ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

牛に願いを

2007-08-15 15:18:25 | ドラマ・ワイドショー

 牛に願いを 

今回は芦崎ファームのお母さんが亡くなるお話です。

もともと心臓が悪かったお母さん・・でも手術には500万もかかる。

牧場を売って何とかお金の工面をしたいと思う勝也。

でも・・そんな事を言っている間になくなってしまうのです

 

昔昔、あるところにかまぼこやの長男がいました。

長男は競馬が大好き。看板娘のふきちゃんは器量がよくて

プロポーションが抜群。

ある日、長男にだまされてふきちゃんは北海道で馬牧場を

やることになりました」

淡々と語られる芦崎家の歴史・・・

満天の星の下で、お母さんが息子に語る姿がいじらしかったです。

 

しかしっ

実習の話だったのに、何だか方向が違ってきたような?

そりゃあ、北海道の酪農家の現実を語る事も大事だし・・・でも

我が家のジュニアが「タイトルが『牛に願いを』なのに、何で馬が出て来るの?」

なんてへんてこりんな疑問を呈したように・・・

ちょっと変わってきたかもね。

今回は玉山君もあまり活躍の場がなかったし。

次週も、この話を引きずりそうな雰囲気・・・・どうなりますか。

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終戦記念日

2007-08-15 14:03:57 | つれづれ日記

 今日は終戦記念日です。

閣僚が誰も靖国神社に参拝しないと言っている中で、小泉さんだけは

参拝したのかな・・・・

わりと信念の人だったのねーーあの人は。

NHKスペシャルの「A級戦犯はこうして選ばれた」を見ましたけど

私はあの裁判の結果は理不尽に感じましたけどね・・・・

「領土拡大を狙っていたのか」と問われて「そうではない」と答えると

「質問に答えてない」って言われるの・・・あれじゃ誘導尋問じゃない?

最初から「死刑」ありきの裁判だったわけか

南京大虐殺をやたらしつこく追及する所も何だか納得行かないです。

あの頃は情報がなかったからしょうがないけど、今、検証されて、あれは

捏造であったと言われているのに・・・・

じゃあ、アメリカが原爆を落とした事は罪にならないの?

広島も長崎も核実験の道具にされたのに。

ソ連がいきなり入ってきた事は・・・・

「勝てば官軍」なのかーーとがっくりきちゃいました

NHKさんもかなり左がかっているし・・・何もそこまで言わなくてもと

ナレーションに噛み付きたい気持はありましたよ。

 

 うちの舅も姑も昭和10年と11年生まれ。岩手や福島で生まれて

育ちました。終戦時は10歳たらずの子供

墨塗り教科書などは記憶があるようですが、身内が戦争で死んだとか

空襲で被害を受けたという記憶はありません

元々貧しい場所で暮らしていましたから、戦前も戦後もそう変わらなかった

みたいです。

よくこの世代が感じる「戦前と戦後の価値観の豹変に対する不信感」という

のもあまりなくて・・・ただ、教育に対するポリシーもないなーーと感じる

程度です

戦前の「教育勅語」も覚えていなければ戦後の民主主義も浸透していない

中途半端な世代っていうんでしょうか・・・

高度経済成長の波に乗って、ひたすら自分が頑張ってはたらけば

何とかなる・・みたいな感じかなーー

 

 一方、私の亡くなった両親は大正4年と6年の生まれ。

大正デモクラシーと共に、豊かさを享受した世代です。でも父は日華事変で

徴兵されて中国大陸で左足首を被弾。傷痍軍人になりました。

母も台湾にいて空襲を経験しているようでした。

父は太平洋戦争末期に台湾の軍需工場に徴用されて、わりといい地位

にいたようです。母は生まれも育ちも台湾で教師一家に育ったので、

生活は中流・・でもプライドは高い・・そんな人でした。

兄弟や親戚がどんどん兵隊に取られ、戦後の引き上げの苦労も知っている

世代です。

そういう両親に育てられた私ですので、絶対に舅達と気があうわけないのね。

 

両親は8月15日になると、必ず私を呼んで黙祷を捧げていました。

多分、私に「戦争を忘れてはいけない」と教えたかったのではないでしょうか。

経験した人にしかわからない戦争に対する考え方があったようです。

二人はよく戦前の軍部の圧力や政治的な話もしていましたけど、残念ながら

小さかった私にはちんぷんかんぷん

覚えているのは、

大陸で被弾した時、馬が自分を背中に乗せて奇跡的に陣地に帰って

くれた。もしそれがなかったら死んでいた」

「軍部の横暴さは枚挙にいとまがない」

「陛下は悪くない。悪いのは軍部」

「戦争に負けてよかった。もし勝っていたら日本はもっともっととんでも

ない方向に進んでいたかもしれない」

そんなところでしょうか。

 

もう少し私が大きかったら色々話を聞けたのに・・・と思います。

私にとって8月15日は、亡くなった両親が静かに黙祷を捧げていた事を

思い出す日なのです。

コメント (2)
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