朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日がついに亡くなった。これまで各国の医学者の予想では数年の内、長くて2013年までの寿命だろうとみられていた。それがいくらか早まったというべきで、今回の逝去は突然の事態ではない。各国はこの日のためにさまざまの対応策、金正日後の東アジア戦略を練っていた。
わたしが北朝鮮について記すのは、門外漢だがまったくの意外ではないと思ったりもする。1年と少し前、2010年11月23日に延坪島砲撃事件が起きた。すわ、第2次朝鮮戦争の勃発か? 大騒ぎになりましたが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。いまではこの事件について語るひとも、ほとんどいなくなってしまいました。あまりにも膨大な情報は流れ去り、どんどん捨てられていきます。
忘れないためにと思って、2010年の北朝鮮と国際情勢についてのウォッチングを続けたことがあります。わたしの営みなど、専門家からみれば取るに足りない記録でしょうが、こつこつウォッチングを続ければそれなりの収穫がある、というのがわたしなりの偽らざる結論です。
かつてこのブログで連載「検証北朝鮮・延坪島ヨンピョンド事件」を13回続けてみました。2010年12月11日から2011年1月11日掲載まで、2010年1年間の北朝鮮と世界の対北外交などを追いました。いま久しぶりに読み返すと、実に疲れる。あまりに記述が細かく、文字数が多すぎるのです。
いま何ができるか? と思っていて、金信男・正哲・正恩の3兄弟に焦点をしぼり、2010年の1年間をダイジェストすることに、いくらかのヒントが生まれるかもしれないという思いです。「北朝鮮2010年 金三兄弟の記録」を参考まで。
2010年1月 延坪島など黄海5島の占領を想定した奇襲上陸作戦の訓練実施を、金正日総書記が指示した。金正日は、三男の正恩や軍高官らの幹部を集め、黄海「五島の攻撃を準備しろ。地図から消える方法を考えろ」と指示。これを受けて、朝鮮人民軍は、特殊部隊による上陸訓練などを準備した。訓練を総書記と正恩は視察。黄海の北朝鮮側水域で、約350発の砲撃訓練を開始した。
2月1日 北朝鮮の党機関紙「労働新聞」は「われわれの勝利を堅く信じる」と題して、金総書記の言葉を掲載した。「私は、わが人民がまだトウモロコシ飯を食べていることに一番心が痛む。今、私がやらねばならないことは世の中で最も立派なわが人民に白米を食べさせ、麦でつくったパンや麺ククスを思いっきり食べさせることだ。われわれみんなが首領(故金日成首席)の前で確認した誓いを守り、わが人民を、トウモロコシ飯を知らない人民として世の中に推し立てよう」。
2009年末の通貨交換とデノミ政策の失敗で国民の反発が高まっているため、最高指導者が住民の食糧問題に気を配っていることを示し、不満をなだめようという意図からの発言であろう。大失敗に終わった通貨改革とデノミを主導したのは、金ジョンウン(この時点では漢字表記は不明)だといわれている。通貨交換とデノミネーションの断行は、2009年11月30日に突然発表され実施されたが、北朝鮮人民に過酷な犠牲を強いた。成果は大失敗で、建国以来はじめてといわれるほどの反発を人民たちから受けたという。
中国政府に勤務する北朝鮮人の男性、彼は金正男の側近だが、2010年8月につぎのように話した。同年5月に中国を訪れた金正日に、長男の正男は「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を3月に起こしたのに、なぜ黙認したのか」。また「ジョンウンが無理に貨幣改革デノミを推進して失敗し、これを挽回するために天安沈没事件を起こした。ジョンウンの顔が(世界に)知られる前に起きたことなのに、なぜ黙認するのか」と抗議した。韓国放送公社が2010年11月14日に報じた。金正男の側近は「中国と北の高位層には、正男を支持する勢力がまだ多い」とも語った。
2月17日 韓国の自由北朝鮮放送によると、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る国民に対し、改名を強要したと報じた。金正日が後継者に決まる際にも、同じように「ジョンイル」名の国民に対し強制改名が行われた。ジョンウンの漢字表記は不明。いつもハングルでジョンウンとしか記されない。
3月26日 韓国海軍の哨戒艦「天安」が黄海で沈没。戦死者46名。一般に北朝鮮の攻撃によるものと考えられているが北朝鮮は関与を否定。先述のように金正男は父の正日に北京で、弟の「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を起こすのに、なぜあなたは黙認したのか」と話したという。
7月9日 国連がようやく採決した韓国艦「天安」沈没事件の議長声明は、北朝鮮の名指しを避けたうえ、中国の主張で「北朝鮮は沈没に無関係だと主張している」との一文まで入れた、非常に弱い内容になってしまった。韓国はこれ以降、中国が拒否権をもつ安保理を信用しない。延坪島砲撃事件でも、韓国は国連安保理に期待しなかった。
8月26日~30日 金総書記はカーター元米国大統領の訪問をすっぽかし、中国北東部を訪問。中国の胡錦濤国家主席が北京から出向いて会談。三男の金ジョンウンも同行した。中国は息子が北朝鮮の次期指導者になることを了承した。
正日の三男の名、漢字は不明で「ジョンウン」と日本のメディアはハングルのカナ表示で統一していた。胡との会談の1ヶ月後、9月28日より中国は実名を「金正銀」と報じ、はじめて実名が判明した。ところが北朝鮮はそれをひるがえし、10月1日に「金正恩」だと公表した。中国政府は北朝鮮に泥を塗られたという見方もあるが、ジョンウンは、正雲―正銀―正恩と改名を繰り返していた。いずれの表記も、読みは「ジョンウン」である。中国が<正銀>と公表した直後に<正恩>に変更した可能性が強い。2009年1月8日付の韓国メディアは「金正雲から金正銀に改名した」と報道している。
正銀から正恩への変更した理由は、ある中国高官の発言だとする説がある。「銀は金より下だ」と彼はいった。金正銀を縦書きすれば、金の下に銀がある。この発言に反発して、急に銀を恩にかえたという説である。
9月15日 鉄道転覆事故。威境北道清津の製鋼所と茂山鉱山を結ぶ貨物列車が転覆した<共同>
9月18日 また列車転覆事故があった。平壌から豆満江に向かう列車が被害を受け、ロシアの鉄道関係者も乗車しており17人ほどが死傷。枕木が約5メートルにわたり抜き取られていた。何者かが故意に起こしたとみられる<共同>。北朝鮮でこのような反体制行為が可能なのであろうか? 信じられないようなニュースである。
9月27日 李英鎬軍参謀総長が、元帥に次ぐ階級の次師匠に昇進。李は金正恩の家庭教師とよばれている砲術家である。翌日開催の党会議で、党の最高機関である政治局の常務委員、さらに翌日には中央軍事委副委員長に選ばれた。新設のこの軍事委ポストに座ったのは、ジョンウンと李のふたりだけである。李が総参謀長に就いたのは、2009年2月だが以降、旧勢力を押し出す形で50~60歳代中心の「新軍部」が急速に台頭し、北の強硬路線が鮮明になった。
9月28日 金ジョンウンは、朝鮮労働党代表者会議において、党中央委員に選出された。同日、ジョンウンは党中央委員会総会で、党中央軍事委員会副委員長に選出された。中国「新華社通信」は、はじめて金ジョンウンに「金正銀」の漢字表記を使用した。
9月30日 金ジョンウンの写真と映像が初公開された。
10月1日 北朝鮮の朝鮮中央通信は、「ジョンウン」の漢字表記は「正恩」と発表。
10月9日 中国で長男の金正男は、テレビ朝日とのインタヴューで「個人的には3代世襲には反対します。ですが然るべき内部的要因があったなら、それに従うべきだと思います」。三男の正恩氏が後継者という報道は本当か?という記者の質問に、「私もニュースでそう聞いた。事実だと思う」。「父が正恩を寵愛している。いかなる決断も父がする。父が決断すれば従わなければならない」「後継者には興味はない。個人的にこの問題に興味がない。政治には興味がない」。そして正恩について「弟には北朝鮮人民のために頑張ってほしい」
なお余談だが、正男は語学の達人であることに間違いはないようだ。英語とフランス語を流暢に話し、ロシア語と中国語そして日本語は会話に不自由しないレベルかそれ以上である。またコンピュータに強いといわれている。政治力についての資質は不明だが、優秀な人物だと言われている。シンパも多い。
10月10日 平壌で朝鮮労働党創建65周年を祝う軍事パレードが行われ、金正恩がはじめて公式の場に登場した。彼の隣には、中国共産党の周永康政治局常務委員がいた。周は、中国共産党ナンバー9の有力者である。
正恩の偉大性宣伝で言われているのが、「7カ国語ができる天才。3歳で銃を取り、百発百中の腕前を持つ、砲術の天才」。延坪島砲撃については「砲術の天才の砲撃作戦が大成果を上げた」。語学は英独仏伊の4か国語に精通し、日中ロの3か国語も習得中という。
実際に延坪島砲撃を立案、総指揮したのは李英鎬軍参謀総長である。金総書記と同じ68歳。陸海空を束ねる軍制服組のトップ。パレード式典では雛段で、金父子の間にずっと立ち、笑みを絶やさず、その威勢ぶりを見せつけた。李は砲術の専門家で、執務室には関連書が山積みされており、金日成軍事総合大学(5年制)で正恩の砲術論文作成を指導したといわれている。正恩の家庭教師とよばれる所以である。
この晴れやかな日に、次男の正哲の顔がなかった。彼は気が弱く、権力闘争に向かない人物と一般にいわれているが、もし正恩がこけた場合のスペアとの見方もある。
ところで2012年は北朝鮮にとって大切な年、金日成生誕100周年である。「強盛大国の大門を開ける」年と北は位置づけており、金正恩への権力継承作業が大きな節目を迎えるとみられている。
朝鮮中央放送によると、10月10日付けで金ジョンウンら6人を、朝鮮人民軍の大将に昇進させる命令を発した。
11月21日 金総書記と正恩らが、砲撃地点に近い黄海南道の軍部隊を訪れ、野砲の性能や韓国軍の過去の砲撃訓練について、黄海周辺地域を統括する朝鮮人民軍第4軍団長の金格植大将から説明を受けた。このことから韓国側は、延坪島への11月23日の「砲撃は、金総書記父子が主導した計画的な挑発であることは明らかである」<韓国紙「中央日報」11月25日付>
金正日は三男の正恩とともに21日、砲撃事件の起きた場所に近い、黄海南道の養魚場を視察したという情報もある。砲撃の朝鮮人民軍第4軍団を訪問し、軍団長の金格植大将に会い、士気を鼓舞した。金格植は李英鎬の前の総参謀長である。軍団長は降格処分であろう。軍高官ふたりの確執もとりざたされる。
11月22日 北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」は、23日13時から延坪島近辺で予定されている韓国軍の護国訓練について、「朝鮮半島の平和と北南関係改善を望むすべての民族の志向と念願に対する悪辣な挑戦であり、受け入れられない反民族的な犯罪行為である。われわれに対する南朝鮮当局の敵対感と侵略の危険の境界線を超えてから長く、傀儡好戦狂の分別のない対決戦争策動が、朝鮮半島で任意に核戦争が起こりかねないことを示している」と威嚇した。
11月23日 8:20 南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、北朝鮮から1枚のFAXが届いた。文面は、韓国軍が大規模な定例訓練の一環として延坪島で射撃訓練を計画しているとして、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」、射撃すれば座視しないという内容であった。
北朝鮮の聯合ニュースは「南朝鮮は北朝鮮の度重なる警告にもかかわらず、23日13時から延坪島一帯の北朝鮮領海内に砲撃を加える軍事的挑発を強行した」と報道。北朝鮮は砲撃前に、周辺空域でミグ23戦闘機5機を哨戒飛行させた。
14:34~14:45 北朝鮮が砲撃。北朝鮮は第1次砲撃の12分間に150発を発射。第1次攻撃では、60発が延坪島に落下。残りの90発は洋上で演習中だった韓国艦船に向けての砲撃である。その後に第2次砲撃を加え、延坪島の北方の茂島ムドとケモリ基地から砲撃を開始。北からの砲撃終了は14時55分。
14:47~15:15 韓国軍は第1次反撃の砲撃を被爆13分後に開始した。第1次の北朝鮮砲撃の後、延坪島の韓国軍は反撃に手間取り、すぐに応戦できなかった。北朝鮮軍は韓国軍部隊に照準を合わせていたが、島の韓国軍の曲射砲の自走砲部隊は準備不足のため、反撃開始が遅れた。また自走砲6門のうち1門は故障して使えなかった。また2門は砲撃の衝撃で電子回路に故障が生じ、3門だけで反撃を開始した。延坪島韓国軍の装備はK9自走砲6門。その内、発砲可能な3門から計80発を発射。
反撃が13分後と遅れたのは、北朝鮮による電磁パルスEMPによる妨害のために、砲弾の発射地点を特定できなかったためもある。妨害のために対砲レーダーが作動せず、北がどこから砲撃して来たのか把握できなかった<東亜日報12月3日>
11月24日 砲撃事件の翌日、北朝鮮の国民の声としてデイリーNKが伝えるところによると、「南朝鮮がわが共和国を狙い挑発を行ったが、将軍様(金正日総書記)の軍隊はこれを許さず、数倍にして報復した。敵の対決策動にも青年大将(金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)が<領導>する革命的武装力で対抗するわれわれにあるのは、勝利だけだ。情勢が複雑になるほど金総書記と正恩氏に仕えてこそ、勝利が保障される」
11月25日 「労働新聞」によると、金総書記が中国の無償援助で建設された平安南道のガラス工場を25日に視察し、中朝の友好を力説した。三男の金正恩も同行。
12月3日 米国の自由アジア放送は、砲撃事件などで北朝鮮の情勢が不安定化していると報じた。米などの物価が高騰しており、後継者の金正恩に対する不満が庶民(両江道の消息筋情報)の間で高まっていると報じた。住民は金正恩の責任だとして、露骨に不満を漏らしているという。
12月11日 北朝鮮の新義州から平壌に向かっていた貨物列車が転覆。約40両のうち8両に金正恩副委員長の誕生日のための贈り物用のテレビや時計などが積まれていた。正恩後継に反対する勢力による妨害行為の可能性もあるとして、公安当局が捜査している。<聯合ニュース12月27日付>
北朝鮮での内乱の兆候を思わせる列車転覆事故は大ショックである。金正恩の2011年1月8日の誕生日の祝い品を満載した列車が、何者かによって転覆させられたのである。密告と盗聴でがんじがらめの同国で、反体制のテロ行為などほとんど100%といっていいほど不可能なはずだ。金父子らが受けた恐怖や危機感は相当のものであろう。中国の秘密部隊か、米CIAあるいは北朝鮮軍サイドが金父子体制を揺さぶるために行ったのであろうか?
○余談であるが、金総書記の長男・金正男はマカオと北京を中心に、中国国内にずっと滞在している。北朝鮮からは正男を暗殺するための秘密部隊が潜入しており、中国は北朝鮮に対し、暗殺部隊を送り込んだことに強く抗議したともいう。暗殺を指示したのは正恩サイドとされる。
2009年6月に中国マカオ滞在中の正男を暗殺しようとした北の特殊部隊の行動が中国当局に発覚した。事態に驚いた父の金正日は、中国の胡錦濤に正男の安全を依頼し胡は確約したが、その後も暗殺のための秘密工作員は中国に潜伏しているとされる。
○以下あくまで私見です。金正男は東京ディズニーランド訪問で有名だが、かなり優秀な人物と思われる。彼のシンパは多数が粛清されたという情報もあるが、北朝鮮国内には正恩ではなく、正男を推す隠れグループが国内指導部若手には多いともいわれている。韓国大統領の諮問機関・民主平和統一諮問会議の李基沢首席副委員長はベルリンで「北朝鮮の金正日総書記の長男正男が、北の体制崩壊の可能性を念頭に置いているとの話しを聞いた」ことを明らかにした。また正男は、北朝鮮は間違いなく「滅びる。長続きすると思うか?」と話した。<聯合ニュース11月26日>
金正恩がもしも表舞台から消えれば、次男の正哲が内部勢力によって神輿にかつがれる。あるいは中国が長男の正男をトップに立て、傀儡政権が誕生する。また兄弟全員が舞台から追われるかもしれない。金正恩体制はいつまで続くのであろうか? 飢餓状態が解決し、民の幸福が実現すればそれでよいと、わたしは思います。<2011年12月24日記>
<追記>どんどん増えそうですが、書き足していきます。
(1) 金正日総書記葬儀委員名簿の序列です。①金正恩②金永南(最高人民会議常任委員長)③崔永林(首相)④李英鎬⑤金永春(人民武力相・李英鎬のライバルか)⑭金慶喜(正日の妹)⑲張成沢(慶喜の夫)
(2) 金正日ひつぎ車に寄り添った8人。右前から①金正恩(28歳)②張成沢(65歳)③金己男(党書紀85歳)④崔泰福(最高人民会議議長81歳)
左前から、①李英鎬(69歳)②金永春(72歳・金格植の前の参謀総長)③金正覚(軍総政治局第1副局長・年齢不明)④禹東則(国家安全保衛部第1副部長・年齢不明)
(3) 2011年1月中旬、中国国内の都市で、金正男が五味洋治のインタビューに応じた。五味は東京新聞外報部。1月28日付け同紙より抜粋します。
Q 社会主義と世襲は矛盾しないか。
A そう思う。中国の毛沢東でさえ世襲はなかった。
Q 北朝鮮経済は?
A デノミは失敗。改革開放に関心を持つべきだ。今のままでは経済大国にはなれない。北朝鮮が最も望んでいるのは、米国との関係正常化と朝鮮半島での平和定着。その後、本格的な経済再建に乗り出すだろう。
Q 核を放棄するか?
A 北朝鮮の国力は核だ。米国との対決状況がある限り、可能性は少ない。
追記をその後も書き足していたのですが、どんどん増えてしまいます。これからはタイトル「北朝鮮2012年」として、独立連載にします。次回は1月4日付け「北朝鮮2012年2」<2012年1月4日>
わたしが北朝鮮について記すのは、門外漢だがまったくの意外ではないと思ったりもする。1年と少し前、2010年11月23日に延坪島砲撃事件が起きた。すわ、第2次朝鮮戦争の勃発か? 大騒ぎになりましたが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。いまではこの事件について語るひとも、ほとんどいなくなってしまいました。あまりにも膨大な情報は流れ去り、どんどん捨てられていきます。
忘れないためにと思って、2010年の北朝鮮と国際情勢についてのウォッチングを続けたことがあります。わたしの営みなど、専門家からみれば取るに足りない記録でしょうが、こつこつウォッチングを続ければそれなりの収穫がある、というのがわたしなりの偽らざる結論です。
かつてこのブログで連載「検証北朝鮮・延坪島ヨンピョンド事件」を13回続けてみました。2010年12月11日から2011年1月11日掲載まで、2010年1年間の北朝鮮と世界の対北外交などを追いました。いま久しぶりに読み返すと、実に疲れる。あまりに記述が細かく、文字数が多すぎるのです。
いま何ができるか? と思っていて、金信男・正哲・正恩の3兄弟に焦点をしぼり、2010年の1年間をダイジェストすることに、いくらかのヒントが生まれるかもしれないという思いです。「北朝鮮2010年 金三兄弟の記録」を参考まで。
2010年1月 延坪島など黄海5島の占領を想定した奇襲上陸作戦の訓練実施を、金正日総書記が指示した。金正日は、三男の正恩や軍高官らの幹部を集め、黄海「五島の攻撃を準備しろ。地図から消える方法を考えろ」と指示。これを受けて、朝鮮人民軍は、特殊部隊による上陸訓練などを準備した。訓練を総書記と正恩は視察。黄海の北朝鮮側水域で、約350発の砲撃訓練を開始した。
2月1日 北朝鮮の党機関紙「労働新聞」は「われわれの勝利を堅く信じる」と題して、金総書記の言葉を掲載した。「私は、わが人民がまだトウモロコシ飯を食べていることに一番心が痛む。今、私がやらねばならないことは世の中で最も立派なわが人民に白米を食べさせ、麦でつくったパンや麺ククスを思いっきり食べさせることだ。われわれみんなが首領(故金日成首席)の前で確認した誓いを守り、わが人民を、トウモロコシ飯を知らない人民として世の中に推し立てよう」。
2009年末の通貨交換とデノミ政策の失敗で国民の反発が高まっているため、最高指導者が住民の食糧問題に気を配っていることを示し、不満をなだめようという意図からの発言であろう。大失敗に終わった通貨改革とデノミを主導したのは、金ジョンウン(この時点では漢字表記は不明)だといわれている。通貨交換とデノミネーションの断行は、2009年11月30日に突然発表され実施されたが、北朝鮮人民に過酷な犠牲を強いた。成果は大失敗で、建国以来はじめてといわれるほどの反発を人民たちから受けたという。
中国政府に勤務する北朝鮮人の男性、彼は金正男の側近だが、2010年8月につぎのように話した。同年5月に中国を訪れた金正日に、長男の正男は「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を3月に起こしたのに、なぜ黙認したのか」。また「ジョンウンが無理に貨幣改革デノミを推進して失敗し、これを挽回するために天安沈没事件を起こした。ジョンウンの顔が(世界に)知られる前に起きたことなのに、なぜ黙認するのか」と抗議した。韓国放送公社が2010年11月14日に報じた。金正男の側近は「中国と北の高位層には、正男を支持する勢力がまだ多い」とも語った。
2月17日 韓国の自由北朝鮮放送によると、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る国民に対し、改名を強要したと報じた。金正日が後継者に決まる際にも、同じように「ジョンイル」名の国民に対し強制改名が行われた。ジョンウンの漢字表記は不明。いつもハングルでジョンウンとしか記されない。
3月26日 韓国海軍の哨戒艦「天安」が黄海で沈没。戦死者46名。一般に北朝鮮の攻撃によるものと考えられているが北朝鮮は関与を否定。先述のように金正男は父の正日に北京で、弟の「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を起こすのに、なぜあなたは黙認したのか」と話したという。
7月9日 国連がようやく採決した韓国艦「天安」沈没事件の議長声明は、北朝鮮の名指しを避けたうえ、中国の主張で「北朝鮮は沈没に無関係だと主張している」との一文まで入れた、非常に弱い内容になってしまった。韓国はこれ以降、中国が拒否権をもつ安保理を信用しない。延坪島砲撃事件でも、韓国は国連安保理に期待しなかった。
8月26日~30日 金総書記はカーター元米国大統領の訪問をすっぽかし、中国北東部を訪問。中国の胡錦濤国家主席が北京から出向いて会談。三男の金ジョンウンも同行した。中国は息子が北朝鮮の次期指導者になることを了承した。
正日の三男の名、漢字は不明で「ジョンウン」と日本のメディアはハングルのカナ表示で統一していた。胡との会談の1ヶ月後、9月28日より中国は実名を「金正銀」と報じ、はじめて実名が判明した。ところが北朝鮮はそれをひるがえし、10月1日に「金正恩」だと公表した。中国政府は北朝鮮に泥を塗られたという見方もあるが、ジョンウンは、正雲―正銀―正恩と改名を繰り返していた。いずれの表記も、読みは「ジョンウン」である。中国が<正銀>と公表した直後に<正恩>に変更した可能性が強い。2009年1月8日付の韓国メディアは「金正雲から金正銀に改名した」と報道している。
正銀から正恩への変更した理由は、ある中国高官の発言だとする説がある。「銀は金より下だ」と彼はいった。金正銀を縦書きすれば、金の下に銀がある。この発言に反発して、急に銀を恩にかえたという説である。
9月15日 鉄道転覆事故。威境北道清津の製鋼所と茂山鉱山を結ぶ貨物列車が転覆した<共同>
9月18日 また列車転覆事故があった。平壌から豆満江に向かう列車が被害を受け、ロシアの鉄道関係者も乗車しており17人ほどが死傷。枕木が約5メートルにわたり抜き取られていた。何者かが故意に起こしたとみられる<共同>。北朝鮮でこのような反体制行為が可能なのであろうか? 信じられないようなニュースである。
9月27日 李英鎬軍参謀総長が、元帥に次ぐ階級の次師匠に昇進。李は金正恩の家庭教師とよばれている砲術家である。翌日開催の党会議で、党の最高機関である政治局の常務委員、さらに翌日には中央軍事委副委員長に選ばれた。新設のこの軍事委ポストに座ったのは、ジョンウンと李のふたりだけである。李が総参謀長に就いたのは、2009年2月だが以降、旧勢力を押し出す形で50~60歳代中心の「新軍部」が急速に台頭し、北の強硬路線が鮮明になった。
9月28日 金ジョンウンは、朝鮮労働党代表者会議において、党中央委員に選出された。同日、ジョンウンは党中央委員会総会で、党中央軍事委員会副委員長に選出された。中国「新華社通信」は、はじめて金ジョンウンに「金正銀」の漢字表記を使用した。
9月30日 金ジョンウンの写真と映像が初公開された。
10月1日 北朝鮮の朝鮮中央通信は、「ジョンウン」の漢字表記は「正恩」と発表。
10月9日 中国で長男の金正男は、テレビ朝日とのインタヴューで「個人的には3代世襲には反対します。ですが然るべき内部的要因があったなら、それに従うべきだと思います」。三男の正恩氏が後継者という報道は本当か?という記者の質問に、「私もニュースでそう聞いた。事実だと思う」。「父が正恩を寵愛している。いかなる決断も父がする。父が決断すれば従わなければならない」「後継者には興味はない。個人的にこの問題に興味がない。政治には興味がない」。そして正恩について「弟には北朝鮮人民のために頑張ってほしい」
なお余談だが、正男は語学の達人であることに間違いはないようだ。英語とフランス語を流暢に話し、ロシア語と中国語そして日本語は会話に不自由しないレベルかそれ以上である。またコンピュータに強いといわれている。政治力についての資質は不明だが、優秀な人物だと言われている。シンパも多い。
10月10日 平壌で朝鮮労働党創建65周年を祝う軍事パレードが行われ、金正恩がはじめて公式の場に登場した。彼の隣には、中国共産党の周永康政治局常務委員がいた。周は、中国共産党ナンバー9の有力者である。
正恩の偉大性宣伝で言われているのが、「7カ国語ができる天才。3歳で銃を取り、百発百中の腕前を持つ、砲術の天才」。延坪島砲撃については「砲術の天才の砲撃作戦が大成果を上げた」。語学は英独仏伊の4か国語に精通し、日中ロの3か国語も習得中という。
実際に延坪島砲撃を立案、総指揮したのは李英鎬軍参謀総長である。金総書記と同じ68歳。陸海空を束ねる軍制服組のトップ。パレード式典では雛段で、金父子の間にずっと立ち、笑みを絶やさず、その威勢ぶりを見せつけた。李は砲術の専門家で、執務室には関連書が山積みされており、金日成軍事総合大学(5年制)で正恩の砲術論文作成を指導したといわれている。正恩の家庭教師とよばれる所以である。
この晴れやかな日に、次男の正哲の顔がなかった。彼は気が弱く、権力闘争に向かない人物と一般にいわれているが、もし正恩がこけた場合のスペアとの見方もある。
ところで2012年は北朝鮮にとって大切な年、金日成生誕100周年である。「強盛大国の大門を開ける」年と北は位置づけており、金正恩への権力継承作業が大きな節目を迎えるとみられている。
朝鮮中央放送によると、10月10日付けで金ジョンウンら6人を、朝鮮人民軍の大将に昇進させる命令を発した。
11月21日 金総書記と正恩らが、砲撃地点に近い黄海南道の軍部隊を訪れ、野砲の性能や韓国軍の過去の砲撃訓練について、黄海周辺地域を統括する朝鮮人民軍第4軍団長の金格植大将から説明を受けた。このことから韓国側は、延坪島への11月23日の「砲撃は、金総書記父子が主導した計画的な挑発であることは明らかである」<韓国紙「中央日報」11月25日付>
金正日は三男の正恩とともに21日、砲撃事件の起きた場所に近い、黄海南道の養魚場を視察したという情報もある。砲撃の朝鮮人民軍第4軍団を訪問し、軍団長の金格植大将に会い、士気を鼓舞した。金格植は李英鎬の前の総参謀長である。軍団長は降格処分であろう。軍高官ふたりの確執もとりざたされる。
11月22日 北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」は、23日13時から延坪島近辺で予定されている韓国軍の護国訓練について、「朝鮮半島の平和と北南関係改善を望むすべての民族の志向と念願に対する悪辣な挑戦であり、受け入れられない反民族的な犯罪行為である。われわれに対する南朝鮮当局の敵対感と侵略の危険の境界線を超えてから長く、傀儡好戦狂の分別のない対決戦争策動が、朝鮮半島で任意に核戦争が起こりかねないことを示している」と威嚇した。
11月23日 8:20 南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、北朝鮮から1枚のFAXが届いた。文面は、韓国軍が大規模な定例訓練の一環として延坪島で射撃訓練を計画しているとして、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」、射撃すれば座視しないという内容であった。
北朝鮮の聯合ニュースは「南朝鮮は北朝鮮の度重なる警告にもかかわらず、23日13時から延坪島一帯の北朝鮮領海内に砲撃を加える軍事的挑発を強行した」と報道。北朝鮮は砲撃前に、周辺空域でミグ23戦闘機5機を哨戒飛行させた。
14:34~14:45 北朝鮮が砲撃。北朝鮮は第1次砲撃の12分間に150発を発射。第1次攻撃では、60発が延坪島に落下。残りの90発は洋上で演習中だった韓国艦船に向けての砲撃である。その後に第2次砲撃を加え、延坪島の北方の茂島ムドとケモリ基地から砲撃を開始。北からの砲撃終了は14時55分。
14:47~15:15 韓国軍は第1次反撃の砲撃を被爆13分後に開始した。第1次の北朝鮮砲撃の後、延坪島の韓国軍は反撃に手間取り、すぐに応戦できなかった。北朝鮮軍は韓国軍部隊に照準を合わせていたが、島の韓国軍の曲射砲の自走砲部隊は準備不足のため、反撃開始が遅れた。また自走砲6門のうち1門は故障して使えなかった。また2門は砲撃の衝撃で電子回路に故障が生じ、3門だけで反撃を開始した。延坪島韓国軍の装備はK9自走砲6門。その内、発砲可能な3門から計80発を発射。
反撃が13分後と遅れたのは、北朝鮮による電磁パルスEMPによる妨害のために、砲弾の発射地点を特定できなかったためもある。妨害のために対砲レーダーが作動せず、北がどこから砲撃して来たのか把握できなかった<東亜日報12月3日>
11月24日 砲撃事件の翌日、北朝鮮の国民の声としてデイリーNKが伝えるところによると、「南朝鮮がわが共和国を狙い挑発を行ったが、将軍様(金正日総書記)の軍隊はこれを許さず、数倍にして報復した。敵の対決策動にも青年大将(金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)が<領導>する革命的武装力で対抗するわれわれにあるのは、勝利だけだ。情勢が複雑になるほど金総書記と正恩氏に仕えてこそ、勝利が保障される」
11月25日 「労働新聞」によると、金総書記が中国の無償援助で建設された平安南道のガラス工場を25日に視察し、中朝の友好を力説した。三男の金正恩も同行。
12月3日 米国の自由アジア放送は、砲撃事件などで北朝鮮の情勢が不安定化していると報じた。米などの物価が高騰しており、後継者の金正恩に対する不満が庶民(両江道の消息筋情報)の間で高まっていると報じた。住民は金正恩の責任だとして、露骨に不満を漏らしているという。
12月11日 北朝鮮の新義州から平壌に向かっていた貨物列車が転覆。約40両のうち8両に金正恩副委員長の誕生日のための贈り物用のテレビや時計などが積まれていた。正恩後継に反対する勢力による妨害行為の可能性もあるとして、公安当局が捜査している。<聯合ニュース12月27日付>
北朝鮮での内乱の兆候を思わせる列車転覆事故は大ショックである。金正恩の2011年1月8日の誕生日の祝い品を満載した列車が、何者かによって転覆させられたのである。密告と盗聴でがんじがらめの同国で、反体制のテロ行為などほとんど100%といっていいほど不可能なはずだ。金父子らが受けた恐怖や危機感は相当のものであろう。中国の秘密部隊か、米CIAあるいは北朝鮮軍サイドが金父子体制を揺さぶるために行ったのであろうか?
○余談であるが、金総書記の長男・金正男はマカオと北京を中心に、中国国内にずっと滞在している。北朝鮮からは正男を暗殺するための秘密部隊が潜入しており、中国は北朝鮮に対し、暗殺部隊を送り込んだことに強く抗議したともいう。暗殺を指示したのは正恩サイドとされる。
2009年6月に中国マカオ滞在中の正男を暗殺しようとした北の特殊部隊の行動が中国当局に発覚した。事態に驚いた父の金正日は、中国の胡錦濤に正男の安全を依頼し胡は確約したが、その後も暗殺のための秘密工作員は中国に潜伏しているとされる。
○以下あくまで私見です。金正男は東京ディズニーランド訪問で有名だが、かなり優秀な人物と思われる。彼のシンパは多数が粛清されたという情報もあるが、北朝鮮国内には正恩ではなく、正男を推す隠れグループが国内指導部若手には多いともいわれている。韓国大統領の諮問機関・民主平和統一諮問会議の李基沢首席副委員長はベルリンで「北朝鮮の金正日総書記の長男正男が、北の体制崩壊の可能性を念頭に置いているとの話しを聞いた」ことを明らかにした。また正男は、北朝鮮は間違いなく「滅びる。長続きすると思うか?」と話した。<聯合ニュース11月26日>
金正恩がもしも表舞台から消えれば、次男の正哲が内部勢力によって神輿にかつがれる。あるいは中国が長男の正男をトップに立て、傀儡政権が誕生する。また兄弟全員が舞台から追われるかもしれない。金正恩体制はいつまで続くのであろうか? 飢餓状態が解決し、民の幸福が実現すればそれでよいと、わたしは思います。<2011年12月24日記>
<追記>どんどん増えそうですが、書き足していきます。
(1) 金正日総書記葬儀委員名簿の序列です。①金正恩②金永南(最高人民会議常任委員長)③崔永林(首相)④李英鎬⑤金永春(人民武力相・李英鎬のライバルか)⑭金慶喜(正日の妹)⑲張成沢(慶喜の夫)
(2) 金正日ひつぎ車に寄り添った8人。右前から①金正恩(28歳)②張成沢(65歳)③金己男(党書紀85歳)④崔泰福(最高人民会議議長81歳)
左前から、①李英鎬(69歳)②金永春(72歳・金格植の前の参謀総長)③金正覚(軍総政治局第1副局長・年齢不明)④禹東則(国家安全保衛部第1副部長・年齢不明)
(3) 2011年1月中旬、中国国内の都市で、金正男が五味洋治のインタビューに応じた。五味は東京新聞外報部。1月28日付け同紙より抜粋します。
Q 社会主義と世襲は矛盾しないか。
A そう思う。中国の毛沢東でさえ世襲はなかった。
Q 北朝鮮経済は?
A デノミは失敗。改革開放に関心を持つべきだ。今のままでは経済大国にはなれない。北朝鮮が最も望んでいるのは、米国との関係正常化と朝鮮半島での平和定着。その後、本格的な経済再建に乗り出すだろう。
Q 核を放棄するか?
A 北朝鮮の国力は核だ。米国との対決状況がある限り、可能性は少ない。
追記をその後も書き足していたのですが、どんどん増えてしまいます。これからはタイトル「北朝鮮2012年」として、独立連載にします。次回は1月4日付け「北朝鮮2012年2」<2012年1月4日>