ところでイエズス会だが、決して過去の遺物ではない。上智大学や神戸の六甲学院など、たくさんの学校を経営していることでも知られる。教育に熱心な修道会である。世界各地にあるイエズス会学院では、かつて主要科目は、ラテン語、古典文学、音楽、そして演劇であった。十七世紀に活躍したフランスの劇作家のコルネイユやモリエール、スペイン劇のベガとカルデロン、彼らはみなイエズス会学院で演劇を学んでいる。
イエズス会劇とよばれる演劇の活動目的は、生徒たちが自己表現力や雄弁術、対話術、そのような能力を身につけるための訓練とされた。当然だが、異教徒に対する布教のおおきな手段でもあった。
1562年には大分で「出エジプト劇」が演じられたが、現存する記録を読んで驚いた。舞台に紅海をつくり、イスラエル人が渡るときには水を開き、ファラオの兵たちが追い来たったときにはこれを閉じる。預言者ヨナはクジラに呑まれた後、腹中から出てきたりする。まるで現代の創作歌舞伎を観るようである。
1568年に九州で演じられたイエズス会主催の演劇会には、二千人以上の信者や一般人が詰め掛けた。十七世紀はじめの禁制までの半世紀ほどのあいだ、キリシタン劇は各地で上演されている。
日本人を描いた劇、たとえばキリシタン大名で熱心な信者だった高山右近を主人公にした演劇などが、ヨーロッパで演じられもした。
日本固有のものと思われている歌舞伎だが、壮大な世界的規模での演劇交流が起きていたようだ。何と江戸時代はじめまでのことである。そして鎖国が異文化接触の機会を奪ってしまうが、歌舞伎は国内で独自の成長を遂げていく。(完)
以上の文章をかつて蛸錦四郎の筆名で書いたところ、演出家の宮本亜門さんがこれを読み、毎日新聞で引用紹介してくださった。連載「宮本亜門の五十音らくがき帳」の「を…をどり 壮大な交流があった?」。2006年9月3日掲載。あまりにうれしかったので、抜粋引用します。
「…また、それを裏付けるように、蛸錦四郎氏は阿国が四条で踊る40年近く前の大分では、大がかりなセットの「出エジプト劇」が上演された記録もあり、イエズス会主催によるキリシタン劇は各地で上演されているらしいと記している。ザビエルの布教活動が阿国に影響し、それが今の歌舞伎の原形になったかと思うとワクワクするではないか。もしかして人種を超えた、想像もしなかった壮大な演劇交流があったのかも。…」
<2008年3月29日>