ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

季節外れですが

2007-05-31 05:30:49 | 大阪にて
桜の咲く頃から食満2丁目を担当にして歩いていました。




ようやく桜が咲いていくつか記事を書きましたが、ここのことを載せるのを伸ばし伸ばしにしていたら、今頃になってしまいました。

桜の花びらの絨毯です。

      

散りたては美しいのですが、時間の経過と共に土にまみれてしまうのですが、地元の方が掃除をされたのでしょうか?

     

ここは上食満公園、休憩しようと入ったのですが、桜の咲いていたのは奥の方、子供の遊具が置かれているのとは別になっていました。

     

尼崎の公園にはこの手の絵が描いてある立看板が目を引きますが、それぞれ書かれている内容は同じですが、絵が違います。
ここのは面白い。ゴミを捨てにくるオバチャンや、水道を壊す子供・・・

       

この辺りでは一面にレンゲを咲かせている農地がいくつか見られ、懐かしさが感じられます。
古座の方では農地にレンゲを咲かせている所は皆無です。
小学校の頃、レンゲを咲かせるのは根粒菌がどうのこうのと習った記憶があるのですが、効果がなかったのかな?


GUIMET

2007-05-30 05:00:00 | 大阪にて
グルメではありません。
ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展であります。




天王寺にあります。

     

室内でフラッシュ無しで撮ると、どうしてもブレてしまいました。
撮ったらアカン緊張感からでしょうか?
葛飾北斎の龍図と虎図、100年目の再会だそうです。

       

雨に煙る天王寺公園、昔は無料だったのに入園する際に美術館の入場料を払わないと入れません。

       

何故か旧黒田藩の長屋門があります。

       

慶沢園の入口、雨だったので入りませんでした。

       

美術館の入口、右が喜多川歌麿の『ひら野屋』、左が東洲斎写楽の『金貸石部金吉』です。

       

押し合いへし合いと言うわけでもありませんが、かなりの人が観に来られていましたので、館内を撮影するわけにもいきません。
解説の本を買いました。
表紙は北斎の『龍図』です。

本やポスターなどではきれいな色をしていますが、実物はやはり古いので鮮明な色はしていません。

       

入場券、歌川広重の『月に雁』が描かれています。

     

       

本の一部です。上の左頁が歌川国貞、右頁が歌川貞秀、下は北斎のものです。
こういう北斎の浮世絵を見ていると、熊谷守一は北斎の影響を受けているなと感じます。

     

美術館前から西側を見渡すと下町です。右に通天閣、左にフェスティバルゲートが見えます。美術館は上町台地の上です。
帰りはこちら側へ・・・

      

振り返ると、やはり高いところにありますね。

ジャンジャン横丁を歩いていたら、絵が・・・

       

作:山中孝夫・・・あれっ?我社の人やん。 


富田の水

2007-05-29 05:00:00 | 田舎
田辺から42号線で串本方面に走ると、富田川沿いの道を通ることになります。
富田橋の信号で右へ橋を渡って白浜、左下へ『富田の水』の看板があります。




道なりに『富田の水』の標識があり、一部細い道もありますが5分ほどで到着です。

       

100円で1分、約10リットルの水が出ますが、出し続けると10リットル以上は出るようです。1分経てば10リットル出て無くても止まってしまいます。

1年ぐらい前は100円で20リットルだったのに・・・古座川のカヌーレンタルが1000円から2000円に、ぼたん荘の入浴料金が400円から500円に、和歌山県は値上げ攻勢です。

ここの水は硬水で、そのまま飲むと硬く感じます。
ずっと置いておいても腐りません。

       

水汲み場の駐車場、ここに停めることができれば重たい水も苦になりませんが、いっぱいの時もしばしば、山側の空き地に停めなければなりません。

ここを過ぎて、山道を更に上がれば塩津山、途中に瑠璃光霊泉があります。

     

瑠璃光霊泉の水汲み場をウロウロしていたら、川のところでトンボが休んでいました。判りますか?

     

こちらの写真で判ったでしょう。

     

     

     

以前来た時は気づかなかったのですが、ここの七福神はみんな笑ってますね。

     

この前来た時は誰も居なかったのに、この日は沢山霊泉を汲みに来られていました。

     

霊泉の説明ですが、大黒さんを入れたので読めませんね。


この車でここに水を汲みに来ることも、もう無いかもしれません。
次来るときは、新しい車で・・・

BBQ

2007-05-28 05:10:02 | 大阪にて
50歳になる前までいた職場の人たち(辞めた人も、配転された人も含めて)が交野市の私市でBBQをするというので、参加しました。

       

私市へは京阪電車で行くものと思っていたのですが、当日ネットで路線を確認すると、JR東西線で河内磐船まで行き、そこから京阪で1駅とのこと。
ちなみに京阪を使うと1時間半、JRと京阪で1時間かかるようです。




1駅なら歩けると思ったのですが・・・降りてみて道が判らない、また迷ってはいかんと思い、電車に乗りました。

私市まで電車ですぐでしたが、車窓からは道は確認できませんでした。

       

ハイキングコースもあるようでしたが、私は着いた時から飲み始め、肉や野菜を焼くのは人に任せて、ただひたすら飲んでいたのでした。

     

途中雨模様にもなり、幸いテントの下だったので良かったようなものの、空の下だったらズブ濡れです。

       

終わる頃には空は晴れていますが、私は酔っています。

       

片付けも終わり、帰路へ・・・肝心の写真が1枚も無い・・・だってずっと飲んでたもん。

       

写した写真を見るだけで、私が如何に酔ってたか判るような気がします。


教王護国寺Ⅱ

2007-05-25 06:21:21 | 
『教王護国寺』の呼び名は正式法人名ですが、『東寺』という呼び名は建立当時からの歴史的名称だそうです。

桓武天皇が8世紀末に平安遷都して、王城鎮護・国家鎮護のため羅城門の左右にそれぞれ東寺と西寺を建立しました。

平安遷都や羅城門やこの東寺の建立、当時の庶民の生活などは、澤田ふじ子著『天の鎖』に描かれています。

       

これは教王護国寺の社務所の当たる建物、訪れる人も少なくひっそりとしていますが、なかなか立派な建物です。

       

並んでこの建物、正面に菊の御紋が透かして見えます。

     

小子坊とか・・・昭和9年ですから、皇国史観が盛大な時代に建てられたので御紋などが描かれているのでしょうね。

       

こちらは南大門、焼肉屋ではありません。
東大門・南大門と見ましたが、西や北にも門があるのでしょうか?

歩いた感覚では、北には門がありそうでしたが、西には上のような院が並んでいるので、門は無さそうです。

     

こちらは金堂。こうやって撮ってる建物は無料で見てるのですが、五重塔の近くには拝観料を払わないと行けません。

       

時間的な余裕もなかったし、曇天なので写真もきれいに撮れてないし、料金の要る所には行きませんでした。
何故かお金のかかる所の方が人が多かった。

       

校倉造りの『宝蔵』です。

     

最後に弘法大師様の貴重なお言葉を・・・“自分のことは後にする”なんて『時代おくれ』の歌詞みたい・・・じゃなくてパクッたのは後者の方か!?

又、天気のいい日に出直したいものです。

教王護国寺

2007-05-24 05:00:01 | 
大田神社に行く前、是非訪れてみたかった教王護国寺に行ってみました。
教王護国寺とは一般的には東寺のこと、京都の人は『弘法さん』と呼んでいるそうです。

JR京都線で京都駅に着く前、どの辺りかなと南側を見ていたのですが、五重塔の屋根は見えません。「以前は見たことあったよな、おかしいな・・・」と思ってたら、前に見たのは新幹線の車窓から、新幹線は高架になっているので見えたんですね。

ということで適当に南の方角へ、だけど東寺らしき建物はありません。はたまた迷ってしまい、気が付けば十条まで歩いていました。JR京都駅は八条ですから、3条分歩いたのでしょうか?

やっと地図を見つけて「もっと西や」、「たいぶ来過ぎた」と近鉄電車の東寺駅まで戻り、そこからはすぐに判りました。




九条通りと大宮通りの交差点にありました。

     

東大門です。不開門とあるぐらいですから、ここからは入れません。

     

足利尊氏は新田義貞に攻められて、一旦九州に逃れたんでしたね。

      

東大門の北側にあるこの慶賀門から入っていきました。

       

境内がユネスコの世界遺産に登録されてるんですね。

       

まず目に付いたのが、この建物・・・講堂でしょうか。手前は駐車場になっています。

       

裏側の風景、迷った分時間が無くなっているので、結構急いで廻っています。

       

甍から垣間見る五重塔、天気がイマイチなので、美しく写りません。


ふかきたのみは 色にみゆらむ (大田の沢の杜若)

2007-05-23 05:00:00 | 
大田神社の右側手前にカキツバタの群生が見られます。
拝観料じゃないけど、管理協力金のような300円を自主的に払って入りました。

     

意外なことに見物側から被写体まで距離があります。
この写真もマクロで撮ったのではなく、望遠で撮っています。

沢の中に道を通してくれていたら、いろんな写真が撮れたのにと思うばかりです。

       

それに行った時期が少し遅かったのか、花が幾分萎れてしまっています。
そこのところが返す返すも残念です。

     

池の広さが2000㎡もあるそうですが、そんなに広くは感じません。
一端が20mであれば奥まで100mある勘定ですが、当に入口側は20mぐらいでしょうか・・・奥の木々の向こうはどうなってるのか判りませんが100mもあるようには見えません。

       

ここの案内板には古代から咲き続けたと明記してあります。
昨日の案内板とは矛盾しないのかなぁ?

でも確かに無数に咲いています。

          

大田神社

2007-05-22 05:30:00 | 
京都はお寺に有名なものが沢山あり、本屋でチラッと見るガイドブックなどにも神社はなかなか出てきません。

でも上賀茂神社は有名ですよね。



       
その上賀茂神社の近くに大田神社というのがあって、そこに平安時代から咲き続けるカキツバタの群生があるというので訪ねてみました。

       

うまく隠してるつもりでも、邪魔なんですよね・・・黒い車。
神社やお寺の風景には自動車は似合わない!
自動車や自転車、果ては馬でもここから先は通さないとよく書いてあります。

       

外人さん一家もここを訪ねて来ています。
気に入ったのか、なかなか立ち去ろうとはしません。

     

ウ~ン、平安時代から咲き続けているとは書かれてない。
平安時代にカキツバタの群生があって名勝となっていたと書かれています。

京都は平安遷都以来、天皇の居続けた都市、幾多の戦乱を経てきたのでしょう。
名勝であったこの付近も兵共に踏みつくされたであろうことは、簡単に想像できます。

       

神社付近の民家、土塀が崩れ落ちて、なんとも古風を醸し出しています。

       

上賀茂神社からの道、疎水が流れています。
水も汚れているとは言えません。

       

カモも泳いでいました。
この道の左右には社屋があって、古い家が並んでいます。
入ろうと思ったらお金が要ったので、時間もないので止めておきました。



大きな楠が小さい祠と一緒に祀られていました。
が、その前の標識・・・役に立ってるのでしょうか?
こちら側からは何の標識か判らないし、正面は楠じゃないですか?

       

京都駅から4番のバスで上賀茂神社で降りると教えてもらったのに、上賀茂御薗橋を通る9番のバスに乗ってしまったので、エライ時間がかかってしまい・・・挙句に降りたところから上賀茂神社が分からない。

何とか雰囲気だけで神社には辿り着きました。
上賀茂神社手前の鴨川から北を眺めた様子です。


タンポポの怪

2007-05-21 05:20:00 | 田舎
姫の家から山手へほんの10mほど歩くとレンゲと一緒に黄色い小さな花が咲き乱れていました。

       

どこにでもありそうな、何の変哲も無い花です。そこがまた私にとって魅力なのかも知れません。

     

近づいて見ると、ツヤツヤとまるでラッカーを塗ったような光沢があります。


同じ所に咲いていたタンポポ・・・今まで何気なく見ていましたが、あることに気が付きました。

       


そう、綿毛になると背が伸びてるんです。
自分が知らんかっただけで、怪というほどでもありませんが・・・

       

花に焦点を合せると綿毛がボケます。綿毛に焦点を合わすと花がボケます。
それくらい距離感があるのです。

       

綿毛の茎は未だ伸びきっていないようです。
子馬や子牛が生まれた時、懸命に立とうとする姿を連想させます。

     

綿毛になる前のタンポポ、あとどれ位でまん丸になるのでしょう?

咲いてるうちが花なんて言いますが、咲き終わってからまだ背が伸びるなんて人間の世界とだいぶん違うようです。

でも人間も花が咲いた後、人間として成長していくもんですよね。

憑神(つきがみ)

2007-05-18 05:10:00 | 読書
5月1日第1刷発行のこの本、GWに読もうと今回帰る前から買ってあったのですが(日付が合わん)、結構本を読んでるヒマも無くて先ごろやっと読み終えたという感じです。

       

浅田作品を映画化することが最近の風潮なのか、この本も映画化されるとか・・・
しかし帯に書いてある如く“抱腹絶倒”“感涙必至”というものでもないと思うのです。

時は幕末、御影鎧番の御徒の次男として生まれた別所彦四郎に憑く3つの神と、彦四郎の武士としての意地と葛藤の物語。

まず1番目の神は貧乏神、商人『伊勢屋』に化けて出てくる。
彦四郎は宿替えと称して、貧乏神を無理矢理離縁させられた井上軍兵衛に振るが、元の妻子にも災いは降りかかる。

2番目が疫病神、関取『九頭龍』に化けて出る。
またまた宿替えと称して、御影鎧番頭を勤める兄・左兵衛に・・・

兄・左兵衛は御影鎧番の仕事を勤めるでもなく、周りの評判が良くない。疫病神に憑かれて病に倒れ、彦四郎にそのお役目が回ってくるのだが、そのことが3番目の死神にとり憑かれ、今度は誰にも振れないハメになっていく。

御徒とは有事の際、将軍の身代わりとして命を差し出すことを名誉とする身分。
御影鎧番は、その際の冑・鎧を将軍と同一のものを埃や錆など付かないよう管理する役目、別所家は家康の代の先祖が御徒として家康の身代わりで戦死した恩賞で、以後代々御影鎧番を仰せつかっていました。

死神が今度化けるのは・・・?

実在人物として、榎本武揚、勝海舟なども・・・