ウリパパの日記

自由気ままに・・・

行田の田んぼアートと古代蓮の里 2022.8.5

2022-08-06 08:15:03 | 埼玉県

本州の南海上に前線が南下してオホーツク海の高気圧から冷たい北東の風が吹き込み、関東地方では木曜日から猛暑に一服の清涼を感じています。過ごしやすい陽気は今日も続いています。昨日は茨城県での在宅勤務でしたが早めに仕事を切り上げ、帰りに埼玉県行田市の古代蓮の里に寄り道して田んぼアートを見てきました。友部から北関東自動車道と東北自動車道を利用して1時間20分で羽生ICへ、そこから20分ほどで到着します。4年前に一度訪れたことがあります。

 

平日は駐車場は無料です。車を停めて古代蓮会館の展望塔へ向かいます。

 

エレベータへ向かう途中、過去の田んぼアートの写真が展示されています。右下は4年前に訪れた時に見たコンドルの地上絵です。

 

エレベータで高さ50mの展望塔へ登り上がり、東側の水田を見下ろします。2015年にはギネスに登録された巨大なアートが広がります。今年のデザインは「アオアシ」です。行田市のHPから引用します。

今年の図柄は、昨年に引き続いて日本の代表的な文化であり、国際的にも人気が高い「アニメ」、「マンガ」に着目。その中で、今注目を浴びている人気サッカーアニメ『アオアシ』とコラボレーションすることといたしました。絵柄は主要キャラクター「青井葦人(あおいあしと)」「福田達也(ふくだたつや)」「一条花(いちじょうはな)」の3人を描き、『アオアシ』とのコラボレーションを祝して行田市の花である古代蓮をあしらいました。(引用おわり)

あれ? 古代蓮はどこ?・・・

 

右側に描かれていました。横幅が広く、1枚の写真にはおさまりません。

 

こちらは設計図面です。遠近法が考慮されています。

 

高さ50mの展望塔からは関東地方の山々を遠望できるみたいですが、昨日は低い雲が垂れ込め日光連山や関東山地は見えません。うっすらと筑波山が見えていました。

 

こちらは東京スカイツリー。距離は54km。意外と近いです。

 

帰りに、古代蓮(行田蓮)を見てきました。

 

行田蓮の説明です。古代蓮の里に近い公共施設建設工事の際、偶然出土した種子が自然発芽して甦り池に開花しているのが発見されました。地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は珍しいことといわれています。古代蓮の里では、自生地から移植した古代蓮が育てられています。この古代蓮は、1400年から3000年前のものと推定されています。

 

蓮の花の命は4日間。7時~9時の間に開花して4日目の昼にはすべての花弁が散ってしまうそうです。午後3時過ぎに閉じていない花は3日目で、残り1日の命です。

 

こちらも3日目の花?  昨日は暗い曇り空だったので、2日目の花が遅い時間まで咲いていたのかもしれません。

 

花が散った後は、蜂の巣のような花弁の中にぎっしりと実が詰まっています。

 

古代蓮池の先に、先ほど上った高さ50mの展望塔

 

古代蓮池を散策後、駐車場に戻ります。

駐車場近くには世界の蓮園があり、40種類、約2万株が展示されています。ほとんど咲き終わっていたので、一輪だけ紹介しておきます。

 

西光寺白蓮です。花弁数20~26枚の一重咲種。花色は純白で、外弁はわずかに緑色を帯びています。

蓮の花は終盤で1週間ほど遅かったようです。次回はジャストの時期の早朝に訪れてみたいです。

 

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上尾市の橘神社を訪れる 2021.3.4

2021-03-05 21:33:04 | 埼玉県

上尾市の八枝神社が管理している兼務社の1つに、同じ平方河岸にある橘神社があります。八枝神社へ車で向かう途中に近くを通りかかったので、八枝神社にお参りしたついでに訪れてみました。

 

上尾市の平方地区は、かつては荒川の平方河岸として江戸との舟運を支える重要な位置を占めていました。河岸場の歴史は古く、寛永一五年(1638) 以前には既に成立していたと考えられています。近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる脇往還筋にある渡船場としても機能する交通の要衝で、昭和初期まで大きな繁栄を誇っていました。上の地図の①が八枝神社、②が今回紹介する橘神社です。

 

鳥居をくぐるとすぐ正面に狛犬と石燈篭、その先に拝殿があります。

 

橘神社の創建年代等は不詳ながら、かつては文明3年(1471)銘の額があったといい、室町時代には既に祀られていたといいます。江戸期には、氷川社と称して平方村の鎮守社として祀られ、明治40年に平方地内の稲荷・神明の二社(共に無格社)及び西貝塚の村社稲荷社、上野の村社神明社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社を合祀し、社号を橘神社と改めたといいます。

 

四角い顔の狛犬(向かって右側の阿形)

 

阿形の狛犬も四角い顔です。

 

御祭神は八枝神社と同じ素戔鳴尊。ここにも疫病退散の幟が立っています。本殿の背後には、樹齢約800年と推定され、幹回り5.75m、高さ20mのケヤキの巨木がそびえています。

 

拝殿の裏手に本殿、その奥が御神木のケヤキの大木です、

 

大ケヤキの説明です。1979年の強風で折れてしまい地上7mのところで胴切りされています。

 

本殿の左手の境内社。鳥居の先が天王社、神明社、水神社。その左側は惣合祀社。

 

本殿右手には頒霊社。

橘神社の社名はかつてこの辺りを橘里と称していたことにちなむものです。本殿及び拝殿はこの合祀を機に建立されたもので、古い本殿は同じ大字内の八枝神社に移され、今も同社の本殿として使われているそうです。

 

昨日は午後からゆっくりと天気は下り坂。高尾からはうっすらとハロが見えていました。

今日は朝から息子の引っ越しの手伝い。夕方には全てが完了しました。これからバイクでチョクチョク自宅に戻ってくるつもりのようですが、我が家は娘が千葉県、息子が神奈川県、パパは茨城県に単身赴任、奥さんは自宅の東京と4人バラバラです。母親は老人ホームに入居し、長沼の実家は誰も住んでいなくて。。。困ったものです。

 

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上尾市の八枝神社を訪れる 2021.3.4

2021-03-04 21:47:56 | 埼玉県

明日は息子が神奈川県すずかけ台のアパートに引っ越しするので、その手伝いのために休暇を取得予定です。4月から大学院に進学して忙しくなることを想定して独り住まいするとのこと。自宅から通えない距離ではありませんが、今まで自宅から走って5分の学校に通っていたため、電車で通学するのが面倒なようです。社会に出る前に一人暮らしの経験をしておくことも必要でしょう。

今日は在宅勤務だったので、空き時間を利用して早めに友部から戻ってきました。途中、埼玉県の上尾に立寄り、以前から訪れたいと思っていた上尾市平方の八枝神社を訪れてみました。

 

上尾市の西端、川越へと続く開平橋の近くに鎮座する八枝神社は、素戔嗚尊が御祭神。厄除招福・疫病退散の神様として広く親しまれています。疫病退散の幟が立っていました。

 

八枝神社の獅子頭は「狛狗大神」といい、親しみを込めて『平方のおししさま』呼ばれています。年間を通じて獅子頭が貸し出され、その地域に迎えて疫病退散・災厄消除を願う「ふせぎ」と呼ばれる行事が今でも行われているそうです。また、毎年7月には埼玉県指定無形民俗文化財である『どろいんきょ』という奇祭が盛大に行われています。

 

八枝神社の創建年代等は不詳ながら、元禄年中(1688-1704)には社として成立しており、天王社・牛頭天王社と称していたといいます。明治維新後に京都八坂神社の枝社という意味を込めて、八枝神社と改められました。

 

拝殿前の狛犬(阿形)です。親子の狛犬。

 

こちらは吽形。

 

さっそく拝殿にお参りします。

 

八枝神社の扁額です。昭和10年に奉納されたものです。

 

拝殿裏手の本殿です。

 

こちらは神楽殿。

 

ところで、境内には6本の巨木があり、上尾市の指定天然記念物に指定されています。

 

北側から見た境内の様子。全部で6本の大木があります。手前の2本はエノキ。その奥にはご神木のケヤキ。ケヤキは伐採されて幹だけが残っています。拝殿の東側には2本のケヤキの木。こちらもご神木です。拝殿の奥(南側)はエノキです。

 

神楽殿の横から2本のケヤキのご神木を眺めます。この大ケヤキは樹齢600年以上とも言われています。このような大木には「大いなる氣」が宿っていると考えられています。拝殿左の大木はエノキです。

 

拝殿横には厄落とし箱。災厄消除のお守りを二つに割り、左側の木片はお守りにして、右側の木片はここに納めます。今年は本厄となるので、早速お守りを購入して厄落としを行いました。

 

再び狛犬。この親子の狛犬は埼玉県の狛犬ランキングで6位に入賞したそうです。

 

境内の片隅には奉納された石灯篭が並んでいます。

 

こちらは改築記念碑。

 

記念碑の下にはキツネ。お稲荷さん?

 

こちらは鳥居の脇の蛙?

 

お参りで購入した御朱印(書き置き)です。狛狗大神が御朱印になっています。平方のおししさまとも呼ばれています。そして厄落としのお守り。災厄消除の右側の木片は拝殿前の厄落とし箱におさめてきました

 

そして小さなアマビエの御守り。大事に財布の中に入れておきます。

 

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竹寺の牛頭天王社を訪れる(2) 2021.1.7

2021-01-08 18:29:46 | 埼玉県

茅の輪をくぐり身を清め、牛頭天王が祀られる本殿に到着しました。ここに祀られる牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神といわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。さらに陰陽道との関りを深め、また「蘇民将来伝説」とも結びつき、素戔嗚尊と同体とされています。

本尊の右手には斧、左手には縄を持ち、その脇には八王子(牛頭天皇の八人の王子)が祀られ、十二年に一度、丑年の年に本殿内の宮殿が開扉されます(以上竹寺寺号より引用)。

 

本尊の守護神のイラストが竹寺時報に掲載されていたので引用しておきます。前の記事で紹介した牛頭明王とはかなりイメージが異なります。

 

拝殿前の扁額。

 

拝殿中の様子を少し拝見。

 

向かって右側の狛犬(阿形)。手前には御開帳の案内。3月13日から12月12日までとなっています。

 

向かって左側の狛犬(吽形)。手前に牛頭天王本殿の説明がありました。

 

本殿は平成11年に焼失、平成15年に再建されたものです。今年の牛頭天王例大祭は7月15日に仏式にて厳修されるようです。

 

最後にもう一度拝礼。開帳の時期にもう一度来てみたいですね。

 

本殿は標高490mの山の中腹にあります。歴史と風格を感じます。

 

本殿の近くに稲荷大明神が祀られています。鳥居をくぐります。

 

 

八王寺医王稲荷社にもお参りします。

 

稲荷社から本殿に戻り、山の上の鐘楼堂を目指します。懐かしい看板ですね。

 

裏山を登り本殿を見下ろします。平成15年の再建なので茅葺屋根の苔もまばらな印象。風格が出てくるのはあと数十年先ですかね。

 

途中にある名栗小殿。比較的新しそうです。

 

続いて金毘羅権現。

 

本殿から約10分。50mほど登り鐘楼堂に到着。

 

鐘楼には、牛頭天王宝前 名栗村と刻まれています。反対側には、天王山八王寺 平和の鐘 と刻まれていました。

山頂からは飯能市街の先に関東平野を一望できます。昨日は霞の中で遠望がききません。反対側には名栗方面を見下ろします。

 

眼下に観音様と三層の塔を見下ろします。帰宅後に調べたところ、白雲山にある救世大観音と玄奘三蔵塔でした。玄奘三蔵塔には、孫悟空の活躍で知られる物語「西遊記」の三蔵法師、正式名は玄奘三蔵法師の霊骨が祀られているそうです。

 

救世大観音をさらにズーム。大観音の堂宇内には阿弥陀如来像など多数の仏像が安置され、永代供養の悲願を込めた高さ33センチの観音一万体が奉られているそうです。左右に小さな観音様が従い、中央の大観音の高さ23m。右側にちょこっと見えているのは納経塔です。

山頂の鐘楼堂で折り返し、山を下り、本坊へ向かいます。

 

本坊で購入したお土産の一部です。御朱印、茅の輪の御守り、そして木製の蘇民将来の護符。護符は住職が一つ一つ手書きで文字を記入したこけしのような御守りで、災厄避けとして人気があるそうです。丑年の今年は年末から売れ行き好調らしく、最後の一つ(大サイズ)が残っていました。迷わず購入しました。

 

六角柱の護符には朱と墨で「蘇民将来子孫長久門戸祈攸」と書かれてあります。旅の途中で宿を借りた蘇民将来の家に、牛頭天王が茅の輪による災難除けを伝授した伝承に基づくお守りです。実は、この御守りが男性を、茅の輪が女性を象徴し、両者併せて“子孫繁栄”を意味する、とも言われているそうです。となると、茅の輪が小さすぎた・・・(汗)

 

ところで、一昨日の朝日新聞夕刊に、丑年にたとる信仰というテーマで異形の神「牛頭天王」が特集されていました。昨年のアマビエに続いてブームになりそうです。

 

 

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竹寺の牛頭天王社を訪れる(1) 2021.1.7

2021-01-08 09:02:39 | 埼玉県

昨日は日本海で低気圧が発達し、関東地方では強い南風が吹きました。八王子では午後から風が強まり、最低気温-0.7℃、最高気温13.1℃と3月並みの陽気となりました。夕方に寒冷前線が通過して風向きが西から北寄りに変わり、徐々に気温が下がってきました。

緊急事態宣言が発令される前に行っておきたいと思い、昨日は飯能にある竹寺まで車で出かけてきました。竹寺は天台宗の寺院で、医王山薬寿院八王寺と称します。説明によると、

「竹寺(八王寺)略縁起」当山は、縁起によれば「天安元年丑年、慈覚大師東国巡修の折、疫病流行し患者の多きを憐れみて、当山を道場として大護摩の秘法を修し、一切の障 難を除き、疫病を降伏し病患を除かしめん事を誓い、一刀三礼して尊像を造り、世の人を救い後世に遺し給へり・・・」と。

千年以上の歴史を持つ東日本唯一の神仏習合のお寺で、本尊は「牛頭天王」、本地仏に「薬師如来」が祀られています。境内の観音堂には聖観世音が祀らえていて、武蔵野観音の三十三番結願寺ともなっています。「蘇民将来」の護符は災厄避けとして非常に人気があり、住職さんが一つ一つ手書きで文字を記入しています。

 

狭間の自宅を自動車で出発。あきる野、青梅、成木、原市場を経由して最後は八王寺林道を登り終点が竹寺となります。距離は42km、1時間15分で到着しました。

 

茅の輪の門をくぐり駐車場に向かいます。公共機関を利用すると、東飯能駅からバスに35分乗り中沢で下車。そこから40分も山を登るようです。

 

入口の案内です。奥武蔵自然公園の中に佇む隠れ寺です。牛頭天王大開帳の案内、でも開帳は今年の3月13日からのようです。

 

お寺ですが一の鳥居。牛頭天王参道の鳥居をくぐります。

 

扁額には醫王山(医王山)と書かれています。

 

鳥居をくぐると左手に案内図。かなり広そうです。現在地が左下の白い鳥居です。

 

近くに分かりやすい手書きの絵図がありました。竹林と本坊、茅の輪、本殿を経由して山頂の鐘つき堂まで登ってみることにします。

 

先へ進みます。

 

まず正面に現れたのは牛頭明王像。

 

近くに由来の説明がありました。1992年に中国民間人15名により奉納されたブロンズ像です。牛頭大王と牛頭明王の違いはよく分かりません。大日如来はインドからチベットを経て中国に渡り日本に伝えられた。チベット密教では大黒天神と言われているそうです。

 

風雲を叱咤して悪魔を降伏させる姿と説明にあります。確かに力強いですが、その一方で何となくユーモラスでもあります。

 

こちらは竹眼鏡。昨日は霞んでいましたが、遠望がきくと東京タワーや東京スカイツリーを竹筒の先に見ることができるようです。

 

こちらは弁天堂。

 

本地堂 瑠璃殿です。本地仏である薬師如来が安置されています。

 

反対側には観音堂。聖観世音菩薩が祀られています。ここは奥武蔵観音霊場三十三番結願所となっています。

 

竹のオブジェを見ながら順路に従い竹林へ向かいます。

 

竹の鳥居をくぐります。

 

周囲には見事な竹林が広がります。

 

竹林から戻ると正面に茅葺屋根の本坊。ここでお札やお守り、お土産が販売されています。帰りに寄ることにしましょう。

 

お食事処の脇にはコウヤマキの大木。幹回り3.86m、根回り7.55m、樹高26m、樹齢は推定400年の老木です。太田道灌が植えたと伝えられ「道灌槙」とも呼ばれているそうです。

 

本坊脇から竹鳥居をくぐり本殿へ向かいます。

 

階段の途中で右手にお稲荷様の入口。こちらは本殿見学後に訪れることにします。

 

本殿登り口の鳥居に到着。大きな茅の輪が設けられており、これをくぐり心身の清浄を願います。

 

本殿手前の鳥居の扁額には天王山と書かれています。インド祇園精舎の守護神である牛頭天王が祀られていますが鳥居があります。まさに神仏習合のお寺なのですね。

 

鳥居の右手前には祠がありました。石碑には猿田彦大神と刻まれていました。天孫降臨のときの道先案内をした神様ですね。

茅の輪くぐりでは、唱え詞を唱えながら左回り、右回りと八の字を描いて3回くぐるのが正式な作法のようです(昨年6月末に鹿島神宮で学び実践しました)。ここでは回ることができないので、くぐることで心身を清め、災厄を祓い、無病息災を祈願します。

 

茅の輪をくぐり階段を上ると、本殿の牛頭天王社に到着しました(続く)。

 

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坂戸市慈眼寺の枝垂れ桜ライトアップ 2020.3.27

2020-03-27 23:51:16 | 埼玉県

今日は日本海を進む低気圧に向かって南風が吹き込み、関東各地で最高気温が20℃を超えました。八王子では最高気温24℃を観測しています。夜になっても南風が吹き続け、気温は15℃を超えています。友部から北関東自動車道、東北道、圏央道を利用して高尾へ戻る途中、満開となった慈眼寺の枝垂れ桜を見てきました。慈眼寺は坂戸ICから10分足らずのところにあります。

しだれ観音・慈眼寺は弘法大師によって開かれた真言宗のお寺です。本堂の前には樹齢250年を超える枝垂れ桜。

 

高さは15mあります。この枝垂れ桜は昭和57年に坂戸市の天然記念物に指定されています。

 

本堂には巨大な閻魔象が安置されています。

 

本堂内部をズーム。

 

さらにズーム。閻魔様がこちらをにらみつけています。

 

本堂にお参り。本尊の十一面観音の前に閻魔大王。閻魔大王の左奥には千手観音が見えています。

 

再び枝垂れ桜を見上げます。満開を過ぎて花びらが風に舞っていました。

この枝垂れ桜はかなり老朽化が進み、継続的な治療や延命対策が施されているようです。

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