ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

赤い実

2006-11-22 07:00:30 | 大阪にて
冬が近づくと赤い実が映えるようになります。

伏見台で撮らせてもらった、何かの実です。
きれいだったので・・・。

          

何という実なのでしょう?ミニトマトやサクランボでないことは誰の目にも明らかです。




ところで、この手の赤い実なのですが・・・

          

千両やら万両やら・・・南天やら、さっぱり判りません。
それらしいのは、なんとか判るのですが・・・

それにしても、ビッシリと実が重なっています。

たわわに実るとは、このことでしょうか。


今度こそ、暫く休止です。
今日の午後から姑息な病院に入院です。

昔の記事を思い起こすと、何も23日が休みだからといって今日入院させなくてもいいのではないか・・・週明けてから入院してもいいのではないか?と考えざるを得ません。

なぜなら、休みである祝日・土曜・日曜などでも入院費用はかかるのです。
金の無い者から、またまた金をふんだくる算段をしているな等と、勘ぐってしまうのです。

よくよく考えれば、翌日から医者のいない金曜日などに手術をするのは、とても危なっかしい事じゃなかったのか・・・

現在、死刑の執行は当日の朝と決められているとか、あまり前から執行を言い渡されるのも、惨(むご)いのかも・・・私もすぐに決めて、すぐに執刀してもらいたい気持ちです。



ヒマなのでPCを病院に持ち込めれば、かなり先まで記事を貯めておく事ができそうなのですが・・・

尼崎では

2006-11-21 13:40:22 | 大阪にて
19日の日曜日に市長選挙があったようです。
私自身はそれどころではなかったのですが・・・。

白井文(しらいあや)さんが、尼崎市長選挙史上初めてといわれる5万票近くの差をつけて、自民・公明連合を打ち破ったそうで、密かに応援していた私はほくそえんでおります。

          

これは、阪神尼崎駅に近い庄下川(しょうげがわ)の畔の公園に設置されているもの。
20年前にアウクスブルグ市、鞍山市と尼崎市の青年によって建てられたそうで、「実際の武器だけでなく、心の中の武器をなくして・・・」と、刻まれています。

この碑に刻まれている尼崎市青年代表は、今焦点の『憲法9条』についてどう思っておられるのでしょうか?当時青年だった方ですから、当然私と同年代だろうと思うのです。

          

うって変わって、また風流な、水の流れを利用したモニュメントです。

この先に玉江橋があります。

これでも1級河川に指定されています。どんな基準で1級・2級を指定しているのか、想像もできません。

一旦、休止と書きながら、すぐに入院が出来ないからとかで、入院は22日に、手術は24日ということなので、このBlogを綴っています。



老子・タオ

2006-11-17 05:45:52 | 読書
小説十八史略が買えないでいるので、『老子』と『タオ』という本を読んでいます。

タオは道という字の中国読みのようです。
もう一つの教えに徳=テーがあり、併せて老子道徳経と呼ばれていますが、現在で用いられている道徳とは、また違った教えです。

中国にいる思想家では“孟子”や“孔子”などが仁や義や礼を重んじる『儒家』と呼ばれ、これに対して“老子”や“荘子”などが自然に回帰することを説いた『道家』と呼ばれます。

どちらも2千年以上の前の人物ですが、中国という壮大な国で繰り広げられた水滸伝から三国志へと伝わった春秋~戦国時代、王や帝はこうあるべきだと説いたものだと理解しています。
つまり人間はこうあるべきだと、普遍的に考えていたのではない・・・自由や平等という概念が無かったのですね。

しかし、今を生きる私たちにとって、こういう人たちの思想は学んでおくべきものであることには間違いないと思うのです。

特にぼんくらなどと自称している私などは、この老子の教えと共通するものを見つけておかないと、生きていく標が無くなってしまいそうです。

上善如水というお酒がありますが、どのような解釈でこの名前を付けられたのかは解りませんが、これは老子の教えです。

「水の如くに生きるのが善い」というほどの言葉なのですが、「最高の善は、例えば水の働きのようなもの」であり、水はどんな所へも滲みこんでいくことが出来、万物の成長を助け、競い合うことも無く、最も低い場所に留まっているのだと教えています。それでも水の力によって倒せないものはないことにまで及んでいるのです。

そう考えると『水』というのは実に恐ろしい存在でもあるのです。

老子は当時の文化にも批判的でした。権力者と相まって礼楽にうつつを抜かす知識者たち、それに追随する人々。いったい自分のしていることが本当に人々の幸福に役立っているのか・・・そう考えた老子は『無知無欲』『無為』を唱え、人間の常識ほどあてにならないものはないと考えました。

私も外販活動をしていますが、その仕事が訪ねていっている家庭に、幸福を与えられているのか・・・疑問符を持たなければなりません。

それから私のPROFILEの『吾、唯、足るを知る』ですが、これも老子の教えです。「足るを知るという満足こそが、永遠の満足である」。
熊谷守一も老子のような出で立ちだったかなぁ。

その熊谷守一の言葉を一つ・・・
「下手も絵のうち」・・・老子と相通ずるものを感じます。

もう一つ共感している老子の教え、器は空っぽだから役に立つというもの、私の頭も空っぽなんで・・・少しは役に立っているんでしょうか?
老子から言わせれば、「そんなものは役に立ってない」のでしょうネ。

そして老子は、あの悲惨な戦時下にありながら、反戦論者であったことを抜きには語れないでしょう。

競争社会にも反対でした。

憲法9条を無きものにしよう、競争こそが社会を繁栄に導く、こんなことが一部の権力者たちによって嘯かれる現代にこそ、老子のような「争わない」「がんばらない」精神が必要ではないかと、私は思うのです。

オルセー美術館展

2006-11-16 05:55:15 | 神戸にて
昨日、私用なのか?社用なのか?よく分りませんが、神戸まで健康診断に行ってきました。

先日、高校の同窓会、そしてついこの間plalaオフ会があって、短期間に2度神戸を訪れたのですが、同窓会では時間にせかされながら神戸市博物館に行ったので、次回もあると思ってさっと観てきただけでした。

そしてplalaオフ会では、ワインの飲み過ぎで、博物館などすっかり忘れて帰ってしまったので、昨日はゆっくりと鑑賞をと思っていたのです。

          

実際には、あまり時間的にゆっくり観ることが出来なかったのですが、同窓会の時より人が少なくて、その分ゆっくり観ることが出来ました。

館内は写真を撮ることなど、絶対禁止ですので、表の看板で・・・

          

左はあちら・こちらでこの展覧会のポスターに使用されていた『すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ』というマネの作品です。

右上は『ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子ども)』というルノワールの作品ですが、ジュリーは左の絵のベルト・モリゾという女の人が、その作者マネの弟と結婚してできた娘です。

右下は全く見にくいのですが、ゴッホの『アルルのゴッホの寝室』です。
私はこういう絵の方が好きです。

オルセー美術館展は今回がⅢということらしく、Ⅰ・Ⅱは観ていないので評価はしにくいのですが、個展と比べて統一性が無く、乱雑な感じがするのです。

勿論、すごいなぁと感激する絵も沢山あるのですよ。

不必要な芸術とは無縁みたいな昔の写真(私が思ってるだけかも知れませんが)などの展示もあり、やはり美術館ではなく、博物館だからなのでしょうか・・・?

ところで、入場料(1200~300円)を何度も払って、チョットしか観ないのに何度もよく行くなぁとお思いでしょうが・・・博物館の会員になれば入場料は要らないのです。

ただし、私は会員ではありません。
そう画伯S氏や一緒に古座にやってきたAさんが会員なので、証(カード)を借りて行っているのです。

それなのに、画伯である筈のSは、会員証を無くしたなどと、画家としてあるまじき醜態をさらしているのです。




花よ

2006-11-15 06:34:39 | 大阪にて
園芸種の名前も知らないのですが、野生の花となると、これが更に判りにくい。
上の花が園芸用なのか野生のものなのかも、見当がつきません。

一斉に同じ向きを向いているナントカアニマルに似ていません?

これは何処かで見たことのある『オオジシバリ』やと思いきや、よく見ると花の中心部が違います。

          

花よ!もう少し私にも判るように、自分たちで集約してくれ。

こちらは他の空き地、柵がしてあり、中には“浴衣の君は・・・♪”が群生してました。

          

この花が不思議です。花がいくつか集まって球になっています。

          

きっと、そんなように因んだ名前が付いているんでしょうね。

          





plalaオフ会

2006-11-14 05:38:13 | 神戸にて
11日の土曜日、神戸港のルミナス2という船で、利用しているプロバイダ=plalaのオフ会が開催されたので行ってきました。

以前からオフ会が催されているのは知っていましたが、すべて東京開催で運賃を何万も払って行くことなど論外なので、申し込みすらしませんでした。
そういう面では、首都圏以外に在住の人達に対して差別的待遇であったと言われても仕方がないでしょう。

plalaを利用している人は、とりわけ首都圏に集中していたということでもあったのでしょうか?例えそうであったとしても、どこに住んでいようが同じ権利が与えられなければなりません。
それが企業倫理というものではないですか?

オフ会といっても何をするのか解りませんでしたが、行ってみないことにはいつまでたっても何をするのか解りませんから・・・と言うことで、申し込んだら抽選に当たったみたいでした。

ここのところ、私用で神戸に行く機会が多くなっています。

船の上から、モザイク方面を眺めています。

          

当日は曇りあるいは小雨がぱらつく、あいにくな天気でしたが、船の中はなかなか賑やかでした。
参加して真っ先に思ったことは、私より歳を召された方が以外に多いということで、plalaの会員が年寄りが多いとは思いませんが、オフ会に参加できたのはこういうことだったのでしょう。

          

モザイクと反対側は私のいた旧職場です・・・後ろの六甲山系が雲にかかって幻想的ですが、そこがちょっとしか写ってないので残念です。

船は明石大橋のたもとまで行って帰ってくるコースでした。
途中でデジカメのメモリカード512Mが満杯になってしまい、写真が撮れなくなってしまい、代替のカードも当日は持参してなくて、私は何をしにここに来たのか・・・。

          

一人で参加したので飲むばかり、ワインは何杯飲んだでしょう・・・?
帰り着く頃にはヘロヘロに酔っていました。

          

もし船が遭難したら、1番に犠牲になるのは私だったかも知れません。
決して一人で飲んだんじゃありませんヨ。

          

あまり一般参加の方とはお話する機会は出来ませんでしたが、plalaのスタッフの方とは何名かお話することが出来ました。
何故かplalaの大阪支店長という方の名刺もいただいていました。

途中で抽選会があり、その抽選で海外旅行が当たった方と話し込みました。

          

当然でしょうが、大賞を得られた方と何も当たらない私とでは、喜びに大きな違いがあるのですが、酔っていたせいか、少しも羨ましいとは思いません。



私の朝食

2006-11-13 05:56:53 | 大阪にて
職場が尼崎に変わってから、乗る電車も遅くなって、今は6時前に起きています。
それでも誰も起きてこなくて、自分だけのものを作って、一人で食べています。

三宮でも名古屋でも5時には起きて、出勤していました。
なので、寝るのは夜9時ごろだったのが、今は10時ごろまで起きれています。

名古屋での単身赴任以来、朝食はこのパターンです。
普通の食パンだったり、ちょっとしたパン屋のちょっと贅沢なパンだったりしますが、キュウリにトマトにハムを載せてかぶりつく。

          

野菜ジュースと左は珈琲ではなく、ココアです。
朝はお子チャマなのです(夜は酒飲み)。


しかし、それにしても、トマトが高い!!
糖度の高い、そして値段も高い上質なトマトが出回って、普通の今までと同じトマトも一個100円もするではありませんか。

田舎に住んだら、トマトを植えよう。


柿3景

2006-11-10 05:18:54 | 大阪にて
多田神社の近くの柿の木を撮ってみました。

誰も収穫してませんから、渋柿でしょうか?

焼酎と一緒にナイロンの袋に入れ、しばらく熟成させると美味しくなるとか・・・・どちらが・・・柿ですか?焼酎がですか?

          

横の祠の赤に負けてしまっています。


こちらは伏見台のとある庭に植わっていたもの。

          

びっしり実がなっています。これぐらいなると嬉しいですね。

同じ庭のものなのですが、青空と一緒に写るようにと考えたのですが・・・

          

無情にも電線や家屋が入ってしまいます。

こちらの柿には・・・見えますかね?

          

網がかけてありました。
鳥に食べられるのを防いでいるのですね。ということは甘いんだ。
じゃ無くて、鳥を捕まえようとしているのかな?


何にも邪魔されない、柿木と青空と山並みがあるところで、写真を撮ってみたいと思います。



10円玉

2006-11-09 05:59:41 | 大阪にて
突然ですが、10円玉です。

左の10円玉がシツコイ。
切符であれ、お茶やジュースであれ、自動販売機に入れても必ず戻ってきます。

よ~く見ると「10円違うやん!」でもありません。
正真正銘の10円玉ですよネ。

こうやってシゲシゲと10円玉を眺めたことって、このごろはなかったでしょう?

円の周りにギザギザがあります。いつから無くなったのでしょう。
このギザギザも数が決まってたんでしょうね。

          

昭和29年とありますから、だいぶ長い間流通していたようです。
半世紀・・・お世話になりました。
その頃の10円ならば、今の10円とは比べものにならないくらい価値が大きかったのですね。

私の人生でこの10円玉そのものは、初めての出会いなのか?それとも、私の手で握られたことが1回でもあったのか?
それとも私が知っている知人や友人の一人や二人は、この10円玉を握りしめて駄菓子を買っていたのでしょうか?

          

こうやって考えていると、たかが10円玉一つでもロマンがありますねぇ。
10円玉よ・・・知ってたら教えてくれ~!!

宇治の平等院も変化ありません。

で、使えないのでブタの貯金箱に貯蓄しておきましょう。