ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

岐かれ路・月待ちの恋

2007-09-28 05:00:00 | 読書
いきなり浮世絵の写真ですが、この本の挿画です。
歌川國貞の手によるものです。
この絵のイメージから『震える記憶』という短編を綴っています。

     

坂東眞砂子著『岐かれ路』『月待ちの恋』の2冊、26話からなっていますが、一つひとつのお話に関連性はありません。
右のカバーの絵は溪齋英泉の『春の薄雪』・短編は『雪の焔』というタイトル、左のカバーは歌川國芳『華古与見』・短編のタイトルは『月待ちの恋』です。
となると、『岐かれ路』という題名の短編はあるのかと疑問が湧きますが、何故だかありません。

枕絵・春画という範疇の絵が江戸の中期に流行りました。
地震などの大災害や飢饉から幕府の失政により一揆などが多発し、幕府は享保・寛政・天保の三大改革を断行しましたが、享保の改革では贅沢の禁止などとともに、こういった春画なども取り締まられました。

しかし、世の違いを超えて好事家は後を絶ちません。いくら禁止令を出しても裏での取引は為されていたのでした。

     

勝川春章の作『排開よぶこどり』ですが、すごくおとなしい絵です。ということは他の挿画はもっと凄いんですよ。短編のタイトルは『羽化』でした。
春話26夜ですから、この手の枕絵が26枚載っているということです。

この本にあるお話は著者の坂東真砂子と連れ合いのフランス人ジャンクロード・ミッシェルとの共作だそうで、ジャンクロードが浮世絵に興味を示し、坂東に教示したのがきっかけで、春画からイメージした短編ものを合作で作り上げました。

     

宇江佐真理の『桜花を見た』に収録されている『酔いもせず』の主人公お栄も春画を描くことによって安定した収入を得ようとするのですが、親の北斎は無頓着なのが宇佐江氏のお話でしたが、実は北斎も春画を描いていたのでした。

     

これが北斎の春画『つひの雛形』、先の宇佐江氏の『酔いもせず』では、娘のお栄が手掛けたことになっています。短編の題名は『悦楽の夢』、北斎は19歳で上の勝川春章に師事しています。

     

ええぃ、おまけに北斎の同タイトルものをもうひとつ、御代はいらねぇよ!


宝塚 Ⅱ

2007-09-27 05:10:00 | 大阪にて
宝塚という所は、山の中なんですね。
川西の伏見台に行ってた頃と少し似ています。

    

ここを曲がるみたいやけど、どうもあやしい・・・道を間違えたかも知れません。

     

改めて違う道を行くと・・・こんな階段登るの?
残暑厳しい折、かなわんなぁ。

     

どうやら右の道でも行けそうです。

     

ここらは1戸建ての家が多かったのですが、対岸の山の上に大きなマンションを建てています。地盤は大丈夫なのでしょうか?

私はあんな所に住みたくない。

       

こんな坂の上り下りです。自転車じゃムリですね。

     

たいがい下りて来ましたが、まだだいぶ下りなければなりません。
誰が最初にこんな所に住宅地をと考えたのか・・・平地に暮らしている者にとっては尋常ではありません。

     

宝来橋の南詰に与謝野晶子の句碑がありました。
こちらで読んでください。

    


建立主旨には、宝塚歌劇の機関紙『歌劇』の創刊号に与謝野晶子の歌三首が載せられていたこと、晶子は女性の自立と反戦平和にかかわり貢献した人であること、劇場文化の発展と武庫川の自然保護を記念して・・・と書かれています。

宝塚

2007-09-26 05:00:00 | 大阪にて
突然会社から、今の仕事は一旦放置して、違う地域に赴き少々違った仕事をしなさいと言ってきました。
秋休み前の1週間でやり切らねばなりません。与えられた地域は宝塚です。
宝塚といっても広いのですが、宝塚の駅の近くだったので一安心ですが、今やってる仕事を休みも挟むとは言え2週間も放っておくのは納得し難いものがあります。

宝塚の駅で降りたのは人生初めての出来事だったかも知れません。
JRと阪急の駅が近隣にあり、階段を登ったり降りたり、何故かややこしかった。

     

こちらは南側から見た阪急の駅。
JRの駅はショボいでしょ。エスカレーターもありません。

     

JRと阪急の駅の間にあるバスターミナル、JR側(北側)から見たところです。
何やら緑のモニュメントがあります。

     

弦楽器や管楽器を沢山ひっつけてあります。
誰か有名な作曲家でも輩出したのでしょうか・・・そこのところはよく判りません。

     

でも宝塚歌劇があります。

ファミリーランドは無くなったんですね。

     

この川は武庫川、中流域に来ているのに河口付近と川幅は変わりません。
こちらは川下です。
昔は温泉街だったとか。

     

宝来橋という橋が架かっています。
カーブをつけてあるので雄大な感じがします。

40年位前は木の橋で、3人ぐらいがやっと通れる広さだったとか。
車はどうしてたんでしょう。

     

こちらが上流の方角、もう少し遡れば景色も良くなるとか。


ハゼ釣り

2007-09-25 05:20:00 | 神戸にて
秋休みの最後の24日、加古川へハゼ釣りに車3台、老若男女13人で行ってきました。

     

学童保育の父母会で初秋のハゼ釣りに行きだして、かれこれ17~18年ぐらい経つでしょうか?
最初は武庫川へ行っていましたが、釣れたり釣れなかったりで、型も大きくはありませんでした。

武庫川はここのようにテトラ上ではなく、河川敷になっているので危なくはありません。

     

ここ加古川に来るようになったのは、子供達が卒業して大きくなってからです。
初めてここに来た時に釣れたハゼが大きいのに驚きました。

     

今日も釣れたハゼは皆大きい。若い女性でもこの通りです。
この子ら小さい時はもっと可愛かったんやけど・・・なんて言ったら失礼かな?

     

沢山釣れたと言っても、いつもいつも釣れるわけではありません。
今日はGood Timingだったようです。

     

7時前に着いて、9時過ぎには「もう帰ろか」と言っていました。
こんなんが2つ分あったんですよ。

     

夕方再集合して早速ハゼパーティです。
みんなで手分けしておろしました。

     

おつくり、てんぷら、煮付けとどれをとっても美味しい。

昼間の温泉 Ⅱ

2007-09-21 05:00:00 | 田舎
ここは以前にも紹介した浦島ハーバーホテルの立ち寄り湯です。

今日もただの平日なのでガラ空きです。

この手前の檜の湯船だけでも、ぼたん荘の湯船と同等だと思います。
同じ大きさ・湯加減で向こう側に大理石仕様の湯船が見えています。
あっちの方がチョット熱いと感じるのは、私だけでしょうか?

     

これは樽風呂でしょうか?名前は付いていませんが、この湯だけが源泉かけ流しだそうです。
なので行ったら必ずこの湯船には浸かります。

     

こちらは串本湾とでも言うのでしょうか・・・一望しながらの湯です。
その代わり外からも見られるかも知れません。

       

“あつい湯”と書かれていますが、石臼みたいなところで湯を受けていて、そこは熱いのですが湯船はそんなに熱くありません。

     

うたせ湯になるのでしょうか?座るほど深くないし、こちらを向かないと湯が当たらないので男としてもスッポンポンでは恥ずかしい限りです。

     

中1君がここに来ると入り浸っていた水風呂ですが、よく見ると風の字が違うので「水風呂と違う」と屁理屈を垂れていました。

これだけ湯船があって、洗い場も13ヶ所ぐらいあるのですが、入浴料がぼたん荘と同じ500円です。
去年私が文句を言ったのが功を奏したのかどうか判ったものではありませんが、GWもお盆も時間限定ですが一般の人も入れるようになりました。

     

おまけに馬油や炭のシャンプーやリンス、ボディソープなども完備ですし、剃刀も櫛も使い捨て、整髪料まで置いています。

     

比べれば官営のぼたん荘は、同じ料金なのにサービスが悪すぎやしませんか?

橋杭海水浴場

2007-09-20 05:00:00 | 田舎
♪~今はもう秋、誰もいない海~♪
まだまだ暑いけれど、海水浴場では誰も泳いでいません。

来る途中、さすが白良浜では泳いでたけどなぁ。

     

ここは橋杭海水浴場です。
最初の写真は橋杭小学校の横から撮りました。

     

賑やかな壁です。でも誰もいません。
廃校になったのかなぁ?

     

テトラの向うに橋杭岩の1番・2番・3番・4番がすぐ近くにあるように見えますが、いやいや結構遠いんですよ。泳いでいくのは大変です。

     

国立公園の中にあるのです。汚さないでくださいね。

ずっと歩いて橋杭漁港まで足を伸ばします。

     

漁港の波止の先端部分から内側を撮りました。
漁船が沢山係留されているように見えます、実際は数はそんなに多くはありません。

     

同じ先端部から橋杭岩を眺めるとこんな感じです。
ここは川ではありません。れっきとした海です。キスが釣れます。

     

波止の先端部から橋杭岩の先端部を撮りました。
ここからでも結構距離はありますよ。

     

逆光の橋杭海水浴場、光の中に船が一艘、いい感じです。
丘の上の建物はダイワロイヤルホテルです。

     

漁船が陸揚げされていたので、誰も居ないので無断で撮らせてもらいました。
ここでハタと気付いたのですが、この橋杭漁港から大島へ渡してくれていた中尾渡船の船がありません。なので国道沿いの看板を注視していたら、そちらもありません。廃業なさったのかなぁ。

     

戻ってくると、誰も居なかった筈の浜辺に見知らぬ女性が二人、水と戯れていました。
  

旧フェリー乗り場

2007-09-19 05:30:00 | 田舎
串本大橋が完成するまでよく通った港です。
フェリー乗り場もありましたが、私にとってはなんといっても大島の須江方面、樫野方面への渡船の発着場でした。

明け方真っ暗いうちから、それぞれ迎えの船がやってきて、この港で待っていました。

     

私は須江地区には『しょらさん渡船』、樫野地区には『永田渡船』を利用していました。

今はフェリーも渡船も利用がないので、どうです。きれいなものでしょう・・・ゴミ一つ落ちていません。

     

それでもカセ釣りの船は係留されていて、ここからの利用があるようです。

     

昨日の写真なのですが、台風の影響も無くとてもいい天気でした。
こちらにいると、秋の気配が確実に感じられます。

暑いのですが風が爽やかで、日差しもやや緩めです。1ヶ月前の真夏とは全く違う日差しです。

大阪はまだ未だにクソ暑いですものネ。

    

夜も明けないうちから、渡船はこちら方面を目指して一斉に出て行きます。
下から2枚目の写真は大島の金山方面ですが、樫野からは時々こちらの海を廻って帰ってきてくれたりもしました。渡船で大島一周もうれしいですネ。

どちらも同じ灯台(白灯)が写ってるのに、角度(日照)の加減で白く見えたり黒く見えたりするんですねぇ。

昼間の温泉

2007-09-18 06:20:00 | 田舎
秋休みで古座に来ています。
今回の秋休みは祝日のタイミングが良くて、年休4日で10日間の休みです。

誰も来る人がいませんから、独りで得意のボォ~ッとをしています。

     

することが無いので、真昼間からぼたん荘へ行ってみました。
世間では連休の最後の月曜日、でも誰も来ていません。

GWでもお盆でも、夕方ともなると満員になるこの温泉なのですが・・・

    

連休の最終日はこんなものなのでしょうか?
1番風呂です。

     

この2枚で男風呂が写せますから、確かに狭い。
洗い場は6つしかありません。

    

脱衣場もこんなものですが、洗い場に比べると脱衣カゴは沢山あります。設計ミスかも知れませんが、普段はあまり訪れる人もいないので仕方がないのかも知れません。

    

待合室もこんなものですが、奥に会議室があって椅子や机があるので少しはくつろげます。

     

車も停まってないのでウロウロしていたら、駐車場の片隅にお地蔵さんが祀ってありました。

   

「地蔵真言をお唱えしてお参りください」とお願いされていますが、この地蔵を見つけること自体かなり困難です。私も何十回とぼたん荘に来ていますが、この地蔵さんを見つけたのは今回が初めてです。

この道は2度と通らない

2007-09-14 05:30:00 | 田舎
またまた綴っておかなければならない記事を忘れていました。

8月8日、長男が帰るので、みんなで白浜へドライブに行くことにしました。

水をお持ち帰りの長男たちのために富田の水を汲みに行き、ついでに瑠璃光霊泉も少しばかり汲みに行きました。

田辺で別れて、帰りは山道を通りたいので、中辺路への道を311号線で走り、合川ダムまでは百間山渓谷への道と同じ道を辿りましたが、まっすぐ行くと百間山への三叉路で右に曲がって橋を渡って行く道があったのでそちらを選択、国道317号線です。




走ってみて反省、国道とは名ばかり、見るべき景色もなく、追い抜く車はおろか対向車さえやってきません。

   

百間山渓谷を抜けていく道のほうが遠く思われますが、走りやすいし景色もいいので、紀伊山地を走ることがあって、どちらの道を?と迷われたなら、百間山への道を選ぶべきだと私は思います。

陳舜臣の世界展

2007-09-13 05:10:00 | 神戸にて
久々に神戸の街へ行く用事がありました。

帰省前から神戸の大丸で『陳舜臣展』があるのは知っていましたが、もう終わってると思ってたら、未だ開催されていたのでちょっと寄り道してみました。

     

陳舜臣といえば小説十八史略しか読んでないのですが、著書の多さには頭が下がります。
この催しを見て、いつか『耶律楚材』を読んでみたいと思いました。

神戸大丸の前・西側ですが、名前は忘れたけど中華レストランが潰れていました。
5枚目の写真と比べてみて・・・といっても門を中心に撮っているので左側に赤い建物が写ってるだけですけどね。

     

舜臣さんは大正13年生まれだとか、私の父親より2歳程年上ですが、未だご健在のようです。

原稿なども展示されていましたが、細くて女の人が書くような字でした。
もちろん展示場内は撮影禁止です。

     

それでも誰もいないのを見計らって・・・パチリ。
皆さん小説のコーナーに興味があるらしく、この舜臣さんの書のコーナーはほとんど誰も来ません。

     

ええぃ、何書いてあるのか解らんけど・・・もっと撮っとけ!
漢文なのか漢詩なのか判りませんが、案外字は上手ではありませんが、結構書いておられますねぇ。