「ははははは…まあ、そう言うなっ!」
兵馬は賑(にぎ)やかに呵(わら)い捨て、誤魔化(ごまか)した。
コトが動き始めたのは、その二日後である。兵馬は奉行所勤めで、その日も内与力の狸穴(まみあな)に小言(こごと)を仰せつけられ、いくらか気疲れしていた。その帰りである。
「旦那っ!」
奉行所の門を出て間もなく、兵馬を呼び止める者がいる。言わずと知れた喜助だった。
「おう、喜助!」
「ちょいと小耳に挟んだ取って置きの話が…」
塀伝いの道だから、この辺りでの立ち話は憚(はばか)られた。
「ここではなんだ。三傘屋で蕎麦かうどんを啜(すす)りながら聞こう」
腹が空いていたこともある。兵馬は喜助に軽くそう言いながら、辺りを見回すと人の気配を窺(うかが)った。
「へいっ!」
喜助はすぐに天秤棒を担ぐと姿を消した。商いの帰りだから前後に吊るした木桶は軽い。兵馬としては喜助と話している場を奉行所の者に見られたとしても、取り分けて困るということではない。だが、何かにつけて内与力の狸穴(まみあな)にチクられては、痛くもない腹を探られる恐れがあった。兵馬はこれ以上、気疲れしたくなかったのである。
提灯を灯した赤橙(あかだいだい)が薄暗闇に映えている。冷えも半月前よりは感じられる晩秋が訪れようとしていた。兵馬が三傘屋の暖簾を潜ると先に店へ来ていた喜助の姿が見えた。
「いつやらの話に似ておりますぜ…」
喜助が天蕎麦をズルズルと啜(すす)りながら兵馬に告げる。
「いつやらと申すと?」
「ほれっ! 妙な出来事が続いた徳利坂の怪でございますよっ!」
「おお! あの折りのな。憶えておる、憶えておるっ! 今の銚子坂だな」
「へい、さようで…」
徳利坂の怪は、兵馬だけが出食わした奇怪な出来事の一つであった。
続