水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

ユーモア時代小説 月影兵馬事件帖 [スペシャル]  <22>枉神{まがかみ}

2022年01月26日 00時00分00秒 | #小説

 伊豆屋から去った兵馬の足は、いつも寄るお芳の置屋の方へと向かっていた。道すがら思うことといえば、徳利坂の怪だった。随分と前になるが、そのようなこともあったな…と思い返すが、そのときの妖怪のことまでは分からなかった。はっきり言えば、忘れてしまっていたのである。
 歩く速度を落とし、ついには立ち止まって腕を組みながら兵馬は考えた。しばらくすると、徳利坂…徳利…徳利の精…と考え巡る中で、身体が浮いたことがあったことを思い出した。しかし今回は人変わりである。人の性格が一変するこの珍事と身体が浮くことの脈絡(みゃくらく)がない。それでも喜助の話だと徳利坂の怪に似通っているという。兵馬にはどこが似通っているのかが分からなかった。
 油問屋の伊豆屋から一町ばかり歩いた頃、一匹の白い猫が兵馬の前に現れた。猫にしてはトップリと太り、尻尾も尋常でないほど太長く、それでいて地面に垂れるでなく直立している。兵馬は妙な猫だな…と、歩を止めた。すると突然、その猫は神隠しにでもあったように消え失せた。
『久しいのう、そこのお方…』
 猫が消え失せるのとほぼ同時に、どこからか荘厳(そうごん)な声が兵馬の耳に聞こえた。
「出たなっ! 物の怪っ!!」
 兵馬は刀の柄(つか)に手をかけ一瞬、身構えた。
『物の怪とは心外っ! 聞き捨てならんっ!』
 どこからか聞こえる声は少し怒りの感を増して響いた。そして、消えた猫が再び姿を現すと兵馬の前で動きを止めた。兵馬としては行く手を遮(さえぎ)られた格好だ。

             続


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明暗ユーモア短編集 (51)充電

2022年01月26日 00時00分00秒 | #小説

 物置の中は真っ暗闇である。鯖尾(さばお)は、懐中電灯を点(つ)けた。ところが、いっこうに明るくならない。んっ? と鯖尾は懐中電灯を見つめた。確かに点くことは点いている。ところが、その灯りは、なんとも心細く、今にも消えそうで暗い。こりゃ、電池を変えないとダメだな…と、考えるでもなく鯖尾は思った。続いて、単一電池は、まだあったはずだ…と、鯖尾は思わなくてもいいのに思った。さらに鯖尾は、自分の記憶に自信を持てっ! …と、自分を鼓舞して思った。五年前なら、そんなことは思うまでもなかったからである。さらにさらに! 俺も年をとったな…と暗く思った。さらにさらにさらに! これじゃ俺は、まるで消えかかった懐中電灯じゃないかっ! …と、自己嫌悪に陥(おちい)り、暗くなった気分で暗い懐中電灯を消した。そして、俺はなぜ懐中電灯を点けたんだ? …と、点けた目的を忘れてしまった自分に気づき、さらに暗くなった。
「鯖尾さん! まだですかっ!!」
 大きな声で呼ばれ、鯖尾は自分がタクシーを待たせていたことを思い出した。そうそう! 俺はこれから旅に出るんだった…と、駅までのタクシーを呼んだことに気づいたのである。それじゃ俺は、なぜ懐中電灯を持ってるんだ…と鯖尾は、また思った。
「鯖尾さ~~んっ!!」
 タクシーの運転手が、玄関でまた、激しく呼んだ。その時、鯖尾は思い出した。そうそう! 物置に入れておいた旅用の帽子を出そうと思ったんだ…と。電灯のない物置は暗く、懐中電灯が必要だったのである。鯖尾は、俺も充電が必要だな…と、しみじみ思いながら、帽子は諦(あきら)め、禿げ頭のままで旅に出ることにした。

                  完


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