以前に、「聖徳太子の叡智(後編)」でお伝えしましたように、太子には未来を予測する能力がありました。太子は系譜を見ても分かるとおり、用明天皇のご長男ですから、生まれた時から、将来は天皇になるべく存在でした。
しかし、太子は敢えて天皇位に就(つ)かなかった形跡が認められるのです。自分の寿命は五十歳でつきるが天皇は八十歳まで長生きするので、皇太子になっても皇位継承ができないからと、何度も断ろうとしていました。
また、「自分の子孫は全員いなくなるので皇位継承ができない」とも予知していたのでした。
実際に、太子は推古三十年(622年)2月22日、49歳でお亡くなりになりました。
そして、太子の死後643年に、太子の子孫25人全員が蘇我入鹿によって殺されたのです。
さて、太子に預言や予知能力があるとされている根拠は、自分の死期や子孫が途絶えることを予知しただけではないのです。
太子は「私(=聖徳太子)の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都となり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。しかし、一千年の時が満ちれば、黒龍(=黒船)が来るため、都は東へ移される」と記されていたと言われています。
実際に太子の死後、170年ほど後に、桓武天皇が平安京に遷都し、約1000年の間、たくさんの戦乱を受けながらも都として栄えますが、遷都からほぼ1000年の後、ペリー率いる黒船の来航をきっかけとして明治維新が起こり、首都は東、現在の東京へと移されたのです。
それでは、太子の預言・予知能力は何をもって示したのでしょうか。
『日本書紀』にはこう記されている。
「厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知ろしめたもう(太子、これから起こることを予知する)」
つまり、太子が預言者でもあったということを、日本の正式な歴史書が証明しているのです。
聖徳太子が書き記したという「未来記」、「未然紀」という2冊の預言の書が、写本であるが国立国会図書館に保管されている。「未来記」は未来に確実に起こる事を中心に記されており、「未然紀」は人の智恵と努力で防ぐことを目的に記されている。正式には、「未来記」は「日本国未来記」、「未然紀」は「未然本紀」という。
「未来記」は、元々四天王寺にあったものを、徳川家光の時代に写本したものである。
また、「未然紀」は徳川吉宗の時代に写本されたものである。未然紀にはその内容の解説が記されており、未然紀を献上したのは聖徳太子の息子の山背大兄皇子と書いてある。
未然紀には聖徳太子の死後、622年から1621年までの1000年間の預言が記されている。そして重要な点はさらに未来の出来事もその1000年間の預言の中に含んでいるということである。
鎌倉時代から南北朝時代まで活躍した武将、楠木正成は四天王寺で未然紀の内容を読み、あまりに当たっているので驚いたようだ。そこには、楠木率いる軍勢が勝利し、鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇が復帰する旨が書かれていたのだ。それを見て、楠木正成は己の天命を悟り、実際に後醍醐天皇、足利尊氏や新田義貞らとともに鎌倉幕府を倒したのだった。
その他、「藤花は散廃し、源葉は三代に登る 公家、年々衰廃し、 武士、度々盛興す 日本一州、ことごとく武家の領と為す」という文が、藤原家が勢力を失い源氏がそれに代わり、武士が日本全国を占領する様などを預言していて、的中していることは多い。
「未来記」は当時の最高権力者レベルでないと見ることが出来なかった。明治政府が「未来記」の写本を見つけ出し、当時の国会図書館に納めたが、一般の閲覧は禁じられた。
「未然紀」の方は江戸時代の延宝年間に天領だった上野の国の不動寺の住職を務めていた潮音によって「先代旧事本紀大成経」72巻本の第69巻として世に送り出された代物である。しかし、伊勢神宮を中心に大弾圧が起こり、犬公方と嫌われた5代将軍徳川綱吉が「未然紀」を含む「先代旧事本紀大成経」の全てを焚書(焼き捨てる)にした。
しかしながら、八代将軍徳川吉宗の時代に「未然紀」の究明作業をさせた為、「未然紀」の写し「乾・坤2巻」が国会図書館に封印されていたのです。
「未来記」も「未然紀」もまだ起きていない将来のことを指し、その時代を事前に書き記してあるため共に預言書となる。聖徳太子は神から未然に知るための導きを受けていたと「未然紀」の中に記述されている。「未然紀」と「未来記」は合わせ鏡となっており、二冊で一対になっている。
つまり、聖徳太子は「両方合わせて未来を未然に知らしめよ」と言っているのである。
「未然紀」は千年先までの未来を未然に預言した書物である。622年(推古天皇30年)に始まり、1000年間の国事に関する事件や出来事を未然に書き残した書物である。
しかし、622年から1621年までの1000年だけの俗事を記した預言ではない。なぜなら、「未然紀」の中に「過去一千年の世の中を知り、未来に起こる一千年のことを知る」と記されているからである。つまり、「未然紀」に一千年分の預言しかなくても、その先の預言をも内在されているというのです。
「未然紀」と「未来記」を共に解き明かす者は、未来の出来事を深く未然に知ることが出来るというのである。聖徳太子が二種の預言書を書き残した理由は、現代に生きる私達に重要なメッセージを伝えることにあった。だからこそ、それまでの時代では隠されたまま表に出てこなかったのである。驚くべきことに、それは日本だけの預言ではなく、世界規模の預言にもなっているのです。
さらに驚くべきことに、旧約聖書の預言者イザヤですら両義預言(「指定時代の預言」と「未来の預言」の二段構造になっている)しか出来なかったのに、聖徳太子の預言は三義預言(「指定時代の預言」と「現代の預言」と「未来の世界預言」の三段構造になっている)を行っていたのです。
聖徳太子の「未然紀」と「未来記」がそろって出た年(1998年1月)から、この世の終わりを示す最終カウントダウンが開始されたことを示している。
それでは、少しだけこれからの世界と日本に関する預言をお伝えします。
詳細には書き書き切れませんが、「未然紀」には今後起こるであろうアルマゲドンとか、第三次世界大戦に至る世界情勢が記されているというのです。
「2030年頃に、人類が滅亡の危機に瀕する 」と「未然紀」では読めるのです。
その内容は、「子孫は残害にはずかしめられ、世の衰え極まる 」とあり、
「残害にはずかしめられとは、殺害されるということ」です。
「九大を損じ 先ず日沈み 万乗おとろう 」とは、
九大とは、風・雲・雷・海・火・日・天・地・空 の宇宙を構成する全ての要素。
先ず日沈みとは、まず初に太陽の光がさえぎられるとの事と思われる。
万乗おとろうとは、万物全てが衰退するとのこと。
「天 不義を憎んで 怪物を下す 」
天は、人の道に反する事を憎んで 怪物を送り込むとのこと。
最終的な結果は、決して暗くはないけれど、その前に大きな変革が起こらざるを得ないという。1999年が過ぎたから、地球にはもう何も起こらないと考えるのは早計だという。むしろ、聖徳太子の「未来記」の預言も、聖書の預言も、その核心的な部分はこれから最後の幕が開くと暗示している。
しかし、日本の未来は決して暗くはない。日の出の国は、先頭に立って世界を牽引することになるはずである。ただし、日本がそれまでに取り戻さなければならないことがある。それは、「真の日本国家」であり、「真の宗教心」なのです。唯物論者に負けてはなりません。
これが、成就しなければ、日本国も海の藻屑と化する可能性があるのです。心して対応しなければなりません。
これからは、生き残りをかけた闘いがはじまると覚悟を決めて、乗り切らなければならないのです。その大波を超えて世界を牽引する力があるのは日本だという自覚を持って、行動する必要があるのです。
---owari---