山岳写真家として世に知られた川平静一は、今朝も早くから後家岳(ごけだけ)の中腹で写真を撮っていた。ファインダーを覗(のぞ)くと、いつもより、どうも今一、ピントが甘く感じられた。川平はカメラ構えを一時、中断し、俺も年か…と、溜息(ためいき)をついた。ガス雲が下界から吹き上がってきて、たちまち考えたアングルの景観を閉ざしたとき、今回はこれまでか…と川平は思った。
下山してポジ・フィルムの各コマをスクリーンへ投射すると、これ! という重要写真のピントが何枚もボケていた。川平の眼は、カメラのファイダー枠(わく)を捉えていなかったのである。時まさに、女子W杯の真っただ中、テレビはその中継音をガナり立てていた。川平の眼は編集作業を見ているから、テレビは音を聴くのみだった。
「おしいっ! ボールだっ!!」
アナウンサーが興奮して叫んだ。思わず川平が画面を見ると、シュートした選手が枠を外(はず)したあとだった。川平は、キーパーに取られるのは仕方ないとして、最低限、枠には入れようや…と偉(えら)そうに思った。だが、そう思いながら見た川平の写真は、明らかにピント枠を外していた。川平はポジ写真を見たあと、テレビ画面のゴール枠をアングリした顔で眺(なが)めた。
「チェ!」
川平の口を衝(つ)いて出た言葉は、舌打ちだった。
THE END