ウサギとカメの話は童話や童謡でよく知られている。大学院名誉教授の徳山栄次郎は、ならばウサギとツルはどうなるのか? と書斎で真剣に考え込んでいた。最近、徳山は時折り、妄想に悩まされることがあった。別に体調の方は悪くなかったが、この日も、妻の富江とレストランで久々に食事をしたあと、どうもいけなくなっていた。タクシーを拾い、自宅に辿(たど)りついたまではよかったが、玄関へ上がった途端、完全にいけなくなってしまった。どういう風にいけなくなったのかといえば、次から次へと妄想が飛び出すのである。富江には適当に言って、先に寝てもらった。書斎へ入り椅子に座った途端、徳山の脳裡にウサギとカメが現れた。過去、数度、現れていたから、いかんいかん、また現れたか…と徳山は妄想を掻き消そうとした。だが結局、駄目だった。徳山は開き直り、ならば、じっくり付き合おうじゃないか! と大きく考えた。徳山は、カメではなくツルならどうなんだ…と妄想を広げた。しばらく真剣に考えるうちに、徳山自身、自分の妄想の広がりを止められなくなっていた。気づけば、徳山はウサギ、カメ、ツルに関する資料を書棚から選んでいた。もちろん、生物関係の文献である。徳山の書斎には、教授だけに、もの凄い数と種類の本が、所狭しと書棚に並んでいた。
「ほう…なるほど」
何が、なるほどなのか、自分で理解しないまま、徳山はそう呟(つぶや)いた。ウサギは哺乳類、カメは爬虫類、ツルは鳥類と出ていた。当然、誰が考えても三者三様だった。次に徳山は論理的に考えた。ウサギは油断してウッカリ眠ってしまった。ツルは飛ぶから当然、早い。ウサギ以上に油断する可能性があった。結局、ウサギは競争の途中で眠り、ツルは余裕で道草し、カメがやはり一番に着くだろう…と、徳永は結論づけた。その結論を忘れないよう軽くメモし、徳永は眠ることにした。ただ、書斎を出たときには夜も更け、11時過ぎになっていた。
次の日、朝起きたとき、徳永はすでに昨夜のことをすっかり忘れていた。メモしたことすら忘れていた。ただ、ツルとカメはお目出度(めでた)い・・という発想だけは心の片隅に残っていた。
THE END