自分の人生を他人の人生と取って替えようと思うと、そこに苦しみが生まれてきます。
そのときには、「適材適所で、自分には自分の器に合った仕事があるだろう。その器に合った仕事を、一生懸命やることによって、自分の人生は全うされ、他の人にとっても幸福な生活ができるのだ」と考えるべきなのです。
大工道具にもいろいろあります。たとえば、鋸(のこぎり)もあるし、鑿(のみ)もあるし、鉋(かんな)もあります。それぞれが、それぞれの役割を持っているのです。
「自分は、今世、いったい、いかなる役割を持って生れてきた人間なのか」ということを、もう一度、見つめてみることです。
そうすると、「おそらく、自分は、このような使命を持った人間なのだ」ということが分かります。その天命にいちばん添ったなかで、自分を光り輝かせていくことこそが大事なのです。それを、他人の人生と入れ替えようとしてはいけません。
人間には「魂の兄弟」というグループがあり、そのうちの一人が順番にこの世に生まれ変わってきて、人生経験を積みます。そして、あの世に還ると、その経験をグループのメンバーで共有し合っています。
それは、ちょうど、手の五本の指と手のひらのようなものです。親指、人差し指、中指・・・・・と、指は違っても、全体が一つの手です。手のひらが魂の兄弟の本体で、そのほかに、短いけれども太い親指、ちょっと長い中指、かわいらしい小指など、こうした魂の兄弟がいるのです。
そして、「何かをつかむ」ということを手全体でしているように、魂のグループ全体で経験を積んでいます。魂の転生輪廻をしながら、いろいろな人生経験をしているのです。
男女の性別、年齢、頭のよし悪し、体の大小など、他人との違いは、いろいろあるでしょう。性格にも、外向的な性格と内気な性格がありますし、仕事でも、向き不向きなど、いろいろあるでしょう。しかし、それであってこその個性です。
他の人々の存在を肯定するなら、自分自身の存在をも肯定しなさい。「そのあなたでよいのですよ」と言って、仏は許しているのです。「そのあなたでよいのです。他の人でなくてよいのです。その名前を持ったあなたでよいのです」と、今世の魂修行を許可されたのですから、あなたは、あなたの生き方をしていけばよいのです。
いま与えられているもののなかで、自分として最善の生き方をしていくということです。
「天命にいちばん添ったなかで、自分を光り輝かせる」(仏法真理)
---owari---
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