中国全体主義から、この国柄を護るべき。
(「平等」と「神の分け命」)
平等に関しても、日本神話では人間はみな神の「分け命」であるといえ生命観がありました。古代では男は日子(ひこ)、女は日女(ひめ)と呼び、太陽神である天照大神の息子であり、娘であるとみたのです。
西洋の「平等」はどうでしょうか? 近代において「平等」を声高に訴えたのは、フランス革命での人権宣言で、「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳っています。当時は、少数の第一身分の聖職者、第二の貴族が免税特権を持ち、国民の大半を占める第三身分、農民、職人、商人の税で暮らしていました。
第三身分とはアダムとイブがヤハウェの罰を受けて楽園から追放され、労働をしなければならなくなった、その労働者たち、と蔑視されていた身分でした。この第三身分が、第一身分、第二身分からの差別に反発して、平等を訴えたことが、フランス革命の背景にありました。
こう考えると、マルクス主義が労働者階級に闘争を訴えて、平等を実現しようとしたのも、フランス革命の後継思想だった事が良く理解できますね。
日本神話においては、神々も田を耕したり、機織りをしたりと、労働に勤しんでいます。この労働観では、農民も職人も神様と同じく仕事をしているわけで、貴い存在なのです。萬葉集で、地方の農民や少年兵士たちの歌を平等に収録しているのも、すべては「神の分け命」という平等な人間観の賜(たまもの)でしょう。
家族に喩(たと)えれば、日本では兄弟姉妹みな等しく親の「分け命」として大切にされてきました。それに対して、西洋の家族では長男が親の遺産をすべて受け継ぎ、次男以下はその下僕のように扱われてきたのです。そこで次男以下は、長男と平等に扱うべきだと叫びました。そんな不平等への抗議が、平等を訴える背景にあったのです。
(支配権を王が持つのか、人民が持つのか、という争い)
民主制という政治形態が誕生したのは、古代ギリシャでした。民主制(デーモクラテイア)とは、デーモス(人民)がクラトス(力)をもつ体制で、クラトスの動詞は、クラテイン(うち勝つ、征服する)です。国家の中に人民 対 王、などという敵対関係がすでにあり、その力と力の衝突で人民が勝ちを占めた体制という意味です。
プラトンの『国家』は民主制の誕生を次のように記述しています。
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そこで思うに、民主政は、つぎのような場合に生まれるのだ。つまり、貧しい人たちが勝利をしめ、他の者たちの一部を殺し、一部を追放して、残りの者に国民権と支配権とを平等に分かち与え、また、それら国の役職が、おおむね籤(くじ)できまるというような場合に。
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フランス革命を予言したような一節です。フランス革命においては、民衆は王をギロチンで殺し、権力を握ろうとしました。その過程で制定された人権宣言では、第3条に「すべての主権の淵源(えんげん=みなもと)は、本質的に国民にある」と定めています。
「主権」も日本人には理解しにくい言葉ですが、「主権は神によって国王に与えられている」という王権神授説を否定するために持ち出されたのが、この国民主権である、と考えれば、わかりやすくなります。
民主制の対極が独裁制、オート(自らの)クラティア(力)です。要は支配権を王が持つのか、人民が持つのか、という争いなのです。
(日本の「神集ひ」)
日本神話では独裁的な神々は現れません。速素戔嗚命(はやすさのおのみこと)が高天原で大暴れしたときも、天照大神が独裁者であれば、神々を派遣してすぐに退治させたでしょう。しかし、天照大御神は弟の乱行に責任を感じられたのか、天の岩戸に閉じこもってしまいます。
「是を以て、八百万の神、天の安(やす)の河原に神集ひ集ひて」(古事記)、どうしたらよいか相談します。そこから皆でお祭りをして、何事か、と天照大神が岩戸を開けた途端に、引っ張り出そうというアイデアが出てくるのです。また、騒ぎを起こした速素戔嗚命に対しても、「是に、八百万の神、共に議(はか)りて」、刑罰を決め、追放しています。
ここには独裁者の姿はありません。八百万の神々がみなで相談して、アイデアを出し、政策の決定をしているのです。こういう「神集い」で衆議を行い、衆知を集めるのが、我が国の政治の在り方でした。
この伝統はその後も長く引き継がれ、聖徳太子の十七条憲法でも、第17条に「夫(そ)れ事は独断すべからず。必ず衆(しゅう)と論(あげつら)ふべし」と独断を戒め、衆議を勧めています。
この精神は、そのまま五箇条の御誓文の「広く会議を興(おこ)し万機(ばんき)公論に決すべし」につながっています。「神集ひ」ての衆議こそが、我が国の伝統的な意志決定方法でした。
家庭に喩えれば、西洋の家庭では父親が子供たちに、ああしろ、こうしろと口うるさく命じるので、子供たちが自分たちの事は自分たちで決める、と叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)したようなものでしょう。日本の場合は、父親が何事も子供たちとよく相談して、皆で一緒に考えて物事を決めるので、子供たちは叛旗を翻す必要もないのです。
(「和の国」の「国柄」を続けるために)
自由、人権、平等、民主の思想が西洋でどのように発展してきたかを辿(たど)り、それらに共鳴する思想を日本の神話と歴史のなかに見てきました。ここから見えてくるのは、これらの思想が西洋の過酷な戦いの歴史の中で、民が自分たちを守るために生み出してきたことです。
一方、日本では、子供たちへの愛情に溢れる父親に子供たちもよくなついて、「和」の家庭を目指してきました。ですから、子供たちは、西洋のように自由、人権、平等、民主などとスローガンを叫ぶ必要はなかったのです。
現在の中国は、西洋の人民が、自由、人権、平等、民主を求めて戦っていた数世紀前の状態です。欧米諸国の人々は、自分たちの歴史を顧みて、中国全体主義の危険を直感的に感じとれるのです。日本人はそういう過酷な境遇をほとんど経験していませんので、もう一つピンと来ないのでしょう。
しかし戦前の日本人には自由、人権、平等、民主を求めて苦しんでいる異民族を助けた経験はあります。たとえば、犬塚是重(これしげ)海軍大佐は、上海でユダヤ人の租界(そかい:外国人居留地)を作り、ヒットラー政権から逃れた1万8千人のユダヤ人がそこで安全に暮らしていました。
後に、その功績から、ユダヤ人の恩人を記す『ゴールデン・ブック』への記載の申し出を受けた時、犬塚大佐は「私は陛下(昭和天皇)の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の御名を書くように」と答えています。
我々の祖先が2千年以上も皇室を中心に「大御宝」「神の分け命」「神集ひ」を理想としてきた「国柄」を知り、それを今後も護っていこうとすれば、自ずから中国に苦しめられている諸民族に力を貸し、また我々の子孫も、引き続きその国柄のもとで生きられるようにしたいと願うでしょう。そのエネルギーが我々自身の歴史の「根っこ」から出てくるのです。
欧米諸国、台湾、東南アジア諸国、インドとそれぞれの国がそれぞれの「国柄」を護るために、力を合わせて、中国全体主義と戦うべき時だと思うのです。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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