(「心が折れてたまるか」は一喝の言葉)
「心が折れてたまるか」という言葉は、仏教的には「一喝(いっかつ)」に相当するものです。すなわち、「今の日本は、あまりにも弱くなりすぎているのではないか」と私は言いたいのです。
特に、「三・一一」の東日本大震災と、それに伴う大津波、原発事故等における政界の迷走、マスコミの大騒ぎなどを経て、国自体が自信を失いつつあり、日本は、「世界のリーダー」としての地位から、ずり落ちようとしています。
将来の見通しがなく、リーダーシップもなく、何か発展しない雰囲気が漂っていて、とうとう、「田んぼから出てきた“ドジョウ”を総理に指名した」という時代になっています。
そのように、今の日本には、あまり見通しの明るくないような話ばかりがあり、国民は、泥のなかに潜(もぐ)って生活しなければいけないような印象を受けています。特に、2011年以降は水害が多く、水と泥のなかで生きているように感じられて、いまひとつ、すっきりとしません。
このような「すっきりしない感覚」は、私も好きではないので、もう少しスカッといきたいものです。
それから、「停滞思考」、あるいは「グルグル思考」とでも言うような、日本人に固有の考え方、すなわち、一歩も前進しなくても平気でいられる、ものの見方や考え方は、ほどほどにして、やめなければいけないと思います。やはり、スパッといかなければなりません。
外国から見ても、日本は、国力に合わない考え方をしており、日本の考え方を世界に対して発信できる人がいない状態です。これは、まことに情けない状態だと思います。
ある首相も、「とにかく目立たないように」ということを原則にして仕事をしてきたようですが、これは本当に情けないことです。
むしろ、今は、日本が目立たなければいけない時期です。そして、日本がグイグイと世界を引っ張っていかなければならない時期なのです。
もう少しスパッといきたいものです。日本人は、それほど頭が悪いのでしょうか。このままではいけません。やはり、「日本の未来を明るくする人が出てこなければいけない」と私は思います。
---owari---
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