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4つの奇跡が造りあげた日本列島(2021年01月24日)

2025年02月04日 | 日本
日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。

(日本列島が産んだ日本料理)
日本列島は山が多く、水蒸気を含んだ風がぶつかって雨や雪を降らせます。年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラス。水が豊かなため、動物や植物の種類も世界のほかの温帯地域と比べればダントツに多く、動植物の固有種は3000種類、淡水魚だけでも500種に及びます。

縄文時代には狩猟・採集中心で、農耕や牧畜をしないまま定住に入ったという、世界の他の古代文明とはまったく違った生活様式を生み出しましたが、それもこの豊かな自然があったからです。多くの種類の食材を、旬を考えて調理するという日本料理の特徴も、この自然の豊かさからきています。

また雨水が岩石の間を通る際にカルシウムやマグネシウムなどのミネラルが溶け込みますが、日本では山が急峻なため、ミネラルをあまり含まない「軟水」となります。

フランスのように平らな大地を水がゆっくり浸透すると、ミネラルの多い「硬水」となりますが、それでお吸い物を作ると、ミネラルが昆布の表面にくっついて、「うま味」が出ません。出汁(だし)をうまく使った日本料理は、軟水だからこそ発達したのです。

また急峻な山肌がそのまま海に入るので、海岸線のすぐ近くに深海があります。ホタルイカは200~300mの深さに住んでいますが、富山湾は深いところで水深1000mもあるので、岸のすぐ近くで獲れるのです。伊豆半島近海でとれる金目鯛も深海魚ですが、駿河湾や相模湾にも2000~4000mの深海がすぐそばにあるからです。急峻な山と深い海という特性が、日本料理の食材を豊かにしています。

(卵の殻が動いてぶつかり合う)
この日本列島の地形は、数千万年の間に地質学的な奇跡が4回も重なってできたもの、という事が明らかになっています。「地球上でも例のない奇跡の大地」と呼ばれています。[NHK]

この4回の奇跡は、いずれも日本列島の近くにある3つの巨大な岩盤(プレート)の動きから引き起こされています。プレートとは、地球を半熟卵に例えると、表面の殻のようなものです。ただしその殻はヒビ割れて14~15枚に分かれて、それぞれ独自に動いています。

日本列島には、西からユーラシア大陸プレート、東から太平洋プレート、南からのフィリピン海プレートがぶつかりあうところにあります。

殻の下の岩石層(マントル)が地球の中核で熱せられ、膨張して軽くなると上昇し、地表面で冷却されると収縮して重くなって沈み込むという循環が発生します。その流れが表面の殻をいろいろな方向に動かします。

ふたつのプレートがぶつかり合うと、重い方が軽い方の下に沈み込んでいきます。その時にプレートの端で歪みが蓄積され、それが一気に解放されると地震になるわけです。日本列島に地震が多いのは、このためです。

また、プレートが動くことによって、その上に載っている陸地が移動します。ハワイは太平洋プレートが北西に動いているので、毎年6~9センチ、日本に近づいています。これが100万年続くと、60~90キロも近づくわけです。

(第1の奇跡: ユーラシア大陸から引きちぎられた列島)
約3千万年前、すでに恐竜は絶滅し、ユーラシア大陸では体長7メートル、肩高5メートルほどもある史上最大の哺乳類パラケラテリウムが闊歩(かっぽ)していました。のちに日本列島となる一帯はユーラシア大陸の東端にくっついていました。

そこに大地震を発生させながら、大陸の東端の大地が割れはじめ、激しい火山活動が始りました。東端部は数百万年かけてゆっくり、東へ東へと引き裂かれていきました。裂け目には、始めは水が溜まり湿地や湖ができましたが、2500万年前、太平洋の海水が入り込み、東端部は大陸から分かれた島になりました。

今も日本海側には、そこここに断崖絶壁が残っていますが、日本列島がとてつもない力で大陸から引き裂かれた跡だと推測されています。

佐渡島はかつて日本最大の金の産地でしたが、この金鉱床は、大陸が引き裂かれて大地に割れ目ができたとき、金を含んだ熱水が割れ目に沿って地表近くまで上昇してできたものだ、と考えられています。

この動きは太平洋プレートがユーラシア大陸の下に沈み込んだ流れに、大陸の端も一緒に引きずりこまれて、南東に引っ張られたからです。その力はユーラシア側から太平洋側に扇形に広がっており、これによって日本列島は南東の方向に張り出した弓なりの形に引きちぎられたのです。

その際に、東日本は東に、西日本は南東に引きちぎられ、二つの別々の島になりました。「日本」列島は「二本」列島だったのです。

(第2の奇跡: 伊豆諸島の日本列島への衝突)
伊豆諸島は伊豆大島から南南東に向かってほぼ一直線、三宅島、八丈島など大小100余りの島が550kmに渡って並んでいます。これらの島々はフィリピン海プレートの北への移動に乗って、日本列島に接近してきました。

そして1500万年前に西日本の北側に衝突を始め、現在の甲府盆地の西の櫛形山地、次いで御坂山地、丹沢山地ができました。丹沢山地は富士山の東、神奈川県北西部にある南北20km、東西40kmの地帯で、標高1500メートルを超える山が9つあります。ここはかつては南の海の海底で、今でも山頂でサンゴやオウムガイの化石が見つかっています。

この丹沢山地などから大量の土砂が流れ出し、東日本と西日本の間にあった海峡に流れ込みました。この土砂が後に隆起し、現在の関東平野のもとになりました。

島どうしがプレートの移動で衝突するのは、世界でもほかに例がないとされています。そんな奇跡によって、「二本」列島は一つにつながったのです。

また伊豆の島々が本州に衝突した場所の地下では亀裂が広がり、そこからマグマが大量に上昇して大規模な火山活動が起こりました。これによって、富士山ができたのです。

最後の衝突は100万年前で、大きな火山島が本州にぶつかって、伊豆半島となりました。この火山島には、現在沖合25kmにある伊豆大島のオオシマザクラと同じ種類の樹があったようです。その火山島が伊豆半島として接続することで、本州の桜と交配し、ソメイヨシノになった事が遺伝子の研究で判明しました。

富士山と桜という日本を代表する絶景は、この地球史上の奇跡によって、もたらされたのです。

(第3の奇跡: 西日本の山岳を作った超巨大カルデラ噴火)
1400万年前の日本列島には、まだほとんど山はなく、湿地が広がり、ゾウやワニの祖先が暮らしていました。しかし、現在の西日本では紀伊半島から、四国の南部、宮崎から鹿児島と、山地がベルト状に広がっています。

これらの地域では、1400万年前に超巨大噴火が集中して起こったのです。日本列島となる一帯がユーラシア大陸から引きちぎられて現在の場所に移動していた時に、今の沖縄付近にあったフィリピン海プレートも東に引っ張られ、裂けた部分に巨大な割れ目ができました。

その割れ日から高温のマグマが溢れ出し、フィリピン海プレートは表面温度が1000度にも達しました。そこに移動してきた西日本の大地が、熱したフィリピン海プレートに衝突したのです。

西日本の地盤は高温になっていたフィリピン海プレートによって急激に熱せられ、大量のマグマが発生しました。そのマグマによって、地球でも最大級の巨大カルデラ噴火が、西日本の太平洋側で連続的に起きたのです。

カルデラとはスペイン語で「なべ」のことです。阿蘇のように、外周を山で囲まれ、内部が陥没した土地です。これはマグマが大量に溜まった場所で、その圧力で上部の大地に亀裂を作り、マグマが爆発的に飛び出し、その上にあった土地は陥没します。周辺に火砕流となって流れ出したマグマが固まって、なべの縁となります。

熊野地方は、那智の滝の流れ落ちる高さ130mの絶壁、神倉神社のご神体となっている巨岩・ゴトビキ(ヒキガエルの意味)岩、古座川左岸の高さ約150m・幅約800mの一枚岩など、巨石群が連なっています。これらは1400万年前の巨大カルデラ噴火によってできました。

地下に残ったマグマは冷えて固まり、巨大な花崗岩になります。紀伊半島の地下1~20kmには、神奈川県ほどもある巨石が埋まっているそうです。

花崗岩は周囲の岩石より軽いので、地下深くあったものも1千数百万年の間に、1万メートルも浮かび上がり、それによって持ち上げられた大地が現在のような高い山々になりました。こうして西日本の高い山々が形成されたのです。

(第4の奇跡: 東日本の山々を作った東西圧縮)
一方、東日本の山々を作った第4の奇跡が、300万年前に起きました。この頃、南から北に移動していたフィリピン海プレートが太平洋プレートにぶつかり、それ以上北には進めなくなって、北西に沈み込む方向を変えました。これは地球史上でもめったに起きない現象だと言われています。

それに伴って、ユーラシア大陸プレートに押しつけられましたが、こちらでもこれ以上、動けません。すると縁の部分にある日本列島が東西に圧縮されて、隆起しました。この「東西圧縮」の力で、東日本は2千メートル以上、隆起したと考えられています。

たとえば、新潟県南魚沼市の八海山は標高1778メートル、山頂は切り立った岩峰が2kmにわたって続きます。この山頂では角のとれた丸い石が見つかります。丸い石は、河口や海辺などの低地で川の水に角が削られてできるものです。これらの丸い石は、八海山の山頂はかつては低地だったことを示しています。

日本列島は、現在でもこの東西圧縮と、前節に述べた花崗岩の浮力によって、隆起を続けています。その速度は、北アルプスなど速いところでは、1年に4~5ミリに達します。もしこの隆起がなければ、雨による浸食で数百万年の間に山はなくなってしまいます。

山がなくなれば、日本海から吹く湿った風も通り過ぎてしまい、雨量は10分の1になるというコンピュータ・シミュレーションの結果が出ています。雨がなければ、繁茂する森も大きな川も、そしてそれらから栄養を受けとっている海の豊かさも失われてしまいます。奇跡は今も続いているのです。

(豊かな日本列島で定住生活が可能になった)
こうして世界にも希な奇跡が4つも重なって形成された日本列島に、我々の先祖は大陸から移ってきました。極寒のシベリアを超えて北海道へ、朝鮮半島や中国南部から海を渡って九州へ、さらには南から南西諸島をたどって。

そこは温暖な気候、豊かな雨量で繁茂する山林があり、小動物や木の実、キノコが豊富にとれました。急峻な山肌が作った複雑な海岸線は多くの入り江を作り、魚や貝をとるには好適でした。しかも豊かな森の落ち葉による腐葉土の栄養を河川が海に流し込み、たくさんの魚を育てています。

世界の古代文明は1万2千年前くらいから農耕と牧畜を始めて、ようやく定住生活に入れたというのが従来の文明観でしたが、我々の先祖たちは採集と狩猟だけで定住生活を始めたのです。それもこの豊かな日本列島のお陰でしょう。

しかも、縄文時代には大陸のような大規模な戦いの跡は見つかっていません。我々の先祖たちは多様な出身を問わず、仲良く暮らしていたのです。それも、豊かな日本列島のお陰で食糧を奪い合うような争いは不要だったからでしょう。

(4つの奇跡が作った日本列島への感謝と慎み)
豊かな食糧に恵まれて生活に余裕を持ち、争いあう必要もなければ、余暇を生活の工夫や自然の観察に使えます。縄文時代の遺跡からは、獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上の残滓が見つかっています。

貝にしても、どこの入り江のどのあたりで、どんな貝がとれ、それはいつ頃に旬を迎え、食べる量をどれくらいに抑えていれば、翌年も豊かな恵みをいただけるか、考えて採集していたようです。シジミやハマグリは遣された貝の断面の成長線を調べると、全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことがわかっています。現代の潮干狩りと同様、この時期が最も脂がのっているのです。

狩猟・採集といっても、麦だけを植える農耕や、羊だけを育てる牧畜などより、はるかに複雑な知識を発達させていたのです。このような知識集約型の生活から、世界でも最古級の土器が生まれたというのも、不思議ではありません。

こうした日本列島の豊かな恵みに感謝すれば、そびえる山、巨石、高い木、清らかな川、豊かな海に、自分たちを護ってくれている神々を感じとるのは、人間の自然な心理でしょう。神々は時にはお怒りになって、暴風雨や山崩れ、地震などで人間を襲いますが、だからこそ人間は神々の恵みに感謝しながら、慎み深く生活しなければならない、とご先祖様たちは考えたのです。

こうして見ると、日本人の古来からの世界観と文明を生みだしたのは、日本列島だった事が分かります。そして、この列島は地質科学でも希な4つの奇跡が創りだしたものでした。現代の我々も、ご先祖様と同様、感謝と慎みの心をもって、この日本列島を大切にしたいものです。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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