターなどを見ながら時間を潰しましたが、一つだけ観たい映画を見つけたのでした。

                       

館内で映画は撮影禁止、撮影すると法律で罰せられます。写真は全てパンフレットから。最初の写真は主人公・堀越二郎の設計したゼロ戦が無残にもがれきの山になっている終戦後のシーン、パンフレット見開き4ページ分も有ります。この映画には殆ど戦闘シーンはありません、堀越二郎が飛行機造りを夢見た幼少のころから帝国大学を経て、三菱内燃機に就職、その後飛行機製作までの苦闘が、学生生活を送るために上京する際に知り合う里見菜穂子との出会いと別れを織り交ぜているストーリーです。

             

でもそれは私の感じたストーリー、恋愛の方を重視した観客もいるでしょう。全体として“堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて”というストーリーなのですが、私は堀辰雄の『風立ちぬ』を読んではいません。どのような小説だったのか、知りたいとも思いませんが、何処かでこのアニメと共通するところがあるのでしょう。

             

ところで私は宮崎駿監督の作品を映画館で観たものも、TVで観たものもあるでしょうが、全て見たわけではありません。一番記憶に残っているのは『天空の城ラピュタ』と『千と千尋の神隠し』だけ、その特徴はストーリーの奇想天外な展開であり、宮崎駿監督の真骨頂だと思っているのです。監督の思考の底辺にあるのは反戦・護憲・反原発であり、その上に卓越したストーリー展開が存在するのです。そういう点から見ると、今回の『風立ちぬ』は現実に起こったことや人が基軸になっていますから、奇想天外なストーリーは期待すべきものではありませんでした。

             

そういう作品が監督にとって最後の作品となったのはなんとも寂しい思いなのです。もう一度、新自由主義的で好戦的な現政権をやっつけるという奇抜なストーリーをお願いしたいものですが、もうそれは叶わないのかも知れません。

それはそうと、次回観たいと思った映画は同じゼロ戦をテーマにした『永遠の0(ゼロ)』ではありません。『清須会議』、『ステキな金縛り』は観ていないので『ザ・マジックアワー』以来久し振りの三谷幸喜監督の作品です。

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パノラマ写真?

2013-10-18 05:00:00 | 田舎

新しいデジカメにパノラマ機能が付いていたので、やたらとパノラマ写真を撮っています。モードをパノラマに合わせて、シャッターを押してカメラを左から右へ回して景色を捉え、終わりたい所で再度シャッターを押します。その時点でカメラが自動的にパノラマ写真に合成するのです。回す角度が小さいと横の長さが短くなり、縦の長さは長くなる、回す角度が小さければ小さいほど元のサイズに近くなるのです。逆にどれ位の範囲を撮れるのか、そういう疑問が湧いてきます。山の頂上とか海の上なら360度見渡せるのですが、田舎と言えども街中で撮っていますから視界はせいぜい180度、最初の写真が紀伊姫駅の裏をパノラマ撮影したもの、串本駅の方向からずっと山側をなぞって、古座駅方面を撮ってみたのですが、こんな写真をパノラマと言うのでしょうか。左右は足許のプラットフォームを捉えているのに、自分の足許は捉えられていません。V地方の交差点の真ん中に立っているようなヘンな写真になってしまっています。

             

随分日が短くなり、影も長くなりましたが、大阪へ帰る前日の午後3時ごろの紀伊姫駅、紀伊姫駅ノートは未だ無事でした。

                       

ただ私が串本に来た翌日で書き込みは終わっていました。何故ならボールペンが無くなっていたから、もちろん私が勤めていた会社からくすねてきたものを補充しておきました。

       

今回、串本に来るにあたって、船で使うのにA竹君のバスロッドを預かってきました。30日に少し波が収まっていたので、船を出すか出さないかは決めてなかったけど、船に竿を載せておこうと思い船まで持って行ったのですが、袋を開けて見るとなんと竿先が折れてしまっていました。どうして折れてしまったのか、車の振動で袋の中の竿同士がけんかしたのでしょうか、車の中では常に竿先が宙に浮くように置いていたので、誰かが踏んだり、押さえつけたりするはずもありません。

             

とても大きく育った去年獲ったメダカを飼っている睡蓮鉢、何故か水が減るのが早いのです。老母は何処かに穴が空いているのではないかと言いますが、何処にも水が滲みた後が有りません。

             

コメリで陶器製の睡蓮鉢が売っていたので、買っておきましたが、池からの水が流れてきていないので、新しく水を確保することが出来ません。一応新しい鉢に古い鉢を重ねてきたのですが、どうなっているのでしょうか。

 

紀伊姫駅の前、42号線に向かって真っすぐ道があります。国道を渡ると熊野交通の姫駅前のバス停、そこからの眺めです。姫の地磯の先端部から、九龍島、タイ島、大島から橋杭岩までを撮ってみました。これも何だかヘンですよね。

これで今回の串本の話はお仕舞いですが、もうすでに串本にやって来ています。今回は結石が見つかったおかげか、体重が3kg近くも減ってしまいました。

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