水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

ユ-モア短編集 [第35話] 名曲秘話

2016年01月01日 00時00分00秒 | #小説

 演歌の大御所的作曲家である遠堂豆雄は、最近、すっかりスランプに陥(おちい)っていた。その訳は…と原因を日々、探る遠堂だったが、どうしても思い当たる節(ふし)がなく、悩んでいた。スランプを脱しようと、遠堂は場末の街へ飲みに出た。
「いつもので、いいですか? 遠堂さん…」
 スナックのバーテン大梶は、遠堂の顔を見た途端、そう言った。
「ああ、頼むよ…」
 遠堂はそういうと、いつも座る定位置のカウンター椅子へ腰を下ろした。
「元気がないですね。どうかされましたか…」
 大梶は気遣(きづか)ってか、小さく訊(たず)ねた。
「な~に、どうってこともないんだが…ちょっとしたスランプでね」
 遠堂が新進作曲家としてデビューして以来、大梶とは50年来の付き合いだった。そんなことででもなかったが、遠堂はなんでも気さくに打ち明けた。
「そうでしたか…。ダブルにしますか?」
「ああ…」
 大梶は手馴れた所作でグラスに水割りを作ると、遠堂の前へ突き出しのサラミを乗せた小皿とともに置いた。遠堂は、すぐにグラスを手にすると、グビリとひと口、喉(のど)へ流し込んだ。
「なにか、いい手立てはないかねぇ~」
 遠堂は大梶に言うではなく愚痴った。そのとき、遠くから偶然、どこで吹くのか夜鳴き蕎麦(そば)屋のチャルメラの音が侘(わ)びしく聞こえてきた。
「そうですねぇ~…トウシロの私なんかにゃ分かりませんが、アレなんかどうです?」
 大梶は音がした方向を徐(おもむろ)に見た。
「ああ…アレか…」
 遠堂は頷(うなず)くと、残りの酒をいっきに飲み干した。
「有難う…」
 遠堂はいつもの額を支払うと、スゥ~っと店を出た。
 それから十日後、遠堂が久々に世に送り出す曲♪チャルメラ悲恋♪が発売された。歌うは演歌期待の新人、鰹(かつお)昆布美(こぶみ)だった。
 ひと月後、曲は大ヒットした。有線で飲み屋街を席巻(せっけん)したのである。その年の有線放送大賞は申すに及ばず、数々の賞を総なめにし、曲中のひと節(ふし)は人々の流行語にもなった。ああ・・涙なしでは語れない名曲の誕生には、こんな偶然の秘話が隠されていた。

                   THE END


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする