ブータン国王は世襲である。先日来日したワンチュク王は5代目。しかし驚くのはお元気な前国王が65歳定年制を敷き、さらに王の権力を激減させたうえで、若干51歳で譲位されてしまった。最高権力者はたいていが権力にしがみつき、醜い姿を老いてさらすのが世の常であるのに。
先代は退位の2年前、2004年にブータンを訪れた今枝由郎氏にこう語っている。「国として、経済基盤は必須であり、ブータンも当然経済発展は心がけている。しかし仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。そこで仏教国の究極として掲げたもの、それが国民総幸福である。しかし今考えると、幸福(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、国の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ“充足”(contentedness)である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民の一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。」
退位の直後には今枝氏に対し、先代王は「ブータンを、国民が幸福感と充足感を持ち、経済的にも繁栄し、平和を享受する国民国家にすることが、わたしの即位当初からの目標であった。それが達成できた時点で、わたしの役割は終わった。」
先王が語った「それが達成できた」の意味だが、インドとの不平等条約の改正である。今枝氏は「ブータンを真の意味で主権国家にしたインドとの条約改正こそは、まさに第四代国王の悲願であり、最後の、そしておそらく最大の業績である」。それが達成された時点での譲位は、第四代国王にとって、しかるべき当然な時期であったといえる。彼は最大の目標「不平等条約改正」を達成したのであり、全国民のために悲願をかなえ、大きな充足を得たのである。
最高権力者と老害そして世襲、日本だけでなく世界中に深く根をはる大問題。会社であればどうであろう。友人の川瀬俊治さんが「ブログかわやん」に韓国「ハンギョレ新聞」社長公選制を書いておられる。タイトル<鶴の一声の対極 民主主義は手間がかるが足腰が強い>12月7日付。ご本人の了解を得ましたので、転載します。
韓国のハンギョレ新聞の20年史(2008年刊)を通読して感じたことは、会社のあり方について激しい論争を社員間で盛んにしていることだ。論争の20年といえる。何しろ社長を社員が選ぶ公選制を実施しているから、取締役会で社長を決定する日本のメデイアとは様相が異なる。
ハンギョレ20年の歴史で平社員が社員の推薦を受けて社長選挙に立候補したこともある。立候補者は政治の選挙戦のような公約集を出す。そこで対立候補との論争をする。その成り行き、投票権をもつ社員に大きく影響する。
社員が進歩政党員であることを明らかにし、新聞社で規制できるのかという論争もあったし、金大中政権誕生のときに金大中候補が金鐘泌氏と組んだことに対する新聞コラムでの意見対立もあった。掲載の署名コラムで正反対の主張が出て、相手の名前をあげた論争になったこともある。新たなメデイア創設(週刊誌)でも賛否両論が出た社内事情が20年史からもわかる。
日本の社史ではそうした内部の対立はまずは活字化されない。平社員が社長選挙に出ることなどないし、言論であっても「和」をもって「尊し」としていることが伺われるからだ。調和と成長の社史なのだが、韓国のハンギョレ新聞社の社史に成長は書かれているものの、調和が背後に引いている。その違いをどう考えるのか。
ハンギョレ新聞が倒産の危機にあった時代から立ち直っていく経過では、社長選挙で候補者が一本化され、ふたつの労組も協力する。「経済的危機の状態はどうしても乗り切るために意見集約される。そうしないと危機は乗り切れない」という感想を抱いた。
民主主義は様々な意見を戦わせて合意すべきものを固めていく。それには時間がかかるが、足腰はしっかりする。当然だろう。合意された意見が血肉化されているからだ。遠回りするが、民主主義は民の意見が岩盤のように強くなることだ。
最近は「鶴の一声」とか「独裁も必要」という文言がメデイアにしばしば登場する。物事を進めるのには効率はいいかもしれないが、とりわけ弱い民の意見は吹き飛ばされる。危機の時代に「鶴の一声」と「独裁」が求められることを批判しない言論が目立つ。「権力監視」という言論の当事者としての役目を見失ってはならない。
猫も杓子も公選制をとればいい訳では決してない。しかし首相であれ組織の代表者であれ、選出にはさまざまの手段方法があるはずです。いずれにしろ、国のあるいは組織のメンバーすべての幸福・充足を追求するのが、代表者の義務のはず。
『ハンギョレ新聞20年史』(仮題)は日本語訳が新春1月に現代人文社から刊行されます。川瀬俊治氏と立命館大の研究者との共訳だそうです。
○参考書 『ブータンに魅せられて』今枝由郎著 岩波新書 2008年
<2011年12月10日>
先代は退位の2年前、2004年にブータンを訪れた今枝由郎氏にこう語っている。「国として、経済基盤は必須であり、ブータンも当然経済発展は心がけている。しかし仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。そこで仏教国の究極として掲げたもの、それが国民総幸福である。しかし今考えると、幸福(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、国の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ“充足”(contentedness)である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民の一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。」
退位の直後には今枝氏に対し、先代王は「ブータンを、国民が幸福感と充足感を持ち、経済的にも繁栄し、平和を享受する国民国家にすることが、わたしの即位当初からの目標であった。それが達成できた時点で、わたしの役割は終わった。」
先王が語った「それが達成できた」の意味だが、インドとの不平等条約の改正である。今枝氏は「ブータンを真の意味で主権国家にしたインドとの条約改正こそは、まさに第四代国王の悲願であり、最後の、そしておそらく最大の業績である」。それが達成された時点での譲位は、第四代国王にとって、しかるべき当然な時期であったといえる。彼は最大の目標「不平等条約改正」を達成したのであり、全国民のために悲願をかなえ、大きな充足を得たのである。
最高権力者と老害そして世襲、日本だけでなく世界中に深く根をはる大問題。会社であればどうであろう。友人の川瀬俊治さんが「ブログかわやん」に韓国「ハンギョレ新聞」社長公選制を書いておられる。タイトル<鶴の一声の対極 民主主義は手間がかるが足腰が強い>12月7日付。ご本人の了解を得ましたので、転載します。
韓国のハンギョレ新聞の20年史(2008年刊)を通読して感じたことは、会社のあり方について激しい論争を社員間で盛んにしていることだ。論争の20年といえる。何しろ社長を社員が選ぶ公選制を実施しているから、取締役会で社長を決定する日本のメデイアとは様相が異なる。
ハンギョレ20年の歴史で平社員が社員の推薦を受けて社長選挙に立候補したこともある。立候補者は政治の選挙戦のような公約集を出す。そこで対立候補との論争をする。その成り行き、投票権をもつ社員に大きく影響する。
社員が進歩政党員であることを明らかにし、新聞社で規制できるのかという論争もあったし、金大中政権誕生のときに金大中候補が金鐘泌氏と組んだことに対する新聞コラムでの意見対立もあった。掲載の署名コラムで正反対の主張が出て、相手の名前をあげた論争になったこともある。新たなメデイア創設(週刊誌)でも賛否両論が出た社内事情が20年史からもわかる。
日本の社史ではそうした内部の対立はまずは活字化されない。平社員が社長選挙に出ることなどないし、言論であっても「和」をもって「尊し」としていることが伺われるからだ。調和と成長の社史なのだが、韓国のハンギョレ新聞社の社史に成長は書かれているものの、調和が背後に引いている。その違いをどう考えるのか。
ハンギョレ新聞が倒産の危機にあった時代から立ち直っていく経過では、社長選挙で候補者が一本化され、ふたつの労組も協力する。「経済的危機の状態はどうしても乗り切るために意見集約される。そうしないと危機は乗り切れない」という感想を抱いた。
民主主義は様々な意見を戦わせて合意すべきものを固めていく。それには時間がかかるが、足腰はしっかりする。当然だろう。合意された意見が血肉化されているからだ。遠回りするが、民主主義は民の意見が岩盤のように強くなることだ。
最近は「鶴の一声」とか「独裁も必要」という文言がメデイアにしばしば登場する。物事を進めるのには効率はいいかもしれないが、とりわけ弱い民の意見は吹き飛ばされる。危機の時代に「鶴の一声」と「独裁」が求められることを批判しない言論が目立つ。「権力監視」という言論の当事者としての役目を見失ってはならない。
猫も杓子も公選制をとればいい訳では決してない。しかし首相であれ組織の代表者であれ、選出にはさまざまの手段方法があるはずです。いずれにしろ、国のあるいは組織のメンバーすべての幸福・充足を追求するのが、代表者の義務のはず。
『ハンギョレ新聞20年史』(仮題)は日本語訳が新春1月に現代人文社から刊行されます。川瀬俊治氏と立命館大の研究者との共訳だそうです。
○参考書 『ブータンに魅せられて』今枝由郎著 岩波新書 2008年
<2011年12月10日>