ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

懐かしい風景

2008-11-28 04:50:00 | 田舎
叔父さんの家を後にして、帰りは何故か昔の家があった方へ歩いて行ってみようと思ったのでした。

ここは昔、道場と呼ばれていた建物、盆踊りの頃にはこの界隈の人が集まって、盆踊りの練習をしたものでした。

            

大きな槙の樹があったのですが、今はありません。代りかどうか判りませんが、違う樹が植えられていて、それが昔からあったものかどうか思い出せません。

       

昔家があった辺り、友達の家もすっかり様変わりしていて、面影はありません。
誰がこんな風にしてしまったのか・・・

       

この家は友達がいた家、建物自体は建て替えられたのでしょうが、雰囲気は変わっていません。

       

この家のここに牛小屋があって、遊びに行く度にその前を通るのが何故か恐かったのを思い出します。

       

どんどん北へと歩いていきますが、昔の面影はありません。
『3丁目の夕日』ではありませんが、当時夕方になるとどっかの家にTVを観に子供が鈴なりになっていました。どの家だったのか思い出せません。

       

もう少し北へ行った所で、子供の頃は全く気が付いてなかったこんなものが・・・

       

串本町指定の天然記念物、木犀・・・キンモクセイですね。
昭和49年とありますが、当時は古座町でした。私の子供の頃から大きな樹だったのでしょう。

       

古田の手前まで歩いて、戻ってきました。
岩淵の踏み切りです。古座の駅から東へ一つ目の踏み切りになります。

       

懐かしい風景というタイトルにしてみましたが、懐かしい所はすっかり変ってしまい、思い起こすような風景ではありませんでした。
子供の頃は遠い遠いと思っていた道も、今となっては歩いてもそんなに遠い所ではありません。歩いてみるとこんなものもあったのかと新しい発見もあり、ちょっとしたハイキングになりました。

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小山井戸

2008-11-27 05:50:00 | 田舎
紀伊姫の地磯での釣りを終えて、昼からは阿野木漁港にもう1度チャレンジしようと思っていたのですが、ベタ凪なので昨日と同じと思い、釣りは断念しました。

古座駅の裏の叔父さんの家に用事があったので、昼から出かけました。古座駅の手前のAコープに車を停めて、歩いて行ってみました。道が狭いので対向車が来るとなかなか行き交い出来ないところなのです。

紀勢線を跨ぐ橋を渡るのが一番の近道だと思い歩いていると、今まで全く知らなかったものに出会うことが出来ました。

       

古座町が串本町に合併されてから、史跡に指定されたのでしょうね。

鎌倉時代から江戸時代まで、この辺りは小山氏と言われる方が領主だったのです。
叔父さんに聞くと自分の小さい頃も大きな屋敷があったそうです。

その後、分譲されてしまいましたが、ここを買った人がこの井戸を残したのだそうです。

            

この井戸は今でも枯れてなく、十分使用できるそうです。
左側が紀勢線です。

これでは串本の人でも何処なのか判らないでしょう。

       

Aコープ古座がこのように見えるところ、駅の南側、ここなのですよ。
朝からの曇天がうって変わって晴天になっています。

       

ここは紀勢線を跨ぐ橋を渡って、叔父さんの家の前から古座駅を写したもの、古座駅を見たことのある人も、裏からはなかなか見られないのではないかと思います。

       

ホームはこんな風景ですが、私の小さかった頃は線路沿いに桜の木が沢山植わっていて、春になるときれいなものでした。
造成されている所は、昔は皆田圃でした。

道を見ていただいたら解ると思います。これでは車は行き交えませんよね。

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鈴蘭台

2008-11-26 06:00:00 | 神戸にて
先週の水曜日から急に冷え込みだしましたね。

志手原でのお役を終えて、次期の地域は神戸市の北区鈴蘭台方面です。
新開地まで出て、神戸電鉄に乗り(実はそうではなかったのですが、この件はまたの機会に)、鈴蘭台駅で降ります。
本当は次の鈴蘭台西口駅かその次の西鈴蘭台駅で降りた方が近いのですが、運賃が10円高いので、少々の距離なら歩こうと思ったわけです。僅か10円なのですけどね。

それでも歩くということはいいことで、足腰を鍛えます。鈴蘭台西口駅で降りるとそう坂でもありませんが、鈴蘭台駅で降りると坂が多く余計に鍛えられます。
それにこんな遠景も見ることが出来ました。

       

時期的に丁度紅葉にはGood Timingで、並木も軒並みきれいに色付いています。
ここは北五葉という地域、暫くはこちらでお世話になります。

鈴蘭台駅に帰る途中に家の中に見事に紅葉したモミジがありました。
あまりにきれいなので失礼して、撮らせていただきました(許可を得たわけではありません)。

       

1枚目の写真が北側を望み、こちらは南側を望んでいます。
鈴蘭台の地形がだいたい掴めるでしょう。

       

民家かと思っていたのですが、実はお寺でした。それなら許可を得なくとも写真を撮ってもいいですよね。

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今回の釣果

2008-11-25 06:30:00 | 田舎
この三連休で串本へ釣りに出かけました。
長潮・若潮というあまり良い潮ではありませんが、休みがその日なので仕方がありません。満潮・干潮が1回づつしかありません。

22日阿野木漁港の満潮は2時ごろ、ここは満潮時でしか釣りにならないと思っています。

姫の家に着いたのが12時前、釣具を出して、昼食を摂って漁港に向かいます。

釣果は上の写真のような『シバタ』と呼ばれるグレの赤ちゃんがボツボツ・・・前回のようには釣れませんでした。

おそらく外海が荒れたときに、ここに逃げてくるのではないかと思います。

       

いつもは静かなこの漁港も、この日は船も人も大勢いました。
船で出て行ってもすぐ戻ってくるので、おそらく近くの磯に網を仕掛けに行ったのではないかと思います。

今年はイセエビが豊漁のようです。

       

この漁港でこんな風景は初めてです。

23日の干潮は朝7時過ぎ、紀伊姫の地磯は干潮時でしか釣ることが出来ません。

       

九龍島や鯛島方面の小さな磯の上、鳥が翼を休めていますが、釣り終わるまで休んでいました。

天気が少し悪く、太陽が顔を出しません。


       

こちらでもカモメが渡ってきていました。
いよいよ冬ですね。

この日、撒き餌をしても魚の姿は見えません。
一応ウキにアタリがなくても、エサは取られるようになりました。
ハゲやフグの口の小さな魚のアタリのようです。

エサを小さくしてやっと1匹、ホンの小さなウキを押さえ込むようなアタリに合わせたらこれでした。

       

けっこうデカいフグですが、重いだけで殆ど引きません。

       

食べれそうですが、用心して海にお帰りいただきました。

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またしても餃子の王将

2008-11-21 04:40:00 | 大阪にて
最寄の駅から自宅へ帰る途中、唯一の中華料理屋が餃子の王将です。2~3週間に1度位の割合で夕食をここで済ませます。

以前こんな事もあったのに、懲りずに行っているわけです。

今日のメニューはホウレン草と豚肉を炒め卵でとじた物、通常『ポパイ』と呼んでいます。

       

またまたヘンなもんが入っているぞ。

       

よく見るとホウレン草の根です。前回は食べられないものが入っていましたが、これは食べようと思えば食べれないこともありません。でも、そこまでしてみる勇気もユーモアもありません。

これで2回目、3回目は何が入っているのでしょうか。
それとも毎回何かヘンなものが入っていて、気が付いてないだけなのでしょうかネェ?

楽しみですね。

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平家物語

2008-11-20 04:40:00 | 読書
平安から鎌倉へと時代が遷っていく頃を描いた古典『平家物語』、現代訳は宮尾登美子や吉川英治、橋本治など種々ありますが、どれも何冊もある長大なものばかり、本屋さんで物色していると、吉村昭の現代訳が1冊で刊行されているのを見つけました。

吉村昭によると、『平家物語』は「仏教を主とした宗教に関する記述が多く、ある部分では説教調になり、ある部分では長い説明となっている。これらの部分は煩雑なきらいがあり、しかも物語の本筋にさほど関係はなく、むしろ物語の緊張をそいでいる傾向もあり」と、それで余分な箇所を削ってくれたのです。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」の書き出しは殊に有名で、ばんくらな私でさえも空で唱えることが出来るというものです。その後は「驕れる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし 猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」と、ここまでは覚えてはいないのですが、最初から確かに説教じみています。

ここまでを吉村氏は「祇園精舎の鐘の音には、諸行無常の響きがある。栄えた者も、おごりたかぶれば必ず滅びる。それは、吹く風の前のちりのように吹き飛んでしまう。まことにはかなく、それが世の習いなのだ。」と訳しています。

そして次に「よい例が平清盛である」と単刀直入に物語に入っていきます。

       

実に沢山の人物が登場するのですが、主人公が居ないせいか、人物のイメージが掴みにくい物語です。
当時の戦闘というのは、いちいち名を名乗り、赫々云々と前置きがあったのですね。そして勝った者は敵の首をいちいち切り落としているのです。
現在人から見れば悠長なのに残酷なのです。

ストーリーは一度『君の名残を』で読んでいました。

源氏が勝者の物語なのですから、『源氏物語』と名付けそうなものですが、紫式部が全く違った本を既に書いていますから、そういうタイトルを付けられなかったのでしょうか。

『源氏物語』も是非読んでみたいとは思うのですが、こちらも時間がかかりそうで、なかなか手が出ません。

一度琵琶を弾き鳴らす法師の語りを聞いてみたい気がします。

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有馬富士登頂

2008-11-19 04:40:00 | 大阪にて
志手原での仕事を早めに済ませ、昼食時の時間を利用して山頂を目指してみました。
この日は天気も良かったので、眺めも上々だろうという期待もありました。

       

登山口と書かれている標識から登りだしたのですが、道はまっすぐ頂上に向かっているように付いています。普通、山道は山腹をループするように付いているものなのに、これは険しい。しかし短時間で登れるのは間違いありません。

       

頂上まであと100mという所から、岩が多くなってきます。まるで修験道のようです。距離にすると100mは十分歩いている筈なのに、なかなか頂上には到達しません。高さがあと100mという意味だったのでしょうか、そんな筈はありませんよね。標高がたかだか374mで、海から志手原まででもかなりの標高がある筈です。

       

汗びっしょりになって、ようやく山頂に到着しました。30分程度の行程でしたでしょうか。

       

良い天気だったので眺望はなかなかのものだろうと思っていたのですが、案外靄っています。それに木々が多くて十分な眺望は得られません。

       

道を間違った日に有馬富士カンツリークラブから歩いてきたときに見た、クリーンタワーが見えます。
有馬富士公園に見えると書いてあった明石大橋の橋梁など全く見えません。

下りは道を間違えてしまい、道無き道を下ってしまい、登山道に戻るのに大変な目にあってしまいましたが、戻ったと思った道も来たときに登ってきた道ではありませんでした。

       

こんななだらかな道もあったのですね。どちらから登っても頂上付近は修験道です。

       

帰り道、有馬富士は遠に離れていますが、小さな祠、イチョウの紅葉、柿の実など天気の良さと相まって、秋の風情です。

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有馬富士 Ⅱ

2008-11-18 04:50:00 | 大阪にて
地図で見ると志手原へ行くには三田駅から行くより、新三田駅から行く方がいくらか距離が短いようです。
ただ尼崎から三田が570円、新三田までなら650円と80円も違います。

新三田がどのような所なのかという期待も込めて、志手原からの帰りに新三田方面に歩きました。

すると有馬富士の南側を通ります。左にパラソルチョコレートみたいな樹が数本立っているのに目が惹かれます。

       

この山はどちらから見てもきれいな円錐型をしているのでしょうか。

       

暫く歩くと答が出ました、上の部分だけ円錐型なんですね。
ここからは有馬富士の大きな看板が見えていますが、写真では確認できませんね。

       

歩いている先にあったのが県立有馬富士公園です。
左に見えてる山が有馬富士です。

       

大きな池があるようです。そこからの眺めがいいのかも知れませんが、行ってる時間はおそらく無いでしょう。

       

ナンテンの垣根の間から見える有馬富士、公園の入口からの眺めといい、上部の円錐部だけが見えるように設計されているのかも知れません。

       

門を出て新三田の駅に向かうとこの広場がありますが、広場と言うほど大きくはありません。

       

あまり詳しい説明ではありませんが、武庫川の前身の川が運んできた20万年前の地層!?って、武庫川は何処を流れていたんだろう。今はこの辺りではJRの南側をJRに沿って流れているようです。

       

色付く山を見ながら新三田の方へ降りて行きます。

       

手前の田園風景と向こうのコンクリートの塊群と、そしてそのまた向こうの丘陵と、なかなかアンマッチな風景です。JRの電車がゆっくり走っていますが、駅は何処にあるのでしょう。

       

ありましたが、『新』と付く割には殺風景な駅です。こちら側からの入口もありません。看板が皆向こうを向いているのも、こちらから見るとヘンですね。

       

オモチャのような省力化された駅でした。
驚いたのは80円高くつくと思っていた運賃、私は帰途は三田から宝塚まで320円でJRに乗り、宝塚から尼崎まで210円でバスに乗っていたのでした。その方がJRだけで尼崎に帰るより40円安いのです。
ところが新三田駅から宝塚駅までは、三田駅から宝塚駅までと同じ320円だったのです。いや~、日頃の精進の賜物でしょうか・・・ラッキーです。

しかし、もう新三田駅周辺には来たいとは思いません。買って帰る物を売ってる店も無いし、遅い昼食になるようなものを置いてる店もありません。
2~3時頃になる昼食、夕飯のことを考えると、たいした量は食べれません。

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この辺りの蔵

2008-11-17 04:30:00 | 大阪にて
最初に志手原に行った時、目についた蔵の窓です。
この辺りの蔵は皆同じように窓は丸いようです。

       

これは三輪の山道を登ってくる途中のものです。

       

こちらは三輪と志手原の中間の成谷という地域にあった蔵。

       

こちらも成谷にあったものですが、この窓は四角い。

       

こちらは新三田の駅の近くです。ここでも窓は丸い。

しかし、顔に見えるのは1番最初のものだけですね。

話は変わって、裏道の方。

       

山の中なので松の木が沢山生えています。アカマツなのかクロマツなのかオソマツなのかは知らないのですが、松茸でも生えてないかと見てたのですが・・・

       

まさか毒キノコではないでしょうが、採らずにおきました。

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志手原への道 Ⅱ

2008-11-14 04:30:00 | 大阪にて
道を間違えたのですが、最初に来たときに有馬富士カンツリークラブが志手原より東にあったのは判っていたので、西へ西へと歩けば辿り着けるはずです。

丁度神姫バスの停留所もあるので、又道を間違ったとしても、最終的にはバスに乗れば良いわけですから安心です。

       

間違ってしまったのに、途中色々な景色を楽しめるのはラッキーです。知ってて間違ったのかと言われそうです。

       

これはなかなかきれいな樹ですね。

       

この樹の柿の実はすごく大きかった。

       

志手原小学校の前にあるレストラン、もう昼はとうの昔に過ぎてしまっています。志手原にも着いたことやし、昼食です。

       

『たまごかけごはん定食』350円、『三田めし』380円は安い。

            

表では地場産の野菜も売っていましたが、チョット高い、いや安くない。

       

小学校前の交差点、見難いですが、有馬富士カンツリークラブまで2.2Kmと書いてあります。とんだ回り道でした。

帰る道はすぐ判ったので、確認のために通ります。

       

この柿は筆柿というのでしょうか。メッチャいっぱい生っています。

あまり歩かないうちに何やら見た事がある建物に辿り着きました。

       

来しな曲がるのを躊躇ったところ、フェンスのある建物のところです。

       

志手原浄化センターと書いてあります。

マピオンの地図を印刷して持っていったのですが、曲がり角にこの建物は出ていませんでした。印刷できる範囲も限られており、ネットでの地図に頼るのは限度があるのかも知れません。帰ってgooの地図を見るとこの建物が出ていました。

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