ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

庄下川公園

2007-07-31 05:10:00 | 大阪にて
国道2号線、玉江橋東側の庄下川公園です。
アルカイックホールもこの公園内に含まれるのかな?

     

この日はやけに多くのチャリンコが停めてありました。
ホールで何か催しでもあったのかも知れません。

     

アルカイックホールの前はガランとしています。

     

玉江橋線と名付けられた道路をトラックが走っていますが、公園はここまでではありませんでした。
玉江橋線を横断することは出来ませんが、つまり公園は一旦途切れているのですが、道路の向こう側にも庄下川公園はありました。

     

こちら側のドン詰まりに赤い花が・・・チョウセンアサガオの一種か?

     

淡い赤がなかなかきれいなんですよ。

     

     

これだけ見たら、何か判りませんね。

この公園内にはこんなものもありました。

ところで庄下川の壁を市の職員なのか、消防署員なのか?洗濯中でした。




まさか洗剤は使えないでしょうが、たわしで擦れよな!こんな程度できれいになるの?



中央公園 Ⅱ

2007-07-30 05:40:00 | 大阪にて
参議院選挙の投票結果が昨夜早くから始まり、与党である自民・公明が惨敗です。
尤もなことで、有権者の選択は与党のこの間の政治のあり方への批判と言う点では正解だったと思います。
しかし、私は自民も民主も同じ穴の狢だと思っています。
マスコミが二大政党制なるものを振り回し、自民か民主かという選択しかないような大宣伝を展開したことに疑問を感じます。
何故なら同じ立場の2党が争うのは、政権をどちらが獲るのかということであって、信長が天下を獲るのか信玄が獲るのかを争っているのと同じなのです。

たまたま見たTVで政見放送をやっていましたが、安倍総理も小沢代表も年金の財源は皆さんが心配しなくても十分あるのだと言っていましたが、それなら年金制度を元に戻してくれよな!と私は思ったのでした。どちらが勝っても政策は変わらないというのはそういうことなのです。



中央公園の全景です。
左側の木陰に『Molter』から『蘆刈』までのモニュメントが並び、噴水向こう側、中央の通路の右にある木陰に『工都尼崎の姿』のモニュメントがあります。

     

公園南から噴水を経て北東側を眺めた写真。
2階への階段があり、写真右端の出張った所から、1枚目の写真を撮りました。

     

公園の中央付近になるのでしょうか、大きな楠があります。

     

これは3階部分、尼崎のお荷物と呼ばれた『庄下川東広場』、聳えるのは尼崎で1番背の高いマンションでしょうか。

     

少し左に目を移すと、モダンな感じのマンションが見えますが、その後ろに白く存在感を示すのが『ニューアルカイックホテル』です。



中央商店街のTigers

2007-07-27 05:00:00 | 大阪にて
中央商店街の東側の入り口です。
よくよく考えてみると、その前に中央公園、阪神尼崎駅を越えて中央図書館がありますから、この辺りを尼崎の中央と位置づけたいのでしょうね。

’07年のプロ野球のシーズンが始まる前は、マスコミでも優勝候補に挙げられていたTigersですが、蓋を開けてみるとお粗末な限りです。

オールスター前の撮影ですから、もう少し減ってるかと思いますが・・・
残り試合全勝ペースですね。

     

まぁ1位になれなくともクライマックスシリーズっていうプレーオフもあることですし、セ・リーグで優勝できなくても日本一になれる可能性もあるし、なんせケンタッキーおじさんも応援していることですから・・・

     

そやけど、どない見てもTigersのユニフォーム違うやん、縦縞の服にTigersの文字を付けただけや、カーネル・サンダースほどの大きな体に合うユニフォームは売ってなかったってことか?

     

こちらは立体感がありませんし、私はこの方を誰か知りませんが、Tigersのハッピを着ているので応援しているのでしょう。

百日紅

2007-07-26 05:10:00 | 大阪にて
そろそろ百日紅の花が咲き始めました。
本格的な夏の到来です。

ここは例の手入れのいい庭のあるマンションの東側、百日紅がずっと植わっていますが、未だ咲くには至っていません。

       

何故か1番北側の樹だけが、見事に咲き誇っていました。
百日紅は『さるすべり』、花がいつまでも長く咲いているので漢字では百日紅、樹の幹がつるつるしているので読み方がさるすべり、この樹を知らない人は読めませんよね。
ところで、何故『紅』なのか?花びらには白もピンクもありますが・・・

       

天辺だけホンの少し紅く色づいてる樹もありました。

ところが、東難波町から西難波町の民家では・・・

     

もう十分に咲いています。桜は咲き出すと一斉に咲きますが、百日紅は個体差があるんですね。

     

百日紅が咲くと思い出すのが、天童荒太の『永遠の仔』、四国のとある病院で咲き誇っている百日紅のシーンから物語りは始まったのでした。

読んだのは名古屋赴任当時、だからBlogには感想はありません。
名古屋にも町並みに沢山の百日紅が咲いていたのを忘れません。

ところで・・・

     

今日は富松神社で薪能、いくら無料でも5時半開始では観に行けそうもありません。

桜花を見た

2007-07-25 05:20:00 | 読書
天保悪党伝』や『かげろう絵図』・『妖怪』・『春風ぞ吹く』など江戸の中期から末期にかけての本を読み続けていたついでに、北町奉行・遠山の金さんのことが書かれてあるぞと思って、この本を読みました。

     

う~ん、金さんが主人公ではないぞ。

太物屋『いせ辰』で働く英助と『いせ辰』の娘お久美の恋物語、この英助が金さんの隠し子という設定です。
太物屋とは木綿や麻の繊維の太い生地を扱うお店。

遠山景元の父“景晋”は昌平講の学問吟味ではお目見以上では最初の主席となった頭脳明晰な男だった。景晋は遠山家4代“景好”の養子であったが、養子に来てから景好に景善という実子が出来たので、景善は景晋の養子となった。すると景晋に景元が生まれたので、今度は景元は景善の養子になったというややこしさ。要するに金さんは実際は遠山家の6代目だったのが、系図になると7代目ということになる。

こうなれば金さんは部屋住みで一生を過さねばならない。それを嫌って10年以上の無頼生活を送った。その頃知り合ったのが英助の母親だったが、英助が生まれる前に景善が病死する。これで金さんに遠山家6代目の当主の役目が回ってきたのだった。

英助はお久美の奔走で金さんと父子の対面を果たす・・・

他に筆造り『宝山堂』の主人・又平と娘のおれん、おれんの夫・卯之吉、おれんが恋心を抱いた後の歌川国直になる鯛蔵を描いた『別れ雲』。

北斎と娘のお栄を描いた『酔いもせず』。

蝦夷・松前藩の家老であり絵師蠣崎広年とアイヌの蜂起を描いた『夷酋列像』、『シクシピリカ』の5編収録。


中央公園

2007-07-24 05:00:00 | 大阪にて
先日、中央公園がモニュメントの多い公園ですと綴りましたが、商店街側の入口から入ると、左側にどこかで見た事のあるマンガとよく似たモニュメントがありました。

文面には
『躍進する工都尼崎の姿
 踏みしめる大地
 火と燃ゆる情熱
 鎚の響きもたくましく
 永遠に輝く繁栄の鍵は
 守り継がれる』
と記されています。

    

顔はよく見ると全然違いましたが、雰囲気は似てましたよね。

     

正面が横から見ていることになるので、裏側からはこうなります。

          

これは右側にある『Molter』と書かれたモニュメント、脱皮する平和・・・平和が脱皮してどうなるというのか?
また戦争ですか?

   

これを造った方の考え方ひとつで、このモニュメントの意義が変わりそうなタイトルです。

          

続いてこの裸像。
『世界連邦平和像』ですか・・・これも微妙ですね。『八紘一宇』の文字がチラチラしてしまいます。

     

私はこういう曖昧な表現より、最初の鎚とペンチを持って労働している像の方がハッキリしていて好感を持ちます。

この次に博愛・蘆刈とモニュメントが続きます。
   


行基菩薩

2007-07-23 05:00:00 | 大阪にて
御願塚古墳の前の道を挟んで行基の像が立っていました。

行基という坊さんは奈良時代の人で、聖徳太子が上から仏教を広めたのに対し、行基は貧民救済や治水・架橋・築港など社会活動を通して下から仏教を広めました。




大阪堺市の出身、生家は家原寺として住んでいたそうで、堺市西区に家原寺町があります。

   

近畿一円に行基の開いた地があり、ここ稲野もその一つだそうです。
昔は猪名野と書いていたんですね。
そういえば山中温泉にも行基伝説がありました。
大輪田泊も行基が整備したそうな。

「現代の吾々は行基菩薩に恥じぬ暮らしをいたしましょう」と本願者は書いておられますが、そんな無茶な・・・私にはとてもとても行基の真似は出来ません。

朝廷から『菩薩』の称号を賜ったそうですが、菩薩は如来の候補者・これから悟りを開く人だそうで、行基さんは本望では無かったかも知れません。

     

誰の何という本だったか、東大寺の大仏の建立の際に行基集団が出てきます。
最初は紫香楽(信楽)宮に造ろうとしていたことや、どのようにしてあの大きな大仏を造ったのか、大量の銅をどのようにして手に入れたのか・・・書かれていたのにどうしてもタイトルが思い出せません。

行基は治水や灌漑工事を仏教を広めるための集団でやっていたので、民衆を扇動する疑いがあるとして朝廷から弾圧を受けてしまいました。
聖武天皇の謁見を受けてから和解し、後に日本最初の大僧正の位が与えられています。

芦刈島

2007-07-20 05:00:00 | 大阪にて
阪神尼崎駅前の中央公園、以前室戸とジェーンの台風の潮位を示した高潮標があった公園です。

昔の尼崎港周辺の大阪湾が描かれています。

1番左に途中まである川が武庫川、次に示されてるのが尼崎城、真ん中が神崎川、淀川にあたる川が中津川、最も右の川が天満川と記されていて、城の西を流れているはずの庄下川が見当たりません。庄下川は1級河川なんですがね。
洲とも島とも判断のつかないものが六つ、今は埋め立てられて陸続きとなったということでしょうか?芦刈島はどれなんでしょうね。

   

『蘆刈』が世阿弥の作とあるので室町時代の様子なのか、『摂津名所図会』が説明されているので江戸時代の様子なのか、どちらにせよ大物付近とあるので、城の下の小さい島が芦刈島ですね。

     

その横に博愛と彫られたモニュメント、尼崎は博愛社が自慢なんですね。

  

それにしても、モニュメントの多い公園です。

  

先日久しぶりに尼崎の商店街を歩くと、芦刈島の宣伝・・・と思いきや『芦刈山』???
何かイベントでもあるのか?
商店街の人がASHIKARIと書かれたTシャツを着ていました。

   

これで何とか読めますか?

       

これが日下左衛門ですか?

それにしても、芦=悪しを刈る神が、何故夫婦和合の神なのか・・・そのような倫理観を庶民に強制しても、当時から天下人は守る気など毛頭なかったのですから。


尼崎戎神社

2007-07-19 05:10:00 | 大阪にて
武庫之荘では、アンケートの取得は芳しくなく、熊野神社のあった西難波の地域に戻ってきました。

退院後この地域を歩いた時は、リハビリも兼ねており遠いなぁと思ったものでしたが、食満や武庫之荘辺りまで歩いていくことを思うと近いものです。

阪神の尼崎駅の裏側(南側)に大きな鳥居があったので行ってみました。

鳥居だけあるのかと思いきや、神社がありました。

     

尼崎戎神社じゃなかった?本戎事代主神社なんですか?
どない違うかちゃんと説明して下さい。

     

これは何と書いてありますか?

  

『倉持戎大宮』って書いてますよね。あっちこっちで書いてあることが違うじゃないですか!

     

これは何と書いてあるのか!

この日はお祭りでもあったのか、テキヤさんが大勢来ていました。

     

緑の提灯って珍しくはありませんか?
『本戎宮』『夏越の祭』と書かれています。

   

『輪くぐり人形納め』とこの輪はなんか関係あるんでしょうね。

     

この鳥居は元々あったものらしく神社に1番近くにあるのに、何も書かれていません。
もうちょっと訪れた人の身になって、案内して欲しいものです。



髑髏銭

2007-07-18 05:10:00 | 読書
梅雨空でじめじめした天気が続きますので、外出する機会も少なくネタがありません。

ぼくらが惚れた時代小説』で縄田一男さんが1番に推奨されていた『髑髏銭』を読みました。

実はこの本、当初どこの本屋に行っても置いてなかったのです。    

今は大きな本屋ではどこにどんな本が置いてあるか検索できるようになっています。
あっちこっちの本屋に行く度に検索するものですから、店員さんも気付いたのでしょう。
おそらく検索をしていたのは私だけではなかったと思います。

暫くすると本屋の一角に積んであったことがありました。

     

装丁の絵も今風ではありませんし、字が少しばかり小さい上に2段組みになっています。

頃は将軍・綱吉が生類憐れみの令を発した時代、一人の男に手渡された包みを受け取ったことがお小夜の運命を変えていく。その包みの中には猫の死骸が入っていた。
行く手に現れる謎の真っ黒な猫、死体の瞼を覆っていた2枚の髑髏銭。髑髏銭には浮田家の莫大な財宝の秘密が隠されている。髑髏銭の謎を解く『精撰皇朝銭譜』は柳沢保明の邸内奥深くにあった。

祖父・駿河大納言忠長を徳川家の図りごとから切腹させられた孫・神奈三四郎が綱吉に政道を朝廷に返せと迫る。戦火に荒廃する天下を治め、あまねく文政をしき国家に平和をもたらせた功績は徳川家にあったが、三代の世にその辞は通用せぬと。

浮田の血筋を引く殺人鬼“銭鬼灯(ぜにほうずき)”がおおいに子供好きであったり、お小夜と瓜二つの柳沢保明の娘“檜”の採る行動、大泥棒だが三四郎には全身全霊を以って手助けする“念仏の仙十郎”、三四郎に純愛を抱く女スリの“お銀”、そのお銀ただ一人を慕う銭鬼灯、銭鬼灯の父親“浮田左近次”を大火の夜に襲って殺した浮田の財宝を狙う銅座の赤吉、と登場人物の絡みで物語りは進んでいくが、主人公は三四郎だったのか、或いは銭鬼灯だったのか。

最終章で柳沢を騙した銅座の赤吉は銭鬼灯と相打ちに、三四郎は決して許せぬという綱吉、三四郎とお小夜を助けるために綱吉の側に行くことを決意する檜、苦渋に滲む保明の採った道とは・・・

ここでは書き尽くせないもっと深い人間関係が描かれています。是非ご一読を。