ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

『すぎや』閉店

2011-09-30 05:00:00 | 田舎
天王寺を8時に出て、4時間半かけて串本に到着、本来なら3時間で来れるから、11時ごろには着いてたはずなんですがね。とりあえず特急列車の2本は串本まで来ているのですから、何故全ての特急を串本まで運行させないのか、そこが不思議です。

12時半ごろに串本に着いたのはいいのですが、次の代行バスは12時36分発、お腹が空いていたので何か食べようと思うと、そのバスには乗れません。その次のバスは14時37分発で2時間後、ほんの少し前の12時17分にも代行バスが発車しています、なんかやり切れないものを感じます。

周参見駅で30分停車すると教えてくれていたら、そこで昼食をとって、12時36分のバスに乗れたのです。

おまけに串本駅前の飲食店は火曜日が定休のとこが多い!何と間の悪いことでしょう。仕方無しにオークワでパンとコーヒーを買って、店の中で食べました。

こんなことなら串本まででも車で来ておけば良かった、オークワでも古谷魚店の駐車場でもタダで停めておくことは出来たのです。

             

串本の駅前をうろついていると、昔は必ずと言っていいほどエサを買っていた『すぎや』が潰れています。潰れているといっても台風の被害に遭った訳ではありません。

主人がガンで亡くなり、ここでエサを買う人も減ったのでしょう。車で来ると大島にしても潮岬にしても、ここまで来てエサを買うのは時間とガソリンの無駄になってしまうのです。

不況で釣りをする人が減ったということではなく、昔はこの『すぎや』のすぐ傍の港から大島へ渡船が出ていたので、この店を利用する人が多かったのですが、今は橋が出来たのでここは場所が悪くなってしまったのです。

以前はこのお店の中で、生簀にグレやタイを入れて観光客相手に釣りもさせていたのですよ。この排水はその名残りでしょうか。きっと流れているのは海水です。

             

潰れた店がもう一軒、今年の2月には立ち寄った田子のドライブインです。N田夫妻を白浜へ迎えに行った帰り、双島辺りの海がきれいのでこの辺りで停めてと言われ、この店まで来て車を停めて分ったのです。一見潰れているとは判りませんが、確かに車が一台も停まっていませんでした。

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台風15号接近

2011-09-29 05:00:00 | 田舎
田辺の駅で1時間近く散策し、最後には観光協会のようなところへ入って、そこのオジサンと少しお話をしました。いろいろ教えてくれたけど、中辺路への道・国道311号線が通行止めになっているとは知りませんでした。22日に来紀する予定のN田夫妻を熊野三山に案内しようと思っていたのに(那智山へは行けない事は知っていたけど)、どうもそれは叶いません。おまけに台風もこちらを窺っていて、N田夫妻が来れるのかどうかも分らないのです。

そうこうしているうちに普通電車の発車時刻、遅れないようにホームに戻り、やっと串本へ向けて出発です。

             


白浜駅を越えて暫くすると日置川、未だ雨は降っていませんが、川は古座川と同じように泥となって流れています。富田川も河口が土色に染まっていました。大きな川の河口は何処もこんな状態のようです。

             

さて問題の周参見駅、停まった当初は前のイノブータンの絵などを見て面白がっていたのですが・・・いやいやなかなか面白いのですよ、この絵。竿にかかってる魚がどれか探すのが楽しい。でも通過するはずの電車はなかなかやって来ないのです。

             

向かいのホームでは弁当を食べている人がいます。私もお腹が減ってくる時間です。実はこの人は私の座っていた席からは見えなかったのですが、あまりにも電車が来ないので外へ出てみたら人が居たというわけです。

真ん中の跳ねているカジキマグロの絵、この魚を釣っているのは一番右の船に乗っていたイノブータンなのです。

             

私の乗った2両編成の電車、この時点で私を含めて二人しか乗客がいませんでした。この時、運転手兼車掌は二人の乗客に対して何処まで行くのかと聞いてきたのですが、それは聞いたまでの事であって、だからどうだとは何も言わなかったのでした。

             

こちらは白浜方面を向いた周参見駅構内、今にも雨が降り出しそうですが、この日は串本に着いても傘は要りませんでした。夜半から翌日昼にかけて暴風雨となりましたが、そんな危ない時に外出するわけはありません。朝から傘を持って出たけど無駄でしたね。

             


雨風はたいしたことがありませんが、波は凄いです。紀勢本線って案外海の見えるところが少ないですね。この動画では最後の方で双島が見えてきますから、ここは田子付近です。

             

ここは和深の駅近くの浜だと思います。前日見たときはこの浜でサーフィンをしている人を数人見かけました。

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紀伊田辺駅前

2011-09-28 05:00:00 | 
20日天王寺発8時の特急くろしおに乗って紀伊田辺駅まで行き、そこから普通電車に乗り換えて串本まで行き、串本から代行バスに乗る予定でした。

前日、勝手に白浜駅で外に出ても怒られなかったので(切符には途中下車・前途無効の表示はあった)、この日もお腹が空いてたわけじゃないけど、駅前の様子などを観に駅の外へ出てみました。怒られても、ホーム内で1時間も居れる訳がないと一喝しようと思っていたのに、何も言われません。

                  

台風15号が近づいていたので当たり前ですが、雨が降っていたようで、地面が濡れています。未だ風の強さは感じられません。

この『口熊野・田辺』という看板、当日のTV、台風の報道の際に映っていたような気がします。

             

和歌山の田辺といえば弁慶、弁慶は丹鶴姫の息子、熊野別当・湛僧の息子です。湛僧が源氏につくか、平家につくかを鶏を闘わせて占ったという闘鶏神社にも行きたかったけど、電車に乗り遅れたらいやですから、次回にということにしました。

             

弁慶の像の横に建てられている碑、弁慶生誕の地の田辺市と終焉の地の平泉町が姉妹都市の提携を盟約しているそうです。なんか書き方が荘厳すぎます。


                  

この像は昔からあるなぁ。これだけだとあまり強そうには見えません。何時作られたのかの表示はありません。

             

田辺の駅前の商店街、この道を行けば闘鶏神社まではそう時間はかからないと思います。

                  

田辺の三人と称する漫画チックな肖像画、南方熊楠は有名な細菌学者、白浜に記念館がありました。田辺に顕彰館が出来ているようです。

弁慶も皆さんがご存知の通り、でもあと一人の植芝盛平って知りませんね。合気道の創始者だとか・・・

             

ホームの中にはゆかりの人として10人の写真がありました。上の三人も入っていますが、弁慶の写真は駅前の像のものではありません。

                  

田辺市が付近の町村を合併した記念に平成17年に作った牛馬童子のレプリカ、チェーンソーで作ったものだそうですが、あまり出来映えが良いとは思えません。

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貰いもの

2011-09-27 05:00:00 | 田舎
姫に帰る以前から、何故かやたらと貰い物が多く、それはまぁ嬉しくもあるのですが、少々面映い気がして、素直に喜んでいいのやら・・・少し複雑な気持ちです。

                  

隣の隣に座ってる後輩のW辺君が平泉に行ってきて、純金のカステラをくれました。私としては“のカステラ”がない方がもっと嬉しいのですが、それは無理というものですね。

             

隣に座ってるK山君の故郷・徳島県からはスダチ、スダチといえば秋刀魚というわけで、すぐに秋刀魚を買ってきて焼いて食べました。

             

秋刀魚も一緒にくれていたら、わざわざ秋刀魚を買いに行かなくても済んだのですがね。

             

美味しかったです。

                  

おまけにスダチ果汁の入った番茶の焼酎も・・・この焼酎なかなか美味しいのです。


                  

加えてスダチの焼酎、徳島にはスダチしか名産は無いのか!などと言ってはなりません。頂き物ですから注文をつけるわけには参りません。

             

そしてこの焼酎もモンドセレクション金賞ですって!何でもカンでもモンドセレクションかいな?この賞ってもう威厳が無いように思います。

             


三男の釣り友達T中君、ココナツの実に入ったワインをくれました。

             

姫へ帰る前日、九州へ赴任しているM山君と飲んだ時に貰ったお土産、ボンカレーとタイのイエローカレー・・・九州・福岡のお土産とは思えませんが、懐かしいパッケージのボンカレー、シゲシゲと見ているとボンカレーのボンはフランス語で美味しいという意味だそうな。じゃ私は美味しいクラか?

             

姫に到着した日にちのとさんから貰った和歌山名産の品々、梅干は有名で、柚子のマーマレードは知ってたけど、こんなレトルトカレーは知りませんでした。

             

連日レトルトカレーを貰って、何か因縁めいたものを感じましたが、それ以来レトルトカレーは貰っていません。因みに甘口・辛口両方頂いて・・・シシ肉入りです、これは高いと思います。

                  

19日に一旦大阪へ帰ったのは昨日綴りましたが、その際にN田夫妻から貰った焼酎、二階堂って全国何処に行っても売ってそうですが、こういう瓶はあまり見かけません。

             

おまけにイワシメンタイ、美味しそうなので一袋姫に持って帰ったのですが、独りでは一度に3匹も食べれないだろうと思い、未だ冷凍庫に入れたままになっています。

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電車が走ってない

2011-09-26 05:00:00 | 田舎
先々週の土曜日、台風15号と16号が北上していましたが、こちらにやってくることはあるまい、12号が残していった爪痕でも見に行ってブログのネタにするという気持ちが強くて、姫の家にやって来たのでした。次の日の日曜日、朝にザッと雨が降ったものの良い天気で、これなら心配あるまいと思っていたら、20日の夜から雨が降り出し、夜半には風雨ともに強まって、TVの無い姫の家は情報が無く、時折している町内の放送も風雨に邪魔されて何を言ってるのかサッパリ分からず、風雨が収まるのを待つしかありませんでした。

             

姫の家の周りの田んぼは未だ刈り取りが終わってなく、例年なら盆を過ぎた頃には刈ってしまってるのにと、田んぼの持ち主の安否などまで心配してしまいます。

             

既に刈ってある田んぼもあるので、おそらく持ち主が違うのだろうと思うけど、案山子なども立てる風でもなく、スズメなどが束になって飛び交っています。

                  

串本の古谷魚店で夕飯をゴチになろうと思って姫の駅へ行ったものの、何か気配がおかしい。考えてみると姫の家にやって来て以来、聞こえるのはセミの声ばかり、踏切の警報音や電車が走る轟音が聞こえてなかったなぁと思いながら、よくよく考えてみると台風12号のときに那智勝浦でJRの橋が落ちたのでした。それでも行ける駅までは行ってほしいものです。

             

もう何日も電車は走ってないらしく、線路には錆が浮いています。

             

駅には貼り紙が、町内の放送でも何やらJRのことを言っています。貼り紙を読んでもイマイチ理解に苦しむ内容です。要するに電車が走ってない区間はバスが代行運転をしてますよという案内でした。それでもちゃんと理解できかねる時刻表、普段この地方で電車には乗りませんから、私などは余計理解し難いのでしょうが、運転する側が自分たちに解るように作ったのだとしか思えません。

             

こうやって姫の駅を写していると、長男に教えてもらったYOUーTUBEの映像が思い出されます。

19日には九州から出てくるN田夫妻と飲みに行く約束だったので、車はしんどいから電車で往復しようと思っていたのでした。串本までは特急列車は1日2往復しかなくて、後はすべて白浜発着なのです。私はてっきり白浜までバスで行くのだろうと思っていたのですが、聞いてみると串本からは各停に乗って白浜まで行き、そこから特急に乗り換えるのだとか。それしかなければそうせなしゃぁないですやんか!12時22分発の姫駅前のバス停からバスに乗り串本へ、言われる通り各駅停車に乗り換えました。4時ごろには大阪に着くだろうと思っていたら、白浜でなんと1時間も待たされるのだそうな。特急に乗って駅弁でもと思ってたのに1時半を回ってるのに昼飯食ってないし、駅員にホームに食べる物売ってないのと聞いたら、特急の車内販売で買ってくださいだと!6時ごろから飲み始めるのに昼飯を抜くわけにもいかず、改札の外へ出て売店でビールと弁慶弁当っていうのを買って、待合室の席に座って食べたのでした。天王寺に着いたのがちょうど5時、そこから大阪駅まで20分はかかります。

             

翌日、7時過ぎに家を出て天王寺へ、姫までの切符を買おうと緑の窓口へ行くと特急は8時発とのこと、30分以上待たされます。特急は白浜までしか行かないので白浜からは各停でとの説明、串本からはバスですねとこちらから言わないと言ってくれません。なんと不親切な奴だと思いながら、隣のカウンターを見ると欠伸をする女の駅員、JRもなかなかだらしないですなぁ。

どっちみち各停の始発は田辺なので田辺までの特急券を買い、電車に乗り込みました。ホームにはオーシャンアローって書いてあったので「初めて乗るなぁ」などと期待していたら、台風12号の影響でスーパーくろしおが来るんだと!何がどう違うのか説明もありません。田辺に着いたらまたまた1時間の待ち合わせ、そんなこと聞いてないけど、ご飯を食べるにも早すぎるので勝手に改札を出て駅前の見学をしたのです。1時間待って出発、周参見に着いたらなかなか出発してくれません。そろそろお腹も減ってきますが、下りの特急と上りの普通列車との行き違いをするのだとか、でも一向に電車は来ません。やっと特急が来たと思ったら、すぐに出発しよる。おいおい単線でっせ、特急だけ行ったら上りの普通もどこかの駅で待つやないか、周参見の駅で行き違いしてくれよな、この電車はいつまでたっても出発出来ません。結局30分待たされました、最初からそう教えてくれたら、周参見の駅を出て何か食べるのに・・・JRの不親切な対応には呆れます。後からの特急が周参見で追い越したということは、その特急は串本まで行くのです。何故天王寺の駅員はそのことを言わなかったのか!?後からの特急の方が早く串本に着くのなら、それを言うべきです。どちらに乗るのかは私が判断するのですから。

車で往復した方が腹も立たず、しんどい目に会わなくて済んだのにと、後の祭りの二日間でした。

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台風被害 Ⅱ

2011-09-22 05:00:00 | 田舎
河内さんまで戻ってきました。この日は日曜日だったせいか、普段あまり車の通らない県道をどんどん車が走っていきます。おそらく遊びに来たのではなくて、ボランティアとか親戚の家へ手伝いに行くのでしょう。私のように安穏とカメラを構えてる人など何処にもいません。

             

この辺りでも普段より水深は深く、流れも速いみたいです。対岸の竹がなぎ倒されています。何をするためなのか解らなかった黒い袋は全部流されてしまったようです。ついでに手長エビを釣ってたところを埋め立てた川岸も流れてしまえばいいのにと思っています。

             

でもエビが戻ってくるかどうかは分かりません。

よく見ると護岸が崩落している個所があります。相当な勢いで流れたものと推察します。

             

神社の裏の道を探ってみました。なんと大きなクスノキが折れて倒れています。葉が全部枯れてしまってますから、この台風のせいではないのでしょう。

             

上流からの流れ、どす黒い黄緑色をしています。かなりの土砂が流れているのだと思いますが、水の流れが元に戻ったとしても、水深や地形が変わってしまったところもあることでしょう。

             

河内橋の中央から眺めた河口方面、清流古座川のイメージは全くありません。

             

古座川町の細い道を辿って河口までやってきました。車で通った時はエギングをしている人が二人いましたが、古座川病院に車を置いて戻ってくると誰もいませんでした。この濁りですから魚は釣れないでしょう。この川の濁りがそのまま海へ注いでいっています。これを見ると普段の海に対する川の水の流れがある程度掴めます。濁りは西の方へと広がって行っているのです。

             

川の濁りが海へ出て広がっているのですから、海が濁っている地域は川の水の影響を受けていると見なされます。姫の前も完全に色が変わっています。ただ、普段はこの日のように強い流れではありませんから、その辺りを斟酌しなければなりません。

             

古座川病院の前の地磯、たくさんの漂流物が残っています。まだまだ使えそうな材木もあるんですよ。向かいは九龍島。

             

こちらは東側、動鳴気漁港方面、こちら側は川の流れの影響はなさそうです。

             

姫の前の浜まで戻ってきました。河口ほどではありませんが、濁っているでしょう。普段ならここまで影響は無いのかも知れません。

             

打ち上げられた漂流物も沖からのものなのか、川からのものなのか、その辺りの研究も川の流れの影響に役立つのでしょうが、私はそこまでやろうという気は起りません。

因みに串本港方面の海水は濁っていません。

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台風被害

2011-09-21 05:00:00 | 田舎
台風がこの地方を襲ったのはもう2週間以上も前のこと、古座川が氾濫した直後ではないけど、どんな様子だったのか今の様子を見て、想像するほかはありません。私の家は何の被害もありませんでしたが、取り敢えず古座川と小川の分岐点、明神橋まで溯って見てきました。

             

明神橋を渡って滝の排への方向への道に駐車し、川の様子を見てみることにしたところ、こんな表示が橋に掲げてありました。この橋は1958年に出来たんですね。チョット読み辛いですが、建造が和歌山県、製作が汽車製造株式会社ですって、もうそんな会社は無いのでしょうが、名称が変わって違うものを造っているのかも知れません。


             

小川上流からの流れ、水は濁っていますが青い色をしています。

             

ここはいつもカヌーに乗るときの出発点、増水していて今カヌーに乗っている人はいません。遊んでいる場合じゃなく、たくさんの人がボランティアで復旧のためにやって来ています。


             

この場所から古座川との合流点をアップにしたら・・・分かりますかね、古座川の濁流の流れが速くて、小川の水が横に押されています。

             

明神橋から少し戻ったところの広場には、水に浸かって使用不能になった日用品が山のように積まれています。私の撮っているこのときにも何かを捨てに来ている人がいました。

             

ぼたん荘も浸水したとみえて、厨房器具などを乾かしていました。おそらく営業はしてないだろうと思うけど、そのような貼り紙は貼ってありませんでした。ここでもボランティアの人が数人掃除をしていました。

             

後南朝遺跡のあった岩の前のキャンプ場にも使えなくなった日用品がどっさり、もう置くスペースも残ってないほどです。

             

このどさくさに紛れて、地上波デジタル放送が始まったので、要らなくなったアナログテレビを捨ててる人もいるみたい、廃棄するにはお金がかかるんですよね。

昨夜来台風15号の影響で、またもや12号で被災した村落に避難勧告が出されました。朝になっても風雨が強く、見に行くにも出かけようがありません。

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パソコン潰れる

2011-09-20 05:00:00 | 大阪にて
夏休み前に家のパソコンの調子が悪くなり、夏休みに入るまでは宥め賺ししながら使っておったのです。夏休みに入ると姫の家のノートパソコンで約1カ月分のブログを作成しておいたので、なんとか凌いでこれたのですが、もうとうとう役に立たなくなり、買い替えを決意しました。

             

ファンの音がガーガーと五月蠅くなり、しばらくすると勝手に電源が切れてしまう状態で、カバーを外すとなんとか持ちこたえてくれるというヘンなことが起こっていました。

                  

まぁ約10年も使ってきたものですから、寿命なのかも知れません。こうやってあちこち弄りながら使っているうちに最初のパスワードさえ入力することも出来なくなってしまったのには閉口です。

             

名古屋で単身赴任するときに買ったので、TVチューナー付きのものだったけど、20万円以上しました。いろいろソフトも入ってたけどあんまり使いこなせてなかったように思います。

                  

9月に入ってもう待てないので新しく買い替えました。OFFFICE2010が入っていて、ミドリ電化でチョット負けてもらって送料込みで68,000円、他に何のソフトも入っていません。本体はモニターと一体型なので省スペースですが、あれだけのものが何処に消えたかと思うと少々不安でもあります。使ってるうちにどうなるやら・・・まぁそこそこ売れてるみたいですから、なんとかなるでしょう。メモリーが4ギガなので立ち上がりも早く、一応家にはマンションタイプですが光が入っているので動きも快適です。

パソコンを冷却するファンが入ってないのか、音が全くしません。それがまた不安材料なのですね。

下に置いてるのが姫で使っていたノートパソコンです。データが入っているので持ち帰っていました。

             

神戸時代から同じ職場で働くN本君が私のパソコンの惨状を察して、手作りのパソコンを「作ったる」と言ってくれてました。動きの遅いノートパソコンもそろそろ寿命臭いので、姫の家用に1台作って貰うことに、本体が6万弱、モニター別売で17,000円でした。キーボードとマウスも別売で、なんとワイヤレスのものがミドリ電化で2,780円だったのでそれを購入しました。

                  

本体がバカデカい、上部の液晶数字は時間ではありません。本体内の温度を表示しています。なんとファンが4つも入っていると言いますが、音は案外静かです。本体。モニターともに大きいので狭い姫の家での置き場に困っています。

姫の家ではまだ光を入れていません。ずっと住むようになれば光にするでしょうが、今はADSLそれもこの辺りは速度12メガとか、パソコンの性能に付いていくことが出来てないと思います。


この稿はこのパソコンで作っています。

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川西・新田

2011-09-16 05:00:00 | 大阪にて
後1週間も経てば秋分の日、彼岸ですが、ここのところ暑い日が続いています。この暑さ後1週間でさよならしてくれるのでしょうか。

8月の終わり頃から川西市の新田というところで仕事をしています。タイトルを見ると「かわにししんでん」と読めたりして、新しく開発された田圃があったところかと思われそうですが、別段そういうところでもなさそうです。

             

能勢電鉄の多田駅で降り、西へと向かいます。駅前には多田神社への古い道標がありました。

             

新田までの街並は多田桜木というなかなか素敵な町名です。その名の通りサクラの樹が並んでいます。

             

『餃子の王将』の寮もあって、近くには店もありました。店の規模は大きかったけど、寮には住んでいるのかどうか、あまり生活の気配が感じられません。『餃子の王将』って厳しい修行を強いられるところでしょう、TVでやってました。でも店に入るとそんな厳しさなんか感じられません。

                  

新田の街に1歩足を踏み入れるとその角にケッタイな看板が何枚もある散髪屋があります。書いていることを読んでいると、ここの人チョット頭がおかしいんと違うかと内容、こんな散髪屋で頭を触ってもらいたくはありません。

             

値段は安いんですけど、主語と述語が繋がらないような文を堂々と掲げてるなんて・・・外八理容って名前ですが、ソトハチなどというと、何か神憑り的な感じを受けるし、満蒙族にこんな名前の人っていたような・・・とにかく触らぬ神に祟りなしですね。

             

新田の街には今年定年になった私たちのグループのM月さんが住んでいるところ、以前にもこちらで仕事をした時、家を教えてもらったけど、めんどくさいから行くのは止しておきました。

最初の理容の看板が強烈ですが、中に入ると閑静な住宅街です。こちらは西向きの方向です。

             

こちらは東向き、能勢の山々が続いています。この地は山に囲まれた盆地になっているんですね。

             

街の中には農作物を作ってる一角もあり、住宅街で人も多そうですが、何やらやすらぎを感じます。

             

狭いですが田圃もありました。新築の家々と向こうに大きなマンションが見えますが、都会のように埃が舞ってるという感じはありません。

             

お店の殆んど見られない住宅街ですが、こんなお店がありました。『むかしや』という幟までありますが、流行っている様には見えません。

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戦中派不戦日記

2011-09-15 05:00:00 | 読書
中秋の名月も過ぎましたが、また夏の話です。8月にはいつも戦争をテーマにした本を読むことを心がけているのですが、今年は山田風太郎の忍法帖シリーズを読んでいたので、そのシリーズの中にあった『戦中派不戦日記』という歴史物でも忍者物でもない、作者が綴っていた1945年の1月1日から12月31日までの日記を本にしたものを読んでみました。

当時山田誠也と名乗っていた青年は丁度大学生、医者を目指していたので医科大学へ通っていました。戦時中なのに食べるものや着るものに不自由している節が見えないので、下宿しているとは言え、結構裕福な家庭環境だったのでしょう。

作者の小説を読んでいると反戦的思想を汲み取る私ですが、日記を読むと彼の青春時代は戦争イケイケ派だったのですね。あの戦争に意義や展望などは持ってはいなかったのですが、もうこうなったら一億玉砕、「やるしかないわい!」的な発想で本土決戦を声高に主張しています。

             

学徒動員で次々に同年代の若者が戦場に連れられ死んで行く姿を羨ましがり、自分はもっと勉強して軍医となって役に立ちたいなどと思っている辺りが、あの戦争中に生きていた人達の今からすると尋常で無い価値観が蔓延していたことの証しでしょう。その頃から戦争はアカンというようなことを思っている人は少なかったんだろうと思い知らされるのです。

今でこそ自由にものが言え、平和な暮らしの中で殺しあう不安から逃れられていますが、それがどれほど尊いものかを感じている人はやはり少ないのでしょう。どんな世にあっても、どんな状況に置かれても、何が真実なのかを見つめる目を養うことは人として生きていく上では大切なことだと思います。

             

この『妖説太閤記』がジュンク堂の本棚に並んであった忍法帖シリーズの最後の本、このシリーズは何故か1~4巻が無いので、これで完結かどうかも定かではありません。

太閤記は江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵によって秀吉の生涯を描いたものが有名ですが、『信長公記』の太田牛一も『太閤軍記』を書いており、近代では吉川英治や山岡壮八、司馬遼太郎なども筆を執っていますが、当の山田風太郎の本はあまり紹介されていません。

私は大阪育ちですが、どちらかというと秀吉が好きではないので、今まで『太閤記』は読んだことがありません。では何故この歳に至って『太閤記』を読む気になったのか・・・それは単に山田風太郎の忍法帖シリーズに並んでいたからと、山田風太郎なら本能寺の変をどう描くのかというような期待感があったのです。事実、光秀が信長を討ったのは秀吉の長年の企みのなせる業で、秀吉は光秀がいつ信長を討つのかをずっと待っていたことになっていて、私もそうでなくてはとずっと思っていたのでした。

             

そしてこの『妖説太閤記』で秀吉は無類の女好きに描かれており、天下人ではあるまじき醜態ぶりを曝け出しているのには、我が意を得たり、胸を撫で下ろす気分なのです。

             

今年の大河ドラマの『江』、信長の妹・お市の方の三女なのですが、この本では『おたつ』という名で登場しています。

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