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芸術の国・日本の底力

2017年05月07日 | 日本

少し古い書籍のご紹介になりますが、ご容赦ください。

日下公人先生の「そして日本が勝つ(2004年発行)」より、転載させていただきます。

 

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ロナルド・モースUCLA大学教授、と言うよりしばしば議論を楽しんできた長年の友人が先日、こんな話をしてくれた。「日本はハイテクの国だと言うが、それは違う。日本は芸術の国である。たとえばトヨタのレクサスは凄い。あれはクルマではなく芸術品である」と大いに褒めた。

 

かみくだいて言えば、自動車をあそこまで芸術品にしようとアメリカ人は思わない。仮に誰かが思いついて命令しても、みんなの足並みが揃わない。揃うとすればミサイルのとき・・・・・など。

 

ところが日本では、そこまでやろうと思いつく人がいて、しかも心を合わせてそこまでつくる社員がいる。さらにそれを助ける技術力を持った中小企業があり、「デザイン・イン」と言うが、すなわち全員が心を合わせて芸術品のような自動車をつくる。すると値段は高いが、日本にはその価値をわかって買ってくれるお客がいる。

 

それをアメリカへ持っていくと、二十年前は「オーバー・クオリティー(過剰品質)だ」と言われた。「自動車をこんなに上等にする必要がない。日本はムダなことをした。しかも値段は二倍ぐらい高く売ってもいいのに、あまり変わらない値段で売るのはダンピングである、ひどい迷惑だ」と。

 

しかし、それは政治の話であって、アメリカのお客はオーバー・クオリティーだとは言わなかった。「これは満足である。高くても買うぞ」と応えたので、やがてこれがニュー・スタンダードになった。そのうちグローバル・スタンダードにもなるだろう。

 

理屈で勝ってもお客が買ってくれなければ仕方がない。だからアメリアも同じ品質でつくろうとするが、そう簡単にはうまくいかない。労働組合の人が雑に仕上げてしまうので、まずはその教育から始めなければならなかった。

 

日本には優秀な職人がいて、優秀な精密機械がある。日本人は機械に凝るから、一見おんぼろの裏長屋のような町工場が、二億円、三億円を投じて世界最高の機械を買ったりする。

 

さてその意味するところは何なのか。

それを根本から考えてみたらどうなるだろうか。

その一つが、長期的に日本の底力を考えるのなら、「精神から考える」というのが今までは抜けているということである。

 

日本人が持っている精神、いわゆる日本精神が5年、10年経つと底力となって経済を動かし、政治を動かし、国際関係も動かす。それだけの日本精神がある。

 

超長期予測は、やはり民族精神とか国家精神――精神と言って悪ければ文化とか伝統とか歴史から考えたほうがよく見える。

 

これまでは、精神などと言うと年寄りくさいとか、封建的だとか、後ろ向きだとか批判する人が多かった。「そんなことより合理化だ、効率化だ、グローバル・スタンダードだ」と。しかし彼らは、いま一斉に退場させられていると、この1年間、つくづくそう感じるようになった。まだ、精神、文化、伝統を言う人に陽があたっているとは言えないが、少なくともそれに文句をつけていた人がどんどん追い出されている。

 

韓国が日本を抜けない理由をエピソードでお話しましょう。

韓国人自身が、「我々はいくら頑張っても、結局、日本人には勝てません。ここまでがやっとです。我々は『手抜きの精神』というのが根本的に、民族精神のように、遺伝子のようにしみ込んでいて、これは簡単には直りません。我々は必ず手抜きを考えます。しかるに日本人は、もっともっと手を入れ、もう一段美しくしよう、磨き上げよう、仕上げようとする。仕上げに凝るという日本人の態度を、我々は学べません」と言ったのです。

 

しかし、「韓国はなかなか成功したではないか、日本よりも優秀な半導体をたくさんつくっている」と言えば、半導体をつくるマザーマシンは日本製である。工作機械は日本製を据え付けて、あとは低賃金で勤勉に働けばよい。それなら手抜きができない。自動車も、それをつくるロボットも日本製だから、いくら手抜きの精神でも手の抜きようがない。そういう分野で勝っているに過ぎないと。

 

一方、トヨタがレクサスのような超高級芸術自動車をつくり上げるが、これは正確に言えば、トヨタの人と日本のお客の両者でつくっているのである。

その背景には、飛鳥・奈良時代、室町時代にまでさかのぼる日本人の芸術性がある。結論が先行して申し訳ないが、その総合力があってレクサスは完成したのです。

 

アメリカ人はみんな感嘆してレクサスを買うが、マザーマシン、自動製造設備を売らなければ、他国はレクサスをつくれないのです。そして、日本は次のレクサスをつくる能力を持っている。しかも、トヨタに限らない。可能性を持った会社が何社もあって、競争しているのです。

これが日本の底力なのです。

 

軍事に目を転じれば、こんな話もある。

航空自衛隊はF15という戦闘機を203機持っている。世界に冠たる航空戦力だが、このF15はアメリアでつくって日本に持ってきたものと、日本の三菱がライセンス生産したものと二つ混ざっている。航空自衛隊のパイロットはすぐに見分けて、三菱に乗りたい、アメリカのほうは乗りたくないという。

 

なぜかと聞きくと、「ともかく具合が悪い」のだそうで、同じ飛行機であるが、何かしらちょっとした違いがあるらしい。

 

話をレクサスに戻せば、日本人全部がたいへん文化的で芸術に造詣があって、関係者が「もうちょっと雅やかな自動車にしよう、雅やかな工作機械にしよう」と言えば全員がそれを理解し、共有できる。

 

「全員が」という点に注目してほしい。私はかねがねそこが日本の強みだと思っていたが、アメリカ人から言われたとなると、さらに説得力が増すのです。

 

福井の工作機械メーカーの社長に、こんな話を聞いたことがある。

「工作機械といえども、かわいくなくては売れません」それは工作機械を使う工員に、機械をかわいがる気持ちがあるからだ。かわいくない工作機械は、工員が「具合が悪い」と言うので結局売れないのです。

 

それで、スタイルがよくて、かわいくてという工作機械を一生懸命つくっている」と言われて、「なるほど」と思ったが、正確に言えば、性能の善し悪しも含めたトータルを「かわいい」という言葉で表現しているのである。

 

そういうマーケットが日本にあるから、日本の製品はみんな芸術的でかわいくなる。

日本人は非常に芸術的で、文化的で、上品で、心が優しい。

その底力が、これからもいろいろな面であらわれてくるだろう。

 

その一例がマンガやアニメで、「ポケットモンスター」「もののけ姫」「「千と千尋の神隠し」など日本のアニメがアメリカで圧勝している。

 

ディズニーは悔しがって妨害をした。「日本のアニメはお化けが出てきて非科学的である、子供に見せるのはよくない」とキャンペーンを張ったが、いくらキャンペーンを張っても素直な心で観る子供たちに、そんなアジテーションは聞こえない。結局、ディズニーは負けてしまったのです。

 

日本人がつくった「ポケットモンスター」は始めは、150種類だったのが、今は350種類以上ある。350種類以上のモンスターを考え出す想像力があるのだから、日本人の想像力はものすごく豊かである。子供もそれを覚えてしまう。

 

日本人はノーベル賞が取れないと経産省は言うが、ノーベル賞のほうが間違っている。基礎科学よりも人類の幸福に役立つ科学を、サイエンスよりもテクノロジーを、カチカチの理屈だけの経済学ではなく、もっと血が通った、人間の気持ちが入った、読み物として面白い経済学の本を書いた人にノーベル賞を与えるべきではないのかと思うのです。

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以上で転載終わり

 

さて、日本の工作機械の話に戻りますが、中小企業に導入した工作機械には、”愛称“がついていることが多い。”アトム“とか”ぴーたん“、”サリーちゃん”など固有の名前がついており、機械をあたかも人間のように呼び合っているのです。それにより、機械を大事に扱うことを習慣としています。その方が結果的によい仕事ができるからです。機械に親しみ、機械に敬意をはらって使っているのは日本人だけではないでしょうか。

 

日本には「よろずの神々」がいたるところに存在し、神と人とが共存して暮らしているという考え方の延長線上に、犬や猫も機械もロボットも平和に暮らしてきたのです。

 

---owari---

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