ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

薬師寺

2010-11-30 05:00:00 | 
奈良での記事に戻ります。朱雀門を後にした一行は、大和西大寺駅に戻り、近鉄橿原線の西ノ京駅を目指します。ホームには吉野行きの特急が停まっていましたが、西ノ京などという小さな駅に特急など停まることは無いと思っていたのに、案内を見ていると西ノ京に停まるということが出ていたので急いで飛び乗りました。

             

駅に着くと確かに小さな駅で、訪れる予定の薬師寺や唐招提寺が無ければ、停まることも無いのでしょう。観光客が訪れる季節の土日祝だけ停まるのかも知れません。

拝観料800円を払い、伽藍に入ります。薬師寺の東塔である三重の塔が見えてきます。幾多の戦火に被災した薬師寺ですが、この東塔だけが白鳳文化の象徴として現存しています。

               

この三重の塔はよく見ると六重の塔に見えますが、大きな屋根の各下には裳階(もこし)が設けられているので六重に見えるのだそうです。勿論国宝です。

             

これは鎌倉時代に再建された東院堂。これも国宝、でも国宝の前にお手洗いの立て看板は似合わないように思えます。

                  

東の回廊から見える三重の塔、西側には西塔が再建されていますが、キンピカ過ぎてこの東塔と比べると重厚さが感じられません。

             

9時半頃にこの薬師寺に着いた時には少なかった観光客も、10時を回るとだんだん増えてきました。これは金堂、これも裳階が付けられていて、2階建ての建物なのです。

金堂には国宝の薬師三尊像が安置されていますが、写真を撮ることが出来ません。

             

金堂を出ると正面に講堂があり、この写真で見える影は金堂のものです。屋根が写真に収まりきらないのは、庭が狭いのではなく、講堂が広すぎるのです。講堂が金堂より大きいのは古代の伽藍の様式であり、南都の仏教が教学を重んじたことを示しています。

本尊に弥勒三尊像が安置されていますが、これも写真を撮ることを禁じられています。パンフレットや出版物には禁止されているはずの写真が掲載されていますから、写真を撮ってはいけないことは無いのです。一般人が撮ってはいけないとするのは、もったいぶっているか、ただのケチなのか・・・?

             

一通り見て周り、白鳳伽藍外の玄奘三蔵院の方へ足を伸ばします。こちらの大唐西域壁画殿には、平山郁夫画伯の壁画が嵌め込まれています。一見する価値があると思うのですが、こちらも撮影禁止です。

             

平山郁夫の壁画は完成当時にも見に来たことがあったように思うのですが、見学は拝観料の内に納められていて自由なのですが、今回平城京遷都1300年記念に特別公開されている吉祥天女画像などは更に500円の拝観料が必要なので見ませんでした。

尚、平山郁夫の壁画公開は来年の1月5日までとなっていました。

              gooリサーチモニターに登録!

光泉寺の子授けイチョウ Ⅲ

2010-11-29 05:00:00 | 田舎
奈良への記事を綴っている最中ですが、盛期を迎えつつある光泉寺のイチョウを見てきたので先にUPしたいと思います。これを見て早く行かなくちゃと思われる方もおられるかも知れません。そうなれば我がブログもトピック性を発揮したことになり、自分としても光栄の極みです。

古座からここ三尾川までの県道もすっかり整備が終わり、車の行き交いもスムーズになっています。

             

なかなか色づく時出会えない光泉寺の大イチョウですが、今回はもう少しで真黄色になりそうな雰囲気です。まぁ来年の秋からは常駐するつもりなので、紅葉の声を聞けばすぐに飛んで行ける態勢に入っているだろうと思います。

             

光泉寺は曹洞宗のお寺、でも奉納の赤い幟は『南無阿弥陀仏』と書かれています。この念仏を唱えれば極楽浄土へ行けると教えたのは法然や親鸞、浄土宗の坊さんです。曹洞宗と言えば辛い修行で有名な永平寺、宗祖は道元ですが、念仏を唱えるのと座禅を組むのとは自ずから違うはず。

             

未だ幹の下方は黄色く染まっていませんが、もう一足です。27日の朝方は滅法冷え込んだので、このイチョウも一気に紅葉したかも知れません。

             

写真を撮っていると住職にお会いすることが出来ました。今年はあまり寒くならないので「(紅葉は)例年より少し遅い」と言われていました。イチョウの話をしたり、釣りのことなどにも話は及びましたが、曹洞宗のお寺に何故念仏なのかは聞きそびれてしまいました。

             

黄色い絨毯もまだまだ、住職は今度の日曜ぐらいが最盛期かなとおっしゃっていましたが、その日曜とは昨日のことです。

去年はここに立ち寄らなかったのですが、樹の周りにロープが張り巡らされています。根を守るためなのでしょうか。でも入ってはいけないとも書いてありません。

             

イチョウの真後ろにある小さなお堂、何も書かれていないので何と呼ぶお堂なのか分かりません。


             

こうして見ると葉っぱの周りから徐々に黄色く染まっていくようです。そして樹全体としては陽の光がよく当たるところから黄色味を帯びていくような気がします。

             

イチョウの木の奥や本堂の裏にお墓が並んでいます。この日は端から端まで見て回りました。

          

イチョウの木の裏、一番高いところまで登って見下ろします。でもあまり高くはありません。

             

お寺の下の民家や向かいの山、3時半ごろですが太陽はもう山の向こうに沈んでいこうとしています。

             

こちらに着いたのが3時ごろ、この写真を撮ったのが3時40分ごろです。もうイチョウの木の大部分が西日の影に入ってしまいそうでした。

gooリサーチモニターに登録!

朱雀門

2010-11-26 05:00:00 | 
大極殿のはるか南、この辺りに住む人々にはもってこいの散歩道と言えるようなのどかな道の彼方に朱雀門が見えます。

朱雀は赤いスズメと書きますが、読んでその字の如くではありません。中国の伝説上の鳳凰に似た神鳥、方角は南を示します。お寺で言うと南大門ですね。

             

時間は8時半ごろ、何処の施設も入場できる時間ではありません。

             

近づくに従って判ったことは、この広場を近鉄電車が横断していること、近鉄側がこの平城京跡を横断していることを知った上での建設だったのか、知らなかったのか、どちらにしても邪魔としか言いようがありません。

             

8時半を超えて朱雀門の門が順次開いていきました。このシーンに出会ったのは偶然ですが、何処の施設にも入れない代わり、とっておきの瞬間に出会えました。

             

どうやら、こちら朱雀門の方から入場するのが正規のルートらしい。観光バスなどもこちらに集まってきます。遷都祭は終わっていても、観光ルートからは外れないのでしょう。

             

大極殿にしても、この朱雀門にしても、このように額を掲げていますが、最初から分っているものにわざわざ額を掲げて名前を書き示すものなのか、平城京建設当時はこのような額など無かったのではないかとさえ思ってしまいます。

             

開いた扉の中に大極殿が姿を見せています。

             

こちらは遣唐使船、中国(当時の唐)へ行くには、小さいような気がしました。一度にたくさんの人を運べないでしょうし、嵐が来たら水の上に漂う葉っぱです。

              gooリサーチモニターに登録!

平城京 大極殿

2010-11-25 05:00:00 | 
先週土曜日、かねてから収賄させられていたN田君と、その奥さんと娘のM子ちゃんを伴って、約束どおり奈良観光に出かけて来ました。

天気予報では当日は雨、前日の夜飲み会からの帰りには雨が降ってきたので、その時から覚悟は決めておったのですが、当日朝の天気予報を見ると曇りから晴に変っていました。外を見ても曇ってはいるものの雨は降っていません。

             

予定通り、近鉄の難波駅から7時6分の急行に乗り、30分で大和西大寺駅に到着、案内はするものの私も平城京跡に行くのは初めてです。去年興福寺に行った時、電車の中から大極殿が造営されているのが見えていましたから、方角などは分っていましたが、どの道を歩くのか分りません。まぁ適当に歩いていったら15分ぐらいで平城京の北の端っこに着きました。

おそらくこちらから入場するのではなかろうとは思いながら、そこから入場しないわけには行きません。未だ人もまばらな道を遠くに見える大極殿を見ながら歩いて行きました。

             

歩いていると、大極殿の後方に白い煙がもうもうと立ち上がっています。N田君は時代劇かかって狼煙とか言いますが、そんな半端なものじゃありません。

             

本当に火事かと思うほど白い煙が見えるのですが、幸い焔は見えませんし、消防車のサイレンも聞こえません。結局大極伝を見物し終えても状態は変らなかったので、あの場所では日常茶飯事のことだったのでしょう。

             

8時頃になってやっと大極殿の正面に到着、だだっ広くて何も無い広場を縦断して大極殿を見物です。遷都祭の開催中のことですが西大寺に住む友人からは、もの凄い人が来ていると言われていたので少し早めに来たのですが、近所から散歩に来ているような人がパラパラいるだけ、まぁ誰にも邪魔されずに写真が撮れますが、なんだか肩透かしを喰らったような感じです。

             

額に書かれた大極殿の字、よく見ると極の字が違います。極の下に四つ点が打たれています。こんな字は手書きパッドに入力しても出てきません。

             

まっさらな金ぴかのシャチホコのような飾り、ここら辺りの大きなお寺には東大寺や唐招提寺にしてもこのような飾りがあります。私はこれを見て、鯱と言うより鬣があったりして馬の頭に見えるのですが、これを鴟尾(しび)と言うようで、これが変化してお城のシャチホコになったのだそうです。

            

広場の芝生が養生中となっていて、堂々と歩くわけにもいかないので、迂回して大極殿の後ろ側も見て回りました。

              gooリサーチモニターに登録!

             

会社の朝顔

2010-11-24 05:00:00 | 大阪にて
夏休み中に会社の玄関にある朝顔が咲いたとメールが入ったことがありました。8月の盆過ぎのことです。咲き初めが遅かったのでしょう、10月に入ってもずっと咲き続けていました。

上の写真は10月初旬のもの。この朝顔の最盛期です。

  

聞くところによるとここのセンター長が植えたらしい。しかし朝水をやっているのは社員のI嬢(I婆かも)さん、I嬢(I婆かも)さんが休んだときは、面倒臭いなぁと思いながら、私も水をあげたことがありました。

    

これって何故写真のサイズが違うんやろ?この4枚は全部320×240ピクセルでUPしたのに・・・怖くはないけど怪奇現象です。

                   

そしてとうとう全部枯れてしまいました。11月当初の写真です。しかし3ヶ月間も長々と咲いていたものです。

             

あくる日にはもっと無残に・・・種を取って残しておいたんでしょうか?

              gooリサーチモニターに登録!

蕎麦打ちの功罪

2010-11-22 05:00:00 | 大阪にて
ここは阪急電車・西宮北口駅構内の『阪急そば』といううどん屋さん、『阪急そば』って言ううどん屋は主に阪急沿線の阪神間にたくさんあります。駅の構内外を問いません。

仁川駅のような小さな駅にもホーム内にこの『阪急そば』はあるのですが、きっと1台乗り過ごす気持ちでないと店に入ろうという気持ちは起こらないでしょう。西宮北口のような大きな駅になると電車はいくらでも来るので、余裕を持って店に入ることが出来るような気がします。

その『阪急そば』をうどん屋と規定したのは、そばもうどんも売っているから、そば屋さんはうどんなんか売っていませんよね。「うどんなんか」とうどんを馬鹿にしたような言い方をしましたが、実は私、熱いうどんが苦手なのです。熱いうどんを食べると食道から胃にかけて熱くなって、気持ちが悪くなります。熱いそばを食べてもそんな風にはなりません。カレーうどんは食べれるのですがね。

そうそう、この間K本君ともう一人の後輩Ni田君と私の3人でお客さんの家に行く前に、川西池田のアステで昼食をとったのですが、カレーうどんに因んだ妙な話があるのです。

昼を回った頃だったので何処の店も満員で、外で待っている人が並んでいる店ばかり、とある店の陳列を見ていると坂越のカキフライというのがあって、ここに入ろうと思い並んでいたら、中から店員が出てきて「(中で)座ってもらったらすぐ食べれるように注文を聞いておきます」と言うのです。私とNi田君は即座にカキフライと答えると、店員は「今日のカキは坂越のもので生を揚げてますからジューシーで美味しいですよ」と言いました。あまり何でも食べれるというタイプではないK本君はカレーうどんを注文しました。

暫くして席が空いたので店内に通されると、さっきとは違う店員がいきなり「カキフライはもうありません」と言います。ちょっと呆気に取られた二人でしたが、気を取り直してエビフライを注文しました。先ほどは「席に着いたらすぐに食べれるように」と言われていたので、少し待たなアカンと覚悟はしたのですが、座ったらすぐ出てくるはずのK本君のカレーうどんがなかなか出てきません。

私達より先に店に入ってる人々を見まわすと、注文した品がなかなか出てこないことにイライラしている様子が窺えます。K本君は「先に聞いたのは途中で逃げられへんために聞いただけや」と高を括っていますが、そんなことは分ってるけど「すぐに食べれるように」という言葉が頭から離れません。10分ほど待ってようやく出てきたのは私達二人のエビフライ、後から注文した方が早く出てきたのです。私達のエビフライより10分は先に注文したはずのK本君のカレーうどんが出てきたのはそれから5分ぐらい経ってからでした。お蔭様でお客さんとの約束の時間に10分ほど遅れてしまいました。

こうやって事を見つめ直すと、あの店員は私達の注文を聞いた後、すぐに発注したわけではなかったのですね。嘘をついたのです。それも「カキは美味しい」と「座ったらすぐ食べれる」という二重の嘘、いくら商魂逞しいとは言え、こういうことを繰り返しているとこの店の将来は暗澹たるものであろうことを感じます。

そうだ、思い出した。店の名前は『こころ』だった。不心得者が『こころ』などというようなしおらしい名前を付けるものではありません。

             

いやいや、『阪急そば』の話ではありませんでした。

ところで先日、わざわざ名古屋からU田さんに来てもらって、近所で蕎麦打ち体験をしたのでしたが、あの蕎麦の美味はなかなか忘れられるものではありません。

暫くしてからのこと、この西宮北口駅の『阪急そば』で久し振りにそばを食べたのですが、不味さにビックリ、これは蕎麦ではありません、蕎麦の色と形をしたうどんです。蕎麦打ちの蕎麦を食べてから、この辺りのそばが不味く思えて仕方なくなってしまいました。

あの蕎麦打ちの蕎麦さえ食べていなければ、ここらのそばでも美味しくいただけたのかも知れないと思うと、私のような貧乏人が普段味わえない本物を体験することは、却って食べれるものの範囲を狭くしてしまうような罪が待っていたのだと言う事を思い知らされたのでした。

              gooリサーチモニターに登録!

貰った焼酎 Ⅱ

2010-11-19 05:00:00 | 大阪にて
昨年4月に九州からこの尼崎のセンタに赴任しながら、たった3ヶ月でまた九州・福岡に戻っていったN田君という友人がいます。この方が又よく飲むのですが、今日から3日間大阪に来ることになっています。

先週土曜日、ソフトボールの練習を終えて、その後酔っ払って帰ってくると、そのN田君からの贈り物が届いていました。

N田君は奥さんと一緒に今日は京都巡り、明日は奈良巡りをする予定、私は今日は仕事ですから付き合えませんが、明日奈良を案内するようにと頼まれています。

                  

ダンボールに詰め込まれていた焼酎、先にこのようなものを送ってよこすというのは、こりゃどう考えてみても賄賂ですな。う~ん、賄賂など受け取って収賄罪に問われたらどうしようなどと考えてみても、まぁこれを受け取ったことによって誰かが被害を蒙るってことも無いわけで、自分自身が拘束されるだけなので、快く貰っておきましょうと決め込んだのでありました。まぁ1回目の『貰った焼酎』でも貰える物は貰っておく主義だとは書きましたけどね。

                  

まぁ2本も贈ってもらって恐縮ですが、2枚目の写真なんだか変でしょ!焼酎の瓶は箱に入れられていて割れる可能性はありません。なのに緩衝材で包んであります。全く必要のない行為です。

                  

これは隣に座るK山君からの頂き物、K山君は時々このように焼酎やらワインやらを買ってきては私にくれるのです。でもいつも一緒に飲むからか、私の好みをよく知っていて、この焼酎は麦焼酎です。N田君は私の好みを考えたのではなく、自分の好きそうなのを選んだって感じ、私はみんなが芋焼酎を飲むときだけ一緒に芋焼酎をいただきますが、家では麦焼酎で通しています。

             

ちゃんぽんのセットも入っていました。うちは4人家族なのに2人前か、きっと私には当らんやろね。

             

こちら天ぷらのセット、沢山あります。福岡に長崎の名産店が出来たとかで、その店で全部調達していただいたようですが、天ぷらも長崎名物だったのか・・・ちゃんぽんよりも皿うどんのような気もするなぁ。

             

この4点が詰め込まれていたダンボール、新聞紙やら緩衝材で身動きできないようにセットされています。今更ながら箱詰めの焼酎に緩衝材はいらんやろと思うのです。おっと、これはN田君が自分で詰めたのではありません。きっと店の人の好意だとは思うのですがね。

貰っておきながら、文句ばかり垂れてる私でした。

              gooリサーチモニターに登録!


阪神競馬場

2010-11-18 05:00:00 | 大阪にて
不肖私ぼんくらは名前の通り博打の才がありません。従って競馬なるもの生涯一度も経験したことがありません。

半世紀近く前、岸和田の春木という所に住んでいたことがあり、当時は未だ春木競馬場が近くにあって、馬がポコポコと歩いていたことはいいのですが、開催日に電車に乗ると臭いオッサンらが沢山乗っていて、あまり好ましいものではありませんでした。そういうトラウマも私から競馬を遠ざけている要因なのだろうと思っています。

そういえば岸和田競輪場も春木にあったので、そちらの方も敬遠したまま今日に至っています。

写真は入口玄関、当日は閉まっていました。

             

昨日の熊野神社を見学して後、この阪神競馬場へ行ってみようと思ったのですが、道や位置が分らなくて鹿塩という街並を北へと歩いていました。この鹿塩という街、電柱の表示には『KASIO』となっていました。西宮には名塩というところがあって「ナジオ」と読むので、「カジオ」かなと思っていました。「カシオ」などと読むと計算機やデジカメを思ってしまいますが、あちらの「カシオ」は樫尾だったなどとつまらぬ事を思いながら、彷徨っていました。

出てきたところが競馬場の最北に当るところ、競馬場の入口付近から振り返って撮っていますが、かなりの距離がありました。

             

入口からは入場できないので、兎に角ドームのある方へ曲がって歩いていくと、見えてきました。紅葉もきれいです。

             

立派な建物且つ広大な土地が閑散としていて、利用されてない時間が大変無駄使いをしている印象を受けるのは私だけでしょうか?

ギャンブルに狂って人生を棒に振った人もこの国には沢山居るのだろうと思うのですが、こうやって国や地方自治体が金を得るために、貧乏人から金を毟り取るようなことがあっていいものなのか。

             

中には入れそうもないので周りをとぼとぼ歩き続けましたが、北への曲がり角まで歩いた後帰りました。

春木競馬は1974年に黒字経営のまま廃止になりました。競馬場はギャンブルというような恐ろしくて気味の悪いものとは無縁の公園になったと聞いています。

             

ここは阪急電車の仁川駅から近い交差点、こちらから行けば、つまり鹿塩町を通らずに行けば、すぐに競馬場へ着けたのです。

馬が走るのが美しいなどと言って、人を困窮の極みに陥れるかも知れないギャンブルを、公共の電波に乗せて宣伝するようなことが許される今の世はやはり何処か狂っています。

             

阪急電車の仁川駅、改札口は1/4程度しか使われていません。競馬開催の日は全部の改札口を使用するのでしょうが、競馬のためにそうも沢山の人が集まるものなのかと疑問を抱いてしまいます。

              gooリサーチモニターに登録!

熊野神社

2010-11-17 05:00:00 | 大阪にて
仁川団地から阪急電車仁川駅へと下ってくると、その途中阪急電車の線路の手前にこんもりとした森があり、七五三の旗がはためいているのできっと神社なんだろうと思って階段を登ってみました。
正面に立つと鳥居も注連縄も見えますね。

             

階段の途中にも鳥居があって、こういうのを二の鳥居と言うのですね。

             

階段はたいしたことも無く、すぐに本殿です。2枚目の写真でも本殿が写っているので、境内の狭さが判るというものです。

熊野神社という名前が付いていますが、シンボルマークの八咫烏はありませんでした。

             

先週の土曜日から黄砂の影響なのか曇天が続きました。昨日はいい天気になったけど、この日はもう少し前だったので晴天です。

こういう日に木漏れ日が入るこのような場所で写真を撮ると、光のコントラストが上手くいかなくて、影の部分などは真っ黒になってしまいます。こういう場合は普通のカメラなら絞りを大きく開けて、光を取り込みやすくすればいいのだろうと思うけど、デジカメならどうすればいいのでしょうね。少し考えてしまいます。

             

神社に行くといつも裏までどうなってるのか見て廻るのが習慣になっていますが、この神社では右隅にお地蔵さんを祀ってありました。

             

どれもこれも顔容はありません。帽子と前掛けで人様を表現しているだけでした。ただ左の柱の許にある黒石には何やら神様らしき彫刻が施してありました。

             

こうやって上から見ると今更ながら急な階段だったのですね。まるで梯子を昇っているようです。左右中央に手すりが取り付けられている意味がよく解ります。

              gooリサーチモニターに登録!

仁川団地

2010-11-16 05:00:00 | 大阪にて
阪神バス鳥島停留所から歩くこと40分ぐらいで今回の目的地、仁川団地という町名の街に到着します。武庫川を渡り終えた頃から緩やかな下り坂になりますが、阪急電車宝塚線を越えると今度は急な上り坂、歩く方としては下らんでもエエから登らさんといてと言いたい。

             

今は涼しいからいいけど、今年のように暑い日だったら、余計にそう思うでしょうね。仁川団地は丘の中腹にあるので登りきらなくていいけど、最初は道が分らずに一番上まで登ってしまいました。

遠くに阪神競馬場が見えます。最初の写真と同じ時に撮ったのに、望遠で撮るとかなり曇って見えます。

             

街の彼方此方で見かける標識ですが、競馬開催日は一方通行になるという意味でしょうか?

             

私達の仕事は集合住宅、所謂MDFが付いているマンションなどには行かないので、団地に行くなど無いことだと思っていたのですが、兎も角指示があったので行ってみたのです。街の外れにこのような古い2階建ての長屋のような建物がありました。

             

窓もただの板ガラスなのでカーテンを付けてないと中が丸見えです。どれ位前に建てられたものなのか分らないのですが、もう建て替えの時期が訪れているのか、住んでいるところはホンの僅かばかり、このような状態の建物が12棟ありました。ただ前庭や裏庭がやけに広く、随分前に建てられたものだということが、そういう意匠からも分ります。

                  

いろんな型の団地がありましたが、どれも古くて、住んでいる人は少ない。この建物でも住んでいるのはごく僅かです。現に一番東端では建て替えの工事が始まっていました。

             

写真に撮っているのは5階建てなのでエレベーターは付いていると思うのですが、他の長方形に造ってある建物は4階建てばかり、たまに行き交う住人と思しめき人はお年寄りばかりなので、4階まで階段を昇降するのは大変でしょう。

きっとこの団地が出来た当初に入居された人たちは、その頃は未だ若かりし時代だったのでしょうね。

              gooリサーチモニターに登録!