水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

シナリオ「影踏み」

2009年11月25日 00時00分01秒 | #小説

≪創作シナリオ≫

    影踏み         

  登場人物
黒木浩二(22) ・・公務員(回想シーン 学生)
本山美沙(20) ・・会社員(回想シーン 学生)
老婆   (83) ・・鹿煎餅売り
N[シーン8以外]・・浩司
N[シーン8のみ]・・浩司、美沙

1   興福寺境内 五重塔前 夜[現在]
  タイトルバック
  十六夜の朧月。微かな巻雲。煌々とした蒼い月に照らされる五重塔、境内。 
  タイトル「影踏み」、キャストなど

2    同   五重塔前 夜[現在]
  月光にくっきりと浮き上がる五重塔を見上げ、立ち止まる浩司。十六夜の朧月。辺りに人の気配はあるが、割合、静穏である。
 N 「あれは…、そう、去年のこんな夜だった」
  十六夜の朧月、五重塔の夜景 O.L

3    同   五重塔前 夜[回想 去年]
  O.L 五重塔の夜景、十六夜の朧月。
  シーン2と同じアングルで見上げ、佇む浩司。後方から静かに女性が近づいてくる。
 美沙「あのう…、すみません」
  突然、背に声を受け、驚いて振り向く浩司。目と目が合う二人。見つめ合う二人。一目惚れ。束の間の無言。
 浩司「…はい、なにか?」
 美沙「なんか、言いにくいな…(照れて)」
 浩司「けったいな人や。…どないしたん?」
 美沙「(はにかんで)この辺りに財布、落ちてませんでした? …やっぱ、恥しいな。(気を取り直して)鹿のストラップがついてるんですけ
     ど…。(浩司を窺うように見て)馬鹿(ばっか)みたい!(突然、自分に切れて苦笑)」
 浩司「かなり怪(おか)しいで、あんた。どもないか?(笑いをこらえて)」
 美沙「(少し膨(ふく)れて)あんたってなによ! 本山さんとか美沙さんとか言ってよね!」
 浩司「言(ゆ)うてて…。初めて会(お)うたんやで、僕ら(笑えてくる)。そんな興奮せんでもええがな。第一、君の財布も知らんし…」
 美沙「アッ! そうでした、すみません」
 浩司「(大笑いして)マジ、怪(おか)しいわ、あんた。…いや、あんたやない。本山さんとか言(ゆ)うたな?」
 美沙「はい、そうですぅ~(少し拗(す)ねて)」
 浩司「ほやけど、財布がなかったら困るな。昼間、落としたんか? 昼間なら、ここら人が多いで、あかんで」
 美沙「そうなのよね。一応、交番には届けたんだけど…(月明かりの地面を窺い)」
 浩司「駐在はん、どう言(ゆ)うてた?」
 美沙「出たら連絡しますって。…でも、ほとんど出ないそうよ」
 浩司「ほやろな…(月明かりの地面を窺い)」
  二人、探しつつ歩き始める。十六夜の朧月に照らされた興福寺五重塔。

4  奈良公園 夜[回想 去年]
  十六夜の朧月。鹿が所々にいる。月明かりに遠景の五重塔が映える。
 N 「僕達は諦(あきら)めて、ふらふらと歩き、いつの間(ま)にか、興福寺の外へ出ていた」
 浩司「黒木いいます。二十一。地元の学生なんやけどな」
 美沙「なんだぁ、親のスネカジリか…」
 浩司「あんた口悪いな。…いや、本山さんやったな」
 美沙「口悪いのは生まれつきですぅ~(“あっかんべえー”をして)。で、名前は?」
 浩司「なんやいな、警察みたいに…(少し、むくれて)。浩司や」
  二人、小さく笑い、芝生へと座る。月の光で結構、辺りは明るい。鹿も何頭かいる。
 浩司「…本山さんも学生はんかいな?」
 美沙「はい。ずう~っと向こうの(東を指さして)ほうです~」
 浩司「(小さく笑い)ほんま、面白(おもろ)い娘(こ)や…」
  二人、意気投合し、互いの顔を見て笑う。
 浩司「(急に真顔に戻り)ほやけど、どないするん? 今晩」
 美沙「それは問題ないんだけどね。(指さして)ほん其処(そこ)の友達ん家(ち)泊まるから…」
 浩司「ほうか…。そりゃ、よかったわ。…で、今日は、まだ時間あるんか?」
 美沙「うん。…ありは、ありね」
 浩司「ほなら、一寸(ちょっと)戻らなあかんけど、猿沢の池、案内(あない)しとくわ」
 美沙「(立ちながら)上から目線がムカつくなあ。まっ! いいか(勝手に歩き始め)」
  浩司も立つと、後を追って歩く。 F.O

5  同 猿沢の池 夜[回想 去年]
  F.I 十六夜の朧月に映える池の遠景。
  池の後方に蒼白く浮き上がる五重塔。
 N 「僕達は猿沢の池に出た」
  池堀の周辺を並んで歩く二人の遠景。十六夜の朧月。微かな巻雲。

6  同 猿沢の池 夜[回想 去年]
  朧月に照らされた柳が春の微風に戦(そよ)ぐ。笑顔で語らい、池堀を並んで歩く二人の近景。
 美沙「しばらく忘れてた…、こんな感じ」
 浩司「どうゆうことや?」
 美沙「ん? …別に意味はないの…」
 浩司「やっぱ、どっか怪(おか)しいで、本山さん、…とか言(ゆ)う人」
 美沙「なによ、それ(微笑んで)、馬鹿にしてんでしょ、私のこと」
 浩司「そんなことないがな。(空を眺めて)それにしても、ええ月やわ。…なあ、影踏みしよか?」
 美沙「なに? それ」
 浩司「かなんなあ。影踏み、知らんのかいな。ほやで困るにゃ、都会の娘はんは…」
 美沙「馬鹿(ばっか)みたい。それくらい、知ってるわよ(少し向きになって)。でも、あれって、昼間の遊びじゃなかったっけ?」
 浩司「そんな決まりはないで。…ほな、僕が鬼になるわ。はよ、逃げんと、踏むでぇ~(小さく笑い、冗談で脅かす)」
  『キャ~』と奇声を発しながら笑って走り出す美沙。その後を走る浩司、美沙の影を踏もうと、おどけて追う。しばらく戯れて走り、息が
  切れた二人、立ち止まる。浩司、息を切らせながら思わず空の月を眺める。釣られて眺める美沙。十六夜の朧月。月に照らされる柳。
  見上げる二人の姿(近景)。
 美沙「久しぶりに子供の頃に戻ったみたい…(荒い息を抑えながら、月を眺め)」
 浩司「ああ…(荒い息を抑えながら、月を眺め)」
  二人の姿と月(遠景)。

7  興福寺境内 夜[回想 去年]
 N 「僕達は興福寺へ戻り、別れた。いや、そうするつもりだった」
  歩く二人、立ち止まる。煌々とした蒼い月に照らされる五重塔の夜景。
 浩司「じゃあな…。ええ旅してや。アッ、本山のメルアド訊いとこか。財布、出てきたら連絡するさかい…」
 美沙「(小さく笑い)おいおい、今度は呼び捨てかい。プラス、相変わらずの上から目線」
 浩司「悪(わり)ぃー悪(わり)ぃー(頭を手で掻きながら、悪びれて)」
  美沙、膨れながらも微笑む。携帯のメールアドレスを交換する二人。
 浩司「友達の家て、どこや?」
 美沙「ほん其処(そこ)…(指さし)」
 浩司「なんや…、ほなら送ってくわ。女性の一人歩きは物騒やでな」
 美沙「フフフ…(笑って)、黒木の方が物騒」
  二人、歩き出す。
 浩司「本山も結構言(ゆ)うなあ(小さく笑い)、きつぅ~。…ほやけど、名前覚えてくれたんは嬉しいなぁ」
 美沙「不覚じゃ! 喜ばせてしもうたかぁー。(笑って)」
 浩司「やっぱ、僕には手におえんわ、本山は(笑って)」
 美沙「(真顔で)美沙でいいよ…」
  佇(たたず)んで見つめ合う二人の姿。十六夜の朧月。
 美沙「んじゃ、ここで…」
  とある家前で別れる二人。五重塔の遠景。 O.L

8  興福寺境内 夜[現在]
  O.L 五重塔の遠景。
  煌々と照らす十六夜の朧月に、くっきりと浮き上がる五重塔の近景。シーン2と同じアングルで見上げ、佇む浩司。
 N 「あれから、美沙と数度逢い、僕達は婚約した。勿論、結婚は、僕が卒業して社会人になる前提だった」
  ふと我に帰り、歩き出す浩司。
 N 「それが、急に美沙は姿を消した」
 浩司「もう一年か…(ふたたび五重塔を見上げ、嘆くように)」
 N 「会社に勤めた美沙と役場に勤めた僕。二人の結婚は、何の障害もない筈だった。…でも、それっきり逢えなかった」
  その時、斜め前方より、時代を感じさせるリヤカーを引いた鹿煎餅売りの老婆が、のろのろと浩司に近づく。
 老婆「あんた…、黒木さんか?(しわがれ声で)」
  白い乱れ髪の下から嘗(な)めるような視線で浩司を見上げる背の曲がった老婆。立ち止まり、老婆を見下ろす浩司。おどろおどろしい風貌の老婆に、少し引きぎみの浩司。
 浩司「そうやけど…(少し気味が悪いと感じながら)。お婆さん、なんぞ僕に用か?」
 老婆「昼間、娘はんがな。黒木、言(ゆ)う人に会うたら、…これ渡してくれて、預かったんやわ…(しわがれ声で)」
  汚れた服のポケットから半折れになった白封筒を取り出し、浩司へ手渡す老婆。
 浩司「(受け取って、朴訥に)おおきに…」
  老婆、頷き、ふたたび、のろのろと、何もなかったかのようにリヤカーを引いて去る。去ったのを見届け、浩司、白封筒の中に入った便箋を取り出し、黙読し始める。
 N 『たぶん、あなたがこの手紙を開く頃、私は外国へ旅立っていると思います。黙って姿を消したこと、まず先に誤らせて下さい。親の決めた結婚相手を断れなかった私。全て私が弱かったのです。どうか、こんな私のことは早く忘れて幸せになって下さい。遠い、遙か彼方から、あなたの幸せを祈っています。 美沙』
  黙読し終えた浩司。心なしか項垂(うなだ)れ、便箋を封筒へ入れる。
 浩司「(思わず泣けてきて、涙を拭い)美沙の馬鹿野郎…(咽びながら小声で)」
  その時、浩司の肩を後ろから突っつく者がある。浩司、ビクッと驚いて振り向く。涙顔の美沙が立っている。
 美沙「(他人行儀に)…あのう、どうかされました?(言葉をかけた後、真顔から笑顔になって)」
 浩司「アッ! …なんやお前、戻ってきたんか…(意固地になり)」
 美沙「なんや、とは、なによ!(膨れぎみ)戻ってきてあげたんだからね…(真顔に戻って)」
 浩司「(素直になり)ほうか…、おおきに。そやけど、書いたーることと違うやん(微笑みながら白封筒を突き出し)」
 美沙「(恋する顔で)行けなかったの…」
  互いに見詰め合う二人。浩司、空の朧月を眺める。
 浩司「み空行く、月の光に、ただ一目、相(あい)見し人の、夢(いめ)にし見ゆる…か」
 美沙「どんな意味?」
  二人、歩きだす。
 浩司「…空を行く月の光の中で、ただ一度、お逢いした人が、夢に出てらっしゃるんです…ぐらいの意味やろ」
 美沙「ふ~ん、そうなんだ(反発せず素直)」
 浩司「なんや、それだけかいな。やっぱり怪(おか)しいわ、美沙は」
  美沙、立ち止まる。浩司も立ち止まる。
 美沙「なぜ?」
 浩司「ほやかて、そやろが。僕が万葉の恋歌を、しみじみ詠んでんねんで。もっと、弄(いじ)ってもらわんと…」
 美沙「(小さく笑って)お笑いじゃあるまいし…。で、どう言って貰いたいの?」
 浩司「じれったいなあ、もう…。こんなこと、僕に言わすんかいな。…好、き、や、って言(ゆ)うてんねん」  
 美沙「分かってたよ、ずっと前から…。だから結婚するんでしょ? 私達」
 浩司「(怪訝な表情で)えっ? ほやかて、外国、行くんやろ? そやないんか?」
 美沙、ふたたび歩きだす。浩司も歩きだす。
 美沙「馬鹿(ばっか)じゃない。じゃあ、なぜ私、今ここにいるの? さっき出会ったとき、何も思わなかった?」
 浩司「アッ! そうや。そうやわな。そらそうや…。ほんで、いつかの財布は?」
 美沙「(小さく笑い)可笑(おかし)しい人…」
  釣られて、笑う浩司。そこへ前方から近づくリヤカーを引いた鹿煎餅売りの老婆。浩司、近づくにつれ、先ほどの老婆だと気づく。擦れ違いざま、
 浩司「さっきは、どうも…」
  と、老婆へ徐(おもむろ)に声を掛ける浩司。老婆、少し行き過ぎた所で立ち止まり、振り返る。
 老婆「…ああ、 昼間のお人と先(さっき)のお人か。上手いこと出逢えたようやな、お二人さん。よかったよかった…(二人を笑顔で見上げ、しわがれ声で)」
 浩司「はあ…(軽く会釈)」
 老婆「わてにも、こんなことがあったなぁー。そうそう、もう六十年以上、前の話やけんどなぁ。戦争で出逢えんかったんや、とうとう…(しわがれ声で悲しそうに空の月を見上げて)」
  ふたたび何もなかったように寂しげにリヤカーを引いて立ち去る老婆。後ろ姿のまま、
 老婆「わての分も幸せになんにゃでぇ~!(声を幾らか大きくして)」
  と、やや叫び口調の声で少し離れた所からそう言い、遠ざかる老婆。次第に闇の中へ紛(まぎ)れる老婆。十六夜の朧月に照らされる興福寺五重塔。
 美沙「訳ありか…、可哀そう。でも、一寸(ちょっと)キモイね」
 浩司「(不気味な言い方で)そういや、あの婆さん、影がなかったでぇ~(老婆が立ち去った後方の闇を振り返り)」
 美沙「(驚いた高い声で)キャ~っ!」
 浩司「嘘や、嘘やがなぁ~(笑って肩に手を掛け)」
 美沙「驚かさないでよ(フゥ~っと、溜息を吐き)」
 浩司「それにしても、よい月夜やったな」
 美沙「ん、そうね…。結果、オーライ」
 浩司「み空行く~、月の光に、ただ一目~」
 浩司、横を歩く美沙の手をさりげなく握る。
 二人「相(あい)見し人の、夢(いめ)にし見ゆる~(笑う)」
  美沙も握り返す。握り合った手を振って歩きだす二人。前方に十六夜の朧月。煌々とした蒼い月に浮かぶ五重塔。微かな巻雲。

9  (フラッシュ) 奈良公園 夜
  月の光が射し、鹿が所々にいる芝生。     

10 (フラッシュ)猿沢の池 夜
  十六夜の朧月に照らされる池。池の後方に浮かび上がる
  興福寺五重塔。

11 もとの興福寺境内 夜
  十六夜の朧(おぼろ)月に照らされる五重塔。
  その前を雑談をしながら去っていく浩司と美沙の姿。次第に二人の姿、遠ざかる。空の朧月。
  テーマ音楽など
  F.O
                       完

                 (2008/ NHK奈良 投


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残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第二十二回

2009年11月25日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第二十二回
 通用門の鍵を開けたのは井上である。場内に一行が入ると、珍し
く偏屈者の樋口静山が皆を笑顔で迎えた。
「やあ、各々方(おのおのがた)、お帰りか。どうやら、これで拙者も、
お役御免のようですな」
「御苦労でした。おい、鴨下!」
 井上に呼ばれた鴨下は、右手に持った提(さ)げ重(じゅう)と左手
の酒樽を樋口の前へ置いた。
「大した馳走ではありませんが、後で摘んで下さい」
 井上は自らが準備した馳走でもないのに厚かましくそう云うと、く一礼した。新師範代として、偏屈者には丁重に接した方が得策…とでも考えたのだろうか、と左馬介には不埒(らち)に思えた。そうだ
とすれば、余りにも打算的だからである。
「では、遠慮のう…」
 そう云うと、樋口は両手に提げ重と酒樽を持って立ち去った。左馬介は歳若ということで、皆も酒をそうは勧めなかったが、それでも盃を一、二度は受けたので、少し身体は火照っていた。無論、一馬も同じである。そこへいくと、新入りの鴨下は豪の者と見えた。歳を食って世間慣れしているということもあるのだろうが、五合以上をグビグビと呷(あお)っても全く普段と変わらなかった。


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シナリオ 冬の風景 特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄(2)

2009年11月24日 00時00分01秒 | #小説

 ≪脚色≫

      冬の風景
      
特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄(1) 

    登場人物
   湧水(わきみず)恭之介・・祖父(ご隠居)[70]
   湧水恭一  ・・父 (会社員)[38]
   湧水未知子・・母 (主  婦)[32]
   湧水正也  ・・長男(小学生)[8]

   N      ・・湧水正也
   その他   ・・叔母、従兄弟

5.(フラッシュ) 勉強部屋 夕方
   従兄弟とフィギュアを手に遊ぶ正也と従兄弟。和気あいあいの語らい。上がる二人の笑声。
  N   「(◇)同伴の従兄弟と楽しく遊べる時間も出来たりして、今年
の冬休みは、例年より好調に推移していくように思われた」

6.(回想) 台所 昼
   食卓テーブルで入れ歯を外し、いじくる恭之介。不機嫌な顔。隣から様子を窺う正也。
  正也  「じいちゃん、どうしたの?」
  恭之介「ん? いや、どうもありゃせん…(不機嫌に)」
  正也  「…」
  N   「ところが、である。叔母や従兄弟が一泊して慌しく帰った後、また悪いことが派生しようとして
いた。入れ歯の不具合により、じ
       いちゃんのテンションが低いのに加えて(△に続けて読む)」

7.(回想)
 夫婦部屋 昼
   ベッド上。氷枕を頭に乗せて寝込んでいる恭一。傍らに未知子が体温計を手に立つ。
  N   「(△)今度は父さんが流行りのインフルエンザでダウンしたのである。幸い、休日診療所なるものが
あって事無きを得たのだ
       が、ふたたび散々な、お正月へと逆戻りしてしまった」
   体温計の温度を見る未知子。
  未知子「もう、大丈夫! 微熱に下がったわ」
  恭一  「…そうかぁ?(薄眼を開け、疑い口調で)」

8.居間 昼
   賀状と一通の封書を手に立つ未知子。
  N   「今年の冬休みは結局、ローテンションで終わるのか…と、僕が諦(あきら)めた矢先である」
  未知子「あらっ? お義父さま宛だわ。…何かしら?」
   怪訝な表情で封を切る未知子。某会社からの旅行招待券、案内状、パンフレット。読み終えた後、喜
色満面になる未知子。未知子の
   嬌声。驚いて駆け寄る恭之介。充分に話せない口で、フガフガと未知子へ
何やら語りながら喜びを露にする恭之介。
  N   「じいちゃんが応募したクイズが当選し、五泊六日の海外旅行に二名様を、という豪華な通知
のパンフレットが同封されていた。
       父さんも、風邪でベッドに横たわりながら、その報に接し、
元気を取り戻したようだった」

9.離れ 夜
   稽古用広間で居合いの形(かた)を示す恭之介。その様子を見守る正也。
  N   「しかし、また、ひとつの問題が生じた 二名…、さて誰が行くんだ? ということである。僕は一計
を案じることにした」
  正也  「父さんと母さん、旅行したことって余りないし…。じいちゃん、どう思う?」
  恭之介「フガ? フガフガ…。フガガ、フガフガフガ」
  N   「解説すれば、じいちゃんは抜け歯語で、『ん? そうだな…。わしは、どうでもいい』と云ったのだ」

10.台所 朝
   朝食風景。和気あいあいの家族四人。
  N   「その努力の結果は、すぐに現れた。冬休みも残り僅かになった頃、僕の家の食事風景は、ふたたび活況を呈しだしたのであ
       る。じいちゃんだけは、相変わらずフガフガとテンショが
いけれど、それでも、入れ歯を歯医者へ持ってった結果、すぐ修理
       できるそうで、以前よりは
明朗さを取り戻しつつあった。よく考えれば、“禍福は糾(あざな)える縄のごとし”…で終始した冬
       休みだった。まあ、“終り良ければ、全て良し”とも云うから、父さんと母さんが海外旅行
できるようになった、という素晴らしい
       結果などを踏まえて、良し!! ということにしたい」
11.エンド・ロール
   冬の湧水家の畑。湧水家の全景。

   テーマ音楽
   キャスト、スタッフなど
   F.O
   タイトル「冬の風景 特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄 終」

※ 短編小説を脚色したものです。小説は、「冬の風景 特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄」 をお読み下さい。


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残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第二十一回

2009年11月24日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第二十一回
 さらに考えを進めれば、千鳥屋の誰と懇意なのか? そして、何が鴨下とその者を懇意にさせたのか? が、気になる。血縁関係なのか、或いは逗留中の偶然の奇縁か…、この二つの場合が考えれた。だが、左馬介の胸中には、考える程のことではない…という、
否定的な潜在意識も芽生えていた。
 堀川道場が目と鼻の先に迫っていた。普通の場合と異なり、代官所の招きで全員が出かける宴席に限り、影番が留守居をする決めがあった。無論、それ以外で道場が空(から)になる場合は新入りが残る。今回の場合、鴨下にとっては入門の時期がよく、新入りにも拘(かかわ)らず美味い馳走と酒にありつけたのは幸運であった。影番は云わずと知れた樋口静山だから、都合よく親子で面(つら)を付き合わせることもなかった。別に幻妙斎が命じたというのでもなく、決めによるものだから仕方がない。この決めは、道場が開かれた頃より踏襲されているのだが、幻妙斎の所用を熟(こな)す影番が出来たのは、一馬の言によれば、幻妙斎が六十の坂を越えた頃かららしい。勿論、一馬も誰とはなしに訊いた話だと云うのだから、正確なところは分からない。詰るところは風聞に過ぎぬ…とも考えられた。委細はともかくとして、一行は道場に到着し、通用門を潜った。


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シナリオ 冬の風景 特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄(1)

2009年11月23日 00時00分01秒 | #小説

 ≪脚色≫

      冬の風景
      
特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄(1) 

    登場人物
   湧水(わきみず)恭之介・・祖父(ご隠居)[70]
   湧水恭一  ・・父 (会社員)[38]
   湧水未知子・・母 (主  婦)[32]
   湧水正也  ・・長男(小学生)[8]

   N      ・・湧水正也

1.台所 夜
   タイトルバック
   鳴る除夜の鐘。食卓テーブルを囲み年越し蕎麦を啜る家族四人。テレビが映す年越しの中継。
  N   「年が暮れようとしている。除夜の鐘が静寂を破ってグォ~~ンと撞かれる。人間が持つ百八
つの煩悩とは、いったい何なの
       か…。小難しいことは僕には分からない。それでも煩悩を抱く
人間感情を洗い清める鐘の音だとは理解できる。ただし、明日
       以降に頂戴できるであろうお
年玉の総額を頭の中で勘定している僕などには、遠い悟りの世界のように思えてならない
のだ
       が…」
   タイトル「冬の風景 特別編(下) 禍福は糾(あざな)える縄」
  恭一  「今年の蕎麦は、なんかグルメだな…」
  未知子「そんな訳でもないんだけど…。料理番組の受け売りよ。どう? 美味しい?(恭一に美味い
と云わせよう…という気持ちで)」
  恭一  「ん? ああ…。まあな」
   無言で食べる恭之介と正也。恭之介を見る未知子。
  未知子「お父さまは、どうです?」
  恭之介「こりゃ、知らない味だ…。なかなか美味いですよ、未知子さん(少しヨイショぎみに)」
  未知子「そうですか?…(言葉で謙遜し、外づらはニタリと、まんざらでもなさそうに微笑んで)」
   未知子の様子を垣間見る正也。美味そうに啜り続ける四人。
  N   「後日、母さんに、そのレシピを聞くと、葱と鶏肉を胡麻油で軽く炒めるのがポイントだそうで、そ
こへ市販の麺つゆを濃いめに入
       れ、砂糖で少し甘味のある出汁(だし)に纏めるのが、いい
らしい。僕も確かに美味しいと思ったし、例年だと残る蕎麦が全く
       無くなったことを思えば、今
年の蕎麦が好評を博したことは語る迄もないだろう」
   美味そうに啜り続ける四人。

2.居間 朝
   新年の賀を祝う家族四人の食事風景。長椅子を囲む四人。おせち、のお重。屠蘇、燗酒の銚子、雑
煮の入った椀。ジュース入りのコ
   ップ。オードブルの馳走などが所狭しと並ぶ。紋付き袴姿の恭之
介。着物姿の三人。
  N   「凧揚げ、独楽(こま)回し、羽根つき、カルタ取りなどを楽しむ、といった世相ではなくなったけ
れど、それでも、お年玉を戴けると
       いう慣習は現代も残っているから、僕達にとっては誠に有
り難い」
   美味そうに雑煮を食べる四人。咀嚼中、急に食べるのを止め、入れ歯を外す恭之介。
  恭之介「し、しまった!・・儂(わし)と、したことが…。お前が、つまらんことで笑わすからだっ!(急に怒り出し)」
  恭一  「どうも、すみません…」
  未知子「お父さま。お正月ですから…」
  恭之介「あっ! そうでした。すまんかった、恭一」
  恭一  「いえ…」
   入れ歯を外したまま、ふたたび、フガフガと食べ続ける恭之介。あとに続く三人。   
  N   「正月ということもあり、歯医者は休業中であったから、じいちゃんは仕方なく、不調の入れ歯
を口から外し、フガフガモグモグ
       と、数日はやっていた。だから、いつもの精悍さは、どこか影
を潜めているように僕には思えた」

3.子供部屋 夕方
   机横の畳で胡坐の正也。十数枚のお年玉袋。したり顔で、お年玉袋から出したお年玉の額を数える正也。
  N   「悪いことがあれば、いいこともあるものだ。二日目、三日目と過ぎると、お年玉のトータル額は昨年の倍増という営業実績を示
       すに至り、僕としては、ラッキーな結果となった(◎に続けて読む)」

4.(フラッシュ) 居間 昼
   馳走が置かれた長机上。長机を囲み歓談する叔母、従兄弟と家族四人。
  N   「(◎)加えて、叔母さんが帰ってきて、(◇に続けて読む)」


                                    
(明日へつづく)


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残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第二十回

2009年11月23日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第二十回
 暈されれば人間、知りたくなる。だが、途切れた話で接(つ)ぎ穂が
なかったから、左馬介は如何とも、し難い。
「今の話、私、知ってますよ」
 
予想外の鴨下の言葉だった。一馬は何かの弾みで知ったのだろうが、道場暮らしが近々、二年になる長谷川も知らないその訳を、
新参者の鴨下が知っていること自体が訝(いぶか)しかった。
「えっ? どういうことですか? だって、鴨下さんは未だ入門され
て僅(わず)かですよ?」
「はい…。その訳をお話しますと道場へ着いてしまいますから止めますが、掻い摘んで要点だけ云いますと、実は葛西宿の千鳥屋さ
んと私は入魂(じっこん)の間柄なんです…」
 左馬介も、一馬も、そして長谷川さえも、これには驚かされた。そ
のような鴨下の人間関係などは、想像だに、していない。
「すると、千鳥屋の方からお聞きになったということですか?」
「ええ、そうです」
 隣りを歩く左馬介の顔を眺めながら、鴨下は肯定した。そういう
ことなら得心出来る…と、左馬介は思った。
 鴨下が千鳥屋と懇意だということは、鴨下が入門前に葛西宿へ来ていたことを意味する。


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シナリオ 冬の風景 特別編(上) いつもの癖(2)

2009年11月22日 00時00分01秒 | #小説

 ≪脚色≫

      冬の風景
      
(特別編(上) いつもの癖(2)

    登場人物
   湧水(わきみず)恭之介・・祖父(ご隠居)[70]
   湧水恭一  ・・父 (会社員)[38]
   湧水未知子・・母 (主  婦)[32]
   湧水正也  ・・長男(小学生)[8]

   N      ・・湧水正也


7.台所 朝
   朝食後。一人、恭一だけがテーブルの椅子に座り、新聞を読んでいる。
  N   「(◎)しかし、このお灸の効果も一過性のもので、長続きしないのが玉にキズであった。今朝も、そのようで、食後、続きを読み始
       めた父さんは、母さんに時間を云われるまで、新聞紙面に釘づけ状態だった」
   炊事場で洗い物を済ませ、ふと、恭一を見る未知子。
  未知子「あなたっ! 遅れるわよ」
   腕を見て、慌てふためいて軽くお茶を飲み、立つと上着を持つ恭一。バタバタと玄関へ急ぐ恭一。
  N   「こんな親を父親に持った僕は、身の不運を嘆くしかないのだろうか」

.(フラッシュ) 街の歳末風景 夜

   閑静な田舎街の夜景。うらぶれた街頭のイルミネーション。オレンジの一色灯で点滅しない。とぼとぼと歩く正也と恭一。立ち止まりイ
   ルミネーションを見上げる二人。溜息をつき、ふたたび歩きだす二人。逆V型に垂れ下がり、クリスマスツリーを想像させるだけの華や
   いだ雰囲気がないイルミネーション。
  N   「クリスマスのイルミネーションが都会ほどではないにしろ、僕の街にも輝き始めた。しかしそれは、都会のそれと比較できるほ
       ど、きらびやかなものではない。それは一色のみで、しかも点滅などはせず、加えて、垂れ下がっているというだけの…ただ
       それだけのものなのである(△に続けて読む)」

9.子供部屋 昼
   机椅子に座り、勉強するでなく、ぽつねんと物想いに耽る正也。声のみで正也を呼ぶ未知子。
  [未知子]「正也~! 正也~!」
  N   「(△)そんな悠長なことを詳しく報告している場合ではない。というのも、先ほどから母さんが呼ぶ声が五月蝿いのだその声は、
       次第にトーンを上げつつある。実は、年末の大掃除を手伝えと彼女は命じているのだ。母さんの機嫌が損なわれない内に、
       僕は手伝いをしようと思う。だから、今日のところは、少し短くなったけれど、これまでにしたい」
   机に両手を突き、顔を伏せる正也。未知子の呼ぶ声。
   テーマ音楽
   キャスト、スタッフなど
   F.O
   タイトル「冬の風景 特別編(上) いつもの癖 終」

※ 短編小説を脚色したものです。小説は、 「冬の風景 特別編(上) いつもの癖」 をお読み下さい。


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残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第十九回

2009年11月22日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第十九回
その点、蟹谷の方は、その責務からは開放されているから、酩酊
迄はいかないものの、ほろ酔い状態であった。
 申の下刻、道場の一行は帰途についた。蟹谷は途中、用があからと鬼灯(ほおずき)街道の丁字路で皆と別れ、葛西宿の方道をとった。左馬介には蟹谷がどこへ行こうとしているのかは
らない。だが、一馬は知っていた。
「蟹谷さんは千鳥屋で薪割りの小仕事をしておられるのです」
 歩きながら、後方を歩む左馬介へ聞こえるように一馬が云った。当然、一馬と隊列を組む長谷川や、左馬介の横に並ぶ鴨下にも聞こえている。二人とも知らなかったのか、なるほど…という態
頷いた。
「月に一朱の入り用…ですか?」
 左馬介は振り翳(かざ)して問うた。
「はい。勿論、その為ばかりではないようですが…」
「へえ~。なんなんでしょうね?」
「それについては敢(あ)えて云わないでおきましょう。まあ、千屋へ行かれたとき、主人の喜平さんに聞かれれば分かると
いますよ」
 そう云うと、一馬は思わせぶりに、フフ…っと笑い、口を噤んだ。


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シナリオ 冬の風景 特別編(上) いつもの癖(1)

2009年11月21日 00時00分01秒 | #小説

 ≪脚色≫

      冬の風景
      
(特別編(上) いつもの癖(1)

    登場人物
   湧水(わきみず)恭之介・・祖父(ご隠居)[70]
   湧水恭一  ・・父 (会社員)[38]
   湧水未知子・・母 (主  婦)[32]
   湧水正也  ・・長男(小学生)[8]

   N      ・・湧水正也
   その他    ・・猫のタマ、犬のポチ

.(フラッシュ) 子供部屋 早朝 
   タイトルバック
   布団で眠る正也。目覚ましの音。うつつで目覚ましを止める正也。ふたたび眠る正也。恭之介の寒稽古の声。飛び起きる正也。ま
   た布団にもぐりこむ正也。

2.(フラッシュ) 台所 早朝
   片隅に置かれた猫用ボックスの中で熟睡するタマ。恭之介の寒稽古の声に飛び起きるタマ。

3.(フラッシュ) 玄関 内 早朝
   犬小屋の中で熟睡するポチ。恭之介の寒稽古の声に飛び起きるポチ。

4.子供部屋 早朝
   恭之介の掛け声で眠れず、仕方なく起きだし、窓から庭の稽古の様子を眺める正也。上半身裸で寒稽古に汗を流す恭之介の姿。
   エイ~! ヤ~! と、凄まじいばかりの鬼気迫る声が聞こえる。
  N   「寒くなってきたので、寝起きはどうも時間どおりいかず億劫である。起きるのは目覚ましでなく、いつも決まった時間に始まる、
       じいちゃんの寒稽古の掛け声によってである」
   タイトル「冬の風景 特別編(上) いつもの癖」

5.庭 朝
   ガラス戸を開け、縁側の足継ぎ石から庭へ下りる正也。冬寒の晴れた朝。
  恭之介「おっ! 起きてきたな(ニコッと笑い)」
   上半身に汗が滴り、それを手拭いで拭く恭之介。
  正也  「おはよう!」
  恭之介「ああ、おはよう。明日からは早く起きろよ。稽古だからな(優しく)」
  正也  「うん!(可愛く頷いて)」 
  恭之介「…七時か…。道子さん、もう飯の準備、出来たかな… (縁側の廊下に置いた腕時計を、おもむろに覗き見て、楽しそうに)」

6.台所 朝
   朝食前。小忙しく炊事場で朝食を準備する未知子。食卓テーブルの椅子に座り、ネクタイ姿で呑気に新聞を読む恭一。洗面所から台
   所へ入る正也。別方向から台所へ入る、赤ら顔でいい風情をした着物姿の恭之介。食卓に着く二人。食器や食べ物を運ぶ未知子。テ
   ーブルに並べる正也。
  未知子「あなた! 御飯ですから!!」
   全く意に介しない恭一。未知子の声に驚き、ニャ~と鳴くタマ。
  恭之介「オイッ!!」
   声に一瞬、手をビクッ! と震わせ、恭之介の顔を垣間見る恭一。新聞を置いて読むのをやめる恭一む。
  恭之介「いつもの癖だな…。お前のは止(や)まらんなあ、正也の寝起きより、たちが悪い(不平っぽく)」
  N   「じいちゃんによる父さんへのお灸は効果バツグンだ(◎に続けて読む)」

                                      
(明日へ続く)


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残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第十八回

2009年11月21日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第十八回
「ああ…そのことですか。一概に、こうだとはお答えしかねます。皆
さん、それぞれですから…。それに、私もそうは詳しくないので…」
「例えば…で、結構なのですが…」
「そうですねえ。或る方は、腕を認められてさる藩へ仕官されましたし、中には御大身へ養子に入られた方も。ああ、そうそう…。変わったところでは、大道芸で蝦蟇(がま)の油を売っておいでの方
もおられますよ」
「人それぞれなのですね?」
「ええ、人それぞれです。境遇は、皆さん違いますから…」
 左馬介は、それなりに腕を磨き、道場を去っていった者達のその後が知りたかったのだ。自分も孰(いず)れは道場を去る時が来る。それ故、道場を去った後の生きざまに一抹の不安を覚え
たのである。
 その後、二人が宴席へと戻り、一時(いっとき)半が経った。
「では皆の衆、そろそろ戻るとするか。余り酔いが回らぬ内に
な」
 井上が急に大声を出した。酔いが回っているとはいえ、流石に師範代だけのことはあり、飲み惚(ほう)けている訳ではない。芯のところでは、割合、しっかりとしているのだ。皆を無事に道場へと連れ戻らねばならない…という責任感からである。


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