ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

知足 <幸せシリーズ29>

2012-04-12 | Weblog
 ちょうど桜花のころでした。東京から出張で来られた方が「昼ご飯に行きましょう。時間に余裕はありますか?」。てっきり街中の料理屋さんだろうと思っていたら、タクシーを拾い郊外の龍安寺に向かうという。
 「湯豆腐の店が龍安寺境内にあります。ちょうど桜が咲き出したので、食事しながら庭の花をみたくなりました」。龍安寺の回遊式庭園は広い鏡容池をぐるっと回りますが、池の西の塔頭、西源院が湯豆腐を食べさせてくれます。畳敷きの広間から小ぶりですが美しい庭をみながら食事する。桜は三分咲きくらいでしたが、気分はウキウキし豆腐は実においしかった。こんな店があろうとは、驚いてしまいました。
 いつも感心するのですが、東京人は京都の味どころや隠れた観光スポットにくわしい方が多い。なぜこの店をご存じかと尋ねると「作家の渡辺淳一先生が連れて来てくださった」。今年の遅咲き桜をながめていて、ふと思い出しました。何年も前の記憶です。
 龍安寺は方丈南の石庭で有名ですが、湯豆腐のほかにもおすすめがあります。方丈北の裏庭にある「知足の蹲距」(つくばい)。茶室蔵六庵の露地にある手水鉢です。四文字が四角い水たまりを囲んでいます。「われただ足るを知る」<吾唯足知>ですが、すべての字に「口」があり、上部の水の凹四角を共有しています。そのため四文字は「五隹疋矢」にみえます。「知足の哲学」は老子です。

 『老子』の「知足」は3カ所に記されています。抜粋でみてみましょう。
第33章「知足者富、強行者有志」
 己に足ることを知る者は富み、道に努め励む者は向上心を持つ。
第46章「故知足之足、常足矣」
 足ることを知る豊かさは、いかなる時も常に満ち足りている。

第44章は「知足不辱、知止不始」ですが、全文を意訳してみます。
 名声と生命と、どちらが大切であろうか。生命と財貨なら、どちらであろうか。手に入れるのと失うのでは、どちらが苦痛であろうか。だから、ひどく外物に執着すれば、生命をすり減らすことになり、しこたま貯めこむと、ごっそり持っていかれることは必定である。満足することを知れば、辱(はずかし)めを受けることもなく、踏みとどまることを知る者は危うい目にあうこともない。いつまでも安らかでいられるのだ。

 八年前のことですが、ブータンの前王妃は訪れた京都で「足るを知る」を語りました。彼女が豊かな日本人に贈りたかった、いちばんのキーワードだったのです。わたしたちは満足を求めるばかりに熱心で、知足を忘れているのでしょう。ブータン王妃からの警鐘だったのです。
○参考書
 『老子』上下 中国古典選11・12 福永光司編著 朝日新聞文庫 1978年
 『不幸な国の幸福論』 加賀乙彦著 集英社新書 2009年
<2012年4月12日>
コメント
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