ウリパパの日記

自由気ままに・・・

行方市玉造町の手奪橋を訪れる 2022.1.28

2022-01-29 21:44:16 | 茨城県

昨日の午後、少し長い休憩時間を利用して、行方市玉造町の手奪橋を見てきました。1月20日に小美玉市の手接神社を訪れた際に手奪橋の存在を知り、本ブログでも二つ前の記事で紹介しました。

 

手奪橋は手接神社がある小美玉市与沢の茨城空港南交差点から5kmほど離れています。県道116号線が梶無川にかかる橋ですが、表示が目立たないので、うっかり通りぎてしまいました。橋の先に駐車スペースがあるので、そこに車を停めて戻ります。

 

河童の恩返しの案内版がありました。

 昔むかし、現原の殿様が領地の見まわりを終えて、梶無川の橋を渡っていると子どもくらいの怪物が、馬のしっぽをつかんで川にひっぱり込もうとしているではありませんか。殿様は「村人を困らせている河童だな。こらしめてやろう」と刀で斬りつけました。河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消しました。
 お屋敷に戻ると馬のしっぽには河童の手がぶら下がったままでした。その晩のこと、河童がしょんぼりとやって来て、「私は梶無川の河童です。腕がないと泳げないし魚もとれません。どうぞ腕を返してください。」と頼むのです。
 かわいそうに思った殿様が返してやりますと、「私どもには妙薬があり腕をつなぐくらいわけありません」と言って、薬を傷口にぬり、ひょいと腕をくっつけました。殿様が驚いていると「お礼にこの薬の作り方を教えます。それにこれから毎日魚を差し上げます。もし魚が届かぬ時は、私が死んだと思ってください」と言って帰っていきました。
 次の日から毎日、お屋敷の前の梅の木に、魚が2匹ずつぶら下げてあるようになりました。
 ある朝、いつもの梅の枝に魚がなく、殿様は河童のことが心配で川を探させたところ、かなり上流の与沢で腕に傷跡のある年老いた河童のしかばねが見つかりました。恩を忘れなかった河童に感動した殿様は祠を建ててその霊をまつりました。
 芹沢と捻木あたりを梶無川と言います。河童から教わった傷薬は、芹沢家に代々伝わり、多くの人たちが救われました。諸国の大名から届いたお礼の書状が、今でも芹沢家に残されています。

 

民話に登場する殿様は、新撰組で活躍した芹沢鴨の芹沢家の先祖と言われているようです。新選組を創った男の町、玉造町をさりげなく宣伝しています。

 

近くには河童の由来が彫られた銅板? 馬のしっぽを引っ張る河童が可愛いです。手奪橋は "テバイバシ" と呼んでいたようです。

 

橋の4隅には河童の像が置かれています

 

どの河童も座禅を組んた姿です

 

橋の欄干にも河童の姿

 

楽しそうに魚を捕る姿

 

 

最後に、手奪橋と手接神社の場所を紹介しておきます。2つ前の記事で紹介した手接神社は茨城空港から羽生へ向かう途中の梶無川源流付近に位置します。手奪橋は手接神社から梶無川を5kmほど下った場所です。手奪橋は行方市、手接神社は小美玉市、霞ヶ浦大橋の西側は、かすみがうら市と、3つの市が隣接するエリアです。

 

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大洗海岸の日の出は不発でした 2022.1.27

2022-01-27 20:19:40 | 日の出・月の出

昨夜、手接神社ネタのブログの最後に大洗海岸のダルマ朝日ついて記載していたところ、久しぶりに日の出を見に行きたくなり、早速、出社前に出かけてきました。今朝4時30分に起床。日課となった気象衛星画像を確認すると、本州東海上には低気圧後面の雲が広がっています。但し雲までの距離があり隙間も見られます。雲間から日の出が見られるのではないかと少し期待してアパートを5時30分過ぎに出発しました。

途中の茨城町では霧が出ていました。日の出25分前に海岸の駐車場に到着。上空は青空です。東側には空高く薄い雲。この雲は日の出を遮ることがありませんが、その先の水平線上には低気圧後面の雲がびっしり。予想以上に密集しています。これでは海から昇る日の出は不可能です。その一方で、放射状に広がる薄い雲が染まり綺麗な朝焼けが期待できそうです。

 

日の出まで時間があるので階段を上り大洗磯前神社に参拝します。

 

朝早くから拝殿が開いていました。

 

たくさんの絵馬が掛けられ、おみくじが結ばれています。

お参りをしてから、再び海岸へ戻ります。

 

灯台を見上げます。雲が赤く焼けてきました。

 

再び神磯の鳥居へ戻ってきました。放射状の雲の中心が日の出の方角のように見えますが、もう少し南側から太陽が昇ってきます。

 

日の出の時間になりました。しかし太陽は厚い雲の向こう側。

 

日の出から15分経過しても太陽は姿を見せません。高度が上がり積雲を抜けても今度は上空の高い雲に邪魔され、ぼんやりとした日の出となってしまいました。

 

きれいな朝焼けが見られたので、満足して勝田へ向かいます。

 

参考に、6時30分の気象衛星写真(赤外画像)を紹介しておきます。日の出を邪魔したのは丸く示したエリアの雲。積雲に覆われて幅もかなりあります。雲の密度を甘く見てしまいました。その北に広がる白い雲は上空の高い雲。未明から朝にかけて早いスピードで東に移動していて日の出の頃には東へ抜けるかなと期待したのですが、予想に反して東海上で停滞。高度が上がっても太陽が姿を見せない一因となりました。

 

朝7時の天気図です。東海上の低気圧西側の気圧の傾きが緩く、一見雲が少なそうに思えたのですが、実際は低気圧の後面に積雲がびっしりでした。動きが遅いのでしょう。この時期は東経140~150度のエリアは低気圧の通り道となっています。また冬型の気圧配置時は北西からの筋状の雲が発生しやすく、なかなか水平線が見えません。大洗海岸では、本州南東海上に冷たい空気に覆われた移動性高気圧が進んできたときがダルマ太陽が見えるチャンスです。海水温と空気の温度差があることが蜃気楼現象が発生する必須条件だからです。この条件を満たしそうなチャンスが来週前半に訪れるかもしれません。

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小美玉市の手接神社を訪れる 2022.1.20

2022-01-26 20:30:34 | 茨城県

かなり古新聞になってしまいました。1月20日の話題の続きとなります。鮮度の高さは不要な情報ですが、一週間も経過すると、年齢も影響して?なかなか思い出せません(汗)。

小幡山七福神神社に続いて小美玉市の手接神社(てつぎじんじゃ)を訪れました。こちらは茨城空港前から県道360号を使って羽生へ向かう途中に立ち寄るコンビニの近くにあり、そのコンビニは霞ヶ浦へダイヤモンド富士を見に行くときによく利用します。昨年末に訪れた時、コンビニの駐車場から少し散策したときに見つけたのがこの看板。それ以来、ずっと気になっていました。

 

かっぱの神様? 手接大明神? 河童と手はどのような関係にあるのだろうか。とても興味があります。

 

県道入口にある社号標

 

300mほど歩くと神社が見えてきました

 

石燈篭の先に鳥居

 

その途中の左手に石造の河童像。その下に神社の縁起が刻まれています。読みづらいので、小美玉市観光協会のHPから手接神社についての説明を引用しておきます。

「昔、お殿様が、乗っている馬の尾を引っ張って川に引きずり込もうとしていた河童の手を刀で切り落とし、手を失った河童が夜中に泣いて手を返してほしいと頼みに来た。手を返すと、河童はお礼にと毎日お殿様のもとへ魚などを届けた。ある日魚が届かず、不思議に思ったお殿様が川へ行くと、河童が魚を持ったまま死んでいたのを見つけた。お殿様は哀れに思い、河童を祀った。」という伝説のある神社。手の病気に霊験があるとされ、手形や手袋などが奉納されている。 なお、手を切り落とされた場所はお隣の行方市芹沢に有り、「手奪橋」として残っている。(引用終わり)

なるほど。要するに、切り落とされた河童の手を返して接いだのですね。

 

河童像をズーム。手に不自然なところは無さそうです・・・

 

鳥居の先の御手水

 

右手には末社が並びます。いくつか紹介しておきます。

 

中央には、子安・北野・豊年・疱瘡神社

 

 

稲荷神社

 

再び正面。石灯篭の先に狛犬と拝殿

 

狛犬(阿形)

 

狛犬(吽形)

 

拝殿にお参りします。賽銭箱が無く、拝殿に投げ入れて下さいと掲示がありました。

 

拝殿の扁額

 

拝殿の右側。扁額や絵が掲げられています

 

拝殿の左上。こちらにも扁額

 

拝殿の裏手にまわります。質素な拝殿とは異なり、立派な本殿です。

 

本殿の屋根

 

隙間から本殿をのぞかせてもらいました

 

再び拝殿脇。たくさんの手袋が奉納されていました。小美玉市のHPによると、河童伝説の残る手接神社では、いつしか手形を奉納すると「手の病が治る」と信じられ参拝客が訪れるようになりました。現在では形を変え、手形や手形絵馬の代わりに手袋を奉納される方もいらっしゃっているようです。(引用終わり)

 

帰りに参道から林の中へ寄り道したところ、小さな神社を見つけました。

与沢の古社と呼ばれるそうです。手接神社との関係は不明です。

昨年末から気になっていた珍しい河童の神社、見ごたえありました。河童と手接(てつぎ)の謂れが分かりました。次回霞ヶ浦へ行く機会があれば、是非「手奪橋」を訪れてみたいです。

 

ところで先週末から本ブログへのアクセス数が急増していました。ここ1週間のアクセス状況を調べてみました。

ようやく昨日いつものアクセス数に落ち着きました。多くの方にアクセス頂いたダイヤモンド大仏は数日で終わり、霞ヶ浦のダイヤモンド富士の観察ポイントもかなり南下。今月末で終わってします。もうチャンスはないかな? 次の楽しみは大洗海岸からのダルマ朝日です。車を使えば出社前に楽しめるので、毎朝早起きして気象衛星画像とにらめっこです(笑)。しかし冬型の気圧配置や南岸低気圧などで雲に邪魔され続け、なかなかチャンスが巡ってきません。2月末になると日の出時刻が6時10分、アパートを出る時刻は5時20分となり4時40分起床。ちょっと厳しくなりますね。残り1か月が勝負です。

 

 

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気になる小幡山七福神神社を訪れる 2022.1.20

2022-01-24 19:58:48 | 茨城県

本ブログの閲覧数が21日から桁違いに増えて、大勢の方にダイヤモンド大仏の記事を閲覧頂き大変ありがたく思っています。goo ブログスタッフの紹介も終わり、ようやく本日からいつものアクセス状況に戻ったみたいです。

先週木曜日の半日休暇や、翌金曜日には業務一時中断などの影響も重なり、この土日は持ち帰り仕事などで忙しい週末でした。そのため、少し時間が経過してしまいました。先週木曜日(1月20日)の話題となります。午後休暇を取得して霞ヶ浦へ向かう途中、時間に余裕があったので茨城町の小幡山七福神神社に立ち寄りました。国道6号線沿いにあってとても目立つため、一度訪れてみたいと思っていました。しかも名称が「七福神神社」。とても気になりますね。

 

駐車場前の目立つ看板。五穀豊穣は大黒天、学業成就は弁財天、交通安全はどの神様の御利益でしたっけ? 

 

鳥居をくぐり階段を上ります。

 

階段を上ると正面に小幡南表七福神。さっそく賽銭箱が置かれています。

 

石に七福神が彫られています

 

さらに進むと幡谷祐一氏の銅像が現れました。茨城トヨペットの社長や商工信用組合の理事を務めた茨城県の実業家でもあった幡谷祐一氏はこの七福神神社の建立者です。

 

さらに奥には檜の林が続き、七福神の像を巡ることができます。大黒天

 

恵比寿尊

 

これは七福神ではなく森林に設置された休憩所

 

奥まったところに二の鳥居、その先には随神門、本殿と続きます。

 

狛犬と随神門。その先の本殿には立ち入ることができないため、随神門にお参りして引き返します。

 

平成二十五年に幡谷さんによって書かれた扁額

 

随神門から振り返ると正面に御神木

 

神社の裏手に広大な敷地が広がり、木の間から本殿を見ることができました

 

参道を戻ります。ところでこの神社の御祭神は七福神? それとも幡谷氏?? ネットで調べたところ祭祀は水戸の常磐神社が執り行なっているようなので徳川光圀??? よくわかりません。雰囲気的には七福神ですね。

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2日続けて霞ヶ浦からダイヤモンド大仏 2022.1.21

2022-01-22 20:14:29 | ダイヤモンド富士

普段はブログ記事をスマホで見ていますが、週末は時間があるためパソコンで閲覧することが多くなっています。今日の昼過ぎに何気なく自分のブログをパソコンで眺めたところ、昨日のアクセス数がいつもより桁違いに多くなっているので非常に驚きました。

 

昨日のランクキングは何と7位です。鉄ネタが鉄道関係のサイトで取り上げられ、閲覧数が急増して2桁の順位になることは過去に何回か経験していますが、10位を上回ったのは多分初めてです。茨城県ネタでこんなに閲覧頂けるとは、ちょっと信じられませんでした。気になるので調べてみたところ、goo blogのスタッフさんが私の記事を紹介頂いたようです。これだけ多くの皆さんに茨城県の魅力に触れて頂き、とっても嬉しいですね。これからも茨城県の記事が続きます(笑)。

さっそく、次の記事も茨城県の牛久大仏が主役です。"ダイヤモンド大仏" は2年前に使い始めた表現ですが、その当時、既にネットで見かけていたものなので造語ではないと思います。もともと富士山に沈む太陽(山梨県ではキラッと光る瞬間)がダイヤモンドのように光ることからダイヤモンド富士と呼ばれていたところ、富士山頂に沈む太陽そのものを意味するように定義が拡大。茨城県では太陽が富士山を包み込むような ”はみだし太陽"のダイヤモンド富士 となります。さらに、茨城県では太陽の方向を向いた牛久大仏の背後に太陽が沈むレアな光景を "ダイヤモンド大仏"  呼ぶようになったと理解しています。そのダイヤモンド大仏が見られた一昨日(1月20日)に荘厳な雰囲気の夕焼けを楽しみました。この感動をもう一度味わいたいと思い、友部のアパートで在宅勤務となった翌日(昨日)は夕方早めに仕事を中断し、またまた霞ヶ浦へ駆けつけました。アパートから高速(東関東自動車道(水戸線))を茨城空港北まで利用すれば45分で行方市の井上地区に到着します。ただし前日と違って、富士山と大仏様の距離が離れてしまうため、さらに於下まで南下してダイヤモンド富士を狙ったほうが良いのか悩ましいところ。まずは前日より少し南下したダイヤモンド大仏のスポットへ向かいます。

 

前日ほどではありませんが、多くのカメラマンがスタンバイ中です。30名ほど並んでいたでしょうか。この位置なら大仏と富士山の距離はそれほど離れていないので、2日続けてダイヤモンド大仏を待つことにしました。

 

前日と違い雲はほとんどありません。

 

いよいよ日没です。しかし富士山の姿が全く見えません(写真では南側稜線がちらっと写ってます)。前日よりも太陽が眩しく直視は厳しそう。カメラのファインダー越しに楽しみことにします。

 

日没直前に大仏様の頭に太陽がかかりました。

 

太陽に包まれる大仏様

 

太陽に完全に包まれました。しかし前日のような影は現れません。

 

神々しいお姿

 

肉眼でも富士山がうっすらと見え始めました

 

太陽が沈み大仏様の頭が出てきました

 

美しいお姿です

 

少しずつ南に移動して、大仏様の背後に沈む太陽を追いかけます。手持ちカメラは有利ですね。三脚抱えて走っているオジサンもいました。

 

阿弥陀如来様の背後に後光が差します。昨日のような赤く焼ける雲が無く、直球勝負の夕焼けです。

 

 

思わず手を合わせてたくなるようなお姿です

 

富士山のシルエットがはっきり浮かんできました。ぼんやり富士山の影も出ているようです。

 

コンデジで全景を撮影。茜色から黄金色、そして薄い藍色へとグラデーションが美しい霞ヶ浦です。

 

車を停めた場所まで戻ります。富士山と大仏が近づいてきました。前日はこの付近でダイヤモンド大仏を撮影しました。

2日連続のダイヤモンド大仏。雲の有無で雰囲気が大きく変わり、違った表情を楽しめました。ダイヤモンド富士も含めてこの冬の夕陽の追っかけはこれで終了とします。昨年同様、今後しばらくは大洗海岸からの朝日、できればダルマ朝日を狙ってみたいです。

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2年ぶりに拝んだ霞ヶ浦からのダイヤモンド大仏 2022.1.20

2022-01-20 20:24:47 | ダイヤモンド富士

今日は大寒。そして霞ヶ浦からダイヤモンド大仏を拝める日です。仕事をどうにかやりくりして、午後休暇を取得できました。心配なのは天気です。ライブカメラを見ると昼過ぎには富士山付近には積雲が発達中。昼前に弱い気圧の谷が抜けて上空に寒気が入ってきました。等圧線が南北に走る予想なので季節風が雲を吹き飛ばしてくれると期待します。ただし気圧の傾きの方向によっては雲が残りそうな気配で、しかも強い寒気流入の影響で快晴とはいかないでしょう。でもせっかくの機会です。会社から戻り14時過ぎに友部のアパートを出発します。途中、以前から気になっていた神社に寄ってから、霞ヶ浦のダイヤモンド富士観察ポイントへ向かいました。

 

16時20分過ぎに霞ヶ浦東岸の井上地区に到着。上空の雲もほとんど消えて青空が広がってきました。

 

観察スポットはすぐに分かりました。日没20分前というのに100mのエリアにズラリと三脚が並びます。50人以上はカメラマンがいたのではないでしょうか。密です、密です。駐車スペースも車がびっしり。まるで高尾山の山頂状態です。

 

肝心の天気は。。。富士山のシルエットがうっすらと見えています。しかし大仏様の背後の雲が気になります。

 

太陽が大仏様に近づいてきました

 

富士山の稜線が綺麗に見えてきました。もう少しです。

 

うーん。太陽は雲の向こう側。雲が邪魔かな・・・

 

大仏様の先に後光が差してきました。そして霞ヶ浦に光の帯が伸びてきました。

 

そして大仏様の影が・・・何ともありがたいお姿。

 

日本とは思えない荘厳な夕焼け。大仏様の背後の雲が赤く焼けます。

 

周囲ではシャッターの音が鳴り響きます。

 

大仏様の頭付近の雲が邪魔ですね。あまりにも眩しくて、大仏様のシルエットが不鮮明です。

 

太陽が地平線に半分近く沈むと、大仏様のシルエットが鮮明に見えるようになりました。もう少し南側へ移動すればよかったのかもしれません。

 

大仏様の背後に太陽がゆっくり沈んでいきます。

 

幻想的な阿弥陀如来のお姿~ ありがたや~ ありがたや~

 

とっても美しい夕焼けでした。肉眼でも綺麗に見えました。

 

雲があると立体感があり絵になります。2年前同様、記憶に残るダイヤモンド大仏でした。

 

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小美玉市の素鵞神社 2022.1.14

2022-01-17 19:57:51 | 茨城県

再び茨城県の話題です。記事の投稿が遅れてしまいました。先週金曜日、ダイヤモンド富士を見るために霞ヶ浦へ向かう途中、小美玉市の素鵞神社に立ち寄りました。地元の小川祇園祭りや、近年では御朱印で話題になっている神社です。今まで何度も近くを通りかかっていますが、立ち寄ったのは今回が初めてです。

 

鳥居をくぐると右手には稲荷神社。御祭神は「宇迦之御魂命」が祀られています。

 

記念碑の先にはケンポナシの大木。樹齢は二百年以上といわれており、小美玉市の天然記念物に指定されています。幹が二股に分かれている夫婦木。樹高25m、目通り幹周囲は約3.7mを誇ります。

 

鳥居を入り左手には稲田姫神社。陰神「櫛稲田姫命」が祀られています。現在の社殿は平成22年に改築されたものです。

 

石燈籠から拝殿を眺めます。享禄二年(1529年)創建、園部川に流れ着いた神像を祀ったことが始まりです。素鵞神社のHPから以下に引用します。

当神社の創建は、享禄二年(一五二九年)橋本源左衛門、孫左衛門の兄弟が園部川の河口で遊漁中、流れの中で鯉に守護される御神体を発見されたことから始まります。御神体は「吾は是牛頭天王にして陰神、陽神也。将に当所の鎮守とならん。」と神託を言い渡すと、兄弟はそれに従って町辻に御神体をお祀りし御奉仕することとなりました。

翌年、この話を聞き及んだ小川城主薗部宮内少輔が願主となって祭典を行うと、御神体は紛れもなく陰陽の二神であると悟り、陽神の素戔嗚尊を城外に、陰神の櫛稲田姫命を城内にそれぞれ丁重に社殿を造営し分祭鎮座致しました。

以降、毎年六月になると「四度のまつり」と称する四回の祭禮が城内より村中に至るまで盛大に執り行われたそうです。今もその式が残り、素鵞神社の「祇園祭」に受け継がれております。(引用終わり)

御祭神は、陽神「素戔嗚尊」、陰神「櫛稲田姫命」です。毎年夏には3日間にわたって行う祇園祭があり、町内を獅子や山車が巡り、御囃子が響き渡ります。約500年の歴史を持つ祭事で、多くの見物客で賑わそうです。

 

向かって右側には神輿舎。祇園祭礼の渡御に用いられる御神輿が納められています。屋根には鳳凰の姿が見えます。

 

祇園祭の説明です。

 

手水舎の龍。水は出ていません。

 

拝殿の左手前には、ご神木のケヤキの木。樹齢は500年以上といわれており小美玉市の天然記念物に指定されています。樹高35m、目通り幹周囲は5.9mを誇ります。枝ぶりが立派です。

 

狛犬と拝殿

 

向かって右側の阿形の狛犬

 

向かって左側の吽形の狛犬

 

拝殿の額編

 

拝殿の彫刻。立派です。拝殿は屋根の千鳥破風に加え、総唐破風造りの向拝となっています。神社建築の中でも格式の高い造りであり御神威にふさわしい風格を感じさせます。平成29年に屋根葺替修復が行われました(HPより引用)。

 

裏側に回ってみました。本殿の先には拝殿とご神木

 

隙間から本殿をのぞいてみました。明治期の改築時に伊勢神宮を尊び「神明造り」とされたといわれています。

 

本殿の裏手には、猿田彦命・九頭龍・水神の石碑。「猿田彦命」・「九頭龍神」・「水波之女命」をお祀りしています。

 

その横には秋葉神社。御祭神の「軻遇突知命」をお祀りしてます。

 

再び本殿とご神木を見上げます。

 

帰りに、書置きの御朱印を購入しました。

 

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京王線HM車運行中 2022.1.16

2022-01-16 21:39:58 | 電車

今日の午前中、近くのスーパーへ買い出しに行く途中に上椚田橋でHMを掲出した7000系準特急を目撃。まだ"迎春"のHMを付けて運用されているようです。準特急は2時間間隔で高尾線に入線するため、昼食後に再び上椚田橋で撮影してきました。予想通り7777系が狭間駅にやってきました。

 

狭間駅に停車中

 

ヘッドマークをズーム。正月に5000系ヘッドマークを2種類紹介しました。そのうち一つのシンプルなデザインと同じですが、形が異なります。5000系は楕円型で7000系はホームベース型です。

 

再び20分後に新宿行きをパチリ

 

ついでに後方の7777系も再び撮影

 

こちらは、昨夕北野駅で見かけた8000系です

 

反対側のホームから思いっきりズーム。京王ポケモンスタンプラリー開催中のようです。

 

昨日、北野駅改札口で見かけた合格祈願の掲示板を紹介しておきます。5000系のデザインが素敵でした。昨日、今日と大学共通入学テストが行われました。コロナの急激な感染拡大、東大会場での刺傷事件、トンガの海底火山噴火など落ち着かない中での開催となりました。受験シーズンはまだまだ続きます。

 

アパートのある友部駅にも友部駅合格神社がお目見え。受験生を激励する手書きのメッセージが寄せらえています。こちらでは絵馬のメッセージを募集中です。

 

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雲のヴェールに包まれたコピオ北野からのダイヤモンド富士 2022.1.15

2022-01-16 14:27:29 | ダイヤモンド富士

昨日(土曜日)は冬型の気圧配置が緩まり、朝方-5.3℃まで冷え込んだものの、日中は10.7℃まで気温上昇しました。日中は薄雲に覆われて日差しが弱く、花曇りのような一日でした。夕方になっても薄雲が取れないためダイヤモンド富士は厳しいかなと思いつつもコピオ北野で日没を待つことにしました。

富士山はクリアに見えるものの、雲のヴェールを通した太陽はぼんやりと輝いています。

 

丸くない歪な形の太陽が山頂に沈んでいきます。

 

山頂に着地。肉眼では、ぼんやりと丸く見えますが、写真ではダルマ型に映ってしまいます。

 

太陽の光が弱いため富士山頂の稜線が鮮明に見えています。ここまで沈むと太陽の輪郭がクリアになってきたのですが、写真ではぼやけたまま。

 

前日のような雪煙は無く、穏やかな日の入りです。

 

雲の表情は見ていて飽きません。

 

北側稜線に沈んでいきます。

 

八王子のサザンスカイタワーにはまだ日が当たっています。

 

日没後の富士山。前日とは異なり風も無く暖かい日の入りでした。期待ほど赤く焼けず、ぼんやりとした夕日でした。

夕方から予定があるため急いで京王高尾線で戻ります。京王片倉駅付近から見る富士山は赤く焼けた雲の中に浮かんでいます。途中下車して撮影とも考えましたが10分の遅れは致命的。単身赴任生活が続く限り、週末は時間単位で予定が入っていて、ゆっくり過ごせません。茨城県で自由な時間を満喫しているので贅沢言えませんが。。。

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トンガ諸島で火山大噴火 2022.1.15

2022-01-15 20:33:07 | 自然

日本時間の今日15日の午後13時過ぎに、トンガ諸島の火山島フンガトンガ・フンガハアパイで大規模な噴火がありました。昨日未明に大規模な噴火を起こしたばかりで、今回は昨日を上回る規模。噴煙が15000mまで到達しました。気象衛星ひまわり8号が噴火の様子をとらえていました。ひまわりの画像を引用します。

 

13時の画像には変化がありません。

 

13時20分。噴火が始まりました。

 

13時50分。灰色の噴煙がかなり拡大しました。

 

14時20分。噴煙の範囲がピークに達します。

 

14時50分。噴煙の広がりに変化はありません。日没をむかえ可視画像は暗くなってしまいます。

この噴火に伴い周辺地域に津波警報が発令されました。トンガで80cm、サモアで60cmを観測しています。日本でも若干の海面変動が予想され、津波予報が発令されています。

昨年8月に福徳岡ノ場の海底火山の噴火でも気象衛星画像で様子を見ることができました(参考)。その時は噴煙が西側に流されていましたが、今回のトンガの噴火では同心円状に広がっています。噴火の規模は福徳岡ノ場うよりも大きそうです。なお福徳岡ノ場の噴火で形成された新島は波に洗われて消滅しました。

 

(1月16日追記)

昨日想定以上の影響が太平洋沿岸に出ています。バヌアツで140cm、遠く離れたチリや日本でも1mを超える津波を観測しています。未明に奄美群島、トカラ列島、岩手県に津波警報を発表され、北海道から沖縄県にかけての太平洋側の広い範囲に津波注意報を出されています。解除のめどもたっていない状況です。海溝で発生する巨大地震ではなく海底火山の噴火によりこのような広範囲に影響が及ぶのは不思議だなと思っていたところ、気象庁の会見でも「通常の津波とは異なる」と説明がありました。

気象庁・宮岡一樹地震情報企画官の発言を報道から引用します。

「今回の潮位変化は地震に伴う、通常のものとは異なると考えている。ただし現時点でこれが津波かどうかは分かっていない」 気象庁は、潮位の変化はトンガでの大規模火山噴火によるものとしながらも「通常の津波とは異なる」との認識を示しました。 予想到達時間よりも早く潮位が変化していて、また潮位に変化があった際には気圧の上昇も観測されていました。 さらに、短い周期で潮位が上下しているということです。 気象庁の担当者は、「メカニズムが分かっておらず、警報解除の見込みは立っていない」と述べました。 津波警報は2016年11月に福島県沖で発生した地震を受けて福島県と宮城県に発表されて以来です。(引用終わり)

 

大噴火による空気振動が影響しているのではないかという推測もあるようです。噴火の規模は想定以上で、爆発音は2300キロ離れたニュージーランドでも聞こえ、500キロ離れたフィジーでは大きな雷鳴のように聞こえたと報道されています。海底火山の噴火としては過去最大規模ではないかという推測も出ています。

気象衛星の観測により、噴煙は最大2万メートル(20キロ)、半径260キロにも広がっているそうです。1991年のピナトゥボ火山の噴火に似ているとの指摘もあって、噴火規模を0~8で示す火山爆発指数(VEI)も同じ6程度の可能性があるとの予測です。ピナトゥボ火山の噴火では火山灰が成層圏に達し、太陽の光が遮られて世界的に気温が下がました。数年後には日本で記録的冷夏となり、タイ米を緊急輸入したことが記憶によみがえります。今回の噴火も世界規模の気象に影響を及ぼさないか懸念されます。それから大量に発生したと思われる噴石の影響も心配です。

 

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霞ヶ浦手賀からのダイヤモンド富士 2022.1.14

2022-01-15 14:52:14 | ダイヤモンド富士

昨日は冬型の気圧配置が強まり、関東地方の上空には一時的に強い寒気が南下しました。そのため朝から冷たい季節風が吹き日中も6~7℃と寒い一日となりました。等圧線が縦に走るときは富士山方面も快晴のことが多く、絶好のダイヤモンド富士日和です。昨日は茨城県での在宅勤務なのでフレキシブルに時間が使えます。早速15時に仕事を切り上げ、小美玉市の素鵞神社に寄ってから霞ヶ浦へ向かいます。

 

昨日のダイヤモンド富士の観察ポイントは東岸の手賀地区です。西から冷たい筑波おろしが容赦なく吹き付け、立っているのが困難なほどの寒さ。こんなに風の強い霞ヶ浦は初めてです。昨日の土浦の最大瞬間風速は西の風15.4m/sでしたが、湖面を吹き渡る強風はそれ以上かもしれません。普段は穏やかな水面を見せる霞ヶ浦も白波がたっていました。

ダイヤモンド富士を狙うカメラマンは20名ほど。三脚を立ててスタンバイする人は少なく、あまりにも風が強いため皆さん車の中で待機しているようです。

 

まもなく日没を迎えます。太陽は非常に眩しく、富士山の姿はまだ確認できません。霞ヶ浦の対岸までの距離があるため、手賀地区から見る富士山は裾野から見えるはずです。写真の左には牛久大仏が見えています。そろそろカメラマンの皆さんも準備を始めたようなので、邪魔にならないように湖畔に降りて日の入りを待ちます。

 

ようやく富士山の姿。肉眼でもうっすらと富士山のスカイラインが見えています。

 

山頂にかかりました

 

大きなダイヤモンド富士

 

ほぼ真ん中に着地です

 

トリミング+画像処理してみました (RAWデータは使ってません)。肉眼で見る姿とはだいぶ異なりかなり不自然・・・

 

富士山頂の南側には雪煙が舞っているようです

 

ゆっくりと北側に沈み始めます

 

茨城県ならではのスケールの大きいダイヤモンド富士です

 

南斜面の雪煙が輝き始めました

 

荒々しい姿です

 

期待通り富士山の影が現れました

 

沈みそうでなかなか沈まない太陽

 

最後の輝きです。太陽が山頂に着地してから沈み終わるまで数分かかりました。一方、八王子から見る日没は一瞬で終わってしまいます。

 

波荒い霞ヶ浦と日没後の富士山。富士山の南側に見える山のピークは丹沢の蛭が岳でしょうか。

 

少しひいて牛久大仏を入れてみました。大仏は富士山に背を向けています(笑)。大仏の正面に富士山がやってくるのは来週後半です。

 

富士山の影がとても長く伸びていました

 

少し湖畔を散策します

 

富士山と大仏が重なる場所まで歩いてみるつもりでしたが風の強さと寒さのために引き換えしました。来週は午後休暇、あるいは在宅勤務+早帰りが可能であれば、ダイヤモンド大仏を狙ってみたいです。

 

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今年初めての登山は高尾山 2022.1.9

2022-01-10 16:57:45 | 高尾山・陣馬山

昨日は正月以来続いた寒さも一段落。八王子では最低気温-4.1℃と冷え込みましたが、日中は12.6℃と3月並みの陽気となりました。天気も良さそうなので、さっそく奥さんと2人で高尾山へ初詣へ行ってきました。清滝駅前から妙音橋経由で霞台に登り、まずはトクトクブックにスタンプを押します。その後1号路で薬王院に参拝して山頂へ。富士山の眺望を楽しみ昼食休憩をしてから富士道経由で薬王院へ下り、霞台から妙音橋経由で下るルートです。

 

清滝駅前の様子。先日の雪は高尾山方面ではほとんど積もらず、心配された路面凍結はそれほどでもありません。

 

 

寅の絵が掲げられています

 

妙音橋までは日陰のために凍結の道が続きますが、病院脇から霞台にかけては人も少なく、気持ちの良い登山気分を味わえます。

 

十一丁目茶屋脇の展望台に到着。南には相模湾が光って見えています。

 

逆光にもかかわらず江ノ島、三浦半島の先端、房総半島の先端(洲崎方面)がうっすらと見えています。

 

ケーブル高尾山駅のスタンプ台でトクトクブックに1月号のスタンプを押します。何故ウサギなんだろう。来年の干支?気が早すぎるような・・・

 

せっかく来たので展望塔に登り景色を楽しむことにしました

 

眼下に八王子の街並み。遠くに副都心から東京スカイツリーを遠望

 

霞みの中に浮かぶ東京スカイツリーや新宿のビル群をズーム

 

北東には筑波山、加波山が見えています

 

筑波山と加波山をズーム

 

北側にはうっすらと冠雪の日光連山が見えていました。中央は男体山、左に太郎山、右に大真名子山、帝釈山と女峰山

 

北西には北高尾山稜の先に奥多摩の山並み。右から大岳山、御前山、雲取山、飛龍山と連なります。これらの山は全く冠雪していません。

 

薬王院へ向かう途中、浄心門手前の切り株です。宝船に乗った寅の七福神が可愛い・・

 

薬王院の仁王門へ向かいます。大勢の方が初詣に来ています。

 

御本堂に参拝。薬王院でお参りしてから1号路を登り、高尾山頂へ向かいます。

 

高尾山頂に到着。丹沢の峰々と富士山、そして青空に浮かぶ飛行機雲。天気はゆっくり下り坂のようです。

 

富士山の北には三つ峠と滝子山。その間に冠雪の南アルプスを遠望します。

 

冠雪の富士山

 

南アルプスをズーム。左から蝙蝠岳、塩見岳、広河内岳から農鳥岳と白銀の峰々が連なります。

 

12時を過ぎたため、山頂近くのやまびこ茶屋で休憩とします

 

ここで、名物カレーライスを初めて食べました(奥さんも同じ)

 

昼食後は富士道経由で薬王院へ下ります。有喜閣南の日当たりの良い斜面では紅梅が咲いていました。

 

薬王院参道に合流。すぐ左手で見かけた眼力せんべい。前からあったかなぁ・・・

 

うん? 十穀力団子の看板が目に入ってきました。十種の具を使った天狗(十具)の力団子。大麦、黒米、もちきび、もちあわ、黒豆、緑豆、小豆、黒ごま、アマランサス、上新粉で十穀。奥さんと相談して食べてみることにしました。

 

くるみ入りの田楽みそ焼きたれと、少し甘めの十穀力団子の相性は抜群でした。

お腹いっぱいになり、霞台から妙音橋へ下ります。休憩含めて往復3時間30分の散策でした。

 

行きと帰りに清滝駅で見かけたケーブルカーのヘッドマークを紹介します。こちらはもみじ号に掲出されている「開運号」

 

あおば号の「迎光号」。こちらは昨年末にも見かけました。

この3連休は寒さが緩みました。今日は終日雲が多く、朝は久しぶりにプラスの気温で冬日から解放されました。天気はゆっくり坂。連休明けの明日は雨の1日となりそうです。今夜は再び茨城県へ戻ります。

 

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緑町霊園のダイヤモンド富士 2022.1.8

2022-01-10 09:25:54 | ダイヤモンド富士

3連休初日は穏やかな一日となりました。八王子では最低気温-4.7℃。最高気温9.6℃と日中は平年以上の暖かさです。高尾周辺では先日の雪はほとんど積もらなかった様子ですが、日陰には残雪が凍りついています。午前中は快晴でしたが、午後から道志方面に雲が出てきてダイヤモンド富士は厳しそう。あきらめかけていたところ、15時30分を過ぎて西の空が再び明るくなってきました。そこでわずかな可能性にかけて緑町霊園へ行ってみることにしました。山田駅から歩いて10分。現地に到着しました。大きな太陽を狙い墓地の北側の見晴らしの良い場所で日の入りを待ちます。

西の空を見ると、丹沢方面は雲に覆われています。富士山の方向は雲が少なそうです。太陽は眩しくありませんが、富士山の姿は全く見えません。

 

太陽の下側に山頂のシルエットが浮かんできました。しかし富士山の稜線は全く見えません。

 

山頂に着地しました

 

 

 

 

北側稜線に沈んでいきます。もう少し南側で観察すればキャツアイになったことでしょう

 

富士山の影が伸びてきました

 

雲は思ったほど焼けません

 

最後の輝き

 

雲も焼けず、富士山の影だけが目立つメリハリの無い夕焼けでした。

 

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常陸國總社宮へ初詣 2022.1.7

2022-01-09 08:54:12 | 茨城県

一昨日の夕方、早めに在宅勤務を切り上げて石岡市に鎮座する常陸國總社宮へ初詣に行ってきました。石岡は友部から普通列車で3駅、自動車で30分と近くに位置します。茨城県に単身赴任して8年目に入りますが、近くを車で通りかかることは度々あるものの、ここを訪れるのは初めて。以前から一度訪れてみたいと思っていた神社です。友部のアパートからは国道355号を20kmほど南下、東の方向でいえば大洗海岸に相当する近さです。石岡方面まで南下すると前日の降雪がかなり残っていて、日影はアイスバーン状態。慎重な運転で近くの駐車場に到着しました。貫禄と歴史を感じる總社神社の参道入口です。

 

社号標は「常陸總社宮」です

 

表参道の大鳥居です。この参道は大正の御造営の際に整備され、この一の鳥居は稲田産の花崗岩を汽車で運んで工事を行い、大正4年に竣功しました。参道には灯籠が並び、黄色い提灯が掲げられています。

 

迫力ある謹賀新年の文字

 

石岡は常陸國の中心だったのです。常陸國總社宮についてHPより引用します。

約1300年前の7世紀、現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。広大で海山の幸に恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とされ、常世の国とも称される憧れの聖地でした。

常陸国の中心地である国府があった場所が旧茨城郡、現在の石岡市です。茨城の県名はここに由来します。国府の長官である国司が執務した国衙跡の遺跡は近年の大規模発掘に伴い国指定史跡に登録されました。

国衙の南側にかつて倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)が腰掛けたと伝わる「神石」があります。日本百名山の一つ「筑波山」、日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸国総社宮です。

総社とは、それぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一ヶ所に合祀した神社であり、全国で55社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。(引用終わり)

 

 

随神門手前の手水舎

 

手水舎に花を浮かべた花手水

 

よく見ると、可愛らしい福寅が飾られています

 

随神門の入口にも謹賀新年の看板。大鳥居前と同じデザインです。

 

随身門と随身像の説明。随身門についてHPから引用します。

天正16年頃、佐竹義宣らの常陸府中攻めにより当宮は石岡市谷向に一時遷座したと伝わります。随神門は本殿と同じ寛永4年(1627年)頃に造営された境内最古の建造物の一つで、遷座時の仮宮の木材を用いたと言われます。門内には石岡市指定文化財の「随神像」一対が置かれています。

 

随身門をくぐると、右手に境内社が並んでいます。食物の神「香丸稲荷神社」と星の神「星宮神社」

 

隣には、火防の神「愛宕神社」と水の神「厳島神社」

 

縁結と藍染の神「愛染神社」と酒造の神「松尾神社」

 

絵馬奉納所へと続きます

 

本武尊 腰掛石の前に、常陸圀總社宮と手塚治虫のコラボによる火の鳥のパネルが展示されています。

 

日本武尊 腰掛石です。第12代景行天皇の王子・ヤマトタケルノミコトは当地で編纂された『常陸国風土記』で「倭武天皇」と記され特別視された存在。ミコトは東征の途中、この石に腰かけられたと伝わります。当宮を造営する際に建造地選定の決め手になったのもこの神石だと言われています(HPより引用)。

 

拝殿横のおみくじ結び所に寅が出現

 

マスクを付けた寅。タイガーマスクですね(笑)

 

火の鳥のパネルの先にはご神木がそびえます。ご神木は茨城県巨樹老木誌に収録された県下第一の大クスノキです。樹齢約600年、樹高約17m、樹周約4mに及びます。昭和39年に発生した火災によって類焼したものの、幹の周囲から次第に蘇生して現在も力強い生命を保っています。

 

拝殿です。昭和39年に参拝者の失火で焼失した茅葺の拝殿に代わり、昭和60年に復興奉賛会により新造されました。

 

向かって右側の狛犬(阿形)

 

左側の狛犬(吽形)

 

拝殿の扁額

 

拝殿の裏手には本殿。本殿は寛永4年に時の領主・皆川山城守の命で建造された境内最古かつ最重要の建造物。三間社流造で銅板葺き。各所に十六菊花紋があしらわれています。石岡市の有形文化財に指定されています。

 

拝殿に隣接する神楽殿では大神輿が展示されていました。石岡まつりでは渡御するそうです。

 

社務所の前の様子です

 

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せっかくなので、正月限定の御朱印(書置き)を500円で購入しました。令和四年の干支は壬寅(みずのえとら)。寅年にちなみ、常陸国にある「虎塚古墳」の壁画をイメージした御朱印です。HPより引用します。

ひたちなか市中根にある前方後円墳「虎塚古墳」は、七世紀初め、約千四百年前に造営されたと考えられています。石室内に残された彩色壁画は、同時期、同時代では他に類例のない珍しいものです。赤色の顔料はベンガラ(酸化第二鉄)で連続三角紋や環状紋などが描かれています。当宮ではこの壁画に着想を得て御朱印の図案と致しました。(引用終わり)

 

御朱印を購入後、随身門を出て鳥居へ戻ります。

 

初詣を終えて鳥居に戻ってきました。

この後、霞ヶ浦へ向かいダイヤモンド富士観察としました(記事UP済)。

 

 

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笠間稲荷神社へ初詣 2022.1.7

2022-01-09 08:50:15 | 茨城県

一昨日は友部のアパートでの在宅勤務でした。午前中は雪が凍結して車での外出は不可能でした。もちろん大洗海岸での日の出も断念です。昼近くになり道路の雪はほとんど融けたため、昼休みの休憩時間を利用して笠間稲荷神社へ出かけてきました。正月三が日は大勢の参拝客が訪れたようですが、七草の日となると閑散としています。

大鳥居をくぐります。鳥居に飾られる稲わらの大しめ縄は昨年末に新調されたそうです。

 

参道の招き狐たちは雪をかぶっています

 

右手に手水舎

 

楼門です。謹賀新年の文字がやたらと大きい!

 

 

楼門脇には正月らしい絵が掲げられていました

 

拝殿前には大きな仮設の賽銭箱が設置されています。

 

拝殿右手には謹賀新年と書かれた大きな看板。招き虎が可愛いい

 

帰りに聖徳殿にもお参り。ここには聖徳太子がお祀りされています。大黒天(大国主大神)、事比羅社(大物主大神)も合殿にてお祀りされているので、水郷・筑波国定公園の「日本で一番長い巡路を持つ七福神詣」の大黒天の霊場として訪れる人もいるようです。

昼休みは昼食入れて1時間しかありません。時間が残り少なくなってきたため、ここで引き返します。夕方には早めに仕事を切り上げて、石岡の常陸国総社宮にも初詣に出かけることにしました(続く)

 

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