この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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時代は前後しますが、こんな話もあります。
真珠湾攻撃の当日、ある黒人兵士が目の前にあった機関銃で飛んでくる日本の戦闘機を撃った。ところが、その彼は、重罰に処せられ、南方戦線に転任させられました。黒人は武器にさわっちゃいかん、白人を撃つかもしれないからということでした。
当時、アメリカ海軍は軍艦に黒人の兵士は乗せていませんでした。乗っているとしても、洗濯係かキッチン担当でした。
だから私はアーチ・クレメンスというアメリカの第七艦隊司令官と食事をしたときにその話をしました。
「その黒人水兵は処罰されて、ガダルカナルとかへ送られて、たぶん戦死したと思うが、名誉を回復してあげるべきだ」と――。
その後、彼はハワイへ帰って、太平洋艦隊司令長官になりましたが、さっそくその黒人水兵の消息を調べて名誉回復したそうです。
まあ、ひどい話ですが、それが自由平等を旗印にしているアメリカのほんとうの姿だったのです。
アメリカの陸軍はもっとひどかった。沖縄上陸もそうだし、サイパンもそうだし、硫黄島でも、先遣(せんけん)部隊は全部黒人でした。戦いの帰趨(きすう)がはっきりして、日本が敗残兵だけになって初めて白人の兵士が出てくる。
イギリス軍も同様です。
日本の山下奉文(ともゆき)中将が、シンガポールを攻め落としたとき、マレー半島の一番北のコタバルに上陸して、五十数日でシンガポールを落としましたが、その最中、出会うのは全部インド兵ばかりだったそうです。白人兵に会ったのは、シンガポールへ入ってからのことで、そのとき「なんだ、白人がいたのか」と思ったといいます。
とにかく、白人の戦争は、自分さえ良ければいいということで、東亜を解放するとか、そういう理念はまったくなかったということです。
シンガポール陥落のとき、イギリス軍の軍司令官だったパーシバルは、十三万もの残存兵と共に降伏、これはイギリス史上最大規模の降伏だったとされていますが、降伏前に山下に、「日本軍をシンガポールの町に入れないでくれ」と言い、「共同管理をしようじゃないか」そういう約束を結ぶなら今降伏する」と持ちかけたそうです。
どこまで行っても白人優位というのが彼らの常識でした。
かく言う私は、終戦直後、こう思っていました。
「白人はほんとうに口がうまいから日本人はすぐ騙(だま)される。まあ、白人に逆らっても無駄だから、それよりも日本は経済発展をすればいい、そうすれば自然に勝てる」と――。
そして二十八歳のとき、私がロンドンに行くと、イギリス人が頭を下げてくれた。イギリスを相手にとことん戦ったという尊敬があった。彼らにとって戦争に負けるくらいは日常茶飯事で、日本を敵に回した結果、イギリスは自慢の戦艦二隻とシンガポールを失い、その後も負け続け、インドもとられたと思っていたからです。
ヨーロッパを回って、金力の差とか、教養の差とか、服装の差とか、そんな差は世の中にいっぱいあるなと思いました。しかし、日本人が人種的に劣っていると感じたことは一度もありませんでした。その後も別に日本人だからといって気が引けたことはまったくない。まあ、私がもともと図々しいのかもしれませんけど。
そして日本人は今、金もあれば教養もあれば常識もある。そういう意味では、世界のどの国の人にも引けを感じる必要はまったくないのです。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
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