ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

古座川町役場付近

2009-04-30 05:00:00 | 田舎
串本方面から旧古座町・古座川町へ行くには、和深からとか高富からとかの道も整備されていますが、一般的には古座大橋を渡って信号を左折し、古座川の左岸沿いに走っていくことを考えがちです。

古座の駅の前を通っても古座橋を渡って左折し、同じく古座川の左岸を走るのが一般的です。

私は小さい頃、岩淵に遊ぶことが多かったので、古座橋の手前を左折し、岩淵の踏み切りを渡って、河内さんの手前まで古座川の右岸を走るのを常としていました。今でも古座川沿いの道までは狭くて、車の行き交いが困難ですが、待避するポイントさえ知っていれば、案外楽だし、ここを通る車は大概それを承知している車が多いものです。昔は細かった古座川右岸の道も、かなり以前から整備されて快適に走れるようになっているので、私は古座川の左岸を旧古座町から古座川町の町並みを通っている細い道は、使い慣れていません。

だから左岸の道にはオークワ古座川町店があるくらいしか、知りませんでした。河内さんで遊んでいて、何か欲しくなったらこのオークワが一番近くだったのです。

久し振りになんとは無しに、いえBlogネタを探しにこの道を通ってみたのです。

古座川町役場に車を停めて、付近をウロウロします。まず目に付くのが道路正面に見える日吉神社、丁度この地点で道路は左へとカーブしています。

          

鳥居だけがやけに紅く目立ったのですが、行ってみると何も珍しそうなものはありません。

          

取り立てて言えば、鳥居の手前にお地蔵さんが大切に収納されているのを見つけたぐらいでしょうか。

古座川町役場に戻り、来た道を戻るように歩いていくと、池野山方面から流れてくる川にかかる小さな橋があります。

          

橋の上から上流を見るとこんな具合ですが、写真では右ですが、この川の左岸に何か建っているのが判りますでしょうか。

          

実は今回はこれを探していたのです。古座観光協会発行のウォークマップには『渡し場係船杭』として載っています。ウォークマップを見ながら、途中まで車で行くのは気が引けますが、何卒ご容赦を・・・

       

この案内板で一目瞭然、何も下手な説明は不要ですね。

自分的な感慨を述べると、この渡船碑がこの地に移されたのが1965年、東京オリンピックの次の年だったのですね。この碑は両岸にあり、左岸側のものがこれ、右岸側のものは霊厳寺に移されたとあるのですが、この対岸では当時私が遊んでいた辺り、目にしていたのかも知れません。ただ霊厳寺は何処にあるのやら、そしてついでに・・・東京オリンピックなど2回もやらんでエエ、もし日本国でやるなら他の都市に譲るべきや、石原都知事のパフォーマンスに利用されてるだけや。

          

先の橋に戻って下流を臨むと、もうすぐに古座川へと合流です。

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菊正宗酒造記念館

2009-04-29 05:00:00 | 神戸にて
住吉南町には菊正宗の精米工場があり、昼間から酒粕のような何とも言い得ない匂いが漂っています。

更に東へ歩くと、住吉川の手前に菊正宗酒造記念館がありました。

          

ここは既に魚崎郷、灘五郷というのは、西から『西郷』『御影郷』そしてここ『魚崎郷』更に『西宮郷』『今津郷』と続きますが、何故か神戸・東灘区と西宮市の間の芦屋市には酒造会社がありません。

          

この菊正宗記念館は白鶴資料館と比べると、少し規模が小さいように思われます。記念館ですから、資料館のように膨大な資料を残さなくても良いという発想から造られたのかも知れません。

          

それでも大きな樽やこの梃子の原理を使って酒を搾り取る工具は置いてありました。ここでは白鶴とは違った『槽場』という名前がついてありました。

          

大正時代から昭和初期を思わせるような酒場ですが、私が生きていたはずもないのに、懐かしさを感じさせます。

          

白鶴記念館には短歌の額が飾られていましたが、ここでは長歌の額が飾られており、灘の文字も見受けられます。

ここで利き酒を賞味させていただきましたが、その美味いことといったら尋常ではありません。非売品だと聞きましたが、それではあまり試飲の意味がありません。美味しい酒は買って帰って家でゆっくり飲みたいものです。沢山飲むつもりはありませんが、もう一杯と粘っていると「梅酒をどうぞ」とあしらわれてしまいました。

          

外には沢の鶴資料館で見たような羽根釣瓶式の井戸がありましたが、元来ここにあったものではなさそうです。

          

何故ならこの井戸を注意深く見てみると、底は地面と同じくらいであり、光って水のように見えるのは雨が溜まったものと思われるからです。

          

こちらは保存されている水車小屋、住吉川から水を引き込んで、精米に使用していたのでしょうか?

          

ここは酒造工場ですが、精米工場より独特の匂いはありません。

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白鶴資料館 Ⅱ

2009-04-28 05:00:00 | 神戸にて
酒造りとは関係無さそうな風景ですが、職人さんの食事風景なのでしょうか?
こんなところまで描写されては、職人さんも困ったもんでしょうな。

          

ここは沢の鶴資料館にもあった麹室、このようにモデルがいるとどのように作業してたか解ります。

               

これはTVなどでよく見かけるシーンですね。高いところにいるので何となくカッコイイです。

               

私がわざわざ書かなくても読めますよね。津の国とは摂津の国ということなのでしょうが、ここでは灘という字を当て嵌めて欲しい気がします。

          

これはデカイ釜ですね。どれ位の水が入るのか、熱湯にするのにどれ位のカロリーが必要なのか、そんな説明も欲しいものです。

          

モロミ入りの酒袋を梃子の原理で酒を搾り出す酒槽、『さかぶね』と読むそうで、沢の鶴の資料化にもありました。とにかく大きいのでど迫力があります。

          

先に行った友人は、ここの利き酒はなんぼでも飲めるから、是非行ってくるように勧められたのですが、私が行ってみると試飲コーナーには誰もいなくて、何も置いてありませんでした。なんぼでも飲もうとは思ってもいませんが、是非味わってみたいものでした。

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白鶴資料館

2009-04-27 05:00:00 | 神戸にて
昨日は風が強くて、少し寒かったのですが、景色が良く、遠くのものが大きく近くに見えるような錯覚を覚えました。

そんな日にデジカメを忘れてしまい、何も撮っていません。

なので、せっかく田舎に帰ってきているのに、田舎のネタはありません。

そんなわけで、いやいやながら神戸での撮り溜めしたもので綴ります。

住吉南町という所、国道43号線より南側は灘五郷の中にあり、酒造メーカーの工場などもあり、お酒の臭いが充満している街です。

少し西へ向かうと御影郷があり、白鶴酒造の資料館もあり、一度訪ねてみることにしました。

          

広い敷地の中で、結構大きな構えです。樽や桶など、置いてある物は沢の鶴資料館のものと変わりありませんが、ここには人形があり、動きが加わっているようです。

          

人形と言っても、働く姿そのものであり、なかなか迫力を感じます。

          

ほらネ、写真で撮れば動きは止まってしまうから、人が動いていたと言っても判らないではありませんか。

             

ここは2階まで上がってきて、先の縄を引っ張っている人の上であり、ちゃんと連動しているのです。

          

ここ白鶴では、菰樽まで、自分たちの手で造っていたんですね。

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御旅所見っつけ!

2009-04-24 05:00:00 | 神戸にて
仕事を一区切りつけて、少しウロウロしていると、『住吉呉田まちづくりの会』と書いた案内板があり、暮らし方について神戸市長と協定を結んだとかナントかと説明がありました。左端に地図があったのでじっと目を凝らしていると、南の方に御旅公園を見つけました。

丁度、昨日の呉田会館より真南に200mぐらい下った所でしょうか。平日の昼間ですが、全く人通りがありません。

          

遠くからでも鳥居が見えたので、すぐに判りました。公園て書いてあったけど、神社なのか?

               

鳥居の額にも、この石柱にも『御旅所』と刻まれています。ここに昨日の道標があったのです。では何故に200mも北へ持っていったのでしょうね。

          

公園内は、古墳ではありませんが豪族の墓に似通ったようなものを設置してありました。

               

寛政9年製の石柱ですが、何に使われていたのか・・・鳥居だったものかも知れません。昨日の道標より50年ほど古いものです。

          

昼食にしようと43号線を渡り、西に向かって歩いていくと、ニトリの角にまた案内板が立てられて、今度は『住吉ステーションの碑』なるものが、建っています。

               

明治7年に大阪~神戸間に開通した鉄道に、神崎・西宮・住吉・三宮の駅が設けられ、西国街道を通る旅人に住吉駅の所在を知らせるものだったようです。

『従是住吉ステーション迄九丁四十五間』とあり、北へ向かって1Kmほどのところにあったのでしょう。今では1Km先など見渡せませんが、当時ならここから駅は見えていたのかも知れません。この道標が造られたのは明治14年となっています。

               

食堂を探してウロウロ、今度は43号線沿いに東へ歩いていくと、案内板はありませんが、またまた道標がありました。右側に嘉永二まで読め、太字は『?ぐ兵庫』と読めます。

               

反対側は『すぐ大坂道』、『徳本上人石碑 十八丁』と刻まれています。この写真では読めませんが、大坂道の下に右から七里・西宮・二里と縦に三行、細く書かれていました。

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呉田会館前の道標

2009-04-23 05:00:00 | 神戸にて
住吉台の仕事を終えて、今度は同じ住吉の地名が付く、住吉南町へ行くことになりました。同じ住吉が付いていても、住吉台は山裾、住吉南町はもう海の近くです。

ここは阪神電車の魚住駅で降りると近いので楽です。住吉南町へと歩いているうちに、こんな道標を見つけました。

               

呉田会館と書いてある建物の前、ここは住吉南町4丁目ですが、昔は呉田とでも呼んでいたのでしょうか。

          

横には同じ名前の交番もありました。

この呼び名が、何と読むのか・・・『ごだ』なのかと思うと・・・

                

電柱には、こういう表示があるのです。『ごでん』なんですね。これ、我社の表示方法なのですよ。

          

住吉神社の御旅所の前に建っていたとありますから、この前に建っていたのではないんですね。この前は国道43号線、その上を阪神高速神戸線が走っています。

都賀川の畔にあった西国浜街道の碑からずっと東に辿ると、この道標があったのは、ここより南側だろうと思われますが、御旅所がどこにあったのか、それがよく判りません。

               

嘉永4年と薄く刻んであるのが、微かに判ります。この刻み方からすると、『右西宮大阪道』と刻んである字は深く太いので、案内板にあるように大阪・大坂の字から推定するのと共に、彫られた年代の違いが判ります。

          

案内板に書かれていた古い道標の上部、正面は住吉大明神と刻まれているのは誰にでも分かりますが、側面は『左・・・』何と刻んであったのでしょうね。

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春日神社

2009-04-22 05:00:00 | 神戸にて
JR尼崎からJR住吉までの運賃が290円、一つ手前の摂津本山駅までなら210円です。
阪神尼崎から阪神住吉までが260円、一つ手前の魚崎駅まででも同じ料金です。

住吉台まではくるくるバスに乗ることにしていたので、往きには安くても摂津本山で降りたり、阪神電車に乗ることは時間の無駄というものです。魚崎駅からくるくるバスの停留所のある東灘区役所までが結構遠かった(ということは阪神電車を使ったことがあった)のです。

それで魚崎駅より一つ手前の青木駅まで行けば、どれだけ安くなるのかと思い、帰りは阪神・青木駅まで歩いてみたのでした。

       

途中にあった春日神社、沿革を綴った案内板があるのですが、何故か白地に薄い青色で書いてあるので、読めませんね。一部黒字で修正してある箇所がハッキリ読めます。ホントに何故読み難い青などで書いたのでしょう。

          

境内に水災復興記念なる碑がドンと鎮座しております。住吉川の辺に有った碑には水災紀念の文字がありました。復興したので記念であり、災害の痕跡を残したので紀念と標記としたのかも知れません。

ただこの地は住吉川からは、遥かに遠く、途中には本山川という小さな川が流れています。この碑はいつの水災のことを記しているのでしょう。阪神大震災は水災とは言えませんが、地震があって一番困るのは水だそうです。でもそれは水災とは言えないでしょう。

          

社に比べて、大きな松が佇んでいますが、少し傾いていて、よろけた感じです。

          

この鳥居も石や木で出来ているものではありません。中はどうなっているのか判りませんが、白いペンキを塗ってあり、肌は金属で出来ているようでした。

          

それから暫く歩いて、青木の駅に到着。ここで気が付きましたか?青木は『あおき』ではなく、『おおぎ』だったのです。青木と書いて『おおぎ』と読むことに出合ったのは、ここしかありません。

          

こちらは神戸方面を向いていますが、一番右に新しいホームがあり、線路も新しく追加しています。青木駅は各駅停車しか停まりませんから、複々線化してもホームはこんなに要らないのです。
きっと中央の2本の線路を高架化しようとしていると思います。今工事している線路はその為の一時凌ぎのものでしょうね。高架化するというのも大変手間と暇と金がかかるものです。

ところで青木~尼崎間は・・・260円でした。それならもっと近い摂津本山へ行けば良かったと思っても、後の祭りです。

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住吉川も天井川

2009-04-21 05:00:00 | 神戸にて
さて、そろそろ住吉台での仕事も終りなので、住吉川についてもう少し感じたことを綴ります。と言っても上流ではなくて、下流のお話。

JRの住吉駅で降りて、国道2号線沿いに東灘区役所を越えて、住吉川に着き、遡上していくと、左岸に大きくて立派な建物が見えてきます。

          

マンションにしては生活感が感じられません。いつ通っても洗濯物を干してあるのを見たことがありません。こうして見ていると人が住んでいる気配さえありません。

では何なのか?近くまで行ってみましたが、やはりマンションらしい。

          

このマンション、細雪の碑があった対岸にあるのです。
この写真で感じられると思いますが、手前が坂になっています。手前はどんどん下がっていくのです。

つまり、この辺りまで来ると住吉川は天井川になってしまっているのです。

石屋川が天井川で、最初は川の下を国鉄の汽車が走っていたことを紹介しました。今はJRが高架になっていて、石屋川は線路の下を流れています。

ところが、ここ住吉川は昔のまま、川の下をJRの電車が走っています。トンネルではなくて橋になっているのですがね。

          

これがその橋なのですが、歩いていても川の下を電車が走っているというようなことは感じられません。

          

この下をJRの電車が走っていることになりますが、こういう状態ですから、電車など全く関係ないのです。

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タイムズ西長洲1丁目 Ⅲ

2009-04-20 05:00:00 | 大阪にて
あれから1ヶ月、先週末にまたまた値上げです。
こんなにやりたい放題されても、日本人は怒らないのですね。

          

だから国民にとって良い政治が行われないのです。
金持ち・財界のための政治が横行するのです。

               

それでも満車状態は続いているのです。
日本人よ、怒れ!このような横暴を許すな!

          

舗装などしてありません。地道にトラロープを張っただけのオソマツな造りです。
だから一日300円という格安な設定だと思っていたのです。

この駐車場を造るのに、資金は殆ど要らなかったでしょう。
経営者は笑いが止まらんでしょうな。
日本人は何と従順なことかと・・・

          

こんな不道徳なやり方は、おそらく資本家の間でもご法度だとは思うのですがね。

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住吉公園 Ⅱ

2009-04-17 05:00:00 | 大阪にて
サクラも終わりかけの住吉公園、この日は日曜で晴天だったので、花見をしている人達もたくさん来ていました。

          

広い公園なので、こうした池や花壇が所々にあり、又、野球場やテニス場もあります。実はある時間まで草野球を観戦していたのです。

            

ここに芭蕉の句碑がありました。
芭蕉は元禄7年、故郷上野の地を9月9日に出て、奈良を経て9月13日に住吉の宝の市で升を買っています。

     『升買て 分別かはる 月見かな  翁』

とあるのが、この句碑です。

芭蕉はその1ヶ月後、10月12日に南御堂の近くで没しています。

          

ある時間とは花見の時間なのでした。ソフトボールの練習を終えて、2時から花見をここ住吉公園でやろうということで、土曜日に練習をし、五十肩で肩の痛い私が場所取りに先発していたのです。

          

残り少なくなったサクラの花びらが焼肉の上に散ってきます。風流なようですが、食べるときは一瞬でした。

          

サクラのピンクより、楠の緑が勝っている景観なのですが、花見は花見、みなさんのんびりくつろいでいます。この日は我がチームより、他所のチームの方々の方が多く集まってくれました。

          

それにしても、この2本の楠の枝ぶりは見事です。こういう樹を見ると神の気配を感じて祀っておきたいと思うのが日本人なのかも知れません。

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