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家庭を持つ女性にとっての「人生の勝利」とは(第4話)

2018年10月26日 | 人生

(あらゆる面で「完璧」を目指すのではなく、各人が自立する)

そういう意味では、「あらゆる面で完璧を目指そう」とか、「最高を目指そう」とか思わないほうがよいでしょう。自分が個人で持っている能力に期待することが大事かと思います。

 

女性として、自分が自立して要領よくやれるところについては、やっていかなくてはなりませんし、旦那頼りだったものを、自分でやらなくてはいけないところもあるでしょう。

 

また、ご主人のほうも、それなりに自分でやれることについては、迷わずに、さっさと自分で片付けるようにならなくてはいけないところがあるでしょう。

 

子供についても、「親に宿題を必ず見てもらう」という習慣を許してはいけなくて、「自分でやりなさい」と言わないといけないところもあるかもしれないと思います。

 

ですから、トータルで、何もかもにおいて最高を目指すのではなく、「そこそこ成功すればよい」という気持ちを持つことも大事です。

 

子供が何人かできた場合、「全員が成功する」と思うのは、欲が過ぎるかもしれません。世間はそうなっていないのです。

 

「二人ないし三人の子供ができたら、そのなかで一人でも成功すれば、その成功で家族が何とか潤っていくことができる」という考え方もあると思うのです。誰か一人がよくなったら、全体がよくなることもあるので、「どちらの側面を見るか」ということでもあります。

 

(「親のせい」にする子供とは、ほどほどに付き合ったほうがよい)

専業主婦になる場合、例えば、「自分は勉強ができず、それなりの社会的なキャリアをつくれないと思うので、専業主婦になる」という考えもあろうかと思います。

 

そして、「自分は、勉強ができなかったから専業主婦になったけど、子供が勉強ができないと、やはり自分のせいになる」ということで嘆く人もいます。しかし、それをあまり考えすぎるのは問題だと思います。親と子で魂は別ですし、努力すれば、それぞれに道が拓(ひら)ける部分もあるからです。

 

また、「母親の頭が悪いから、自分も勉強ができないのだ」と言う息子は、ろくな息子ではないので、そういう息子とは、ほどほどの付き合いにしなくては駄目だと思います。

 

例えば、「母親が高卒だから、自分は一流大学に行けないのだ」と言う息子とは、相手が“飢え死にしない”程度の、ほどほどの付き合いでよく、あまり深い付き合いをすると、一生“祟る(たたる)”ので、気をつけたほうがよいと思います。

 

親が勉強ができなくて家が貧しかったり、よい機会に恵まれなかったり、いろいろあるでしょうが、親が成功していなくても、親孝行な子であったら、「自分は何とか成功して、親孝行をしたい」と考えるものなので、親の不成功が必ずしも子供の将来を規定するようなことにはなりません。反対に考える人もいます。

 

しかし、「親のせい」にしたり、「家にお金がないせい」にしたり、「社会の制度がうまくできていないせい」にしたりする子供は、大した子供ではないので、実社会でもまれ、一回、性根を叩き直されなくてはなりません。あるいは、親子であっても、ほどほどに付き合うようにしないと、あとで親がバカを見ることになります。

 

(「子供への“投資”は返ってこない」と考えるべき)

“親切の押し売り”ではありませんが、「将来、自分の面倒を見てもらおう」とか、「リターンをもらおう」とか思って、親が子供に過大な期待をかけすぎると、ろくでもないことになります。

 

子供に期待をかけたり、チャンスを与えたり、進学や塾のためにお金をかけたりすることは構いませんが、「返ってこないものだ」と思ってお金を使ったほうがよいと思います。

 

仕事のように、「投資に対しては必ず効果があるべきだ」と考え、「この塾には、年間、百万円以上、二百万円ぐらいかかっているのだから、きちんと医者になって、お金を何千万円も儲け、毎年、親に一千万円ほど仕送りするぐらいにならなければ、あなたは完全にギルティ、罪ですよ」というようなことを言って、子供に圧力をかけると、たいてい、そうはならないで、違う道に行き、フリーターになったりするものです。

 

そのように、子供が「親の圧力」に耐えられないことがあります。

家族も含めての成功になると、自分一人の思いだけでは、なかなか、そうはならないので、それぞれ譲(ゆず)るべきところうは譲り、自分が進んでやらなくてはいけないところはやって、全体として、そこそこ何とかかたちがついたり、世の中に迷惑をかけず、人々が少しは、「この家庭があってよかったな」と思ってくださるところまで行けたりすれば、よいほうです。

 

そのなかで、夫でもよいし、子供でもよいし、自分が仕事をしているなら自分でもよいのですが、少しは優れた人が誰か一人でも出てきたら、それでも大いなることなのです。ほかの人がそのための“肥やし”になっている部分はあるかもしれませんが、そのくらいでも十分な喜びを感じなければいけません。

 

全員が“キンキラキン”になるようなことばかり考え、“ブッシュ王朝”や“クリントン王朝”、“鳩山一族”などのようなものができることばかりを、あまり願いすぎてはいけません。

 

光には陰が必ず付いているものなのです。「陰の部分」を一般の人たちは知らないのですが、「陰の部分」も必ずあるのです。

 

---owari---

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