最高権力と、あり余るほどの財を獲得した豊臣秀吉は、さらに最上の名誉も地位も、すべて手にいれた。
彼にはもう、欲しいものは何もなかろうと思うのだが、そうではない。人間はここまで哀れであるのかと、実に情けない思いがしてしまうほど、彼の晩年は実に悲しく悲惨であった。望むものすべてを得ても、人間は達観することができぬほど、それほど浅はかであるのは、本当にみじめで、あまりにも悲しい。
師フロイスと同時期のイエズス会司祭、パードレ・オルガンチーノ、和名・宇留岸伴天連は、1588年に書いています。
わたしは毎日、あの暴君、関白秀吉の卑劣で下品なあれこれを数々話し聞かされて、驚き入るよりありません。秀吉の野心は、あまりにも増長しすぎたばかりに、自らの高位とか尊厳を忘れ去り、人間本来のなすべきことをすべて忘れ去るに到ってしまいました。彼はもはや、ひととは申せなくなり、獣よりも劣った動物に成り果ててしまったのです。……
秀吉の淫乱な醜行は、あちらこちらにある彼の宮殿を、すべて一大遊郭にしてしまったほどでありました。美貌の娘や若い美しい婦人たちで、彼の毒牙から逃れ得たものは、ひとりもありません。彼はすでに主君であった信長のふたりの娘を妾にしており、別のひとりは彼が殺害した越前の国の王、柴田勝家の息子の妻で、ほかのひとりは五ヶ国の君主で彼がいま最も恐れている最大の敵である徳川家康の息子の妻である。
秀吉は主君であった信長が有していたすべての美人の妾たち、さらに信長の後継者で、信長とともに本能寺の変で殺された嗣子城之介・織田信忠の妻たちも、おのれのものとしました。
また主だった貴人たちの大勢の娘たちも幼女として召し上げ、彼女たちが12歳になるとおのれの情婦としました。これら諸大身の娘たちで、器量がよいという評判が秀吉の耳に達しながら、連行されなかった女性はひとりもありませんでした。
関白秀吉は内裏の貴人である公家の娘たちも呼び寄せましたが、だれひとり逃れることもできませんでした。結局は手の施しようもなく、秀吉は放縦をきわめ、だれひとり拒否せぬばかりか、全員が喜んで娘や妻を提供し、身の安全保身を計るようになってしまったのです。
権力も財も名誉も、最高最大のすべてを掌中におさめた英傑はその後、朝鮮に侵略して鼻をそがせ、国内ではこのようにひとの娘や妻を奪って淫乱にふける。栄達とは何か?
秀吉の晩年、実権は石田光成と淀君が握り、たぶん彼はひとり狂っていた。信長の時代の小説を、数多く書いておられる作家の安部龍太郎さんに先日お会いしたが、そういっておられた。わたしも同感である。
地上のすべてを得ることは、わたしには困難どころか絶対に不可能だが、それらを得たはずの秀吉晩年の老醜醜態は、あまりにもつらく悲惨である。
<2008年6月22日 かおりさんのリクエストに答えて 南浦邦仁記>
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