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家庭を持つ女性にとっての「人生の勝利」とは(第5話)

2018年10月27日 | 人生

(「平凡」であるからこそ、「幸福」なこともある)

「平凡であることの幸福もまたあるのだ。平凡であるからこそ、『ささやかなこと』にも幸福を感じることがあるのだ」ということを知らなくてはいけません。

 

親が偉くない場合もあります。課長以上になれない会社員も、日本では半分以上います。しかし、課長になれないからこそ、残業をせずに、さっさと家に帰ってきて、親子水入らずで、すき焼きをつつく喜びもあるわけです。

 

ものすごく早く出世し、“猛烈サラリーマン”をやって、“出世街道”を突っ走っているけれども、夜、なかなか帰ってこない父親や、出張ばかりしている父親もいます。「父親の顔なんか忘れてしまった」という家庭もあるわけなので、「何が幸福か」ということは、それほど簡単には分かりません。

 

父親も母親もキャリアでトップを目指していて、それぞれ勝手に動いているような家庭の子供もまた、かわいそうです。ほとんどナニー(子守)に子供を預かってもらっているだけでは、親のようにはなりません。そういうケースもあります。

 

ただ、本人(子供)が悟れば、違う場合もあります。

 

(「人口増のために子供を産まねば」と考えすぎないほうがよい)

そういう意味で、家庭に関しては“複雑系”なので、「シングル(独身)で行ったほうがよいのか、結婚して家庭に入ったほうがよいのか」ということを考える際、「日本の人口を一名か二名増やすためだけの“仕事”を、それほど抑圧に捉える必要はない」と思います。

 

人口を増やしたければ、たくさん産める人に産んでいただいてもよいし、日本に来たい人は大勢いるので、政策を変えれば人口を増やすことは可能です。それにあまりオブリゲーション(義務)を感じる必要はないと思います。

 

仕事のほうに生きがいを感じるようなら、仕事をやっていけばよいし、両立できる範囲では仕事と家庭を両立させてもよいし、「自分は、縁の下の力持ちでよいので、仕事よりも、家庭のなかで、ほかの人を支えるほうが幸福だ」と感じる人だったら、そちらに行ってもよいかもしれません。

 

(大きな目で「自分の運が試されている」と考える)

私の母は、「女に生まれて損をした」と、私の子供時代にずいぶん言っていました。「自分は、竹を割ったような性格で、事業家に向いていたので、男だったら、バリバリやれたのに、女に生まれたため損をした」というような話を、ずいぶん聞かされたのです。

 

母は、おそらく、父との比較で、「夫よりも自分のほうが、採算感覚や事業感覚において優れている」という自負をおそらく持っていたのではないかと思います。「女に生まれたために、朝・昼・晩、食事をつくらされ、家事一切をやらされて、出世もできない、こんな人生になった」というようなことを言っていました。

 

しかし、それは息子の出来にもよるのです。息子の出来が悪ければ、それで終わりですが、時間がたち、息子が平均以上の成功を収めたり、ほかの人から尊敬されるようになったりすれば、多少、そういうものは収まってくることもありましょう。

 

そういう、親の愚痴を聞き、それを単に悪く取って反発する場合もあるでしょうが、そうではなく、「なるほど。もっともである。まことに申し訳ないことだ。親は、子供が学校で食べる弁当をつくったり、学資をつくるために働いたりしている。親は全然偉くならないで、こちらばかり好きなことをさせてもらって、まことに申し訳ないことだ」と息子のほうが思えば、その分、「努力して何か世の中のプラスになることをしよう」と志すこともあるので、愚痴がプラスになる場合もあります。

 

「それをどのように受け取るか」は人それぞれの問題なので、そのへんについては、大きな目で見て、「自分の運が試(ため)されている」と考えざるをえないのです。

 

自分にとって、そのときそのときのベストの判断をしていったらよいでしょうし、運命の流れができたときには、いちおう、「もう、これに乗ってみるしかない」という考えもあるのではないかと思います。

 

---owari--- 

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