駅への帰り道、バッテリーを売ってないかとヤマダ電機に立ち寄ってみました。探しているとメーカーのものではありませんが、同じ品番のものがあり4千円ぐらいで売っていました。高いのでどうしようかと迷ったのですが、またこのようなことがあっても辛いので清水の舞台から飛び降りたのでした。なのに、バッテリーを入れ替えてみると新しい電池も充電しないと使えないではありませんか。電池が切れて困ってるんやから、こんなものを売るなよな。店員も「充電しないと使えませんよ」とぐらい説明しないといけませんよね。
充電要のサインを見つつ、それでも数枚は撮れるだろうと思って、横になってる弘法大師の像があるという大師寺を訪れました。天寧寺とはうって変わって街中の小さなお寺でした。
狭い境内にはずらりと七福神が並んでいますが、何故真言宗の寺に七福神なのか、その関連がよく解りません。因みに石像は新しいのですが、台座は苔むしていて古いのはどういうわけでしょう?
一番端にある刀を振り上げている毘沙門天も珍しいですね。
こちらは空海像なのでしょうが、とても平面っぽく、立体感がありません。きっと像は昔からあるもので、台座を新しく設えたのではないかと思ってしまいます。
坊さんにどうぞと案内され堂内に入れてもらいました。文句を言ってるわけではありませんが、戒壇には所狭しと物が置かれ、禅寺を見てきた後だけに雑然とした雰囲気を煩わしく感じてしまいます。
これが横になって休んでいる空海さん、空海さんも忙しかった人ですから、横になって休むこともあったのでしょうね。
空海さんの頭を撫でて、その手を自分の頭にこすりつけたのですが、少しは賢くなったでしょうか。
送別会を終えて、彦根駅まで帰ってきたら、「熟れ寿司を食べよう」と誘われました。そのようなものは食べたくなかったのですが、強引な人がいるものです。結局店に入ったのですが、熟れ寿司は期待したほど旨くなく、お茶漬けを頂きました。
こうやって見るとお猪口があるので酒も飲んだのですね。明くる日は朝からとてもしんどかったのでした。
充電要のサインを見つつ、それでも数枚は撮れるだろうと思って、横になってる弘法大師の像があるという大師寺を訪れました。天寧寺とはうって変わって街中の小さなお寺でした。
狭い境内にはずらりと七福神が並んでいますが、何故真言宗の寺に七福神なのか、その関連がよく解りません。因みに石像は新しいのですが、台座は苔むしていて古いのはどういうわけでしょう?
一番端にある刀を振り上げている毘沙門天も珍しいですね。
こちらは空海像なのでしょうが、とても平面っぽく、立体感がありません。きっと像は昔からあるもので、台座を新しく設えたのではないかと思ってしまいます。
坊さんにどうぞと案内され堂内に入れてもらいました。文句を言ってるわけではありませんが、戒壇には所狭しと物が置かれ、禅寺を見てきた後だけに雑然とした雰囲気を煩わしく感じてしまいます。
これが横になって休んでいる空海さん、空海さんも忙しかった人ですから、横になって休むこともあったのでしょうね。
空海さんの頭を撫でて、その手を自分の頭にこすりつけたのですが、少しは賢くなったでしょうか。
送別会を終えて、彦根駅まで帰ってきたら、「熟れ寿司を食べよう」と誘われました。そのようなものは食べたくなかったのですが、強引な人がいるものです。結局店に入ったのですが、熟れ寿司は期待したほど旨くなく、お茶漬けを頂きました。
こうやって見るとお猪口があるので酒も飲んだのですね。明くる日は朝からとてもしんどかったのでした。