ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

摂津国八幡社

2009-02-27 05:00:00 | 神戸にて
六甲八幡神社と言うことで以前綴ったことがある神社ですが、鶴甲からの帰りに通ったので再度載せてみます。阪急六甲駅のすぐ南側にあります。なので裏から入ることになりました。

         

前回は複数画像の載せ方を知らなかったので、鳥居しか撮っていませんでした。
ここの本殿を載せるのは初めてです。敷地の広さの割にはこじんまりした建物です。

         

この阿形の狛犬、笑っていますよ。こんなに明確に笑ってる狛犬を見るのは初めてです。

         

吽形はと言うと、何故か物凄く怒っています。こんな極端な阿吽は、阿吽の呼吸になるのでしょうか。こちらは角があるので古くから伝わったものなのでしょう。

         

動画でなくても水が勢いよく噴出してるのが判りますが、勿体なくないのでしょうか。

         

鳥居のある入口が見えません。

         

反対に入口の鳥居から撮ると、かすかに本殿が見えるようです。

              

この標柱も以前載せていますが、全くバカなことを書いています。
何が刻まれているのかちゃんと読んでなかったのですね。今の方が正確に読み取ろうと出来るようになったということです。

『伊予守大江朝臣成美書』とあるのですから、この『摂津国八幡社』という字を書いたのが大江朝臣成美という人であって、朝廷に仕えていたのでしょう。伊予の国の人が造ったのではありません。

         

ところでこの鳥居や道標の前にある自販機、阪神ファンが見たら怒り大爆発しそうなポスターを貼っています。「そんなしょうもない奴のポスターなんか貼らんとってくれ!」という声が聞こえてきそうです。

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御影公会堂

2009-02-26 05:00:00 | 神戸にて
石屋川と国道2号線の交差する地点の北東側に古めかしい建物が建っていました。
昭和8年の建設と言うことで、戦災や大震災にも耐えてきた建物です。

野坂昭如氏の『火垂るの墓』は、この辺りが舞台でした。

         

公会堂の西側の石屋川にかかる橋ですが、大正15年の建設です。宮本輝の『流転の海』の主人公・松阪熊吾がこの辺りに住んだ頃には、この橋も公会堂も共にあったのです。

         

色褪せていますが、立派なレンガ造りの構造です。何故か窓がモダンですよね。

              

ここは側面で何かの出入り口に使っていたのでしょうが、現在ではこのような厳重な建物はなかなか見ることが出来ません。

         

地下1階にある食堂、公会堂にある食堂なので低価格かと思って来たのですが、案外高くて、ここで食事をするのは辞めておきました。

         

私共労働者としては、お昼の食事にこれだけ奮発するのは、年に何度あるでしょう?建物が古いのですから、値段も昔のままにしておいてくれたら・・・と思うのは私だけでしょうか。
いや、最近のデフレ傾向を反映していないだけで、そういう面で古い価格が残っているのかも知れません。

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甲南漬

2009-02-25 05:00:00 | 神戸にて
画伯Sさんが、新在家の駅から南へ下って、43号線を少し東へ歩くと、甲南漬の本店があり、なかなか風情のある建物やから、一見の価値があると教えてくれました。

         

甲南漬とは、スイカや守口大根や瓜を酒粕で漬けた奈良漬の商品名です。守口大根はなかなか旨いと思います。大きなデパートに行くと必ず専門店街に店を出しています。

       

S画伯は風情があるようなことを言っていましたが、一見して新しい建物であることが判り、ガッカリです。震災で全壊し、再建されたんですね。

         

こちらが震災の際にも残ったと言う旧社長宅の洋館、私としてはあまり魅力を感じる建物ではありません。

         

本店と同じ造りにしてある対面のお蕎麦屋さん、値段が高そうで入れません。

         

蕎麦屋の裏にある武庫の郷の看板は昔からのもののようです。

左上に阪神電車の新型車両が停車していました。

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鶴甲 Ⅱ

2009-02-24 05:00:00 | 神戸にて
阪神石屋川駅のホームから六甲山方面を臨んだものですが、阪神電鉄は都賀川の上の大石駅といい、武庫川、そしてこの石屋川といい、後、芦屋駅も芦屋川の上にあるのですよ。川の上に駅を造るのが好きですね。

         

こちらはホームから南側を望んだ風景です。赤い二重の橋が鶴甲の街からでもよく確認できます。

       

鶴甲の一番高い所から撮ったものではありませんが、遠く対面に見えるのは和泉山脈ではないでしょうか。
手前の建物は神戸大学の校舎ですが、真ん中やや左寄りに1本の木が聳えているのが判りますか?その木の天辺で矢印されているように、二重の赤い橋がありますよ。

         

今日はふんわりとした雲が多いのですが、快晴です。遠くまでハッキリ見えるというわけではありませんが、そこそこ見る事ができます。

この辺りまで来ると、木で何かを叩くような『カツッ!カツッ!』という音が聞こえます。私の好きな音です。

         

神戸大学の発達科学部の野球部の練習でした。見てると守るのも、打つのも下手やなぁ。誰か教える者はおらんのかというぐらい、バットのスイングがなってない。
まぁ、仲良うやってるみたいやから、それはそれでいいとは思うのですがネ。

         

もう少し下からの大阪湾の様子です。ここにも神戸大学の某学部のグランドがありましたが、その日は何の練習もしていませんでした。

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六甲川

2009-02-23 05:00:00 | 神戸にて
大土神社の横を流れる六甲川です。下流であの都賀川と繋がっています。
あの惨事のあった時、この辺りの流れはどうだったのでしょう?

         

神戸の川は石屋川にしても都賀川にしても、ほぼ直線で狭い上にコンクリートで固められているので一度ドッと流れてくると、その勢いは相当なものがあると考えられます。

この辺りなら、コンクリートの堰はあるものの川原が広がったり、土があったりしているので、そんなにドッとは流れないと思います。

         

川原が見えたので降りようと扉のところへ行ったのですが、イノシシ避けの扉だそうで、鍵がかかっていて降りられませんでした。開けられないのに『必ず閉めてください』という言い方はないでしょう。

20年位前は六甲山にイノシシがいて、ハイカー達がエサを与えると喜んで食べるのだとか報道されていましたが、当時から恐ろしいことやと思っていたのですが、現在では完全に敵対関係になってしまっているようです。

         


少し下ってきて住山橋という橋から、上流方面です。山が少し遠ざかっています。

         

都賀川を地図で辿るとこの川に繋がっていたので、最初はこの川は都賀川だと思っていたのですが、この橋まで来てこの川が六甲川だということが判ったのです。

              

橋の上から下流を見ると、右側は沢山のお墓でした。

         

ここはもう山の中という感じではありません。住宅が建ち並び、山も見えませんものね。

         

同じ場所から下流を見ますが、この川にドッと水が流れたら・・・さぞかし速度の速い激流が流れるのは目に見えてます。いかにも人工的な川の造りですが、あの災害は人災ですね。

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大土神社

2009-02-20 05:00:00 | 神戸にて
六甲川沿いの道を歩いて下ろうと考え、ほんの少し歩いた所で神社を見つけました。大土神社と言います。

鳥居までの広場が広く、駐車場になっています。

         

鳥居までではなく、鳥居から社までもかなりあるのです。
1748年建立とありますから、そんなに古くからある神社ではありません。

菜種油を搾り、江戸に向けて出帆した海路の安全を祈願して造られたのでしょうね。ですから住吉大神が祭神になっていましたが、何故だか菅原道真までもが祭神になっていました。

         

神社のすぐ西側はすぐ川です。作られた当時は六甲川の川原だったかも知れません。だから少々境内が広くても良かったのかも。

         

ようやく社に到着です。ここで狛犬に注目です。

         

何故だか笑っていますね。口は閉じていますから吽形ですね。

         

こちらは口を開いている阿形、開いていても余り怒っているようでもありません。角もありませんね。

         

更に奥にはまた赤い鳥居があり、広さだけではなく、規模の大きさも覗われます。

         

白の下の字が読めないのですが、その下は大神です。

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鶴甲

2009-02-19 05:00:00 | 神戸にて
『つるかぶと』と読むのですが、鶴は鳥ですから、『とり』と読み替えると恐ろしい有毒植物になってしまいます。
でも漢方薬にもなるので、『毒を以って毒を制す』なんて、二大政党制の日本の政治みたいですね。自民党も民主党もどちらも私にとっては毒でしかありません。

とうとう鶴甲の街に到着したのです。六甲山はもうすぐ、目の前です。

         

この日は天気は良かったんですが、快晴ではないので、遠くまでよく見る事が出来ません。デジカメを忘れた前日は淡路島までくっきりと見えていました。

阪神電車の石屋川駅で降りて、石屋川沿いで歩いてきたこの日ですが、前日は新在家駅で降りて、JRの六甲口駅や阪急電車の六甲駅の傍を通って上がってきたのでした。そちらのコースは神戸大学の学生が多く、この年寄りが歩くにはチョイト恥ずかしいような場違いの気分がします。

ここまではるばる歩いてくるからには、遠望が期待できる快晴の日がいいですね。
仕事ですから、そんな我が儘ばかりは言ってられませんがね。

         

鶴甲を超えてこの階段を登りきったところが、水車新田と呼ばれる地域、民家は1軒しかありませんが、来なければなりませんでした。迂回して坂道を登ってくるコースもあるのですが、無理?横着?をして階段を登ったのですが、非常に疲れました。

昔からこの辺りは六甲川という都賀川に繋がる川が流れており、水車を使って菜種から油を搾り、新在家の浜から江戸へ輸送して栄えたそうです。それで水車新田という村の名前が付いているのです。

ここ迄来れば、六甲ケーブルまで後僅か、一度山頂まで行ってみたいものです。

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善光寺

2009-02-18 05:00:00 | 神戸にて
長野県にやってきたのではありません。相変わらず石屋川沿いの道を六甲山方面へと歩いています。

こんな所に『善光寺』がありました。確かに『信州善光寺御分身如来奉安浄土』等と書かれています。

              

あまりお目にかかれない最澄・天台宗のお寺です。
長野の善光寺は日本の仏教が諸宗派に分かれる以前からあるお寺なので無宗派なのですが、一応天台宗と浄土宗の別格本山になっています。
故に、明治38年に湊川でこのお寺を再興する際に、信州善光寺から阿弥陀如来を貰い受けたのだそうです。

              

元々は比叡山・延暦寺の一角に宝乗院としてあったそうですが、明治2年に消失、本尊・不動明王(藤原時代)と脇士二童子(鎌倉時代)はその前日故あって比叡山の方に遷座していたという嘘のようなことが記されていました。

この地に移転されたのが昭和15年、そして昭和50年に嘘のような難を逃れた尊像二体が帰ってこれました。
バカなことを言ってると、不動明王さんにこっ酷く叱られそうです。

         

このお堂に例の不動明王と脇士二童子が安置されているのですね。
格子戸に何か貼ってあります。

         

サンスクリット語の読み方と、日本語の意味を書いていただいているのでしょうが、どう対応しているのかサッパリ解りません。

         

本堂に対面する講堂ですが、大き過ぎるのか、境内が狭過ぎるのか、うまく捉えることが出来ません。

         

赤ちゃんを抱いたお地蔵さんです。水子地蔵と呼ぶのでしょうか?

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綱敷天満宮

2009-02-17 05:00:00 | 神戸にて
日本最古の鉄道トンネルの碑のあったところから、どちらに進もうかと考えながら歩いていると、石屋川の左岸にあたる方に幟と共に赤い鳥居が見えたので行ってみることにしました。

              

綱敷天満宮、確かここも綱敷天満宮と言ったか、網敷天満宮だったっけ?『つな』と『あみ』では、敷いても大分感じが違うんじゃないかと思いますが・・・

大きな神額ですね。だいぶ重たいだろうと思うのですが、こんなものが鳥居に乗っかっていたのですかねぇ。

         

二の鳥居ですか?鳥居のようで鳥居でない♪♪ベンベン♪♪ですね。
これが鳥居なら、奥の2本の木にも横板を渡して、鳥居にしたらどうでしょう。

         

見えていた幟には『御影の天神さま』と書かれていたのですね。
灘高校へ受験する子供達は、ここで合格祈願をするのでしょうか。

この鳥居を超えて、歩いて来た方向を見ると・・・

         

先ほどの2本の木はかなり古い木のようで、置いてある自動車と比べても、かなりの高さがあります。

         

菅原道真を祀ってある天神さんらしく、梅の花があちらこちらで花をつけています。

         

植えてある梅の木には、皆名札が付いていて、寄付されたのか、植樹した人の名なのか、はたまたこの梅に願を懸けると名乗り出たものなのか、私には判りません。

         

なかなか鮮やかなピンクです。今の時期は梅の花がいいですね。でも全体的に見ると満開とまでは行っていません。


              

裏の方にも背の高い木が植わっていますが、ここが昔から境内なら相当古い神社だと思うのですが、社などは皆新しいのでどうもアンバランスであるのです。

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石屋川

2009-02-16 05:00:00 | 神戸にて
六甲山の麓、鶴甲という街へ出かけるようになりました。
バスで行けば、六甲ケーブル下駅の一つ手前の停留所で降ります。

当然ながら歩いていくのですが、阪神石屋川駅で降りて、石屋川沿いに歩いていくコースがあるので、あまり石屋川を知らないことやし、このコースを辿ってみました。

         

石屋川と言えば宮本輝の『流転の海』4部作に、主人公(宮本輝自身の父親)が石屋川沿いに家を買ったことが記憶に残っています。この本を読んだのはもう随分前のことですが、書き出しが梅田の阪神デパートの裏界隈の風景、私が働きだした頃も残っていた繊維街だったことや、28年間働いていた中ノ島の玉江橋や船津橋、福島界隈が出てくるので、感慨深いのです。

石屋川は都賀川の一つ西側にある川ですが、川原に下りてみると水の色とは裏腹に少しドブ臭さが匂います。

JRの神戸線のところまでやってくると、工事中で川沿いには通れません。まぁ、都賀川のように頻繁に上り下りする通路が無いので、川底は歩かない方がいいのかも知れません。

そこでこんなものを見つけました。

            

日本で最初の鉄道トンネルがあったそうです。石屋川の川底の下にトンネルを掘ったのですね。

            

これがその碑、現在JRは高架になって、川の遥か上を走っています。

ここからドンドン川沿いに歩いていくのですが・・・

         

いつの間にか石屋川には水が流れていなくなってしまってました。

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