ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

アサヒビール吹田工場 Ⅱ

2009-10-30 05:00:00 | 大阪にて
昨日は館内に立ち入る前までのお話をしました。

そしていよいよ館内です。予定の時間になると、専任の案内嬢が付いてくれ、まず映画を観ることになります。

                 

映画の中でも紹介があり、館内にもポスターが貼ってあるのですが、スーパードライ1本につき1円の割りで、環境保全に役立てるよう、全国各県に寄付をしているというのです。近畿で言えば、例えば奈良県には鹿や文化財の保護、滋賀県には琵琶湖の水質の改善、大阪府には府下の小学校の校庭の芝生化、京都府には貴重な文化財の保護、兵庫県には里山保全活動のためにという具合です。

和歌山県は写真の通り。

             

アサヒビール出荷時の写真がパネル化されていました。初代社長の鳥居某という人が写っていますが、サントリーの鳥居さんとは関係ないそうです。

             

創業当時の工場の全景の模型が展示されています。ここから先は写真撮影禁止になっていました。約1時間の見学の後、いよいよビールの試飲です。

みんなこれが楽しみで来ているのです。工場の見学など無くてもよいと思ってる人が殆んどだったと思います。

             

スーパードライ、アサヒ黒生、アサヒプレミアム生ビール熟撰のうちから少し大きめのグラスで3杯飲めます。1杯づつ味見をすれば丁度3杯になるのですがね。

             

私はまずはスーパードライを・・・やはり出来立ては味が違います。2杯目は熟撰というのを、3杯目はスーパードライと黒生のハーフ&ハーフをいただきました。

ちゃんとチーズとコメッコのおつまみもついています。

皆さん、熟撰が美味しいと言われてましたが、私はやっぱりスーパードライが一番美味いと思っています。

因みに入館・試飲は無料ですが、団体での見学には予約が必要です。

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アサヒビール吹田工場

2009-10-29 05:00:00 | 大阪にて
先週の金曜日、10月23日は電信電話記念日でした。
我社は昼から半日お休みでした。以前この記念日が何を記念して決められたのか、忘れてしまったと綴りましたが、実は1869年のこの日、日本国で初めて横浜~東京間32Kmに電信線架設の工事が開始された日なのです。

逓信省と呼ばれていた時代は、4月20日が郵政記念日と決められていたのですが、1949年に郵政省と電気通信省に分割された際、新たにこの10月23日を電気通信記念日と制定しました。

私の生まれた1952年に日本電信電話公社として発足していますが、1956年になって10月23日を電信電話記念日としてスタートさせていたのです。

何故このような話を書いているかと言うと、我社の社長たる某が今年のこの記念日に際して挨拶を述べているのですが、その件に「第11回目の電信電話記念日・・・」という妙な発言があり、少し電信電話記念日について考えてみたかったのです。

名称は違えど、電気通信記念日であれ、電信電話記念日であれ、10月23日を我が国の電気通信事業の出発点の記念日として制定してから、1949年から数えると61回目、1956年から数えると54回目に当たるわけです。

そういう歴史があるこの日にあたって、社長ともあろうお方が何を勘違いされたのか、僅か11回目の記念日という言い方をされるのは「オイ、ちょっと待てよ!」と言いたくなって当然です。

何が11回目の記念日かというと、日本電信電話株式会社を解体し、西日本電信電話株式会社が発足して10年が経ち、今回11回目の電信電話記念日を迎えたと社長某は言いたいわけですね。

そのような電信電話記念日の考え方は、事実をねじ曲げ、電信電話事業を矮小化してしまう何ものでもありません。電信電話記念日は我社に関係はあるにしても、ただ単に我社だけの記念日ではなく、国家的な記念日なのです。まぁ、社長某にとっては、我社はもう電気通信事業などやってられないという気持ちが強いのでしょうね。

何を勘違いした云々と書きましたが、社長某は勘違いしたのではなく、むしろ意識的にこの記念日の歴史を無視したのでしょう、こういう奴を確信犯と言います。

             

さて、午後から半日休みとなったわけですが、繁盛亭に誘ってくださったKさんがアサヒビールの吹田工場見学を計画され、繁盛亭に参加した12人より多い15人でJR吹田駅に向かったのでした。

最初の写真はJR吹田駅から北方面を眺めています。

平日でしたが、バスで見学に来られている方々もおられ、結構沢山の人が来ていました。バスで来られるのは正解かも知れません。駅からは随分遠い距離でした。

バスの奥にチラッと見えてるレンガ造りの建物は大正時代のものだそうです。

              

鉄人28号の頭と思いきや、これは創業当時のビール工場の煙突の天辺だそうで兜と呼ばれているとか、この吹田工場の貴重なモニュメントになっているそうです。

                   

1889年竣工ですから、120年前のレンガ造りの壁が、玄関に記念撮影用として残されています。

偶然ですが、今日の記事の中で横浜~東京間で電信線架設工事が1869年、この吹田工場誕生が1889年、丁度20年の間隔ですね。

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朝鮮朝顔?

2009-10-28 05:00:00 | 神戸にて
昔はこのような花を見かけたことがついぞ無かったのですが、最近よく目にするようになりました。普通の家の庭でもよく見かけますが、どこのものも花はそこそこ大きいのですが、こんなに大きい枝ぶりは初めてです。

朝鮮朝顔によく似た花ですが、花は全部下を向いて咲いています。

朝鮮朝顔は草ですよね。でもこれは木のように背が高いのです。でも幹が無さそうですし、やっぱりこれも草ですよね。

             

花を撮ると普通バックには土や建物が写るのですが、この花は空が写ります。この日は晴天だったので、ことさら青がきれいです。

             

しかしホントに草なのか、根元を見てみました。ケヤキのように幹が幾本もあるようにも見えます。枝が増えすぎたのか、所々切ってあり、切り口は竹のように空洞になっていました。

何処が幹で、何処が枝で、何処が根なのか・・・さっぱり判りません。

             

朝鮮朝顔で検索していると、ダツラという花がこれによく似ていました。

西明石駅から王塚台へ向かう途中、鳥羽の街で見かけました。

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車中より

2009-10-27 05:00:00 | 神戸にて
西明石駅から尼崎へJRの新快速電車に乗ります。停車駅は少ないですが30分ぐらいかかります。快速や普通電車に乗ると相当な時間がかかるでしょう。

まずは停車中の明石駅から明石城址を撮ってみました。JRのケーブルが邪魔になると書いたのですが、停まっているので望遠にして、ケーブルが写らないように撮りました。

             

走り出すと結構なスピードで走るので、被写体を捉えるのは難しいです。
これは明石市立天文科学館、案の定、JRのケーブルが写り込んでいます。

東経135度の日本標準時子午線の真上に建っているそうです。

JSTMって何かいなと思って調べてみても、建材試験センター規格というのが出てくるばかりで、この塔とは関係なさそうです。

実はJapan Standard Time Meridianの略だそうで、日本標準時子午線を表しているのです。

阪神大震災で被災し、今ある建物は再建されたものだそうです。

             

こちらは明石海峡大橋を西側から眺めたもの、走っている電車からは非常に撮り難いです。電車が一番北の端を走っているので、JRの線路や山陽電鉄の線路上、国道2号線上のケーブルが沢山写ってしまって橋にピントが合いません。

             

ここは舞子駅の近く、明石海峡大橋は明石から淡路島へと架かっているのではなく、垂水区の舞子から淡路島へと伸びているのです。

一度はこの舞子駅で降りて、散策してみなければなりません。舞子公園や橋の科学館、孫文記念館などがあるようです。

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西明石駅

2009-10-26 05:00:00 | 神戸にて
西明石駅の路上に立てかけてあった案内板、この絵を見ていると『馬場のぼる』っていう人のタッチに似ていますし、字もそのような感じです。
私の行っていた王塚古墳も右端中央部に描かれていますが、これで見ると山陽新幹線とJR山陽本線の駅は離れているように描かれています。

             

左の建物がJR神戸線、右が新幹線の駅ですが、確かに少し離れてはいるものの、連絡橋で結ばれています。東側から西に向かって撮っています。

             

今度は連絡橋を越えて、西側から東方面を撮りました。

                  

JR山陽本線のホームの柱に貼られていた案内、西明石から新大阪へ通勤・通学している人に得だとか・・・yahooの路線検索を使うと、在来線で西明石~新大阪間は890円、新幹線なら特急券が2190円プラスになるので3080円です。1ヶ月の定期代を比べると26060円と58400円、もちろん通勤定期の値段です。

どのように計算したら1回あたり740円のお得になるのでしょう?

この案内では自由席特急券は1680円になっていますね。回数券が10枚つづりで9400円、1枚あたり940円ですから1680-940=740ということになるのでしょうね。

時間的には在来線が46分、新幹線が23分ですから、新幹線の方が倍速いですから、朝寝坊したときに使いなさいという意味でしょうか。

回数券ですから有効期限があることでしょうし、きっちりと早寝・早起きする人にとっては、少しもお得ではありません。こんなものを買ってしまうほうが不経済というものです。

会社というものはこのように、得でもないものを得だとして、如何にして国民から金を巻き上げようと企てるものなのか・・・受験勉強で寝るのが遅くなってしまって朝寝坊をした子供には、940円と言わず、タダで新幹線に乗せてあげればいいではないですか。乗る人がいようといまいと、時間が来れば走る電車なのです。

因みにこの書き方だと西明石から新大阪へ通う人への案内になっていますが、その逆の人もきっとおられるわけで、そのような人でも使えるのでしょうか?

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ソフトボール用グランド

2009-10-23 05:00:00 | 神戸にて
西明石駅から王塚台へ行く途中に鳥羽というバス停があります。実際には明南町という町名なのですが、鳥羽小学校や鳥羽幼稚園などが並んでいます。鳥羽という町は道路を挟んで南側にあたります。

ここは神戸市西区ではなくて、明石市になります。

そこには正方形でも長方形でもないのですが、言わば台形のグランドがありました。野球をするには少し狭いのでソフトボールのグランドかと思われます。

            

フェンスも少し低いような気がします。
最初の写真の奥がホームベース、ですからレフト側から撮ったのだと思っています。2枚目の写真がホームからライト側になるのでしょう。

左の強打者がいれば、軽々とフェンスを越してしまいそう、向こうの家は大丈夫なのでしょうか。右バッターでは、なかなかフェンスを越えるのは難しいかも知れません。

             

このグランドの先、南100m程の所にまたまた同じようなグランドがあるのです。帰り道なのでそちらにも寄ります。

             

この辺りは、田んぼや畑も未だ多く残っています。途中手書きのこんなポスターがありました。米の作柄は書いていませんが、新米5Kgが2000円は高いのか、安いのか、食べてみないと判りませんね。持ち帰るには重いので買いはしません。

             

次のグランドが見えてきました。グランドの形から推定して、こちらはホームベースのようです。ファールがフェンスを越えても田んぼなら大丈夫ですね。

             

利用者の専用倉庫のようです。ということは、このグランドは公用ではなくて、私用のものなのでしょうか。

      TOBA SOFTBALL TEAMとあります。

             

私の仮定が合っているとしたら、レフト側からホームベースを見ていることになります。前のグランドよりこちらの方が少し広そうです。

             

倉庫が置いてあった方向ですが、私の仮定からするとセンターの位置にあたります。道具をホームベースと反対側に置くというのも不便ですから、私の推測は間違っているかも知れません。

それにしても、このようなグランドが2つもある町なんて、なかなか無いのではありませんか。西明石方面ではソフトボールが盛んなのかも知れませんね。

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明石城祉

2009-10-22 05:00:00 | 神戸にて
JRの明石駅からも見えるこの東西二つの櫓、駅から撮ろうとすると線路沿いのケーブルがまともに邪魔をして、撮る気になりません。きっと明石駅に降り立つ人で写真を撮りたい人は同様な気持ちでいることでしょう。

                  

公園に入ってすぐに目立つのがこの銅像、大洋漁業の創業者・中部幾次郎だそうです。慶応の頃から父の漁業を手伝い、日本有数の水産会社に育て、故郷・明石を愛した人だそうです。昭和21年に貴族院議員に勅撰されたとありますが、終戦後も貴族院なるものが存在していたのですね。

             

この日はここで薪能が開かれるようで、会場作りが急がれていました。能を見るには少々広すぎるような気がします。

                  

櫓の方へと登って行こうとしているのですが、UPしている写真の空を見ていてください。最初は秋晴れの晴天ですが、徐々に曇ってきています。

             

これは西側の櫓です。もう完全に曇ってしまっています。暫くは雲が晴れるのを待っていたのですが、期待通りにはいきません。

             

こちらが東側の櫓、遠く彼方に明石海峡大橋が見えます。中央やや右に橋の主塔が見えます。晴天ならもう少しハッキリと写っていたと思います。

             

西下には明石県営球場が見えます。高校野球の県予選が開催されたりしています。この他に陸上競技場もあるそうです。

             

いつ雨が降ってもおかしくない空模様です。明石駅方面を見ていますが、ビルの向こうに見える山は淡路島です。

                  

公園の概要、広々としていますが、よく整備もされています。入場は無料ですから相当な税金が使われているようです。

             

何かと思ったのですが、どうやら日時計のようです。

             

とても全域を廻る気にもなりません。櫓を見て帰ってきたのですが、ここは白鳥がいた堀の反対側、人間用の小屋ではないでしょうが、鷺が1羽、何やら考え事をしているようでした。

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魚の棚

2009-10-21 05:00:00 | 神戸にて
JRの西明石という駅は、山陽新幹線の駅が設けられたことで、発展できた駅なのでしょう。JRの新快速電車は、京都ー高槻ー新大阪ー大阪ー尼崎ー芦屋ー三ノ宮ー神戸ー明石と、停車駅があまりないのに、明石の次の駅である西明石に停車します。西明石を出ると加古川ー姫路とまたまた駅間が長くなるのです。

当然西明石駅周辺より、明石駅周辺の方が馴染みがあり、商業面積も広いようです。西明石駅の周りもあまりコレと言ったものが無く、一度明石駅周辺に行ってみようと思い立ったのでした。

             

王塚台は西明石駅から北東方向へ歩いて15分程度のところにあり、これを戻って西明石駅から電車賃を払うより、そのまま南東方向へ歩いていけば明石駅に辿り着けると思い、テクテクと歩いたのでした。

明石川の国道2号線上にかかる橋の名を見てビックリ、『明石大橋』とあります。『明石大橋』といえば、普通あの淡路島に架かる吊り橋を連想しますよね。正式には明石海峡大橋というそうですが、高速道路の標識には明石大橋と書かれていたように思います。

でもこの橋の方が古いから、名前の占有権はこちらの橋にあります。

             

こちらは橋の東側、奥に見える橋は山陽電鉄のものです。その奥をJRが走っています。

明石と言えば魚の市場『魚の棚』が有名です。最初の写真の右上を見てください。魚の棚と書かれた看板の上部に『WONTANA』と書かれていて、きっと「ウォンタナ」と呼ぶのでしょう。

             


TVなどで見ているとたいそう繁盛しているように思えたのですが、実際来て見るとあまり買い物客もいません。時間も2時ごろと中途半端だったのかも知れません。

魚もあまり安くないと思ったけど、タコだけは生で売ってましたね。生のタコは買わないので、安いかどうか判りません。

遅めの昼飯に『明石焼き』と『タコ飯』を食べてみましたが、どうもあまり美味くありません。明石焼きは熱いばかり、出汁も凝ってるわけでもなく、タコ飯などいつ炊いたものなのか・・・タコの風味はないし、醤油辛いだけでした。

入った店が悪かったのかも知れません。

             

ウォンタナは駅の南側、王塚台から歩いてくる途中には、いろんな食堂がいくつかあって、その時間帯ならもっと早めに昼食を摂ることができたはず、「失敗したな」と思いながら、駅の北側にある明石城に足を伸ばしてみることにしました。

             

明石公園と銘打っているこの城跡ですが、城址というように天守閣はありません。
中心部に辿り着く前に堀があるのですが、よく見るカモやサギではなく白鳥が浮かんでいました。

             

もちろん作り物ではありません。

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COCOE

2009-10-20 05:00:00 | 大阪にて
JR尼崎駅の北西に出来た商業施設『COCOE』つまり『ここへ』です。実は今日がグランドオープンなのですが、16日の朝10時前に撮った写真がこれ、もう既に人が並んでいます。今日のオープン一番乗りを目指して並んでいたのではありません。

             

この日はプレオープン、オープンを2度やるなんて、いやはや商魂逞しいですね。

この写真は9月中旬に撮ったもの、外観はほぼ出来ていました。

そういえば、夏の間、何処に寝泊りしていたのか判りませんが、7時ごろになると電車でやってくるのではなくて、駅の南側から多くの労働者が歩いてくるのを見かけていました。

私どもがこの尼崎のセンタにやってきたのは、2006年の7月、その頃はこの地には何にも無く、ただただ更地がだだっ広くあるのみでした。

その前にはキリンビールの工場があったそうですが、その姿を私は確認していません。

             

AL.PLAZAという、いわばイトーヨーカドーやダイエー、ジャスコ、和歌山で言えばオークワ等のスーパーと、阪神百貨店、数々の専門店、尼崎には無かった映画館街が入っています。

             

さて、JR沿線の駅前は三宮駅や大阪駅など、私鉄の乗り入れている駅周辺はたいそう賑やかなのですが、他はさっぱり寂れた駅前が多いように思います。

この尼崎駅の周辺、商店街も無いくらい人が集まってくるところではありません。この商業施設で多方面から人を呼べるのでしょうか?

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王塚公園 Ⅱ

2009-10-19 05:00:00 | 神戸にて
この公園内にある古墳、正式には玉津王塚古墳と名付けられているそうですが、宮内庁の管轄下にあったとしても、回りの公園は近所の方々のボランティアできれいにされているようです。つまり宮内庁なんて何にもしてないのですよね。

             

近辺の観光案内版が立っていますが、どこもここからは遠くて、行ってみようという気持ちにはなりません。

             

竹中郁の詩の碑がありましたが、神戸文学館でこの人の名を見たことがあるのですが、私自身としてはあまりよく知りません。確か遠い昔に読んだ灰谷健二郎の本に名前が出ていたような、薄~い記憶があります。

この詩を読んでも、あまり意味が解りませんね。理解できるのは最後の2行ぐらいですかね。

             

公園の西側、こちらにも大きな碑があります。『神戸市玉津土地区画整理事業 完成記念碑』だそうで、ここにもかの神戸市長の名前が刻まれています。この手の完成記念碑、神戸市内のあちらこちらで見かけるのですが、いつもこの市長の名が刻まれているのです。

             

細かくて読めはしませんでしょうが、土地区画整理事業の由来が記されています。神戸市垂水区玉津町字吉田・森友・出合の一部 約163万㎡の区域は昭和40年に組合を結成し、整理事業を9年の歳月をかけて完遂させて、町の名前を王塚台・枝吉・森友・持子と改称したとあります。当時ここがそのまま垂水区だったのか西区だったのかの記載はありません。この後に組合役員の名前が列記され、最後に淡路島の景勝を望む台地に完成の記念して碑を建立したとされています。

             

しかし、何処から眺めてもこの地から淡路島を眺望することは出来ません。唯一、真ん中の白い車の上のビルとビルの間に少し、島の一部が見えるだけです。
昭和49年といえば1974年、35年も前ですが、その間に沢山の背の高い建物が建ってしまったのですね。

             

堀の南西角から東側を撮ると、堀の一部が赤茶化ています。ミジンコなのでしょうか?子供の頃、近くの池で見ていたミジンコとは少し違うようですから、ミジンコではないのかも知れませんが、実際は何なのか分かりません。

             

元に戻ってきました。一周するのにゆっくり歩いても10分とかからない小さな公園です。

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