土曜の朝、獅子園(ししぞの)公二は楽しみにしていた登山に出かけた。時折り、獅子園は登山をすることで日々のストレスを発散していた。
今回、登る牛窪山(うしくぼやま)は馬糞(ばふん)山系に位置する小高い山の一つだった。以前から獅子園が登りたかった山だが、登れず今に至っていた。
登山の馴(な)れはあったが、獅子園が準備に手を抜いたことはなく、今回も順調に推移した。獅子園の準備はいつも万全で、不測の事態にも対応策を持つ慎重派・・それが獅子園だった。
ほぼ山の中腹まで登ったとき、獅子園はおやっ? と首を傾(かし)げながら地図を見直した。地図には記されていない分岐路に出食わしたのである。さて、どうしたものか…と、獅子園は躊躇(ためら)いながら、近くにあった岩場へ腰を下ろした。ちょうど、休憩しようと思っていた矢先だったこともある。せせらぎも上手(うま)い具合に近くにあり、喉(のど)を潤(うるお)しながら獅子園は左右の分岐路を見た。一見、左を進めば緩(ゆる)やかそうに見えた。いやいやいや、それは甘い甘い…と獅子園はまた、躊躇った。そう見えて険(けわ)しいケースも今まで多々、経験していたからだ。じゃあ、右にしよう…と獅子園は腰を上げ、リュックを背負うと右の道を歩み始めた。しばらく行くと、急に道は険しくなった。獅子園はふたたび、立ち止って躊躇った。引き返して左を登ろうか…と。獅子園は分岐路まで引き返し、左の道を登ろうとした。そのとき、待てよ! というふたたびの躊躇い心が獅子園に湧き起こった。獅子園は腕を見た、10時半ばになっていた。ここからだと、隣の羊毛山(ようもうざん)の方が近いぞ…と思えたのだ。羊毛山も牛窪山と同じように登りたかった山の一つだった。距離的にみても、今の時間ならスムースに登れそうだった。獅子園は躊躇いながら後ろ髪を引かれる思いで羊毛山へのルートをとった。羊毛山へは、分岐路から少し下山したところに迂回(うかい)路がある。この道は地図にも出ていたから獅子園は以前から知っていた。少し下りて迂回し、羊毛山への道を進んだとき、獅子園は俄(にわ)かに腹が減ってきた。11時過ぎだったから、それもありか…と思え、獅子園は腰を下ろすと少し早い昼食にした。
腹も満たされ、さてと! と獅子園は少し重くなった腰を上げた。そして、しばらく歩いたとき、獅子園にまた躊躇いの心が湧き起こった。今日はやめて、今度、登ろう…というネガティブな躊躇いの心だった。今度、朝早くから気分よく分岐路の左を登ろう…という思いだ。結局、獅子園は下山した。
昼の1時過ぎ、家への帰途についた電車の窓から馬糞山系の山々が見えた。そのとき、全天、俄かにかき曇り、大粒の雨が降り出した。雨はたちまち豪雨となった。躊躇いは、獅子園を助けた。
THE END