ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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皇后陛下 60歳に  2

2023-12-09 09:39:00 | 皇室報道

日本国内にあっては、南海トラフ地震や首都直下地震などの発生が今後心配される中、関東大震災からちょうど100年に当たった今年、防災や減災についてのさまざまな啓発活動が行われていたことを心強く感じました。

他方で、今年も国内のさまざまな所で地震や大雨、台風などによる自然災害が起こり、残念なことでした。亡くなられた方々とそのご遺族に心から哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えいたします。

 このように、心の痛むことも多い昨今ですが、同時に、若い人々を含め、社会のいろいろなところで、助けを必要としている人々やより良い世の中のためにさまざまな活動を地道に続けている方もたくさんおられ、頼もしく思うとともに、そのような方々の善意や創意工夫に感心し、励まされることが度々あります。

昨年から私たちの地方への訪問が再開されましたが、6月に全国植樹祭に出席するために訪れた岩手県の陸前高田市や大船渡市、釜石市では、被災地の皆さんが、幾多の困難を抱えながらもたゆみない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。

被災地が今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、引き続き被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにいたしました。

 皇后にとって「被災地」は東北以外にはないんだなと思いました。

 9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。

また、行く先々で、多くの方に温かく迎えていただいたこともうれしく、それぞれの場所でいろいろな方のお話を直接伺えたことも有り難いことでした。

6月には、天皇陛下とご一緒に、令和になって初めて国賓としてインドネシアを訪問いたしました。

久々の海外への親善訪問で、滞在期間も国内で地方を訪問する時よりも長かったこともあり、当初は不安もありましたが、多くの方に温かく迎えていただき、お陰様で、貴重な経験に満ちた思い出に残る初めてのインドネシア滞在となりました。

大統領ご夫妻には、ボゴール宮殿において歓迎行事や午さん会を催していただいたほか、大統領には、ご自身の運転されるカートで植物園をご案内いただき、また、ご夫人にはインドネシアの伝統文化をご紹介いただくなど、温かいおもてなしを頂き、楽しいひとときをご一緒させていただいたことが有り難く、とても良い思い出になりました。

また、若い人々を含め、インドネシアの人々との現地での交流を通じて、インドネシアの人々の心の温かさや優しさ、そして、日本の人々や文化に対して抱いてくれている敬いや親しみの気持ちを肌で感じ、日本とインドネシアの間で長年にわたって培われてきた友好の輪の広がりを実感することができました。

 いやいや、インドネシアでかなり大失敗をやらかしている事を忘れてはいけない。

国賓だったのに格下げされて、午餐会になり、陛下はへんな場所ばかり見学し、皇后は半分はホテルに籠ってましたよね。その事実は変わりませんから。

あなたにとっては「たのしいひととき」だったかもしれませんが、あちらからすれば「面倒な客」以外になかった。

会見だって天皇と大統領のみで皇后はろうけつ染め体験したり、あちら伝統の生地をまとったり、まるで子供のおもてなしのよう。

さらに大統領が飼っているアロワナに「あなたがエサを?」とため口で言い、結果的に「差し上げましょう」と言われる始末でした。

なんら国益のないインドネシア訪問でした。

また、国内においては遅刻は勿論(そう言えば、復活した園遊会には触れないのね)

ドタ出ばかり繰り返し、気が付けば鑑賞が公務になってました。

 

幸いにして、今年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、4年ぶりに栃木県の御料牧場や那須御用邸で静養する機会にも恵まれました。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心安らぐ日々を過ごすことができたことはうれしいことでした。

 国民との間をプランターで仕切るという暴挙。そしてそのプランターにけつまづいたこと。さらに貰ってはいけないプレゼントを気軽に受け取ってしまったこと。陛下が公務で帰京、その後、トンボ返りをさせるという無茶をやってのけたこと。

本当に好き勝手しているなという印象でした。

 

 今年は、私たちにとりまして、結婚30年の節目の年でもありました。

この30年の間のことを思い起こしますと、上皇上皇后両陛下の温かいお導きの下で、天皇陛下に常に優しくお支えいただき、また、ほかにも多くの方々に助けられ、見守っていただきながら、今日の日を迎えることができましたことに心から感謝しております。

今年は、記念の展覧会なども思いがけず開催していただき、多くの方にお祝いいただいたことはうれしく、有り難いことでした

 え?雅子さんは「人権侵害を受けていた」んじゃなかった?

この30年の月日の中で、2年前に愛子が無事に成年を迎えることができました時には安堵すると同時に、たくさんの方にお祝いいただいたことを心から有り難く思いました。

お陰様で、愛子はこの4月から大学4年生に進級し、対面での授業を受けるために大学に通い始めましたが、先生方やお友達とも一緒にとても楽しそうに学生生活を送っています。今は卒業論文の提出が間近に迫って忙しそうにしていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。

まだあどけないところも残る愛子ではありますが、いろいろな時に私たちを助けてくれるようにもなってきたと感じます。

 「あどけない」という言葉を22歳の娘に使う事・・・カミングアウトですか?

20歳を迎えた娘にティアラ等一式をそろえる事もせず、国民に責任転嫁しました。

「あどけない」愛子さんは人前に出せない状態なのでは?

 今回、還暦という節目の誕生日を迎えることに信じられないような気持ちがいたしますが、この機会に、これまでの60年の人生を改めて振り返り、この世に生を受けてから私を慈しみ育ててくれた両親をはじめ、家族や友人、先生方、そして今までお世話になった全ての方に深く感謝いたします。

また、日ごろより国民の皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めまして心からの御礼をお伝えしたいと思います。

これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができればと思っております。

来る年が、我が国、そして世界の人々にとって、明るい希望を持って進んでいくことのできるより良い年となることを願いつつ、国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができますよう努力してまいりたいと思います。

 60年の歩みを振り返ったら、何が出てくるんでしょうね。

正直、歳をとるに従って人相が悪くなっていく雅子さんは、上皇后とよく似ています。

柔和、優しさ、気品がなくて、上から目線、権力志向、自分が一番というのが顔に現れていますよね。

でも気の毒な女性でもあります。

普通なら、孫がいてもおかしくない年齢であるにも関わらず、まだ22歳の娘の付き添いをしなくてはならない身の上です。

実際問題「私達が死んだらこの娘はどうやっていきていくのか」と思っているでしょう。

天皇にまで祀り上げれば、回りが何とかしてくれるとても思っているのか、あるいは自分達より若い「介護者」探しで婿を探しているのかわかりませんけど。

娘というのは成長するに従って母の味方になっていくし、服とか化粧品などを母に教えてくれたり「こうした方がいいよ」なんて話で盛り上がったりする存在です。

紀子様の最近の服装は佳子様の影響を大きく受けている気がしますし、佳子様もまた母をリスペクトしています。

だけど雅子さんと愛子さんの間には、何のリスペクトもなく、両親が一方的に娘に与えるばかり。そして何とか娘が「普通」なんだと世間に主張して終わりたい。それだけなんですね。

「普通」ならまだしも「超優秀」とか言い出すから、ひっこみがつかなくなって、もはや公式の場には出せなくなった。

園遊会も午餐会も、伊勢神宮への参拝すら一人では出来ないお嬢様です。

かといって両親がのこのこついていくわけにもいかず、ジレンマに陥っているのでは。

 

どんなに権力を誇示して見せても、夫はもう心はここにあらずという感じですし、娘も少しも労わってくれないでしょう。

そういう風に育てた報いと言えば簡単ですけど、それでも体面を保ち続けようと一生懸命にマスコミに「ご優秀」伝説を書かせる。非常に悲しい母ですね。

雅子さんの人相がみるみる内に悪相になって行ってるのは、常に頭の片隅で「どうやったら誤魔化せるか」「どうやったら損をしないか」と考えているせいではないでしょうか。

今時還暦ごときでは老人とは呼べませんが、ハイヒールで歩く時のよたよた感に、「ああ、この人、ちっとも体を大事にしていないな」という事がわかります。

いずれ早晩、両陛下ともにボケちゃうかもしれませんね。

その時がある意味、一番幸せなのかもしれません。

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皇后陛下 60歳に  1

2023-12-09 09:10:26 | 皇室報道

 皇后陛下 誕生日おめでとうございます 

「お誕生日全文」

ちょうど10年前の今日、50歳の誕生日を迎えるに当たり、それまで半世紀を生きてきたことを思い、「不思議な感慨に包まれます」と感想をつづりましてから、いつの間にか10年の月日がたちました。

 光陰矢のごとしと申しますが、この10年はあっという間に過ぎたようでもありながら、以前には予期していなかったようなさまざまな出来事や社会の変化のあった10年でもあったように感じます。

 皇后陛下の数字感覚ってものすごく独特ですよね。なぜかいきなり10年前の感想が出てきたり。

その10年前の少し前には、未曽有の被害をもたらした東日本大震災により、大変に多くの方々が犠牲になられ、また、被災されました。

30年前に私が皇室に入りましてから時をあまり経ずして起きた阪神淡路大震災とともに、このことは大きな衝撃と深い悲しみを持って受け止めなくてはならない現実でした。

その後も、7年前の熊本地震のほか、台風や豪雨などの自然災害により、我が国は度々大きな災いに見舞われてきましたが、その度に、その時々の厳しい状況の中で人々が力を合わせ、手を取り合って、助け合いながら、悲しみを乗り越え、苦難に立ち向かおうとする姿にどれほどの感銘を受けたことでしょう。

そのようなときに、国内各地、そして海外のたくさんの方から届いた温かい支援や善意も心から有り難く感じるものでした。

 「受け止めなくてはならない現実」という言い方が他人事で、確かにあの時、震災があっても中東へ行った気持ちがわかるような気がします。

 熊本地震は記憶にあっても、新潟地震は記憶にないのかな、だからあの時、静養を強行したのかなと思ったり。結局熊本にも未だ行ってないわけですし。言葉と行動が真逆な気がします。

 

4年近く前には、にわかに新型コロナウイルス感染症の猛威にさらされることになりました。

我が国を含め、世界中で多くの人々が重い病に倒れ、亡くなっていくという、日々の報道を見るのがつらい毎日でした。

そのような中にあって、人々の命を救うために、医療や保健などの分野で日夜懸命に力を尽くされた方々の献身に改めて深く感謝いたします。

国民の皆さんの協力も相まって、その後さまざまな努力が実り、この感染症の問題が少しずつ落ち着きを見せるとともに、街にも活気が戻り、多くの人が徐々に日常の生活を取り戻してきていることに安堵(あんど)しています。

その一方で、今なおさまざまな困難を抱えている人も多く、身の上を案じています。

 とはいいつつ、自分達は皇居を出ず、娘も学校に行かせず、マスクをずっとしている当たり、「コロナ禍→平常」への気持ちの移行がきちんと出来ていないのではないかと思います。コロナ禍では公務なしで親子でずっと皇居に引きこもり、秋篠宮家のように医療機関に手作りの防護服をプレゼントするわけでもなく。

 自分達だけは絶対にコロナにかからないぞという強い意志は見えましたけど。

世界に目を向けますと、戦争や紛争により、各地で子どもを含む多くの人の命が失われていることに大変心が痛みます。

そして、現在、国際社会の中で、分断と対立が深まってきているのではないかということが気に掛かります。

平和な世界を築いていくために、人々が対話を通して相手の置かれている状況を理解しようと努め、互いを尊重し合いながら協力していくことがいかに大切かを改めて感じます。

 世界ではまた、今年も地震や水害などの大規模な災害が起きました。

トルコ、シリア、モロッコ、アフガニスタンでは、大きな地震が発生し、多くの人が亡くなったり、負傷したり、家を失い避難生活を余儀なくされたりしています。

大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害も世界各地で多発しています。

気候変動など地球規模の環境問題は、私たちが協力し合いながら真剣に取り組まなければならない喫緊の課題の一つであると考えます。

 新潟地震を吹っ飛ばすわりにはよその国の地震の事はよく覚えていらして。

まるで政治家のようなおっしゃり方。

そして天皇陛下のお誕生日文書と文体がそっくり。

 

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遺族がモンスター化して歌劇団を潰そうと?1

2023-12-08 07:00:00 | 宝塚コラム

まず「ふぶきの部屋」の立場を明確にしておきます。

私は有愛きいを「被災者」とは認めておりません。

愚かにも自ら死を選んだ若い娘ととらえます。

また、「人一人が死んだのに」といかにも正しい事を言ってるかのようにして、宙組生のみならず宝塚の生徒全体への誹謗中傷は許せないし、週刊誌が実名を挙げてそれをした事は「犯罪」にあたると思っています。

そして、その情報をリークしたのは、有愛きいの母、もしくは家族とみています。

もし、「亡くなった人に対して冷たい」と思うのでしたらこのブログを読まずに、コメントもしないで下さい。

こちらが反論しないのをいい事に、投げつけるような中傷の数々。

「真実を述べること」と中傷をする事は全く違います。その違いが判らない人は、私のブログを読む必要はないし、また説教まがいのコメントもお断りします。

目に余る時は出る所に出ます。

12月7日に遺族側弁護士が述べた事は「15のパワハラ」を開示した事。

そして事の経緯を詳しく述べています。

 劇団あてに意見書を提出した。12月5日付。6日までに代理人の方に送達

 送達先は阪急グループ。劇団代理人あて

 写しにはマスキングしている部分。

 意見書に添付して証拠を提出。劇団側は貰っていないと言っていたので再度整理して提出した。

新たに発見した証拠も提出。具体的な氏名が登場する生々しいものなのでマスキングを多くした。

 最大の焦点は、劇団幹部、宙組上級生によるパワハラ行為による存否

 遺族側は主として15あると考えている。

 時期的には3段階あり、第一段階として2021年3月14日。

上級生・天彩峰里が、有愛が断ったにも関わらず、ヘアアイロンで有愛の髪を巻き、やけどを負わせたという事実。

証拠の1ページ 有愛と母のLINE

前髪、天彩峰里に巻かれてヤケドさされた。茶色になってる。私、デコ最悪。薬貰って塗ってるけど、芝居の通しが痛かった

人の巻けないとかいいつつ、失敗で結局私が巻いたし、わざとな気がする。あとならんかな」

母親の返答は個人名が沢山出てくるのでマスキング。

「わざとな気がする」「芝居の通しが痛かった」

 やけどの程度。(おでこの写真)事件発生後、一ヶ月以上たって、東京公演が終了したのちに、有愛の写真が撮られた。その時の写真。黒く後が残っている。

 傷の程度の問題 → 皮膚科の医師とのやりとり。

8月18日に東京に移動。知り合いの皮膚科の医師に連絡して、薬を東京宝塚劇場に送って貰うように頼む。

医師はヤケドの状態を聞いて「なるべくガーゼで覆ってください。お湯で洗浄しない様に」の注意書きを与える。

医師は「関西から東京に薬を送ると時間がかかるから、東京宝塚劇場の医務室で薬を貰った方がいいのでは」とアドバイス。そのようにした。

劇場ナースは「やけどの後は残らない。大したやけどではない」と証言。調査委員会はそれを採用した。

 遺族側の主張  ・この証言の採用は信用できない。

        ・ナースがやけどの程度を判断できるわけない

        ・診療行為を下なら医師法違反

        ・やけどの件は、それをさせた側の「悪質度」を計るものなので重要

弁護士に言わせると「2度のやけどに分類される」と推定。

母親 「皮膚が3センチもめくりあがった」と調査委員会3名の前で述べた

こんなにリアルに述べているのに調査チームに一蹴されてしまった → 怒り

 やけどの件について真摯な謝罪がなかった。

有愛はわざと天彩峰里にやけどをさせられたと受け止めている

 上級生が自白しない限り、真相はわからない。そこは本質的な問題ではない

 調査委員会・・・故意があったかなかったかわからない→パワハラ認定出来ない

 遺族側の主張・・・ (ヘアアイロン)あんな危険なものを使って、本人が自分でやると言っているのにわざわざ巻いてあげると言って、過失で怪我を負わせたこと自体パワハラ

しかも謝罪してないから許せない。

他にも天彩峰里はパワハラを行っている。

 つけまつげは通常1枚か2枚なのに5枚もつけろと指示

 劇団の診療録の中に看過しがたい事実。2021年9月27日の診療録。

「プロデューサーから新人公演のダメ出しで、上級生に老けて見えるとか、人格否定の言葉を浴びせられたようだ」

プロデューサーが、看護師に対して「有愛は上級生から人格否定のような事を言われている」と報告したということ。

 有愛はヘアアイロン事件のせいで9月中旬から休演

 ヘアアイロン事件は週刊文春によって発覚し大事になった。

劇団は「誰がリークしたのか」と犯人を捜し、「故意ではなかった」と判断。

 遺族側の主張

ヘアアイロン事件のせいで有愛は心を病んで休演しているのだから、普通なら上級生は謝って労わるべきではなかったのか」

 

 劇団は故意ではないのに誰が漏らしたのかという事で、有愛に対する詰問が始まった。

 第三会議室で詰問され、その後、宙組生に囲まれて言われ、過呼吸になって泣いていたという事が目撃された。

 劇団側は週刊誌が出た直後「事実無根」と発表。その事で有愛はよけいに追い詰められた。

2月1日からの週刊誌報道によって、宙組生からプレッシャーを受ける事になった。

 

よほど、ヘアアイロンの事に恨みがあると見えます。

2年前の事を、本人、もしくは母親が納得してなかった為、週刊文春にリークしたと言う事でしょう。

なぜなら、この弁護士の話は文春記事と同じで、寸分たがわぬと言う事だからです。

つまり、有愛きい側がリークしなかったら発覚する筈なかったし、宙組生としては、2年前の事でここまで「いじめ」だの「パワハラ」と言われるとは思わなかった。

なので、当然「誰がこんな事を週刊誌に喋ったのか」となるのは当然だと思います。

有愛は知らなかったかもしれないけど、彼女の周囲が善意で行ったリークによって、より彼女の「仕事集団」の中の立場を悪くしたのです。

責任は。

リークした人と週刊文春です。

 

遺族側はものすごく天彩峰里を憎んでいて、どうしても土下座するか、あるいは死んでしまえと暴言を吐きたいくらいのものでしょうけど、果たして天彩峰里の行為は、パワハラにあたるのでしょうか?

へたくそな巻き方している下級生に親切にした。だって自分の役をやるんだから。

つけまつげの件も本当に嫌だったら「はい。アドバイスありがとうございます」とだけ言って、つけなきゃよかっただけ。

何を言われても悪意にしかとらなかった下級生にも問題があるのでは?

労われとか、気を遣えとか・・・下級生が何様になってるの?と上級生は思うでしょう。

「老けて見える」というのはパワハラではなく、「だからもうちょっとお化粧をなんとかしなさい。姿勢をよくしなさい」とかそういう事なんだよね。

その程度の事は世間にはいくらでもあるのに。

一つ一つくだらない事で「傷ついた」って休演しているんだもの、より仲間との絆は薄れてくのではないですか。

どんな時でも「上手!さすが!」って言われないとパワハラだなんて・・・

やけどの傷一つとってもね。

ああ、もうこれ以上は言わない。

 

次の第二段階等についても追って書いていきますね。

 

 

 

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祝!成婚30周年 雅子様語録 58

2023-12-07 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年10月1日 琉球舞踊鑑賞

一旦緩んだゴムは決してもとには戻りません。

一旦緩んだ時間の感覚や行動様式は決して元には戻らないのです。

「皇室」というものへの適応を諦めた段階で、誰もが口をつぐみ、誰もがアドバイスをしなくなり、雅子様は何となく周囲から浮いているような気がするものの、決してその行動を改めようとはなさいませんでした。

けれど、小山女官は、愛子様まで同じではいけないと、必死に躾け直しをしようとしました。

朝はきちんと起きて遅刻をしないようにする・・・食事の時間を守らせる。食器を正しく使う、挨拶などです。

しかし、それを片っ端から壊していくのが福迫女官であり、また愛子様の頑固さでもありました。

小学校に入ってから半年の間にもう半分もお休みをしている愛子様。

大抵は「風邪」「お疲れ」と発表されましたが、静養ではお母さまに引っ張られ、行きたくない所にも駆り出され、勉強する時間などありません。

皇太子様がいらっしゃる時は、わりと時間に正確になっている愛子様も、お父様が海外に行かれている時は途端に夜更かしになって、朝、起きられず、夕食は夜の10時。当然、学校へ行く事も出来ません。

愛子様のようなお子様は、これからきちんと躾けてちゃんとした大人にしないと」という小山女官のセリフを、だんだん雅子様はうざったく感じて来ました。

別にあなたにそれをしてくれとはいってないわ。あなたは愛子の面倒だけみてたらいいの

雅子様は勢い余ってテーブルの上にあったペン立てを投げつけました。

私に説教しないで頂戴。愛子の事は私が考えます」

失意の小山女官を「それみたことか」と笑って見送る福迫出仕。

宮中では「三猿にならないとやっていけないわよ」と誰かに言われた事がありました。

そうは言っても「諫言」は悪い事なのでしょうか?

ご自身が外交官の娘だというのに、雅子様はどうしてこんなにだらしないのか。

普通に学習院を受けたら落ちるような家庭だったと言う事に、小山女官は絶望したのでした。

 

そして、毎年恒例の運動会がやってきました。

しかし、この年は皇太子の重要な公務「全国障害者スポーツ大会」とぶつかってしまいました。

今年は大分へ行かなくてはなりません。

雅子様は当然の如く「私はいかない」とおっしゃいました。

でも、八大行啓の一つですし、無視するわけには。愛子様の運動会はあくまでプライベートな事ですから。どうか大分行きを優先して下さい」と東宮大夫に泣き疲れたのですが、雅子様は無視しました。

当然、皇太子様は「雅子がいかないというならそれでいい」と一言。

 

ああ、またこれで宮内庁が悪く言われる・・・・東宮大夫も侍従も、広報課も宮内庁のどこもかしこも理不尽な記者達の言葉に耐えなくてはいけないのかと思うとぞっとします。

官僚というのはある意味「いじめ」の世界でもありますし、パワハラ、モラハラに耐えつつ、乗り越えて仕事をする必要があるのですが、さすがにこの所は宮内庁の中でも体調不良者が続出し、病気療養に入る職員も少なくありません。

何とかごまかしつつ、人事院からの「異動」を待たないとやっていけないと思うのです。

 2008年10月12日 学習院初等科運動会

運動会では愛子様は、リレーの選手に選ばれて見事な俊足を発揮しておられました。

その様子を生き生きとカメラで追う雅子様の表情には「重要公務を休んでしまった」との後悔などみじんもありません。

おかしい。どうみてもおかしい・・・・誰もがそう思ったものの、「病気」を印籠代わりに好き勝手する雅子様に意見する者など誰もいません。

気まぐれな雅子様は、突如「外食したい」なとどおっしゃいます。

高級なレストランは当日に予約など出来ませんが、そこをなんとねじ込んで予約しても、

出発の時間を守る事が出来ない雅子様はいつまでお部屋にこもっています。

皇太子様は、周囲がせかすのを無視して、「愛ちゃん、ママが降りてくるまで遊んでいようね」と車寄せで鬼ごっこなどを始める始末。

5分や10分などでなく、それが1時間になろうとも、皇太子様は決して雅子様の様子を見にいかせたりはしません。

黙って待っているのです。

「おかしい。この夫婦」と侍従達が思っても、夫である皇太子様がそういう態度でである以上、何もいえません。

つまり、このような形で東宮御所の平和は保たれていたのです。

 2008年10月20日 皇后誕生日の為参内

 2008年10月25日 日本橋三越「皇后さまと子どもたち」写真展を鑑賞

 2008年10月28日 NHK放送センター日本賞授賞式にドタ出

妻が突然「行きます」「行きません」そういっても、否定するわけでもなくそのままにする皇太子様。その胸中に流れるのはいわゆる「無気力」です。

ご自分の母君が強いタイプなので、黙って従うのが平和の根幹と思っているのです。

何の野心もなく、希望もなく。

 2008年10月30日 チャールズ皇太子夫妻 東宮御所で夕食会

チャールズ皇太子とカミラ夫人がいらした時は、普段は出ない玄関先まで出て来た雅子様。

それはもう得意満面のお顔でした。

「英語が得意」ですから、通訳を介さずひたすら喋りつづける雅子様に、チャールズ皇太子は戸惑いをみせ、「何でこの女はこんなにハイなんだろう」と思っていたでしょう。

雅子様的には世界でもっとも有名人に会える喜びというか、そういう特権を持った自分に酔いしれていたのです。

 

 2008年11月10日 スペイン国王夫妻来日

スペイン国王夫妻がいらした時にはわざわざ飛行場までお出迎え。

カーティシーをしたのですが、がつんと頭が国王陛下にぶつかってしまいました。

しかし、晩さん会は出席せず、これで終わりかと思いきや

両陛下と国王夫妻がお茶するなら私も出たい」と突然雅子様が言い出したのです。

周囲は慌てました。

雅子様は両陛下主催の晩さん会にも、国王夫妻主催の答礼晩さん会にも出席していません。

しかも12日は、国王夫妻は両陛下とつくばにおでましで、その後の正式な茶会です。

ドレスコードはロングドレスです。

雅子様が入る余地などなかったのです。頭に来た雅子様は

外務省に電話して、入れて貰って」と言い出しました。

どうせ皇后陛下に直談判しても断られるだろうから、第三のルートを使ったのです。

このようにして、雅子様はお茶会に入り込みました。

しかし、服装は普通のスーツ。

突然、茶会への出席を知らされた両陛下は愕然としてしまいました。

しかも、お客様より後に入って来た雅子妃を見て、またも愕然としてしまいました。

ご紹介しますわね。皇太子妃です

皇后陛下は震えがちにそうおっしゃいました。

国王夫妻もちょっと驚いた様子で、「夏に皇太子殿下がいらした時は同行されませんでしたね」とおっしゃいました。

雅子様は「はい。病気療養中なので」とにこやかに答え、椅子に座ります。

下手な英語でそんな風にお答えになったので、「?」となっている国王夫妻にスペイン語の通訳が一生懸命に説明し、天皇陛下はなるべく雅子妃に会話がいかないように気を遣い、皇后さまもまた同様に、静かに静かにセーブしました。

結局、会話のしどころがない雅子様は、出て来たお茶とケーキを食べるしかお仕事がなかったのでした。

後に、皇太子様は天皇陛下から大目玉をくらいましたが、ただただ笑ってやりすごしたのでした。

 

 2008年11月12日 両陛下とスペイン国王夫妻の茶会にドタ出

 2008年11月20日 ニューオータニで開かれたPTA60年式典にドタ出

 

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宙組全休演・組替えなし

2023-12-06 07:00:00 | 宝塚コラム

結局こうなってしまいました。

芹香斗亜のお披露目公演がなくなったと言う事です。

遺族に配慮してなのか?

「出たくありません」とかいう馬鹿者がいるとか?

 

セキュリティの面もあると思います。

大劇場の方がロッカーが使えなくなったり、トイレもダメだったり、開演が遅れたり。

劇場の前でいわゆる、「テロ」が起こる事を危惧しているのではないかと。

それ程、ヒステリックな状況だと言う事です。

「死んだ人に謝れ」派というのは。

 

時が戻って、「パガド」の初日になって、誰かが有愛きいに声をかけて病院へ連れて行くなり、ずっと一緒に過ごしてくれたらこんな事は避けられたか?

いや、無理だったと思います。

先日も書きましたが「死」に向かい始めると特急列車に乗ったようなもので、途中下車が出来なくなるんです。

「助けて上げられなかった」と同期なり、下級生なり、上級生が罪悪感にかられるというのはよいと思う。

けれど「お前のせいだ」と遺族や第三者が責めるのは違う。

 

何があっても「死」を選んではいけない理由ってわかる?

神田沙也加を見てごらんなさい。

彼女の死後、神田正輝はみるみるうちにやせ細って、松田聖子は仕事が出来なくなった。

愛娘を自死で亡くすというのは、病気で亡くすより辛いし悲しいし、残った人を最大の不幸にする。

私だって未だに「アナと雪の女王」は見れない。歌も聞けない。大ヒットした映画が日本人の心に残したものは「思い出すと辛くなる」声だったんです。

それは本当に罪深い行いです。

神田沙也加の両親だって、きっと元彼かなんかを責めたかったかもしれないし、元夫だって「お前のせいだ」と責めたかったかもしれないけど。

 

それでも「死」を受け入れて前に歩かないといけない。

全ての人が。

有愛きいの死を思うばかりに、誰かを傷つけたりまたも誰かを死においやったり、未来を閉ざす権利は遺族にもマスコミにもないです。

誰が情報を垂れ流して週刊誌にリークしているのかわかりませんが、そういう行為が、あの東京の狭い劇場を危険にさらしていると言う事を考えて欲しい。

結局、そこにあるのは「死へのいたみ」ではなく、私利私欲のみだから。

ゲートキーパーの研修を受けた時、思いのほか年長者の方が、「死にたくなる気持ち」というのが現実としてわからない人が多かったと思います。

「わからないよね。死にたいって言われた時、なんて答えるかなんて」とあっけらかんと言われたりして。

普通の人は、人の心の裏側をいつも推し量っているわけではない。

社会経験が多い人であってもです。

ましてや、蝶よ花よと育てられ、自己研鑽にのみ集中して来た若い乙女たちに何が言えただろう、何が出来ただろうと思うと。

誰も何も出来なかったと思います。

それがわかっているから歌劇団は生徒を守ろうとしているんですよ。

形だけの謝罪、納得してないけど謝罪を求めるのは違うでしょう。

私達、いつになったらこのトンネルから抜け出る事が出来るんだろうと。

かなり落ち込んでいます。

マスコミの酷い記事の数々のせいで、こっちが鬱になってしまう。

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上沼さん、私はあなたが間違っていると思う

2023-12-05 07:00:00 | 宝塚コラム

上沼恵美子が「上沼・高田のクギズケ」での発言。

「狭き門を突破して、合格発表で抱き合って、泣いて、夢を描いて大きな舞台踏んで、こんな結果になるなんて誰が思いましたかね」

綺麗な舞台を作ってた役者さんがね、こんな形で…責任取らなあかんと思います」

「宝塚のファンだから」

「このまま時間たっても、みんな忘れても私は忘れませんよ」

「全部吐き出さなあかん。根底からやり直していただかないと」

「歴史、伝統、一回バーンと壊さなあかん」

「感情が出てしまって申し訳ないですが、間違ったことはいうてないつもり」

何でも彼女は鳳蘭がトップだった頃(40年前?)楽屋に入って、男性スタッフが「男、上がります!」と楽屋の外から声が聞こえ、「異常やった」と言ってます。

楽屋は女性しかいないし、プールで使うタオルみたいなのを巻いて、スリッパ履いて、化粧前で全身におしろいはたいている人達の中に男性が入るってのは、ダメでしょうとは思うんですけど。

私が彼女の何が間違っているかと思うと

 人が「死を選ぶ」背景には、何年、何十年もの積み重なった「自己否定」「絶望感」があり、パワハラやいじめのみが原因ではない → 亡くなった子の背景を知らずに劇団を批判するのは間違っているのではないか。

 歴史や伝統は一朝一夕に壊してよいものではない。改善はあっても壊すものではない。

という事です。

「私は忘れませんよ」というその一言で傷ついて誰かが死んだら、上沼さんは責任とれるんですか?

芸能界のご意見番だから大御所だか知らないけど、今まで何人の芸能人を虐めて来たんだ?あなたは・・・もし、それが原因で死んだら責任とれるのか?って事です。

「自死」というのは、たとえどんな理由があっても行ってはいけない事です。

ましてや自分の仕事を途中で放り出して死んだ挙句に、職場に責任を転嫁するというのは最もいけない。

いつから日本は「自殺」→「原因は向こうだ」→「責任とれ」が許される社会になったのだろうと。

これでは「自殺」が最大の仕返しと取られても仕方ないし、そのようなやり方がよいとは思わない。

これが許されるなら「いのちの電話」もいらないし、自殺予防のNPO団体も無意味になりますよね。

先日、自殺防止のゲートキーパー研修を受けて来ました。

死を決意した人というのは、必ず兆候があるそうで、急に明るくなったり優しくなったり、いつもとはちょっと違う動きをするそうです。

でも、例えそれに気づいた人がいて「どうしたの?」と聞いても、恐らく答えない。

絶望というのは言葉を失わせてしまう程のもので、回りを一切受け付けなくなるのです。

なぜならその「原因」となるものは、1年や2年で積み上がるものではなく、その人の成育歴や感情の在り方など、生まれた時からの積み重ね、考え続けた結果が「絶望」になるので、例えば同期が、先輩が、後輩が、職場だけの関係では、その人の心の中までは入り込めないんですね。

コロナがなければ、上級生と下級生が休日に旅行に行ったり、飲みに行ったりしてウサ晴らしも出来たかもしれないけど、そういうものが一切禁止になってしまって、常に「孤独」と戦わないといけない。

そうなってくると、積み重なった「悩みの根本」は大きく育ってしまって、打ち壊せないものにまでなっていると思います。

自殺に向かう人は、特急列車に乗ってしまった人のように、もう前しか見なくなっていて、そうそう止められるものではないんですね。

でも、自分の中で「死」への警笛に気づいた僅かの人が、救いを求めてみる、誰かに話して見る・・・という自ら行動を起こした時にのみ、助けられるというわけですよ。

だから、亡くなった子に対して、やれ職場が、上級生が、上司がと言い募っても、それが本当ではないと思います。

母親がLINEで色々愚痴られて、「そうか。悪いのは宝塚なんだ」と思って、それで楽になれるならいいけど、そうはならないでしょう?

ましてや、亡くなった本当の理由というのは本人にしかわからないのですから。

 

私も彼女が入団する前の事から色々考えてみました。

なるほど、かなり自己否定する日々だったろうなと思います。

しかも、進んでも退いてもどっちにしても「否定」しか残らなかったんだと思います。

詳しくは書きませんが。

 

で、上沼氏の「綺麗な舞台を作ってた役者さんがね、こんな形で…責任とらな」云々は、正直何様のつもりだと言いたい。

宝塚の厳しい競争率を勝ち抜く為、バレエをやっても声楽やっても演技力つけても、常に競争社会です。体型の維持、メイクの上手下手、いつも誰かと比べられるのが芸の世界ですよ。

そこで。死ぬ気で努力して殻を破る人もいれば、挫折して他の道を選ぶ人もいる。

宝塚で過ごした経験を元に新事業を立ち上げる人、学校に入る人、結婚する人。

いずれ去らなければならない劇団であるからこそ、そこで必死に得るものは得たい。自分の為に。と思うのが自然ではないですか。

そういう人だけが宝塚の狭き門をくぐったと思っていたけど、そうではなかった。

っていうだけの話です。

マスコミによる、これ以上のバッシングは自殺者を減らすどころか、むしろ仕返しの為の死を選ぶ事を称賛しかねない、危険な行為です。

ゆえに、上沼さん、あなたは間違っていると思います。

ご自分はどんだけOGや現役に知り合いがいて、宝塚を知った気になっているのかもしれないけど、それはただの驕りです。

芸能界の荒波を越えて来た人だからこそ「死んだらあかん」と言うべきだったのでは?

それをマスコミにおもねるような態度、それが私は許せないのです。

女性週刊誌には、今度は「いじめの首謀者・真風涼帆」が出るらしいですが、正直、そんな事知ってたよ・・・としか言いようがないんです。

 真風時代に退団者が多かったのは事実

 舞台にまとまりがなくなった事は事実

こういうムードを変える事が出来なかったのは、確かに歌劇団の宙組プロデューサーの責任かと思います。

本当にトップ時代が長すぎて、私もブログでいい加減にしろと書いた事も何度もありますよね。

マンネリが過ぎるとか、手抜きするなとか。

虐められた~~とかいうけど、正直、真風があれこれ言うとしたら、自分に最も近い人達ですよね。相手役とか2番手とか。決して新人公演の長に文句は言わないと思うんです。

っていうか、そんなに顔と名前、覚えられないから。

だけど、雑誌がここで個人名を出す事には反対です。

そうやって、真実は知らないのに、誰かを悪者に仕立て上げて潰してどうするの?

どんなに酷いトップでも、外の世界に行けばそういう人は自然に淘汰されます。

(誰とは言わないけど)

なのに、わざわざ名前を出してバッシングするって・・・どこから情報を得ているのか?

こういうのを「歴史・伝統、一回バーンと壊さなあかん」という事なんですかね。

宝塚110年の歴史の中で培ってきたのは

 男役、娘役の美学

 究極の美

です。それだけは絶対に守らないといけません。

前回も書きましたが、今後の劇団としてのやるべきことは

 組長を通して、期ごとに相談事を月1程度にまとめて劇団側に提出させ、カウンセリングや休演が必要な人はそうさせる。

 音楽学校では社会的常識を教える。人の悪口を言わせない

 上級生向けに「上手な下級生の指導の仕方」の研修を行わせること

 矛盾のない出世(コネとかお金じゃなく)

 無理強いをしない

この無理強いというのは、今回よく出て来た「アクセサリーの自作」のような、自主的な努力を強制しないということ。

強制しなくても、自分が前に出たいと思えばやるし、やりたくないと思えばやらない。

 

今回、宙組の問題に一番責任があったとすれば、それはプロデューサーと、事を中途半端に残して退団した寿つかさ組長だと思います。

新型コロナの流行で「舞台に立つ事は当たり前ではない」と誰もが感じた筈なのに。

舞台に立って演じる事が「ありがたい」と思った筈なのに。こういう形で中断し、バッシングされ、見に行く観客まで悪口を言われるのは心から嫌です。

最近、突如雪組の「Music Revolution」の千秋楽が見たくなって、DVDを引っ張り出したのですが、千秋楽、凪七瑠海が望海風斗に抱き着いたり、退団する子が舞台の中央にひっぱり出されてきたり。そういうシーンを見るだけで泣いてしまいました。

こういう温かいシーンを見る事が出来るのが宝塚なんだと私は思います。

 

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追悼 山田太一

2023-12-04 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

11月29日に死去した脚本家の山田太一さん。享年89歳。

心より追悼申し上げます。

私は小さい時からドラマを見るのが好きで、特にNHKの大河ドラマと銀河テレビ小説とか土曜ドラマとか、そういうものはなぜかいつも見てて、感想を日記に書ていました。

つまり今と同じような事をやってたわけですね。

その中で、山田太一脚本に出会った事は、私にとって大きな影響だったと思います。

なぜなら、彼の脚本は本当に素晴らしくて、独特な語り口が面白くて、後の見るドラマ選びにものすごく役に立ったなと思うからです。

彼の名前を意識したのは、NHKの「男たちの旅路」の車椅子が出て来る作品で、あまりにもすごかったので、脚本を買いました。

また、「あめりか物語」もものすごく面白かったので脚本を買いました。

高校生の時だったと思うんですけど、小説ではなく脚本を買うという経験が面白かったかなと思います。

 

当時はなかなか再放送もないですし、ケーブルテレビが我が家に入ってから、色々な再放送で見る機会があるのですけど、なぜか「岸辺のアルバム」と「ふぞろいのリンゴたち」は見た事がなく、後々「岸辺」だけ見ました。

「ふぞろい」に関してはヒットしたけど、個人的には面白いという印象がなくて。

その代わり、彼の傑作だなと思ったのが

おやじ太鼓」

「男たちの旅路」シリーズ

「獅子の時代」

「高原へいらっしゃい」

「日本の面影」

「それからの日々

ですかね。よく笑えたのは「おやじ太鼓」と「高原へいらっしゃい」で、「高原」の方は断然最初の、田宮二郎主演のものが面白かったです。

セリフが独特といいますが、特に「男たちの旅路」などでは鶴田浩二が熱弁を振るう、それが古臭くて若者にはなかなか理解されない・・というのが、子供の時には若者の気持ちで、今は昭和の人の気持ちで聞くと全然違うなとおもったり。

非常に主張がはっきりしつつ、悲哀も描いていました。

それからの日々」などは会社を早期退職して、やる事がなくなった男性が、妻にぬれ落ち葉扱いされてとまどう話で。ちょっとコメディっぽいけど、昭和の男性の融通のきかさなをよくあらわしていたと思っています。

日本の面影」は教科書で見る小泉八雲がそのまま画面に出て来て。しかも、その人はジョージ・チャキリスだったから一層、興味が湧きました。

獅子の時代」は菅原文太演じる会津武士のプライドが東北人の心に突き刺さるというかね。加藤剛の薩摩と感情がすれ違っているようで実は繋がっているような・・あの戊辰戦争から明治の動乱を海外ロケまで交えて大掛かりに描きましたよね。

 

山田太一は日本人にとって大切な脚本家だったと思っています。

彼の作品を知る事は、そこに出演していた偉大な俳優達を知る事で、それを知ったら今の令和の俳優たちをもよく知る事が出来るというわけです。

本当に、心からご冥福をお祈りします。

 

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皇室ウイークリー

2023-12-03 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

11月24日・・・天皇陛下 → 新嘗祭(暁の儀)

              黒田清子祭主から挨拶をうける

              賢所緊道奉仕団に会釈

              通常業務

11月26日・・・天皇陛下 → ベルリン・フィル鑑賞

11月27日・・・天皇陛下 → 英国最高裁判所長官と会う

11月28日・・・両陛下 → ベトナム国家主席閣下及び同令夫人に会う・午餐会

       天皇陛下 → 通常業務

11月29日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

              通常業務

11月30日・・・愛子内親王 → 秋篠宮邸に祝賀

       両陛下 → 秋篠宮殿下から挨拶を受ける

             文部科学大臣表彰の教育者表彰被表彰者に会う

 

皇嗣家

11月24日・・・殿下 → 新嘗祭(暁の儀)

11月27日・・・殿下 → 誕生日記者会見

       両殿下 → 赴任モンゴル大使夫妻に会う

            日越外交関係樹立50周年記念式典について説明を受ける

11月28日・・・両殿下 → 宮中午餐会

            離任在京スロバキア大使夫妻に会う

           「日越外交関係樹立50周年記念式典」出席

11月29日・・・殿下 → 公益財団法人世界自然保護基金ジャパンから年間報告を受ける

11月30日・・・殿下 → 両陛下に誕生日挨拶

            上皇夫妻に誕生日挨拶

 11月30日ですが、愛子内親王が宮邸に来た事は宮家の日程には載っていません。

  またもフェイクだったんでしょうかね。

  水色のドレスにヘッドドレスとか言ってたけど。あのヘッドドレスが変な帽子にしか見えないのは大きすぎるからでしょうかね。

 

 両陛下主催の午餐会が世界的に笑いものになった理由 

もうこれで、多分、どこの国の要人も来ないし、来ても嫌な顔するだろうと思われ。

英国などからの招待?あるわけないわ。

なぜなら、あまりにも常識はずれな事をやってしまったからです。

責任を全て宮内庁にぶつけるわけにもいかないんじゃないか?

まず、両陛下とベトナム大統領夫妻の会見

この距離! ますくなしならなるべく距離を取りたいという事なんでしょうけど、これはどうなの?離れすぎじゃないですか?

 

そして午餐会ですが。

 皇后が先に入場してしまった

 席はここよと大統領に指図する(実は間違っていたけど)

 席順がどうにもおかしい

 席と席の間が離れすぎている

 真昼間の食前酒が日本酒、そして前菜が押し寿司

これはイギリスの晩さん会です。

国王の隣りには大統領、もうとなりにはキャサリン妃、反対側の隣りにはカミラ妃。

恐らくプロトコル的にはこっちが正しい。

なのに今回の日本では天皇の隣りに大統領夫人、皇后の隣りに大統領が来てしまい、

考えようによっては皇后が天皇のように見える。

秋篠宮夫妻も無理に引き離された格好。

さらに、出席がが14人で、皇族は4人だけ。これでは「歓迎されてない」と思うのでは?

日本酒がダメなのは度数が高いし、香りも独特。庶民の安い炭酸の日本酒みたいなものならまあ・・でも多分がっちり質がいいものだったでしょう。でもあまりにも好き嫌いがありすぎだし、次の予定がある大統領夫妻には重かった筈。

なぜ食前酒がシャンパンなのか。どこへ行ってもこれなら飲みやすいというのが一番の理由だと思います。

そもそもフランス料理なのになぜ日本酒と押し寿司?

押し寿司も日本人ですら好き嫌いがあるし、宗教上問題だったりもします。

かなり調子に乗って「令和流」を作り出したようですが、これでは大失敗です。

みなさん立っているので、まだ料理が出てこない時、いきなり紀子様にふられて、ベトナム訪問の感想を言わされている。皇后はそれを面白そうに見ているの図です。

秋篠宮殿下が先に話したのかは不明。

いきなり紀子妃ならこれまた「順番が違う」話で、紀子様も恐縮されたでしょう。

しかも面白がっているのは天皇皇后だけ。他の面々は正面向いているし。

大統領夫人の顔がめちゃ怖くて。

 

 午餐会は45分オーバー 帰りに玄関で7分立ち話

ベトナム大統領夫妻と秋篠宮両殿下はこの後、予定があったのです。

にも関わらず55分程のオーバー。これは迷惑以外のなんでもない。

それでも紀子様は着物を着換えて日越外交関係樹立50周年記念式典に出席

 

午餐会になぜ、他の皇族が招かれなかったのか謎です。

佳子内親王や三笠宮家などが出席すればもう少し華があったと思うのですが。

やはり愛子内親王が出席出来ないので、ゆえに「佳子内親王なんてもってのか」という考えなのかもしれません。

つくづく自分本位の天皇皇后だなと思います。

 

内親王の精神状態がどうであるかくらいわかりそうなもの。

誕生日の撮影会にまで両陛下が付き添って来た。

これは過保護を通り越してもはや介護では?

「私達が死んだからこの子はどうなるの」状態ですよね。

嘘をつき続けるのも限界があるし、いつまでも体がきくわけではない。

いい加減にしようよ。令和よ。

 

それと、借り物画像ですが

皇后陛下の帯締めが不祝儀用で、紙がついたままだったらしいんですよ。

誰かわかる人いますか?

 

 

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とにかく始まってよかった

2023-12-02 07:00:00 | 宝塚コラム

 とにかく始まってよかったです。

「ボイルド・ドイル・オン・ザ・トイル・トレイル」雪組大劇場公演。

理事長が「ご心配をおかけして」と謝罪したようですが。

夢の世界はそのままでいて欲しいです。

 

ジェンヌ程「死」から遠い存在はないと思っていました。

だってハートが強くなくてはやっていけない世界ですから。

だからこそ、外の世界に出ても何とか地位を確立できるのではないですか。

あるいは大学に入り直したり、結婚したり。

それでも今後は、むやみに死を選ばないような研修、それから、先輩ジェンヌ達への「後輩への指導の仕方」の研修を行うべきかと思います。

そんなつもりじゃないのに・・・という心の溝が大きくなって、誤解したまま卒業なんて事にもなりかねないし。

生徒達も今以上に精進して下さい。

 

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愛子内親王殿下 22歳に

2023-12-01 10:40:00 | 皇室報道

 愛子内親王殿下 22歳の誕生日おめでとうございます 

今年は書陵部で撮影されたそうです。

学習院大学の切り札である愛子内親王は、書陵部で古文書を見るのがすき~~~な体

なぜジャケットを着ようと思ったのかな。ジャケットなしの方がいいんじゃない?

前ボタンが・・・私にはジャケットの丈が寸足らずに見えて。

明らかにこの白ジャケットはスーツの一部だよねって感じで。

お見合い写真のようですね。早くこれを各家に配って結婚を決めなくては。

 

愛子内親王殿下には、12月1日に満22歳のお誕生日をお迎えになります。

この一年のご活動を振り返りますと、今年4月に学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生に進級され、新型コロナウイルス感染症の規制が徐々に緩和される中で、大学の多くの科目で対面授業が再開されたことを受け、今春から目白のキャンパスに足を運ばれて、対面で授業をお受けになるようになりました。

オンライン授業の間には味わうことのできなかった大学の活気を肌で感じられながら、日々の授業や課題に熱心に取り組んでいらっしゃいます。

授業では、平安、鎌倉、江戸、明治時代の物語や和歌を始めとする文学作品などを通して、それぞれの時代の思想や文学への学びを深めていらっしゃいます。

そのほか、福祉や体育の授業など、幅広い分野の授業を履修され、キャンパスでの学生生活を通して、様々な新しい経験を積んでいらっしゃいます。

ご友人との対面でのご交流も再び始まり、旧友との久しぶりの再会を心から喜ばれるとともに、新たな交友関係も広がり、ご友人とご一緒に学内の様々な場所を巡られるなど、残りわずかとなった大学生活を楽しんでいらっしゃるご様子です。

また、ご卒業に向けて卒業論文の執筆も始まり、時には放課後に、日本語日本文学科の閲覧室や書庫で資料を集められたり、図書館に立ち寄られたりされるなど、忙しい中にも充実した日々を送っていらっしゃいます。

日々の学業を優先されながらではありますが、両陛下とご一緒にお出ましになる機会が増えました。 昨年12月には、映画「Dr.コトー診療所」地域医療支援チャリティー上映会をご一家でご鑑賞になりました。

お三方で映画を鑑賞されるのは約3年ぶりとなりましたが、内親王殿下には映画を楽しまれると同時に、離島における地域医療の厳しい現状に理解を深められ、島の美しさや島民の結びつきの強さについても印象深くお感じになったご様子でした。

5月には、ウィーン少年合唱団の来日公演にご一家でお出ましになりました。新型コロナウイルス感染症の影響で4年ぶりの開催となったウィーン少年合唱団のコンサートで、満員の観客と共に、合唱団の少年たちの美しい歌声を堪能することがおできになったことを喜ばれ、コロナ禍を乗り越えて今回の公演を成し遂げた関係者の努力を労われました。

日本の伝統文化にも関心をお持ちになっており、5月と10月には、天皇陛下とご一緒に宮内庁楽部において雅楽演奏会をご鑑賞になりました。

大学で日本の伝統芸能の授業を履修されていた年もあり、その際に雅楽についても学ばれる機会があったことから、楽器や舞の所作などについての解説に時折質問を交えつつ耳を傾けられ、関心深くご鑑賞になりました。

9月には、第70回日本伝統工芸展にご一家でお出ましになりました。

お三方には、作品に用いられている素材や技法などについての説明をお聞きになりながら、受賞作品を中心に、美しい伝統工芸品をご覧になり、それぞれの作品の精巧な技術に感銘を受けられたご様子でした。

その際、日本工芸会の総裁でいらっしゃる佳子内親王殿下とも、作品についてのご感想などを楽しそうにお話しになっていらっしゃいました。

11月には、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(東京国立博物館)をご一家でご覧になりました。

作品についての解説を熱心にお聞きになり、一つ一つの展示について、構図や画法、また、描かれている内容などについてご質問になりながら、平安時代から室町時代にかけてのやまと絵作品をご鑑賞になりました。

大学の日本語日本文学科で学ばれている内親王殿下には、「源氏物語絵巻」夕霧や「紫式部日記絵巻」断簡といった、日本文学とも深い関わりのある貴重な国宝や重要文化財の数々を実際にご覧になり、絵の描かれた場面や構図、使われている絵具などについて、関心をお持ちになって尋ねていらっしゃいました。

日頃から福祉活動全般にご関心をお持ちの内親王殿下には、皇后陛下が名誉総裁をお務めになっている日本赤十字社が開催する全国赤十字大会や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式を前に行われたご進講に両陛下とご一緒にご出席になり、日本赤十字社の職員の方々の活動などについて、ご質問をなさりながら熱心にお聞きになりました。 10月には、ご一家で日本赤十字社本社をご訪問になり、企画展「関東大震災100年温故備震(おんこびしん)~故(ふる)きを温(たず)ね明日に備える~」をご覧になりました。

今年は関東大震災発生から100年の節目の年であり、お三方には、当時の日本赤十字社の救護活動を伝える今回の展示をご覧になって、理解を深めたいとのお気持ちからお出ましになりました。展示ご覧に先立ち、本社敷地内に建立されている殉職救護員慰霊碑にお三方でご供花をなさり、拝礼されました。

内親王殿下が公式の場でご供花をなさるのは初めてのことでしたが、ご所作などについて事前に天皇皇后両陛下にもお聞きになり、心を込めて臨まれました。

企画展では、関東大震災における日本赤十字社の救護活動の記録を展示する企画展の概要の説明をお受けになり、震災の被害の大きさに思いを巡らされているご様子でした。 その後、常設展に移動され、赤十字の誕生、日本赤十字社設立から関東大震災が起こるまでの活動をご覧になりました。

また、日本での赤十字社活動の初期に当時の皇后陛下(昭憲皇太后)が深く関わっておられたことを示す資料を説明者にご質問になりながら熱心にご覧になり、昭憲皇太后が果たされた役割の大きさを感慨深く思われているご様子でした。

次に、企画展「温故備震」において、関東大震災の救護活動の映像をご覧になるとともに、当時の医療器具・救護物資の展示を一つ一つ丁寧にご覧になりました。 企画展ご覧後には、現在の日本赤十字社で実際に使われている救護資機材の展示を、救護活動に従事した経験を持つ医師や看護師から説明をお受けになり、関心深くご覧になりました。東日本大震災や熊本地震の際に救護活動に使われたエアーテントや、その中に設置された診療ベッドや点滴台など、救護班が使用する医療資機材が機能的に収められている様子をご覧になりながら詳しく説明をお聞きになり、日本赤十字社の救護体制に感心されたご様子でした。

新年の諸行事として、3年ぶりに再開された一般参賀に初めてお出ましになりました

天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下お始め皇族殿下方とご一緒に、計6回お出ましになりました。

最初は緊張されたそうですが、徐々に場の雰囲気にも慣れてこられ、無事に終えられたことに安堵されていたご様子でした。

2月23日の天皇陛下のお誕生日の一般参賀も再開され、こちらにも3回お出ましになりました。参賀に見えられた方々に手を振られ、国民の皆さんとともにお祝いできたことをうれしく思っていらっしゃいます。

2023年は両陛下御即位5年・御成婚30年の年に当たり、5月には、御即位5年・御成婚30年記念特別展「新しい時代とともに-天皇皇后両陛下の歩み」を、ご一家でご覧になりました。

両陛下のご幼少期からご結婚、そして現在に至るまでの様々な場面をとらえたお写真や、お使いになったお品、お召物を、一つ一つじっくりとご覧になりました。

内親王殿下には、ご即位の際に各都道府県から献上された品々をご覧になった際、数々の伝統工芸品の美しさや技術の素晴らしさなどを楽しまれながら、各地の特徴ある伝統文化に思いを馳せておられるご様子でした。

ご自身が、今まで映像や写真などの資料でご覧になっていたものを実際に目の当たりにされて、興味深く思われたご様子でした。

また11月には、皇居三の丸尚蔵館において、「特別展示 御即位5年・御成婚30年記念 令和の御代を迎えて―天皇皇后両陛下が歩まれた30年」及び「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」を、ご一家でご覧になりました

特別展示では、新しくなった三の丸尚蔵館の建物や設備などについて担当者に質問をされながら、一つ一つのお品をゆっくりとご覧になり、思い出の品々がきれいに展示されているのをご覧になって、感慨深く思われたご様子でした。

次にご覧になった開館記念展では、「春日権現験記絵」をご覧になった際に、絵巻に描かれた牛車について天皇陛下から詳しく解説をお聞きになったり、表紙裂の修復の際に、上皇后陛下が紅葉山御養蚕所でお育てになった小石丸の糸が使われたことが話題になったりしました。

また、内親王殿下には、それぞれの絵や書が描かれた時代の文学を学ばれていたことなどからも、ご関心を持ってご鑑賞になりました。

9月には、皇族たる皇室会議の議員及びその予備議員の互選の立会人をお務めになりました。

投票も立会人のお務めも初めてのご経験でしたが、事前に次第やご所作などを両陛下にお聞きになりながら確認されて臨まれました。

お役目を無事に終えられ、安堵されると同時に、良いご経験になられたご様子でした。10月には、明年から伊勢神宮(皇大神宮)の神馬(しんめ)となる予定の「本勇号(もといさむごう)」を主馬班の厩舎にてご一家でご覧になり、お別れをなさいました。「本勇号」をやさしくお撫でになり、ニンジンをお与えになるなどして、慈しみの気持ちを持ってご一緒の時間を過ごされました。

そして、「本勇号」が、今後、神馬としての務めを元気に果たしていくことを願っておられます。

内親王殿下ご自身にとりまして、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下のこれまでのお歩みに触れられることや、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、皇族殿下方とご一緒に様々な行事に出席されることは、皇室の歴史や伝統に触れられる良い機会となり、皇族としてのお務めについて、改めて思いを深くしていらっしゃるご様子です。

そして、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下に、常に温かくお見守りいただいていることに、深く感謝のお気持ちをお持ちになっていらっしゃいます。

この1年も、学業の状況を勘案しながら、宮中祭祀にお出ましになりました。昨年12月の大正天皇例祭から、今年に入り、元始祭、昭和天皇祭、春季皇霊祭・神殿祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭・神殿祭、神嘗祭にご参列になり、心を込めてご拝礼になりました。

先の大戦や自然災害で亡くなられた多くの方々への追悼のお気持ちから、1月17日の阪神淡路大震災、3月11日の東日本大震災、6月23日の沖縄慰霊の日、8月の広島・長崎原爆の日、終戦記念日には、今年も黙祷をなさいました。

また、昨今毎年のように発生する豪雨等の自然災害の被害に遭われた方々にも、お心を寄せていらっしゃいます。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、令和元年以来ご静養はお控えになっていらっしゃいましたが、

今年は4月に栃木県の御料牧場へ、8月から9月にかけては那須御用邸附属邸にご一家でお出ましになり、ご滞在になりました

久しぶりに御所を離れてのご静養でゆっくりされ、懐かしい施設なども訪れられて地元の方々に温かくお迎えいただいたことを嬉しく思われるとともに、気持ちも新たにリフレッシュされたご様子でした。

御所におけるお過ごしでは、犬の「由莉」や猫の「みー」と「セブン」を始め、大切に飼われている動物たちのお世話を引き続きなさりながら、動物たちとの触れ合いを楽しんでいらっしゃいます。

また、今年も5月から6月頃にかけて、大学の授業の合間に、蚕の飼育をなさいました。卵からふ化して幼虫になり、繭を作って成虫になる過程を観察され、大事に飼育されていました。

皇后陛下のご養蚕の間には、天皇陛下とご一緒に紅葉山御養蚕所にお出ましになり、お三方でご一緒にご給桑や上蔟などの作業をなさる機会もありました。

また、お庭の畑で野菜の栽培を今年もなさいました。白菜、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラ、獅子唐、落花生、バジルなどを楽しみながらお育てになり、収穫なさいました。

収穫された野菜は、ご家族でおいしく召し上がられたと伺っています。

お時間があるときには、両陛下とご一緒に皇居内を散策されたり、職員と一緒に屋外でテニス、バレーボールやバドミントンをされるなど、体を動かすことを楽しみにしていらっしゃいます。

この1年間、徐々に元どおりの生活が取り戻されつつある中で、愛子内親王殿下には、いろいろな方々に支えていただきながら、実り多い大学生活を送られるとともに、成年皇族としてのご経験を少しずつお積みになっていらっしゃいます。そのような中で、国民の皆さまから温かく見守っていただいていることに感謝をされながら、お健やかに22歳のお誕生日をお迎えになろうとしています

 

愛子内親王が成年皇族として今年も出来なかったこと

 伊勢神宮参拝

 武蔵野陵・武蔵野東陵参拝

 明治神宮参拝

 講書始の儀

 歌会始の儀

 午餐会、茶会出席

 単独公務

あげたらきりがない。書かれているように宮中祭祀に一生懸命に取り組むなら、まず自分がやるべきことを先になさいという感じ。

また、供花が初めて・・・というのもびっくり。広島へ行った時は修学旅行だったから見ただけか。いやいや、とにかく公務しないからこういう結果になるのであって、今まで供花した事がないというのは、結構恥ずかしい事ですよ。

1年間、両親、または陛下と一緒に鑑賞ばかりしてきた内親王。

4月からは大学院ですか?留学ですか?

学習院大に言っておきますが、コネで大学院に入れるのは間違いです。

そもそもが不登校で、多分卒論も書いてないんだし。陛下に代筆させるんじゃないの?

私としては、新年一般参賀で、また秋篠宮殿下を扇子でどかすような事はしないでねという事です。

 

考えてみれば本当に「お可哀想」あんなお母さまに育てられ、盛るだけ盛られて中身は空洞状態。

所作事の一つも出来ないお母さまより「ご優秀」になるのはきっと無理でしょうね。

 

コメント (13)
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