夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「痛い死に方」と「穏やかな死に方」分ける要因、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2021-05-17 12:36:40 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
「痛い死に方」と「穏やかな死に方」分ける要因は何か 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中で、いつの日にかどちらかがあの世に旅立つが、
何かと気弱な私は、末期に病院で治療を受けると思われるが、
出来る限り痛みが少なく、この世とサヨナラをしたい、と念願したりしている。



過ぎし17年前、漠然としながら、「ピンピンコロリ」と死去できれば・・
と思ったりしていた。

しかしながら10年前の頃、私は「ピンピンコロリ」は難しい、
とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 

救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。




このような終末期を私は思いめぐらしたりしてきたが、
今回の《・・「痛い死に方」と「穏やかな死に方」分ける要因・・》って、
どのようなことですか、と思いながら、記事を精読した。

この記事は、『週刊ポスト』の2016年8月19・26日号に掲載された記事で、
関連の【 NEWSポストセブン 】に於いて、2016年8月13日に配信され、
古い記事の思われるが、終末期はすべてを超越する難題であり、
無断ながら転載をさせて頂く。



《・・
☆辛い死に方を避ける法はあるのか

最も痛くない、苦しまない死に方として、
医療関係者がこぞって挙げたのが老衰死だ。

老衰死とは、直接の死因となる病気を持たず、
老いによる体の機能低下で死を迎える死を指す。

4年前に95歳で母親を看取った前屋庄吉氏(70歳・仮名)の述懐だ。
「母は生前、大病を患ったことがありませんでした。
亡くなる約1か月前から、食事量が徐々に減っていき、
日にお粥を1~2杯食べる程度。

老衰死に至るまでの最後の数日は、水を少し飲むくらいでした。

最期は、自宅の布団の上で微笑みを浮かべたまま、
眠るように亡くなりました。

老衰死とは、こんなに安らかに死ねるのかと家族全員、
驚いたものです」



老衰死は、なぜ安らかに逝けるのか。
その理由を江別すずらん病院認知症疾患医療センター長の宮本礼子氏が解説する。

「老衰になり死が近づくと、私たちは食欲がなくなり、
飲み込む力も衰えます。

体が栄養を必要としていないのです。
飢えているわけではありません。

その時、点滴や経管栄養を行なわず、
食べられるだけ飲めるだけの自然な経過に任せることで、
老衰死を迎えられる。

最近の研究では、動物を脱水や飢餓状態にすると、
脳内麻薬の一種である『β-エンドルフィン』や、
肝臓で生成され脳の栄養源となる『ケトン体』という脂肪酸の代謝産物が
増えることがわかっています。

これらには、鎮痛・鎮静作用があります。
そのため、眠るように死に至ると考えられています」

つまり痛みがないどころか、
この脳内麻薬によって快楽さえ感じながら、絶命すると考えられているのだ。



では、「痛い死に方」と、「穏やかな死に方」を分ける要因は何なのか。
医学博士の中原英臣氏は、生活習慣や食生活を挙げる。

「くも膜下出血や心筋梗塞、大動脈解離は、高血圧や肥満などによって、
血管に過度の負担が掛かることで発症します。

高カロリーな食事を摂り続ける人は、
生活習慣病になりやすく特に注意が必要です。

痛い死に方をしたくなければ、
日常生活にウォーキングなど15~30分程度の有酸素運動を取り入れ、
塩分や脂っこいものは、控える食生活に改めることが肝要です。

未病を心掛ければ、必然的に安らかな死を迎えることができるでしょう」

逆説的に言えば、苦しまないで死ぬためには、
健康に生き続けなければならないということだ。



実は近年、この老衰死で逝く人が増えているという。
老衰死による死者数は、1938年の9万8450人をピークに減り続けていた。

しかし、2000年に2万1213人で底を打ち、
その後、大幅に増加している。

2014年には7万5000人を超え、戦後最高を記録した(厚労省・人口動態調査より)。

前出の中原氏はこう分析する。
「高齢者の絶対数が増え、老衰による死亡者数を押し上げたと言えます。
さらに昨今は、延命治療を断わり、自然な形での死を求める人も、
少しずつですが増えてきています。

日本人の死に方に対する考えの変化が、
老衰死の増加に表われているのかもしれません」・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 



今回、「痛い死に方」と「穏やかな死に方」分ける要因学び、
多々教示されたりした。

私はもとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。


そして改めて老衰死を学び、
《・・自宅の布団の上で微笑みを浮かべたまま、
眠るように亡くなりました。・・ 》天国のような世界に、

理想的な境地と、思い深めたりした・・。

しかしながら、一昨年の2019年、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。



過ぎし15年前の頃、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。




結果としては、それぞれ延命治療は断念して、
「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」
と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりしている。

しかしながら終末期、そしてあの世に旅立つことは、
自助意志も大切なことであるが、
やはり神様か仏様の采配する世界かしら、と私はときおり思ったりしている。
コメント (10)
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