ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

紀伊姫駅ノート PARTⅡ

2012-05-31 05:00:00 | 田舎

気ままな人生を送り出して2ヶ月、毎朝5時前に起きて、6時半までに電車に乗り、毎日会社へ行っていたのは何だったんだろうと思うようになってきました。ハローワークへ一応は仕事を探しに行っているものの、次の仕事が決まったら以前のように規則正しく働けるのかと疑問が湧いてきます。働いていたころは働くことに意義を見つけながらそれなりに生きてきたのであり、今こうやって働かなくなってからは、少し違った観点から働くと言うことを見ているような気がします。

いつものように清閑な佇まい、ひっそりとポツンと取り残されたような紀伊姫駅です。今回の滞在はこの駅から串本へ18時11分発の電車に数回乗りました。乗るのはたいてい私一人ですが、降りてくるのは学生が数人、そして乗ってる客はもうかなり見慣れた人たちばかりです。殆どが学生ですから、数年するとメンバーも入れ替わるのでしょうね。

             

これは20日の駅構内、構内といってもこの狭さです。古谷魚店からの帰り、21時35分初の最終電車で降りると若い二人が盛り上がっていました。こんな光景をこの駅で見るのは初めてです。彼らはきっと電車での旅ではなく、車で来たけど宿へ泊まるほどお金も無いし、丁度いい野宿のスペースを見つけたのでしょう。明朝の金環日食を串本で観ようとやって来たに違いありません。翌日は元通りに整頓されており、ゴミも残ってなくて彼らの性格が窺い知れます。元気ですなぁ、羨ましい限りです。

             

翌21日、夕方いつもの電車に乗ろうと姫駅に行ってみると、紀伊姫駅ノートが復活しているではありませんか。風吹山で見た登山者名簿のようにビニールのケースに入っています。ノートの他にマーカーやボールペンも2本入っていて、周到というか入念さが窺われます。

             

裏にも“紀伊姫駅ノート入れ”と書かれていて、設置日がなんと私の見つけたその日なのです。前日の設置なら前述の二人の若者も何か足跡を残していったかも知れません。

                       

表紙には設置者らしき人からのお願いも記され、読んでみると紀伊姫駅ノートについてかなり詳しい人のようです。書かれているように処分されることなく、最後のページまで書き尽くされることを祈ります。

             

以前のように放置されているのではなく、ちゃんと吊り下げられています。22日に開けてみた時には、21日の日付で誰かが何か書いてありましたが、マーカーで書かれていたので、薄くてよく分かりませんでした。

私は未だ何も書いていませんよ。

                  gooリサーチモニターに登録!

撮影を終えて

2012-05-30 05:00:00 | 田舎

話が滅茶苦茶前後していますが、金環日食を観察した翌日にその記事を投稿したので、それまでの時系列的あるいは日記的手法が一旦崩れてしまいました。元来なら釣りの記事を載せたいところですが、順番通りにこなしておかないといけない記事もあり、思惑通り進めるとそれは時には横暴と言う魔物に変質する場合もあり得、ここ暫らくは元のペースに戻るべきと考えています。

雨の降る中ジオパークツアー参加の話を昨日書きましたが、翌日が金環日食のあった日でした。そもそもジオパークとは何なのか?地獄のカマと金山がジオパークと呼ぶに相応しいものなのか?行ってみて訝しく思ったのでした。ジオパークとは科学的に見て特別に重要で貴重な、或いは美しい地質遺産を複数含む、一種の自然公園と定義付けされているようです。どう考えても地獄のカマは科学的に見ても特別に重要で貴重で美しいものでは無さそうで、地質学的にも無縁のような気がします。金山もそれ自体はジオパークと呼べるものではありませんが、橋杭岩などは地質学的に見ても貴重で美しいものだと思えるので、それを展望できるという意味ではその範疇に入るのかも知れませんが、複数含まなければ定義を満たしていないので、ジオパークとは呼ばないのでしょう。南紀わかやまアウトドアフェスティバル実行委員会が独断で“地獄のカマと金山”をジオパークと呼んだのなら責任重大です。

             

金環が終わって10分ぐらいは観察していましたが、周りの人と言っても私の周りには私を含めて5人しかいませんが、徐々に帰っていくので、私も望遠で遠くの写真を撮ってから帰ることにしました。重畳山山頂からの九龍島と鯛島の眺めです。

             

こちらは伊串の村落、重畳山から伊串へと降りる山道では散々な目に遭いました。

             

大島から橋杭岩、串本大橋から潮岬まで遠望できます。

             

相変わらず西の空は晴れています。

                       

私のいた展望所の一番近くにあった百体あると言われる石仏の88番目、四国八十八ヶ所巡りならこの石仏でお仕舞ですが、他にもおまけがあるようです。

             

ここにもあった伊串へと降りる道、3km以上ありますから、私が行った道とは違う迂回コースかも知れません。

             

重畳山へは車で登れる道が幾本も整備されていますが、ハイキングならこのような道を歩く方が気分がいいですね。

             

写真を縦・横逆にしたのではありません。大きな樹が行く手を遮るように、横に向かったまま成長しているのです。

             

橋爪啓の碑の展望のいいところで若い二人が観察していました。機材を持っていたので観察と言うより取材だったのだろうと思います。実はこの二人前日の古谷魚店で一緒だったのです。私が登って行く時は挨拶しただけでしたが、降りてきたこの時は急いでもいないので少し話をしました。

             

駐車場は未だこの下ですが、途中にある広々とした公園、ログハウス造りの管理棟もあります。前に見えているのが重畳山の山頂、降り始めてここまで三十分程度かかっていますから、途中で彼らと十分ほど話していたのかも知れません。

                  gooリサーチモニターに登録!

地獄のカマ

2012-05-29 05:00:00 | 田舎

19日土曜日に串本入りした私は、まず串本駅の観光協会に赴き、翌日の『南紀わかやまアウトドアフェスティバル実行委員会』主催の“地元ガイドといっしょに歩こう ウォーク&トレッキング”『ジオパークツアー 地獄のカマと金山の絶景』の参加申し込みをしたのでした。3月から始まったこの催しの存在は知っていましたが、私の予定に見合う催しは無く、潮騒の森へ独りで行ったのはこの催しのチラシを見たからでした。その時の体験からして地元のガイドが付いていないと訳が分からんことになってしまうと考え、地獄のカマなど聞いたことも無かったし、何処にあるのかも分からないので、このツアーに参加しようと思ったのです。

             

前夜、古谷魚店で飲食していると前々日というのに金環日食を観に来ている客が多く、隣に座った大阪から自転車でやってきたという64歳の男性にこのツアーの話をしたら、その方も行きたいと言うので集合時間の10時半に串本駅で待ち合わせをしたのでした。私たちを含めて数人の人が10時半には駅に集まっていましたが、受付で参加費の1000円を払ったものの、その証明となるようなもの(領収証や参加証)の交付は無く、こんなんやったら参加費を払わんでも付いていけるやんと顔を見合わせます。集合時間の10時半を回っても何の説明も無く、出発と言われる11時になってもガイドさんらしき人が来ただけで挨拶も行われず、バスが11時25分に発車するのでそれに乗ってくださいというだけ、バス代が730円必要なので勿体無く思い私たちは車で行くと告げて、何処で待っておればいいのか聞きました。

             

大島の須江の方に向かって降りていくと峰地というバス停があるので、そこで待ってるように言われたので、二人で雑談をしながら待っていました。自転車乗りの相方さんの腕時計には高度計が付いておりこの峰地と言うところでは70mと言っていました。なんでも自転車で峠を越えるには高度計が必要だと言っていました。12時前になってやっとバスが到着、ポツリポツリと雨が降り出しました。

             

まぁ通り雨だろうと思って地獄のカマに向かって歩いていきますが、だんだん雨脚が強くなってきます。

大島という島は漁業の島だと思っている人が大勢いると思うし、私もそう思っていましたが、こういう少し広い谷という谷は皆田んぼだったそうです。ですから昔は半農半漁、今は田んぼなんか見当たりませんから、漁業の島という言い方は合っていると思います。

             

少し歩くと須江の港が見えてきました。この辺りで高度は30mほどということでした。

             

この草は麻の一種だそうで、石で叩くと繊維だけが残るので、編んで振り回して遊んだとガイドさんが言っていました。

             

ここまではアスファルトの道を20分ほど歩きました。ここからは地道、潮岬で見たことのある立て看と同じものがあり、ここから釣り場に行けることが窺えます。雨が相当ひどくなり、傘なしではつらいぐらいです。地道に入ると木が屋根になってくれるので少しはマシ、そんな道を5分ぐらい歩きました。

             

ここが地獄のカマ、雨が降っているせいか暗くて何だかよく分かりません。ゴミが捨てられてあったりしてあまり趣深くはありません。一番上の写真だと地獄のカマと言われる所以なのが少し解ります。白いところは外海と繋がっていて、満潮になると海水が流れ込んでくるそうです。

地獄のカマとは地獄で罪人を煮るカマのこと、ガイドさんはここで実際に罪人を切ったことがあったという言い伝えがあると説明していましたが、雨が降るのが鬱陶しくてあまり真剣に聞けませんでした。

             

地獄のカマへは地道をここで左に曲がるのですが、一人で来てたら判りませんね。12時半を回っていたのでここで昼食にしようと言うのですが、私はこんなところで昼食をとるのは真っ平御免なので、少し先へ歩いて行って釣り場の様子を見てこようと考えました。

             

5分ぐらいこのような道を歩きます。

             

林を抜けて視界が広がりますが、雨が降っているのでこれ以上は進むことは諦めました。釣りができるところまでは未だ相当な距離があります。

             

こういう注意書きがあること自体、この先に釣り人がよく通う一級磯があるのでしょう。でも私は須江よりも樫野のほうがいいと思っています。よくは覚えていないのですが、昔磯釣りを始めた頃にこの須江の地磯に来たことがあるような気がします。

雨がなかなか止まないので私たち二人は相談して帰ることにしました。相方が傘をさしてくれていますが、「この雨の中金山へ行くんかな?」などと疑問を口にしながら、車まで20分ずっと濡れ続けていたら前述のY下君からの電話があったのです。ようやく車に乗ったところであと2~3人なら乗れるし、他にも帰りたがってる人がいたので、乗せてあげようと引き返すことにしました。するとすぐ後から二人の女性が歩いてきていたので、声をかけると喜んで乗ることに、話を聞くとバスもあんまり無いので、串本駅まで歩いて帰ろうと思っていたらしい、歩いたら2時間以上かかります。

その夜、古谷魚店に行ったのですが、自転車乗りのオジサンも来ていて「やっぱり来ましたな」と声をかけてくれます。ツアーに来ていた阿倍野に住んでいるというおばあさんも来ていたので聞いてみると、やはり金山まで行ったとのこと、私はあまり無理なことはしないほうがエエと思いますけどね。

                  gooリサーチモニターに登録!

観光案内

2012-05-28 05:00:00 | 田舎

GWの前に来た時、カヌーの予約を兼ねて古座駅にある古座観光協会を訪れた際に貰って来たこの五つの山の地図、これさえあれば独りで行けるなどとまでは思わないものの、この山全部を踏破したくなります。既に嶽の森山には登っていますが、続く峰山には行かなかったので再度行こうかと思っています。私はたいがいハーフパンツにランニング用のシューズで臨んでいますが、人に聞くとやはりそれなりの装備をしないといけないようです。特にシューズはトレッキング用のものが要ると言われています。

                       

こちらはGWに串本駅の串本町観光協会で貰ったもの、貰ったというより勝手に取るんですけどね。ここに記載されているイベントは全て終わっています。もっと早く載せようと思っていたものの、山登りの記事が多過ぎて遅くなり過ぎ、役には立たなくなってしまいました。

             

このパンフは和歌山大学の女子学生が歩いて作ったものだそうです。見てみると知ってるところもあり、知らないところもあり、ブログのネタ探しにはうってつけです。串本町のパンフの上欄にトンボロの町とありますが、何のことやら解りませんね。詳しく書いてあったブログがあったのを思い出したので、そちらで読んでみてください。

                       

こんなパソコンで印刷したようなのもありました。これなら未だ6月3日のイベントが残っています。荒船海岸の山越えもするそうですから、是非行ってみたいのですが、第1日曜ですからそれも儘なりません。

             

こちらは古座の観光協会で以前に貰ったことがあるのですが、誰かにやったのか手許に無かったので、細かいイラストが面白くて再度貰って来たものです。裏にも隙間無くイラストがあり、串本や大島、潮岬を案内しています。

             

この新聞、GWに来た時に今は無き(亡きではありません)串本のTさんにおまけとして貰ったもの、熊野新聞4月1日付のものです。姫の町を取材しています。天満神社や姫ヒジキ、養春小学校のことなどが載っていました。姫の海岸が橋杭岩近くまで松林が茂っていて映画の撮影があったとか、山本富士子さんと今は亡き長谷川一夫さんという件りがあり、ということは山本富士子って未だ生きてるの?

             

新聞の真ん中に赤いトラクターに乗った人が載っていますが、そのトラクターはこの時分には私の家の横の田んぼを耕していました。

             

家の庭といえばボツボツと花が咲いています。

             

去年置いたスイレン鉢、去年とは様子が全く違います。二男が買ってきたメダカも居ません。きっと誰かが水を替えた時に知らずに流してしまったのではないかと思うのです。スイレン自体は未だ生きているようです。

                       

問題なのは去年植えたサクランボ、3月に来た時は僅かに花が咲いていました。実がなるのを楽しみにしていたのに、実は全くありません。

             

葉っぱは無残にも虫に食い荒らされてしまっています。樹木には知識のない私では如何にもしようがないのです。

             

因みに去年いっぱい実を付けていた近所のサクランボも今年はたくさん実を付けてはいないようです。

             

それでも全滅ということはありません。実に美味しそうに実を結んでいます。

             

サクランボの奥にあった例の赤い花は、3月に来た時より花が一つ増えています。

             

これが布で作られているなら、2ヶ月も風雨に曝されているわけですから、汚くなっていそうなものです。でも花はきれいです。赤い花をじっと見つめていると地面との対比でしょうか、動いているように見えるのは私だけでしょうか?

             

こちらの鉢植えは隣に座っていたK山君が机の上で育てていたガジュマルです。机の上より南紀の土の方がエエというので、3月の最後の日に持ち帰りましたが、そのまま車に積んだままになっていました。

             

ようやく植え換えましたが、寒さには弱いとか、大丈夫なのか心配です。

              gooリサーチモニターに登録!

有田漁港

2012-05-25 05:00:00 | 田舎

紀伊有田駅周辺では2年前の5月に吐生の滝へ行った際に有田川沿いに黄色い菖蒲が咲いていたのを思い出しますが、川沿いのコースは取らず、国道の方へと歩いていきました。42号線と交差するところに信号がありますが、この信号にはよくひっかかります。大阪から来ると串本町に入って和深、平見、安指、田並と信号がありますが、感知式で滅多に車の通るところではないので、これらの信号ではまず止まることがありません。すさみ町での信号は海水浴場を過ぎると無くなり、有田の信号の次の信号が串本の街・潮岬の入り口までありませんから、この有田の信号で止められるのは、快調に走っていた車にとっては非常に残念な思いがするのです。

             

信号を渡るとすぐに有田漁港、この辺りでは比較的大きな波止場です。波止場の少し沖には一文字になった波止が築かれており、その波止には行くことができませんが、漁港の端、右から左までブラブラと歩いてみました。

             

一番左手奥まで行くと岩場が見えてきて、近づくと洞穴が貫通していて、向こう側の海が見えています。こうなれば興味はそそられる一方で、何だか危なっかしい穴ですが通ってみたくなります。

             

でもそこは浅い岩場でした。とても釣りは出来そうもありません。満潮になるともう少し海面は上がり、岩は隠れるとは思います。

             

海側から漁港の方の写真、狭いし、低いし、通っていると崩れてくるのではという思いを抱く洞窟です。

             

洞窟の前から見た有田漁港の風景、この時点で11時半ごろだったので、漁船は漁に出て未だ戻ってきていないのだと思いますが、停まっている船はダイビング用の船がやたらと目立っています。伊串の漁港や古座の漁港、串本の漁港でもダイビング用の船は滅多に見かけません。

             

近くの波止に梯子が付いていたので少し顔を覘かせてみました。どうやら赤い灯台のある目の前の波止場は、洞窟の先の岩場から危ない目を覚悟で行けば、登れるかも知れません。

             

そうこうしているうちに漁船が一艘帰って来ました。もうそろそろ駅へと戻らないといけない時間になっていたので、ゆっくり歩きながら遠目で何が釣れているのか見ていたら、カツオなどは無く、大きな魚も無さそうでした。

この時期のカツオは釣れたり釣れなかったりと、その日によって釣果はまちまちだったものの、一週間ほど前に大きな船団がナブラを見つけては網でカツオを一網打尽に獲ってしまって、今は何の釣果もないそうです。大きな船団を抱えた一部の者が獲物を独り占めし、多くの漁船が泣きをみるようなことがあって良いものでしょうか。こんな漁師の世界にも新自由主義の弊害が出てきているのです。

             

12時8分紀伊有田駅発の電車に乗り、串本駅で下車して昼食をとりました。串本駅では大きなテルテル坊主が奉られ、21日の金環日食が見られるようにと晴天の祈願をしていました。その願いは何とか達成されましたね。

             gooリサーチモニターに登録!

風吹山 Ⅱ

2012-05-24 05:00:00 | 田舎

8時20分過ぎに登り始めた風吹山、山頂に到着したのが9時5分過ぎ、40分と少しかかって登ることが出来ました。重畳山が302m、この風吹山が304mの高さです。僅か2mしか差のない高さの山に重畳山へは1時間歩いても山頂には届かなかったのに、方や風吹山では40分で登ることが出来ました。これは登山道の付け方の違いです。重畳山は車を通すため山肌を切り取って林道を造っているので、緩やかな斜面を紆余曲折していますが、風吹山は尾根筋を利用してほぼ一直線に頂上を目指します。その違いが距離の違いであり、登り難さの違いであり、所要時間の違いなのです。若い頃なら風吹山のような辛くても短時間で登れるコースを好んだのでしょうが、今はゆっくりとしたなだらかなコースの方がいいですね。

山頂が見えてきたと同時にシカが飛び跳ねて前方下へと消えていきました。

             

登山口にあった心得には“30分ぐらいで登れるが、1時間ぐらいかけて登ること”を勧めてありました。その中間ぐらいのペースで(途中写真を撮ったりもしたので、歩くペースとしてはもっと早かったと思う)登ってきたわけですが、山頂では汗だくになってしまい、前日のように涼しい風が吹くことも無く、風吹山の名前は何処へ行ったんだろう?と問いかけたくもなります。

風吹山の案内板にあった眼下を見守る地蔵です。

             

風吹山の山頂は登山道との景色とは45度左にずれていて、正面は大島・潮岬方面を向いています。なので、登ってくる途中で見えていた有田漁港や双島などは見えません。見えている景色を説明している案内図、景色がはっきり見えないので、比べようとする気持ちさえ生じません。             

             

休憩所に設えてあった登山者名(記録)簿、今年からの新しいものらしく多くの記載はありませんでした。もちろん私も『ぼんくら』名義で記載しておきました、1週間後にブログに載せると書いたけど2週間後になってしまいました。

登山道の駐車場に3台の車が停めてあったので先客がいると思ったのに、途中の道でも山頂でも出会うことはありませんでした。私が登山用の駐車場だと勘違いしたのか、勝手に登山者でない誰かが停めたのかのどちらかでしょうね。誰が停めてもいいのかも知れませんが、あまり多く停めると登山口が判らなくなる恐れがあります。

             

こんな状況ですから、名勝とはとても言えません。道を間違えた時も、5日に釣りに行った日も、『お滝さん』へ行った時も、良い天気で先に重畳山や風吹山に登っておればと悔やんだのは、この天候のためなのです。

             

山頂の広場には矢印で右方向へ約300mで展望所という表示があり、汗がなかなか引かないので行く気にもなれなかったのですが、行ってみないと話にならないと思い直して、行ってみることにしました。途中左側に山々が見えてきます。

             

広場と同じような案内図がありましたが、左半分はありませんし、右半分も何が書いてあるのかさっぱり解りません。串本の街に向かって左側なら重畳山なども見えているはずです。この海岸線近辺にある山は低い山が多く、重畳山と風吹山が300mを少し超えた一番高い山です。重畳山は風吹山の東北東約3kmの地点にあたるでしょうか。

             

広場と同じような風景ですが、障害物が無いのでよく見ることが出来ます。晴れていれば串本の街と潮岬が引っ付いている部分が判るのではないかと思います。

             

広場に戻り、串本山行会の会長さんが教えてくれていた吐生の方へ降りる道を探しました。展望所とは反対方向に道らしいものがあるにはあるのですが、少し降りていくと道というか踏み跡も無いので、分からないところを歩いていくのは止めました。でも方向的にはそちらが吐生の方だと思います。

                       

元来た道を戻り始めてすぐに無残な杉の木を発見、こんなことをするのはきっとシカなのでしょう。でも剥ぎ取られた皮の上部が刃物で切られたようにまっすぐになっていました。

             

遠くて暗くてよく分かりませんが、これが双島でしょうか。

                       

登山道左右に配置され続ける石仏、四国88ヶ所のお遍路の旅を再現しているのでしょうか、それぞれに四国第○番 △▼寺と奉納者の名前と共に彫られています。

             

9合目付近から眼下に眺める風景、あのロープが張ってある崖沿いの細い道、ここから見れば危なっかしいところですね。

                       

登山道の最初に有った石仏には“四国第一番 霊山寺”と“原何某”の字が読み取れます。この登山道用に造られたものなのか、大きさも形状も似通っていて、重畳山のもののように古いものではありません。

             

山頂に40分ほどいて、50分程度かかって下山しました。紀伊有田駅に到着したのが10時40分ごろ、さて次の電車は・・・12時8分までありません。1時間半も待たねば次の電車は来ないのです。家を出るとき電車で往けば、帰りの電車のことも考えておかないといけないことに思い至りませんでした。串本までは一駅なので歩けないことはありませんが、42号線って結構危ないような気がして、仕方なく1時間半を有田周辺で過ごすことにしたのでした。

             gooリサーチモニターに登録!

風吹山

2012-05-23 05:00:00 | 田舎

二日間連続で重畳山方面へ午前中のトレッキングをこなし、翌8日火曜日には以前見つけられなかった紀伊有田の風吹山へ行くことにしました。三日間連続というのはちょっとしんどいかと思ったのですが、その翌日が雨の予報だったので(現に朝から小雨で昼ごろには雷の鳴る大雨でした)、少し無理をしてでも行っておこうと思ったのです。

山へ行くのはいつも家から歩いてだったので、この日の朝も、家から有田まで歩くなど出来ないものの、車で行こうか電車で行こうか迷っていました。パソコンで乗り換え案内を検索すると7時55分紀伊姫発の紀伊田辺行の電車があるので、すぐにこの電車で行こうと決めて準備をしたのですが、この早合点が間違いのもとだったかも知れません。

             

紀伊姫駅を定時に出た電車は学生がたくさん乗っていました。紀伊有田8時8分発ですからその1~2分前には駅に到着、一昨年の5月に風吹山へ登ろうと思ったのに、風吹山が何処か分からなくて断念したことがありましたが、そのいきさつを綴ったブログに今年の4月になって、串本山行会会長という方から風吹山への道順のコメントを頂いたのをきっかけに再度訪れてみようと、串本有田病院を目指したのでした。

             

そのコメントの“有田病院手前右”にあるという登山口を探すのが第一の課題です。書いている意味がイマイチよく分かりづらいのです。私はずっと有田の駅から東方向へ歩くと思って、山に沿って東へ東へと歩いていくというイメージがあり、病院の手前を右などと言われると方角的には海の方やんと思ってしまうのです。ところが私の説で行くと病院の手前には右へ行くような道は無いのです。なので東へと進んでいた道を有田病院の方(左)へ曲ってみました。

するとすぐに右側に案内板のある駐車場があり、ここへ来て初めて“有田病院手前右”の意味が飲み込めたのでした。駐車場には既に3台の車が停まっており、もう3組も風吹山を目指してるんやと、訪れる人の多さに感心したものです。

                       

登山の心得なども設置されてあり、この地域の人たちの風吹山への思い入れが伝わってきます。

             

案内板の左には登山口とは書いて無いものの、一見してここから登るんやと判るように道が造られています。

             

“名勝 風吹山”の碑もあり、これを見る限りどんなに素晴らしいところなのかと心躍らせられます。奥には石仏も鎮座していて力が入ってるなぁと思うのです。

                       

郵便局が設置してくれている杖、私も1本拝借します。こういう棒は杖として利用する以外に歩く先のクモの巣を払うのに丁度いいのです。

             

歩き始めは階段、何処まであるのかと思うほど階段が続き、連日の登山による疲労感が足を上げるのを拒んでいるようです。この2合目の標識までずっと階段で10分ほど歩きました。歳もとってるし、連日歩いていたので、足が上がりません。階段はもうイヤやと思っても容赦はありません。

             

案内板にも比較的急な坂道と書かれていましたが、建物にある階段とはわけが違います。高さも高いうえにそれぞれの段が一定ではありません。幅にしても同じこと、一つずつ長さが違います。3合目付近まで来ると普通の道になります。そうなると歩き易く、たまに少し階段があっても平気です。

             

所々にこうやって“順路”“○合目”という標識があるので親切なのですが、別に迷うようなコースではありません。同じ串本町内でも設置してほしいところには無くて(重畳山、古座川町ですが嶽の森山のこと、)、別段無かっても判るようなところに十分すぎるほど設置されているというのが実感であり、納得しがたいものを感じるのです。

             

海の景色はいつも振り返らないと見ることが出来ません。つまりこの伊串の登山道のように尾根伝いにほぼ一直線に登って行っています。曇っているので海も美しくなく、景色もハッキリと見ることが出来ません。

             

案内板の横に設置されていた立て看に書かれていた“5合目・6合目付近の伐採による急斜面”とはここのことのようです。でも意外と感じの良いところだと思います。

             

何の為かよく分からないのですが、ロープが張られてあり、そのロープも未だ新しいようです。山側に張るのではなく、崖側に張るのなら意味がありそうなのですが、これを伝ってなるべく山側を歩きなさいと言うことなのでしょうかね。でもこの箇所の最初の頃は崖側に渡してあったのですよ。

             

もう随分と登ってきているのが判ります。

             

この登山道の両脇にはウバメガシがたくさん植わっていて、きっと備長炭を焼く炭匠にとっては羨ましい存在なのだと思います。

             

やっとの思いで9合目まで到着、全長が1350mですから、あと135m、もう少しで頂上です。

             gooリサーチモニターに登録!

世紀の天体ショー

2012-05-22 05:00:00 | 田舎

金環日食を見ようと古谷魚店には土曜日からお客さんが大勢入り、金環日食景気が突然訪れたかのようでしたが、翌20日の日曜日は昼前から大雨になった串本地方、私も含めて大変不安になった人も多かったはず、古谷魚店は13人ものキャンセルがあったようです。

古谷魚店に何故連日行ったかというと、私が企画した金環日食ツアーに手を挙げた人はいませんでしたが、雨が降ってきた20日の昼過ぎ、突然Y下君からスマホに電話があり、今日は何人ぐらい泊るかと聞くのです。「誰もおらん」と答えると「雨降ってるからテントも張られへんし、そっちで泊ってもええ?」と串本のうなぎ屋からかけてきたのでした。Y下君が来ると古谷魚店へ行くというコースが決まってるので、連日になったというわけで、最初からY下君が来ると分かっていたら、土曜日は行かなかっただろうと思っています。

             

さて、傘まで持って古谷魚店へ出かけた翌朝、天気はどんなものかと庭に出てみると、雨は降ってないものの東の空は雲で太陽が見えません。

             

でも西の空は晴天、青空が広がっています。これはイケルと期待を膨らませて、私は重畳山へY下君は橋杭岩へとそれぞれ散って行ったのでした。

             

重畳山の駐車場に着いたのが6時半ごろ、先に3台の車が停まっており、この場所で撮影するらしい人が1人いました。私は神王寺の前を通り、10分ほど歩いて展望所へ、この展望所には生活環境保全林の矢印があった道からも来れ、駐車スペースには4台の車が停まっていました。

             

相変わらず西の空は晴れています。この方向に風吹山があるのだろうと探すのですが、分かりません。

             

7時前にはカメラを三脚にセットし、準備は万端ですが、もうすでに欠け始めて30分以上経っています。見てはいけませんと言われている肉眼で見ると、欠けているようには見えませんが、日食用のサングラスを当てると・・・

             

三日月のようになっていました。

             

7時半に撮った金環日食、あまりくっきりしていません。雲が多かったせいかも知れません。

             

             
なので、日食用サングラスをあてずに見上げると、巧い具合に日食が見えるではありませんか。ラッキーと思って動画を撮りました。途中三男から電話がかかってきて、私の声が入っているのがいけません。風はあまり強く感じなかったけど、風の音が凄いです、これだけ雲が流れているんですからね。

             


もう一度撮り直そうとしたら、またしても今度は長男から電話がかかってきます。こちらは厚い雲が多くてあまり上手く撮れていませんね。

最初の動画では太陽が画面の真ん中にありますが、カメラは固定したままなので、2つの動画計7分の間に太陽は少しづつ右上方へと移動していくのが分かります。             

             

金環日食が終わって10分ほどでここまで膨らんできています。カメラはずっと固定しているので、この写真でも更に右上部へと移動しています。

             

8時前には撮影を終了、その時点の大島の風景です。

                       

これが私が買った日食用サングラス、サングラスなどというのでかけるものかと思っていたら、手で持って目に当てなければなりません。少しめんどくさいと思わせる代物です。

             

ウルトラマンですよ、かっこいいでしょ。まぁ少しは利用できたので、満足しています。990円やったかな、でももう使う機会は無いかも知れません。

             gooリサーチモニターに登録!

伊串へ (重畳山登山道 Ⅶ)

2012-05-21 05:00:00 | 田舎

重畳山登山のことを書いてもう7項目目です。今日でで最後ですので、どうか我慢して読んでくださいね。

昔の“伊串へ”の道標と共に近畿自然歩道の新たな道標も伊串への方向を指し示しています。2km以上ありますが、これならまず迷うこともないだろう、10時半だったので遅くとも昼前には姫に着くだろうと思っていました。

             

最初は整備された階段を降りていきます。このような道で階段が続くのは嫌やななどと思いながらの行進です。

             

でも階段は束の間、平坦な地道になって一安心、これなら下りだけやし思ったより早く帰れると思ったのです。

             

ところがだんだん道幅が狭くなっていきます。未だ降り始めて3分ぐらいしか経っていません。

                       

それでも降りていくと・・・道がありません。シダが枯れているところが他人の踏みしめた跡かと思い、先に進みます。

             

ところがこうなっては道なのか道でないのか判らないではありませんか。

             

どうやら尾根をまっすぐに降りているらしく、造られた道では無さそうです。こんな状態ですから道でない方へ行ってしまうこともあったのです。引き返そうかと思ったりもしましたが、今まで歩いた距離が無駄になると思い直し、ひたすら前を目指しました。

             

30分ほど歩いてやっと造られた階段まで到着、これで道は間違ってなかったと胸を撫で下ろしました。

             

川が流れていてかなり下まで降りてきたことが実感されますし、橋も架かっているのでもう安心です。

             

と思っていたらまた道が細くなってきました。嫌な予感がしましたが、もうシダの大群に遭遇することはありませんでした。

             

暫らく歩いていると墓らしきものが建っています。でもよく見ると墓ではありません。左側の2つの石には字が書かれていません。

             

右の石柱には捨町と彫られています。捨町って何処にあるのでしょう。詳しく読んでみると“明治39年4月吉日”“願主 西牟婁郡高富村 清野何某 当年42才”と彫られていましたが、この人が42歳の厄年に願いを込めて作ったのでしょう。高富の人のものが、今は串本町となって同じ町内ですが、以前は古座町であった伊串の山の中に建てられているというのもヘンな話です。状態から見て何処かに埋められていたのをここに祀ったのではないかと思います。見つけた時に高富でこんな人が居たことなどを問い合わせてみたのでしょうか。

             

古い道標、こうして見ると迂回路もあるのです。そちらはちゃんとした道だったのでしょうか。

             

里に近づくと川は干上がってしまって、水底が曝け出されています。ここはたぶん池だったと思います。

             

やっと家のあるところに出てきました。もう11時半、2km程度の道を1時間もかかってしまいました。しきりに犬が吠えていますが、最初は3匹いました。見えている白い犬が吠えているのですが、もう一匹は吠えずにこちらを見ています。もう一匹は最初は姿を見せていましたが、私の姿が現れるなり小屋の中に入って吠え続けていました。

             

やっと降りてきたところにも近畿自然歩道の道標、これを造るくらいなら、もっとシダを刈って道を判りやすくしてほしいものです。

             

伊串の集落の手前で海抜19mの表示がありました。南海地震の津波が来たら、どうやらここでも少し危ないかも知れません。

             

やっと伊串の家並みが見えてきました。私はここまで入ってきたことがありません。親戚の家までは来たことがありましたが、ここよりずっと浜寄りです。

             gooリサーチモニターに登録!

重畳山登山道 Ⅵ

2012-05-18 05:00:00 | 田舎

不思議な思いをしながら滝から戻って、左の『お滝さん』のあるはずの方を見ながら10分ほど歩くと高瀬からの道との合流点に達します。家を出て以来この間、誰とも出会いません。

             

この標識は5年前に見た時のまま、その先にも標識があり、以前姫川の滝に降りて行った際に目印にしたものです。やはり姫川の滝は登山道の左側、5年前には「滝はありません」と誰かが書いていましたが、今回は無くなっていました。

             

ここからは650m下って行かなければならないので、前日にも行っていることやし、再び訪れようとは思いません。

             

林道姫川線の案内板、管理は古座町になったままです。私は左側にある道から登ってきたのでした。

             

重畳山への道はまだまだ続きます。ずっと舗装された道路です。所々に咲く山ツツジのピンクが一面の緑に映えるのを見て、何故か気持ちが楽になります。

             

少し視界が良くなったり、どんよりと曇ってきたりを繰り返します。何故か遠くで雷がなっているようなゴロゴロというような音が絶えず聞こえます。和歌山南部では雨が降るという予報は無かったのにと思いながら、傘を持って来てないことに不安を感じました。

             

10時を少し回ったところで案内板のあるところに到着、ここで今日初めて軽トラに乗った人に遭遇しました。「こんな天気の悪い日に何しに来とるんやろ」という風に思われてるのではないかと、それは自分が勝手に思っていることなのです。

             

この案内図ではもう何が書いてあるのか、何処に何があるのかは判りません。ただ重畳山生活環境保全林の文字は読めます。

             

軽トラの人はこの生活環境保全林の方へ走り去りましたが、この山を見る限り林も全くなく、生活環境に良いとは思えません。

             

以前この道で藤の花の写真を撮ったことがあります。その場所に再び来るともう藤の花は咲いていませんでしたが、以前は気付かなかったものの、『銚子の滝』の標識を見つけました。もう倒れかかっています。これで納得、この日降りて行った滝と姫川の滝は全く別のもの、上から見て休憩所の位置に騙されてしまいまました。それならあの時、下まで降りていけばよかったと後悔先に立たずです。今更、天気も不安定になってきているし、ここで400mも降りて行こうとは思いません。『銚子の滝』へは再度挑戦しなければなりません。

             

何処かに山ツツジの花びらの写真が撮れるところは無いかと探しながら歩いていましたが、なかなか無いものですね。やっと見つけたと思ったら枯れかけていたりして、どうも満足には撮れません。山ツツジは緑一面の中にポツンと咲いているのがきれいなのかも知れません。

             

家を出て2時間歩きました。10時半です。この天気なので神王寺の方には行かず、この案内板のあるところから伊串へと降りられそうなので、ここから姫へ帰ることにしました。

             gooリサーチモニターに登録!