ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

串揚げ屋

2010-10-29 05:00:00 | 大阪にて
ガンバの試合を観戦した帰り、千里中央の駅近くで夕食を摂ることに、案内役のK川君が連れて行ってくれます。試合開始が夕方の5時でしたから、ゲーム終了は7時ごろ、終了より少し早めにグランドを後にし、公園東口駅からモノレールで千里中央駅に向かいます。

駅ビルを端から端まで歩いて大手家電のY電機が入っているビルの4階に店があるらしい。しかし結構歩いた、早くビールが飲みたいと思う私。

             

盛況らしく10分程度待たされました。ここは自分で串カツを揚げないといけません。めんどくさいなぁと思いながらも、火力の調整は自動のようです。自分で具材を選び、自分で衣を付けて揚げるのです。

揚げ物のほかにデザートなども豊富。

             

ソースも自分で取って来なければなりませんが、実に沢山のソースがありました。

             

カレーまでありましたが、こんなものを食ったら、年寄りの私など後何にも食べれませんがな。

             

『串揚げといえば、お茶漬け、定番です』という触れ込みが書かれていますが、串カツにはお茶漬けが定番なのでしょうか?私は初めて聞くフレーズです。カツオのお造りといえば茶漬けが我が家の定番ですけどね。 

                  

これは何だと思います?チョコレートです。

             

こちらはソフトクリーム、何でも自分でせなあかんけど、いろいろあるものです。
でもこうして見ると、私が食べるものはあんまりありません。

             

隣に座っていた夫婦が材料を取りに行っている間、赤ちゃん二人は泣きも喚きもせずに待っていました。

             

二人でこれだけ食べました。私は30本ぐらいですかね。これに少しのサラダを食べたぐらいです。飲み放題・食べ放題、1時間半で3000円、もっといろんなものを食べることが出来ていたら安かったと思えたかも知れません。

店の表を撮っていないので、店の名前は忘れてしまいました。

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谷風岩五郎の墓

2010-10-28 05:00:00 | 大阪にて
首地蔵を見学し終えて、きっと西宮街道だと思える道を南下します。と、すぐにこの谷風関のお墓がありました。聞いたことのあるような、無いようなそんな力士です。NHKも3月の大阪場所では近辺の力士を取り上げたらいいのにとは思いますが、なにぶん相撲放送は何もすることの無い土日にしか見れないものですから、そのような放送がなされているのやら私には分りません。

          

今から138年前にあの皇大神社境内で大相撲が開催されたと書かれています。大相撲の定義は何なのでしょう。年に六場所、場所が決まって開催されているのが大相撲と呼ばれる由縁では無かったのか?その合間に地方で行われるのは巡業です。明治時代には何処で力士が相撲を取ろうと、大相撲と呼んでいたのでしょうか。この表記には少し疑問が残ります。

四股名が『若の柳安太郎』って、「わかのやなぎ」と読んでいたのでしょうかね。いや「わかのりゅう」だったのかも、「りゅう」の方だったら「龍」や「隆」の字が相応しいような気がします。現在では「柳」の字を四股名に使ってる力士は居ませんが、なよなよしているようで、足腰が強くしなやかで負けないイメージもありますね。

                  

そのまま街道を下っていると、電柱にこんな看板を見つけてしまいました。どれ位前のものでしょう。国鉄民営化は1987年、それより以前に貼られたものには違いありません。尼崎の駅も様変わりしていますし、きっと現在ではこの会社は無いのでしょうが、無くなれば貼ったものは剥がせよと思うのです。でもそんなきちんとすることが出来ないのが、この手の輩。
こうやって電柱に勝手に広告を貼る会社も後を絶ちませんが、そのようなことを出来なくするためにも電柱を撤去して、電線を地中に埋める計画に拍車をかけて欲しいものです。そうなればせっかくの写真にも電柱が写りこまなくなります。

             

そのまま先に進んで元の小浜のバス停に到着しました。見えている横断歩道の先を上っていったのでした。

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首地蔵

2010-10-27 05:00:00 | 大阪にて
最初に小浜のバス停で見た道標に首地蔵と書かれたのが妙に気になっていたので、次に首地蔵を探しに歩きました。地図で見る限り来た道を戻って、小浜宿とは反対の方向へ曲がるのです。

謂れというものはいろいろあるものですが、何方かの夢枕に立ち持病を治したという類の話は何処にでもあるものですが、お堂を建立する大工が何人も病気に倒れたから、お堂に入るのを嫌がってる、それなら雨曝しのまま祀るなんて、あまり聞いたことがありません。

                  

道より少し小高いところに立てられていました。といっても苦になる階段ではありません。

             

見てビックリ、大きな顔だけの地蔵さんが二つあります。これなら首から下は造れないでしょう。頭が重過ぎるし、この顔に相応しい大きさの石も何処にでもあるという訳ではないでしょう。

             

何故二つ祀られているのか、その説明がありませんが、左側の方は最近造られたような感じです。余計なことをするなぁなどと思ってしまいます。

             

狭い境内のあちらこちらに地蔵さんが置いてあります。これなどは並んで首地蔵を守っているのでしょうか。全ての地蔵の前に線香を焚く台が置かれていましたが、全ての地蔵さんの前で線香が煙を立ち上がっている訳ではありませんでした。

                  

このような顔貌のないようなものが祀られているのをよく見かけますが、何故このようなものをわざわざ祀るのか、意向が解らないでいます。

             

階段を降りて道を少し下ったところにこのような看板があり、小浜小学校の子が作ったのでしょうか、小学生が作ったにしてはたいそう上手に出来ていると思うのです。この案内板では向かって左側の地蔵さんが描かれていて、首地蔵はこちらですよと示しているように思われますが、私は首地蔵は反対側のものだと思っています。

          

こちらの方が断然歴史が感じられます。顔の下部分が少し壊れていますが、ひょっとすると全身の地蔵を創ったのに、頭が重すぎて落ちてしまったのではないでしょうか。

しかしこの二つの地蔵は首ではなくて顔、或いは頭です。首とは顔と胴体を繋ぐ部分のこと、まぁそのような部分を祀っても意味が無いのかもしれませんが、頭地蔵とか顔地蔵とは決して言わないのです。首より下の部分が何処かで『首無し地蔵』などと呼ばれて祀られていませんかね。

全国にも首塚といわれるところが彼方此方にありますし、武将の首を刎ねたときも首を取ったと言いながら顔を持っています。首とは顔と胴体を切り離すこと、解雇されることを「くびになる」と言いますが、これなども雇い主から切り離され、生きる糧を失ってしまうからなのでしょうね。

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小浜宿 Ⅱ

2010-10-26 05:00:00 | 大阪にて
皇大神社の案内板、創建年月日は不詳とあり、なかなか正直でよろしい。見佐神社云々とある記事はなかなか興味深い、見佐村が武庫川の氾濫で流出したので、この皇大神社に合祀したとあります。武庫川の対岸に美座という街があったことを紹介しましたが、その辺りが旧の見佐村だったのではないかと思うのです。

                  

神社の前に立てられた案内板、きれいな絵が描かれています。絵には有馬街道(首地蔵)とあり、首地蔵へ行く道が有馬街道だという意味でしょうね。その下には兵庫西宮街道、そしてその下に京伏見街道と並べられていますが、どの道がそれに相応するのやら少し解り辛いですね。

                  

古い道標です。

   

案内板の横に建てられたこれも道標でしょうか。『とんかち館』の方角が示されていますが、この矢印は2枚の板によって方角が示されています。少し工夫したのですね。

ところがその『とんかち館』を見つけることが出来ませんでした。この小浜は大工街としても栄えたことがあったとか。 

             

道標にあった『いわし坂』という所を目指して歩きましたが、坂の様子を見ると何の変哲もない坂なので、めんどくさくなって坂の手前で引返したのです。

坂の手前にこのような祠があって暫く眺めていたのですが、ここが宿の北門であることが判りました。

             

ホラね、案内板の裏に北門跡と彫られた碑が立っていました。この案内板は立てた位置が悪いです。

             

それなら南門の跡もあるのではないかと歩いていると、一番最初に小浜宿と書かれた看板の裏に南門跡があったのです。どうやら私は歩いた道順が悪かったのかも知れません。

                  

小さな公園内に立っていたマップ、私は左下の右上へと伸びるループ状の道を上がっていき、3本目の角を右に曲がったのでした。

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皇大神社

2010-10-25 05:00:00 | 大阪にて
宿場の入口を右(東)へ折れて毫摂寺(ごうしょうじ)へ行き、この寺の角を左へ折れ、次の角を又左へと、所謂コの字型に歩いて造り酒屋や閉まっていた資料館を見ました。

元来た道へ出たところにこの皇大神社が佇んでいました。

             

平日だからか、元々有名ではないからなのか、全く人通りがありません。有馬街道や西宮街道、京伏見街道が交差する交通の要衝だった所、秀吉も有馬湯治の際にはこの地に立ち寄っていました。地元の人だけがその歴史を頑なに守っているのかも知れません。

             

皇太神社というのは時々見かけますが、この神社は太いじゃなくて大きいという字になっています。それが何を意味するのか、考えてみても解りません。

             

ここの狛犬は古いものではなさそうなのですが、明らかに笑っています。何故笑ってるように見えるのか、口が笑ってるのか、目が笑ってるのか、片一方だけ見ると笑ってるようには見えないんですがねぇ。

             

先のが「ワハハハハ」と笑っているとすれば、こちらは「ムフフフ」という笑い、作った人もそういう狙いがあったのでしょうか。

                  

そしてこのご神木らしからぬご神木、如何にも萎よっとしています。樹齢がどれ位のものなのか想像もつきませんが、生え始めた頃から横向きに伸びた感じです。普通は真直ぐ上へ伸びるものですから、この樹が生え始めた頃には、天へと向かわせない何かが邪魔をしていたのでしょうね。

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小浜宿

2010-10-22 05:00:00 | 大阪にて
この14日に綴った小浜のバス停の近くに小浜宿の資料館や首地蔵の道標があったのを覚えていますか?一応探しに行こうと覚悟を決めていたので、小浜宿を求めて北の方角へと歩いて行きました。

5分ぐらい歩くとそれと分る看板がありました。ここを右に折れます。

             

傍には案内板も設置されていましたが、これでは何が何だか判りませんね。

小浜という所は、浜の字が付いているように、平安時代までは瀬戸内海に面していたようですが、小浜から真南の西宮の浜までは15kmぐらいあると思うので、随分埋まってしまったものだと感心してしまいます。しかし、武庫川はどのようにして武庫川として残っていったのか不思議さが残ります。

             


この宿場は武庫川に注ぐ大堀川という川に三方を囲まれた地域、戦国時代には信長の一向宗弾圧に備えて城砦を築いたこともあったそうです。

その弾圧の対象となるのがこの毫摂寺、15世紀の末に建てられたものらしい。結構大きなお寺です。

信長に背いた有岡城主・荒木村重の討伐の際には信長方につき、弾圧の難を逃れたといいます。

                  

片隅には使われてなさそうな鐘楼が目を惹きます。

             

これは江戸時代の造り酒屋・井川家の住宅、清酒『菊仁』というお酒を造っていたらしいのですが、そんなお酒は聞いたことがありません。

             

軒に吊るしてあったもの、京伏見街道・寶塚小・菊仁と書かれています。一見旅籠のようですね。

             

向かいにあった資料館、確か行ったのは木曜日だったと思うのに、定休日でもないのに閉館となっていました。

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宝塚神社 Ⅱ

2010-10-21 05:00:00 | 大阪にて
坂道を登り詰めると神社の境内です。社が左、前、右とズラッと並んでいて、その社に囲まれた庭が広い神社です。

左の社が上の写真の宝塚神社本殿ですね。

                  

狛犬は苔生して古そうで顔がどんな感じなのか分りません。当然ながら角の有無も分りませんでした。

                  

右の阿形の方が日当たりが良いのか、あまり苔が見えません。同時代のものではないのかも知れませんね。でもこれも古そうです。

             

登って来ると正面にこの赤い鳥居が二基見えてきます。右隅を見てください。ベンチが並んでいますが、皆、神社の方を向いていなくて、下界を見渡すように置かれています。つまり本殿に背を向けているのです。

             

こちらがえびす様を祭ってある社です。あの参道で左右に分けていた看板は何だったのか?同じ方向で良かった筈です。

             

一番右に天神さん、牛がいるので分るようになりました。

             

漱水でしたね。この龍は未だ新しそう、来た時は後から見たのですが、尻尾が囲いの中に入っている風に見えたのですが、こちらから見ると残念、セメントで埋めてしまってます。これじゃ意味ないですね。尻尾まで完全に見せておいて、いかにもここから出てきて水を飲んでるという姿を現して欲しかったです。

             

ここに来て下界からこの神社に至るまでの道に階段が無かった意味が解りました。車で上がれるようになっているのです。

由緒ある神社では社のずっと手前から殿様でさえ馬を降りるよう指示されていました。何故神社の境内まで車で往来するような事態になってきたのでしょう。

生活が便利になりすぎたのか、神仏を畏れぬ輩が増えたのか、後者だとしたら神社も寺も必要ありません。

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宝塚神社

2010-10-20 05:00:00 | 大阪にて
宝塚神社への参道に戻って、神社を目指します。矢印のある看板に出会いますが、右手が宝塚神社、左手が宝塚えびすとなっています。しかし右は平林寺の方向、神社が無いことは分かっています。先に平林寺へ行っておいて良かった、先にこの看板を見ていたら、右手の方向へ歩いて行ったことでしょう。


             

提灯も並んだ山門のようなものもあるし、このまま道を登っていけば、神社があるものと確信して先を急ぎます。

             

登りつめて行くと氏子の名を連ねた提灯がづっと続きます。秋の祭りが近いのでしょう。撮影から週をまたいでいるので、祭りはもう終わっているかも知れません。

             

坂道の途中、提灯や旗が無くなった辺りで宝塚の東の方の町並みが姿を現しました。きっと伊丹市や川西市なども含まれているものと思われます。

                  

坂道の途中、阪急電車の踏切があり電車が近づいて来るのを待ちました。逆瀬川の駅を出発した電車がやって来ました。

             

この地点で左へと階段があり、こちらが正式な道順なのかも知れません。私は右手の下界にばかり気を取られていたので、往時には全く気が付きませんでした。階段があるのはここだけ、後は全部コンクリートの坂道です。それは何故なのか、その答えはまた明日ということで・・・

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ガンバ VS アルディージャ

2010-10-19 05:00:00 | スポーツ
先週土曜日、この日はソフトボールの練習も休みで、かねがねから旧友のK川君からお誘いをいただいていた万博記念競技場でのガンバVSアルディージャの試合を観てきました。招待券なので無料なのですが、前回と同じくSB席、ゴールの横ぐらいの位置です。

5時キックオフなので4時に千里中央の駅で待ち合わせ、家を出る前までCS(クライマックスシリーズ)阪神VS巨人の試合を観ていました。タイガースが2-1と逆転された回の裏、2アウト1・2塁で一打同点の場面で打てなかったのを見て家を出たのですが、丁度来合わせた電車が新大阪行きだったので、少し遅れてしまいました。そういえば日曜日にもタイガースは負けてしまって、甲子園での日本シリーズは無くなり、早くも今年、目の前で日本シリーズを観戦する可能性は無くなってしまいました。

             

席が空いているというのでアウェー側の方を選んだのですが、アルディージャの応援団の近く、来ている人が少ないので周りはガンバ一色です。
5時前なので少し未だ明るい、だんだん陽の差す時間が短くなり寂しくも感じますが、こういう期間があればこそ春の日毎に陽が長くなるのが楽しみなのです。

             

対面のゴール後に巨大スクリーン、得点シーンのビデオが角度を変えて数度流れるので、家でTVを観てるのと同じ、競技場に来ているので臨場感も味わえます。

             

試合前のセレモニー、前回長男と来た時は選手の背中ばかりを眺めていました。セレモニーといっても別段これといって何も無かったのですが、誰かが150試合出場の記念だということで花束を貰っていました。

             

前半は目の前にアルディージャ側のゴールがあるので、ガンバの攻め込む姿が近くで見れます。写真は遠藤選手のコーナーキックです。ガンバも選手がどんどん変わって、昔から知ってるのはこの人ぐらいです。

             

先制したのはアルディージャ、前半4分ですからあっという間に得点を許してしまいました。それでもこちら側でのプレー時間が非常に長い、と思ってるうちに背のとび抜けて高い外人の選手が足を高く上げてガンバの選手の顔面をもろに蹴ってしまいレッドカードで即退場、押され気味のアルディージャはなお押されることになっていました。

前半は2-1でしたが、惜しいシュートが何本もあり、枠を捉えていたら5点は入っていたと思います。

             

後半に入ると戦場ははるか彼方、眼前でのプレーは滅多に訪れません。帰りの電車が混むのが嫌なので、4-1とリードしているし、終了5分ぐらい前に席を立ったのですが、外周を歩いていると又大きな歓声、帰ってからニュースを見るともう1点追加していました。

アルディージャにしてみれば10人で闘っているというハンデはあったものの、実力に差があり過ぎたように思われました。

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平林寺

2010-10-18 05:00:00 | 大阪にて
宝塚神社を目指して歩きますが、仕事をしながらなので参道を一直線に歩くわけには参りません。あちらこちらとクネクネ歩き回っていると、池のある鳥居に出くわしました。その後方にはこんもりとした林が見えます。

             

池には『魚を獲ってはいけません』という看板が立っていましたが、どう見ても魚が居るような感じの池ではありません。

祠には弁天さんが祀ってあるようです。

             

池の後方に見えていた林、もう少し近寄るとお寺の屋根らしきものが見えています。これが平林寺なのかと思い、宝塚神社へは後から行ってみることにしました。

             

でも行ってみると残念ながら平林寺ではありません。宝寿院という名前らしい。この辺りには数軒のお寺が並んでいます。何処かに平林寺があるのだと思いながらお寺を見て廻っていました。

             

すると阪急電車の高架の向こうにも階段があり、その上にお寺らしきものが見えます。

                  

この寺は真言宗のお寺らしく、例によって空海の像が立っています。碑には『四国八十八ヶ所巡拝記念』とありますから、誰かが88ヶ所のお寺を廻ってきた記念に建てたような記述になっていますが、そんなことはありますまい。

『お砂踏み所』ともありますから、きっと東光寺のようにここの砂を踏むことによって、八十八ヵ所の巡礼を果たしたものと見做して安心感を得られるようにしてあるのでしょうね。

             

これが平林寺の本堂、あの道標を見たお蔭で随分探しましたよ。あれが無ければ平林寺を探すなんてことは無かったでしょうね。まぁ、お蔭で1回分の記事が書けました。

                  

お不動さんの像、何故か足許にペットボトルが集められています。写真を撮るには邪魔ですが、これだけ置いてあるということは何か意味がありそうです。

             

平林寺って“へいりんじ”と入力するだけで変換されるので、有名なお寺なのかと思い、検索してみると埼玉県に同名の紅葉で有名なお寺があるようです。

これは一段高いところに建立されていた観音堂、並んでもう一つお堂がありましたが、割愛させていただきました。

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